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第205話 無数の魔導聖典


 ミチリミチリと音が鳴る。

 結界内に出現しようとしているのは、大きな魔力の気配。


 察するに、それは魔導書の私。

 魔道具ゆえに思考がまっすぐになりがちな存在が、よりにもよって純粋に世界平和を望んだ故に暴走している。

 そんな厄介な輩である。


 能力向上効果のある王族の支援スキルを使いながら、我が兄クリムゾン殿下が赤髪を揺らし。

 訝しむように言う。


「これほど厳重な結界内の空間を割ってきているだと……何者なのだ?」

「確定ではありませんが、おそらくはもう一人の私でしょうね」

「な……!?」


 ボスが自分からやってくる。

 普通ならあまりない状況だが、相手は複数の魔導書。

 一冊がやられたとしても問題がないからだろう。


 本来ならば世界平和を望み、既に何度も世界を救ってきたと思われる無数の魔導書――その実在は、世界に点在する多くの賢者の逸話が証明している。


 世界平和を望んだ私は人格を持った魔導書となり、弟子を育て、その弟子と大魔帝ケトスを出逢わせて未来を変えていたのだ。

 それはあくまでも本当の世界平和のため。

 大魔帝ケトスがルートを間違えて世界を滅ぼしてしまう――そんな滅びのルートにわずかなベクトルを加え、滅びを回避するために動いていた。


 未来を変える状況を作り出す、言葉にすれば簡単だが理解はしにくいか。

 未来を変える一例をあげるとするならば、それは今回の襲撃だろう。

 私は睡眠の魔術で兄を眠らせて抜け出そうとしたが、それをムルジル=ガダンガダン大王が妨害した。

 だからこそ兄は助かった。


 ナマズと猫の髯にて、未来観測をしたムルジル=ガダンガダン大王が一手を打ったことで、流れが変わったのだ。


 未来を眺める能力に秀でた、未来視能力者がよくやる手段である。

 私の部下だった神鶏も同じ手法をよく使っていたが……。

 ともあれ、世界平和を望む魔導書は多くの弟子を育て、世界を平和に導いてきた。


 しかし、全ての書がそうではない。

 平和への答えも手段も一つではない。答えがない問いなので、同じ人格の魔導書であっても別の答えを導き出してしまう事もある。

 本来ならば、真に世界平和を願っていたのだろう。


 ただ答えを間違っただけ。


 空間の割れ目から、分厚い魔導書が覗いていた。

 それはまるで聖典。

 魔王聖典とでもいうべき、空飛ぶ書。


 どこかの世界では聖書と呼ばれていそうな、徳の高い神聖な魔道具であるが……。


「やはり、私のようですね」


 歪んだ世界平和を実現するべく動く書が、どれほどにいるのか。

 全部が結託しているのか、それもまだ分からない。

 相手の状況を探りながら、私は静かに落ち着いた声を漏らしていた。


「少なくとも、無断でやってきている以上は敵と判定します。もし味方だとしても、味方ならば吹き飛ばした後に謝罪をすればいいだけですし、倒してしまいましょう」

「味方を吹き飛ばすのは、あまり感心はできんが」

「緊急事態ですし、そもそも無断で結界を割ってきている時点で相手の落ち度です。相手が少しでも悪いのならば、こちらに大きな非があったとしても一切気にする必要はない――そう、私の魔術の師である女神アシュトレトもよく言っておりました」


 兄のジト目が私に突き刺さるも、伸ばした腕で亜空間に接続。

 ズズズズズズ――っと。

 空間を軋ませる音に構わず、私も邪杖ビィルゼブブを召喚。


 全ての干渉を断つべく、結界魔術を展開していた。


「無条件結界魔術:【神聖不可侵アイドリア・絶対聖域サンクチュアリ】」


 唱えた私の杖の先端から、私達を囲う光の聖域が顕現する。

 既に私と兄の周囲には、強固な結界が張られていたのだ。

 伸びる光の柱の壁を眺めクリムゾン殿下が言う。


「この結界は――見たこともない魔術だが」

「相手の攻撃を三度までなら無条件に防ぐ、絶対防御の結界です。ああ、申し訳ありませんが結界には触れないでくださいね。無条件ゆえに、触れた程度でも攻撃と判定されてしまうので、回数を消費してしまいます」

「使いにくい魔術ではないか」

「しかし、相手の攻撃も無条件に防げますからね。極端な例を出せば、三千世界そのものを破壊する魔術であっても、三回までなら防げます。まあ、その場合は私達以外の全てが滅んだ世界が残されるだけですが――と、そう言っている間に、敵が仕掛けてきます。ご注意を」


 発言の直後――その絶対不可侵の結界に、何者かの気配が触れ。

 次の瞬間。

 相手の転移魔術が発動する。


 ギギギギギィィィィィィィ!


 絶対不可侵の結界が相手の魔術を防ぎ、魔力がこすれ合う摩擦音が発生していた。


 何度も、何度も。

 転移を実行し、失敗。

 失敗。

 失敗。失敗。失敗。失敗。


 その都度、私も決壊を上書きする形で更新。

 三回防ぐ前に、新しく詠唱をし魔術を展開。

 無限に防ぐ結界としているのだ。


 防ぎ続けるこちらに、クリムゾン殿下が眉を顰め。


「三回までしか防げないのではなかったのか……?」

「上書きができないとは言っていませんでしたからね。効果が切れる前に張り直せばいいだけの話。ちなみに、この魔術は重ね掛けもできるので事前に何度も使っておけば、理論上は無限にどんな攻撃も防げますよ」


 兄はなぜか理不尽さを嘆く顔で、転移を失敗し続けている魔導書の私を眺め。


「相変わらず、意味の分からないレベルの魔術だな……これでは無敵ではないか」

「まあ万能に見えて使用条件も実は結構あるのですが――使える状況なら使った方がいいですし、そうですね、今度兄上にも伝授いたしましょう」

「……おそらく一回唱えただけで俺の魔力では魔力が底を突き、動けなくなる。あくまでも俺が使う魔術としては、あまり良い魔術とは言えんだろう」


 相手が転移を発動させている空間は、兄がいる座標。

 やはりクリムゾン殿下を誘拐する気だったようだ。

 魔導書の私は、聖なる力を発動させ自らの本をバササササササササ!


 魔王聖典が、魔術攻撃の構え。


 書を開き魔術を発動させようとするも、兄を連れた私は徒歩で接近し。

 無条件で攻撃を防ぐ結界で体当たり。

 これで一冊の書が、結界に挟まれ消える事となった。


 まだまだ書は存在するのか、空間の切れ目から次々と魔導書の私が顕現する。

 その全てを風の魔術で弾き飛ばしながら、私は感謝を述べていた。


「ムルジル=ガダンガダン大王には感謝せねばなりませんね、あの方が未来を変更してくれていなければ――あなたは拉致されていた可能性が高い」

「まあ、今のおまえの弱点といえば俺という存在であろうからな」

「おや、存外に冷静ですね」

「緊張もしているし脅威も感じている。だが、事実と現実を見る目はしっかりと持つ、それが民を支える王族の正しき姿なのであろうからな」


 それはエルフの帝王学。

 優雅で冷静な立ち居振る舞いは見事――彼の師匠ともいえる豪商貴婦人ヴィルヘルムは、やはり優秀な家庭教師だったようだ。


「兄上――この者はこの空間に入り込んできている時点で相当な存在です。どうかお気を付けを」

「ふっ、王としておまえが守ってくれるのだろう」


 ここで王を守る!

 と、実力を過信せず、前に出ない所はさすがはクリムゾン殿下といったところか。

 素直に守られてくれるのはだいぶありがたい。


 私はかつて、姉を守れなかったが……。

 今は違う。


「しかし、どうするのだ。キリがないほどやってきているようだが」

「どうやら魔導書の私は、複製……自らの本体ともいえる書をコピーさせることに成功しているのでしょうね。魔道具と化した状態だからこそできる裏技ですが、数えきれない量の魔導書として複製されているとしたら厄介ですね」


 精神を集中させてみると、空中庭園に多くの気配が生まれていた。

 襲われているのはここだけだったが、作戦を変更したのだろう。向こうもこちらを押し切れないと別の場所から転移をし、此処に向かっているとみるべきか。


 援軍を呼ぶか。

 それとも多少の周囲の被害を覚悟で、大魔術で吹き飛ばすか。


「おまえの曲か呪いで倒せないのか?」

「相手は魔導書、アイテムなのです。即死魔術が効く相手ではありませんからね……」


 悩む私だったが、さすがに誰かが騒動に気付いたのだろう。

 空中庭園の床が、揺れ始める。


 地震などあり得ない空なのだが……。

 振動と共に聞こえるのは、肉球音。


 扉を蹴破りやってきたのは、一匹の魔猫だった。

 その名もニャースケ。

 空中庭園が魔猫の楽園となったことで、ニャースケもまた強化されているのだろう。


 ジャキっと爪を伸ばし、ニャースケはにやりと嗤い。

 魔導書に向かい飛びかかる。

 本来ならば敵の方が強い、だが――。


 魔王聖典といっても、所詮は本。


 書物なのだ。

 その弱点は、猫の爪とぎ。

 猫の逆襲が始まろうとしていた。

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