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第207話 置き土産の呪い


 ここはエルフの王族の研究室。

 白銀女王の暗部。

 一度、施設を解体するという話もあったのだが――。


 隠れて研究しやすく、何かに再利用できるだろうと保存を提案した兄クリムゾン殿下の判断は、間違ってはいなかったようだ。


 時刻は魔王聖典襲撃事件の後。

 私は一旦、フレークシルバー王国へ帰国。

 魔猫達に殲滅された魔王聖典。

 その一冊を、魔猫達に頼んで回収。

 私は魔道具としての、この平和への書の解析を行っていたのだ。


 母と伯父が使っていた、兄を生み出した場所を再利用し……私は瞳に魔術式を走らせていたのである。


 光源が強いと蒸発してしまうインクを用いているので、部屋は全体的に暗い。

 だが光が全くないわけではない。

 それは解析の魔術により発生する、世界の法則を書き換える式の流れ。


 ただ流れるように走る魔術式の青い輝きが、煌々としているのだ。

 しかしこの書は魔力持つ聖典。

 素直に解析はさせてくれないらしく、何重にもプロテクトがされているようなのだが。


 まあ、結局は魔術でどうにでもなってしまう。

 それが魔術の便利なところであり、怖いところでもあるだろう。

 魔導書の暗号部分を指でなぞった私は、指先に魔力を流して告げる。


「暗号解読魔術:【崖上のレミングス】」


 撮影のため追い詰められ。

 崖から飛び降りさせられたレミングスの群れの逸話を読み解き、逸話再現魔術として使用。

 真実を暴くアダムスヴェインとして魔術を組み上げたのだ。


 魔力によって浮かび上がった幻影のレミングス。

 その群れが真実を暴くべく魔王聖典の上を通過する。

 暗号が解除されたのだ。


 複製品なのは確定。

 この書の本体こそが、今回の黒幕だろう。

 だがコピーであっても、どうしてこのような結論を選んでしまったのか、少しはその背景が見えてきた。


 暗号を解除された魔王聖典の複製品から、一つの姿が浮かび上がってくる。

 それは神々しくも人を食ったような顔をした男。

 かつて楽園に在った時の私に似ていた。


 魔王聖典の人格を呼び起こしたのである。

 まずは挨拶が基本か。


「この場合、初めましてで良いのでしょうかね。私はレイド。レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバー。そうですね、今はアントロワイズ卿とでも呼んでいただければよろしいかと」


 歪んだ世界平和を望む書のコピーは、こちらを探るような瞳で見て。

 自分が置かれた状況と、自分が複製品であることを悟ったようだ。

 諦めでも悲嘆でもなく、ただ淡々と複製された魔王聖典が言う。


『初めまして、魔術を捨て去り全てを無かった事にしようと願った私ですね』

「ええ、まあそうですね。今は考えを改めていますが」

『おや? それは何故でしょうか。私以外にも平和への道を進んだ同志がいると思っていたのですが、あなたは平和を諦めになられたと?』


 魔術をなくす事もまた、平和への道。

 複製魔導書はそう判断しているようだ。


 勇者に討たれた時。

 かつていっそ魔術などなければよかったと願った私の思考も、既に平和への妄執に囚われていたのだろうか。

 かつての、あの時の私も平和を願い魔術を消そうとしていた。


 真偽は分からないが、少なくともこの複製魔導書はそう考えているようだ。

 けれど、おそらくは違う。

 あれは私怨や憤り、絶望といった後ろ暗い感情だった。


 私は魔術を生み出した過去の自分を悔い、嘆いたのだ。

 そして恥じたのだろう。

 恥は消し去りたい、そんな汚点はなかったことにしたい。


 きっと、根底にあるのはそんな理由や感情だと、今の私は考える。

 まあそれを口にする気はないが。

 相手に逆上されても面倒であり、私ははぐらかすように言葉を流す。

 

「さてどうでしょうか。それよりも、いったいなぜこのような殺戮を?」

『殺戮?』

「世界から全ての命を絶つ、それが殺戮でないのならば何を殺戮と呼ぶのでしょうか」


 問いかけに、複製魔導書からの反応は――。


『見解の相違ですね。私達はただ世界平和のための道を模索していただけ。あなたもどうですか、今からでも私達と共に真の平和への道を歩んでは』

「戯言を……真の平和など、存在しませんよ」

『そうでしょうか――皆が静かに、無へ帰る。それは全ての平等な世界、全てが等しく嘆きのない世界。憎悪も夢も現実も、全てが等価値へと昇華されるのです。それは理想郷。真の平和と呼べるでしょう』


 その言葉に一切の曇りはない。

 迷いがないのだ。

 どこか、既に狂っているのだろう。


 それはまつろわぬ女神達とおそらく同じ。


 多くの人々からの心を受けて、変質したのだろう。

 平和を作り出す存在であれ。

 そう願われた結果、歪んでしまったのかもしれない。


 これもまた因果応報か。

 私の存在そのものがおそらくは、女神達が歪んでしまった原因の一つ。

 全ては巡り廻る……良き行いをしたら、いつか自分に帰ってくる。その逆もまた存在する。


 私を愛する者たちが私を愛する故に、誰かの愛する神を歪めてしまったのなら。

 ……。


「天罰……といったら、おそらく大問題になるのでしょうね」

『おや、どうしましたか?』

「いえ、あなたにはきっともう関係のない話ですよ」


 複製魔導書が言う。


『それで、返事はどうなのですか? 魔術を消し去り、在りし日に帰ろうと願った私よ。共に、平和への道を歩みませんか?』


 それはとても穏やかで、優しい声だった。

 暖かさすらあったのだ。


 歪んだ救世主の書。

 私にはそんな言葉が浮かんでいた。

 彼は、人々の願いを叶え、平和のために行動しているのだ。


 その手段が致命的に誤っているだけ。

 もはや戻れないほどに、人々の心によって汚染されているのだ。

 三女神や他の女神は優しさといった感情を取り戻せたが……。


 きっと。

 もう、これは手遅れだ。

 女神達は自分たちが堕ちたと自覚をしていた。

 人々の信仰によって歪められたと知っていた。


 けれど、この書は違う。

 あくまでもまっすぐ、正しく善を貫こうとしている。

 だから、救いようがないのだ。


「哀れな――」


 告げて私は、複製魔導書から本体によりコピーされた人格を消し去った。

 その時だった。

 不意に、魔術が発動された。


 最後の一撃とでもいうのだろうか。

 書が――最後に、魔術式を発動させたのだ。


 その魔術は、魔導書に文字を刻む。

 ただそれだけの魔術。

 魔王聖典の複製書ともいうべき魔導書に刻まれた文字は――。


「止めてくれて、ありがとう……ですか」


 きっと。

 終わる瞬間だけは、正気に戻るのだろう。

 それは望ましい置き土産とは、あまり言えないか。


 この事実を伏せておくべきだと私は判断し、白銀女王が生み出したシステムで情報を秘匿。

 かつて母もこうして、情報を隠していたのだろう。

 全てを公開することが正しいとは限らない……。


 けれど――。


 私は、このような時にどのような顔をすればいいのか。

 どう反応したらいいのか。

 正直、よく分かってはいなかった。


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