第20話 入国審査
二百年前の当時と変わらず存在していた施設。
自治を司る衛兵隊の上位の部署としての、騎士の駐屯地。
王都の城壁と市民街との間に存在する、横に長い大きな一画。
ここには防衛用拠点、いわゆる詰所があった。
私が最初に向かったのは、金髪碧眼の住処。
王族が多くいそうな場所。
騎士団だったのである。
戦いの中で既に私は確信していた。
今でもこの国の騎士団は、カタログが作れそうなほどに金髪碧眼の比重が多い。
つまり、カルバニアの学び舎にいたあの騎士課の貴族どもの末裔だろう。
金の髪に青い瞳、それはこの大陸の主神にして男神マルキシコス、その末裔だと信じ込んでいる者達。
私はアントロワイズ家に仇を為した、この国の王族が嫌いである。
二百年前は勇者の仲間ガノッサに発見され、失敗した。本格的に王国を滅亡させる前に問答無用で殺されただけであり、王家への恨みが消えたわけではないのだ。
ならばこそ、仮想敵として認定してもいいと感じていたし。
そもそも彼らから大金を毟り取っても、心は一切痛まない。
思わず、私の頬は静かな微笑の形を作る。
魔王スマイル。
むしろ無一文になる限界まで、搾り取ってやってもいいと思っていたのだ。
私が死んだ後、どうなったか。
黒幕と思われていたアナスターシャ王妃がどうなったか。
それを探る意味でも騎士たちと接触するのはそう悪い判断ではない筈。
……だったのだ。
両手を上げる私の顔を、女騎士の剣が反射している。
そう――私は襲われていた。
訪ねた私は初手から刃を向けられていたのだ。
相手はさきほどの戦闘中、多少の会話をした金髪碧眼の女騎士。
そして尋問が始まった。
さすがにこれは計算外。
銀の刃に反射しているのは私の顔だろう――。ナルシズムを拗らせる気はない。だがあくまでも事実として。これを美形と形容しないのはよほどの愚者か嫉妬深い存在、そんな手放しに美しいと断言できるほどの美青年が口を開く。
「これはいったい、どういうことでしょうか――?」
「どういうことかだと!? キサマ、魔術を使っただろう!」
碧眼を尖らせる女騎士に言われ、はてと、私は考えた。
失念していた。
可能性として考えたこともなかったが。
「もしかして、このカルバニア帝国では魔術は禁じられているのですか?」
「ほう、しらばっくれる気であるのか? まさか――知らなかったと?」
「ええ、私の住んでいた地方においては、魔術は忌避などされておりませんでした」
「王都に入る際に説明を受けていない……。つまりキサマは、自分を不法滞在者と認めることになるが? ちなみに、不法入国も犯罪だ。最高刑では死罪もありうる」
どうやらこの女騎士、あまり私に対する印象は良くないらしい。
「死罪は困りますね……ところで、ひとつよろしいでしょうか?」
「なんだ、命乞いならばあとにしろ」
「いえ、そういうわけではないのですが――あなたは男である私が魔術を使ってもさほど特別な反応を示してはいなかった。あまり驚いてはいなかったようですが。それはいったいどういうことなのでしょうか」
「どういうとはなんだ、意味が分からぬぞ」
ここで既に二百年前との差がある。
「いえ、私の住んでいた地方では魔術は基本的に女性のみが扱うもの。魔術とは神に愛された特別な人間のみが扱える奇跡の力。この大陸の主神、男神たるマルキシコス様は基本的に女性しか愛さないのです。ですので、魔術は女性のみが扱えるもの。男で魔術が使えるとなると大抵驚かれ、貴族様のお屋敷に招かれ魔術を披露してくれなどと、頼まれることが多いのですが」
実際、今回もそんなお誘いを当てにしていたので、既に泊まる宿賃もないのですと私は苦笑してみせる。
「つまり、キサマは無賃入国もしたと」
「それはお詫びしますが緊急事態でしたので、それとも私が駆け付けなくとも、あなたがたはナイトメアビーストの対処に成功していたと?」
「ナイトメアビースト?」
「おや、ご存じない? そうですか、この国は魔物についての知識に欠けているのですね」
しばしの間の後、私は交渉する狐のような顔で言う。
「私の身の安全を確保していただけるのでしたら――情報提供しても構いませんよ、それくらいの協力の意志を見せれば、怪しいものではないと分かっていただけると思いますので。それよりも、街の被害はどれくらいだったのです?」
「軍事機密だ、その問いに答える義務はない。というか、貴殿はむしろ質問されている側だ、あまり調子に乗るなよ」
口ではそういいつつ、剣を納めた女騎士はススススっと羊皮紙と、記述用だろう炭の魔導具をこちらに提出していた。
暗に情報を提供しろと言っているのだろう。
いつのまにかキサマではなく貴殿になっている。
――まあ、本当に魔物情報に欠落があるのなら、それを教えることに異論はない。
と。
私は冒険者ギルドで働いていた時を真似て、ギルド従業員スキルを発動。
冒険者への魔物情報提供時に扱う技術で、器用に羊皮紙に魔物の図解と特徴を記載していく。
「凄いな、まるで生きているような見事な絵画。貴殿は旅の芸術家か?」
「いえ、これくらいはできて普通ですよ」
「……なぜ木炭を渡したのに、色がついている」
「これは、あれです。そう――私の地方で伝わっていた色付けの魔術です」
むろん、ギルド従業員スキルが高すぎて、モノクロ絵がカラーになってしまっただけである。
「ふむ、使い手がほぼいなくなったと言うが……魔術とは便利な技術なのだな」
「魔術を扱うものとして、同類がいなくなることは寂しいこととは思いますよ、魔術も、あんなことがなければ、もっと発展していたのでしょうけれどね」
私が告げたタイミングで――世界の法則が僅かに歪む。
絵の筈のナイトメアビーストの瞳だけが蠢きだし、女騎士の顔をじっと覗き込んだのである。
むろん、それも私の仕込み。
情報を引き出すためにかけた召喚魔術の一種、軽度の催眠状態にしたのだ。
「まあ……仕方あるまい。二百年前の、あの時以来……すべては変わってしまったという。もっとも、わたしもその時代に生きていたわけではない。全ては歴史でその一端を知るのみ。魔道具やスキルが栄えたこの時代、古き魔術はどんどんと廃れていく……そのうち誰も使わなくなる技術。将来的にはその存在すらも、お伽話であると語られるようになるのやもしれぬな」
私は催眠状態を壊さぬ程度に情報を聞き出していく。
どうやら大帝国カルバニアは二百年前の騒動以降、魔術そのものを忌避。
そのまま二百年、魔術は嫌われ使用者も減り、魔術に対しての知識そのものが欠落してしまっている可能性が高い。
あまり長期間の洗脳に近い状態はリスクが高い。
勇者にバレるのはまずい。
催眠を解き、私は言う。
「ナイトメアビーストの特徴です。これでよろしいでしょうか」
「ふむ、後で上官殿にお見せする。そもそも貴殿はこの街を救った異邦人、不法滞在の犯罪者とはいえ……さすがに死罪ということはなかっただろうしな」
「酷い人だ……私を脅していたのですね」
「引っかかる方が悪い。貴殿はまだ若いようだからな、よく覚えておくといい」
こちらもそれは分かっていた。
この女騎士は敢えて死罪をちらつかせ、こちらの動向を探っていただけ。
まさか街を救った恩人を死罪にするバカは……いや、いるかもしれないと、顔に出さず私は苦笑した。
勝ち誇った顔で女騎士が、姿勢を直し。
口にこそしないが、滞在許可証を用意してくれている様子。
非公式の取引と思っていいのだろう。
「それで、貴殿はなんのためにこのカルバニアに?」
「歴史について学んでおりまして、二百年前に存在したとされる大魔女。アナスターシャ王妃についてご存じでしたらお聞かせ願いたいのですが」
「なるほど、魔王アナスターシャの伝説目当てか。ならばそうであるな、貴殿がこのカルバニアの地を訪ねてきた理由にも納得がいく」
魔王アナスターシャ。
女騎士は確かにそう告げた。
「すみません、あまり詳しくないのですが、魔王アナスターシャの最期はどうであったのか……貴女は何かご存じなのでしょうか」
「――……魔王アナスターシャの伝説を知りたいのなら、図書館に向かうといい。すまないが、わたしはあまり歴史の勉強は好きではなくてな。歴史の授業で少々触れた程度」
「触れたということは、ご存じなのですね」
「はぁ……貴殿はしつこいな。魔王アナスターシャはその立場を利用し、多くの悪事をなした。最終的に彼女を征伐したのは、彼女が最も愛した身内。初代皇帝マルダー=フォン=カルバニア陛下だと言われている。だが……アナスターシャの名はあまり口にしない方がいいぞ、この国では特にな」
私がにこりと、それも聞きたいと言いたげな顔をしていたのだろう。
彼女は諦めこういった。
「実は、魔王アナスターシャの魂魄はいまだに生き続け、魔術師の魂を食らい彷徨い、いつか世界に再臨するかもしれぬと伝承されているのだ。名は言霊。言霊には力がある。魔王アナスターシャの名を呼ぶたびに、彼女は少しずつその魂を食らっているのだ……そんな風に言い伝えられているのだ」
ふむと考え、私は勝手に詰め所の戸棚からティーセットを召喚。
「おかしいですね、私はこの通り魔術を扱えます。ですので魂や魔力といった不可視の力についても、感じとる事ができるのです。ですが……魔王アナスターシャの名を呼んでも、私はその亡霊の存在を感じ取ることができない。つまり、彼女の亡霊が実現しているなどというのは、まったくの見当違いでは?」
「貴殿は存外に面白い男だな」
「面白い?」
「当たり前だろう、ただの怪談をそんな風にまじめに、真正面から解答するとは。ふふふふふ、ふはははは、とすまない、笑う気はなかったのだが」
女騎士ははじめて笑みを作り。
「むろん、今のはただの噂話。作り話の類だ。悪いことをした子供を叱りつける際に、母上たちは言うのだ。悪い子はアナスターシャの亡霊が迎えに来てしまうよ? 悪い子を仲間に誘って、悪い子だけの迷宮に悪い子の魂を連れ去ってしまう。それでもまだ、貴女は悪い子のままなのかしら――、とな。わたしもよく、母上様に脅かされたものだ」
母との思い出を聞かされると、少し羨ましいと感じてしまう。
だから温かい声が漏れていた。
「つまり、子どもの頃の貴女はそれなりにヤンチャだったということなのですね」
「騎士の家系らしくない、貴族ならばもっとおしとやかに、貴殿もそう言いたいのだろう?」
「さて、どうでしょうか――ただ、元気に剣技の訓練をする子供は、嫌いではありませんよ」
本当に。
嫌いではなかったのだ――。
思わず感傷がこぼれたからか、そしてそれがやはり本音だったからか。
あの日を思い出し目線を落とした私に、女騎士は顔を赤くしていた。
どうやらこの容姿でも、子どもの時のような小細工は有効そうである。
「――まあいい、さて後は貴殿の名前と年齢をここに記入すれば、一月の滞在許可証が完成する。壊れた街の再建に金がかかるし、不法入国が死罪というのも本当なのだ。それを誤魔化した分を差し引いた、貴殿の活躍への報酬と思ってくれ。嘘偽りなく告げよ」
「名はレイド……」
「ほぅ、あの英雄と同じ名か。確かに貴殿は銀髪、ご両親が名にあやかり名をつけたのやもしれぬな。それで年齢は」
「おそらくは十五と表示されるかと」
女神のアドバイスに従い私は言った。
女の手が止まる。
「嘘は止せ、わたしは真面目に聞いているのだ」
「嘘ではないのですが……」
「バカな男だ、この許可証に偽証を記入すればエラーが発生する、ほら見ろエラーだ。遊んでいないで本当の年齢を言え。貴殿のような美青年が十五の筈がないだろう。しかし、これでまた問題が発生した。入国審査での偽証は重罪。しばらくは投獄か、あるいは永久の追放となるのだが……貴殿はどうして、そのような嘘を?」
おかしい。それとも肉体年齢ではなく実年齢の二百十二歳とするべきなのか。
或いは転生前の年齢も追加せねばならない、高位の魔道具なのか。
しかし、どう見ても程度の低い鑑定技術を用いた魔道具にしか思えない。
そこで私は思い出した。
私に肉体年齢が十五だと言ったのは、あのアシュトレトだ。
「すみません、誕生日を迎えるのがまだ先だったようです。十四と記入して見てくれますか?」
「十五ですら危ういのに、十四か。どうせエラーが……あれ? しないな……」
そこでようやく気付いたのだろう。
「十四!? 君は、まだ子供だったのか!?」
「大人だと言った覚えは一度もありませんよ?」
「そ、そうか……その、すまなかった! あぁぁぁぁああぁぁ! わ、わたしは子供に何という事を……っ。騎士としての名誉と誉れが……っ」
まだ子どもという肩書はそれなりに大きかったらしく。
私は予定よりは少ないが、いくばくかの現金を手に入れた。
他の騎士たちにも、女騎士がわたしが子供であることと、害がないことを伝えてくれている。
とりあえずの印象と情報操作はできた、そう考えていいだろう。
もちろん、入国審査を通った私の足はすぐに図書館へと向かう。
時刻はそろそろ黄昏時を迎えようとしていた。