第19話 覚醒:後編
まだ昼とはいいがたい時間であるが――空から正午の陽光が降り注ぎ、街を温かい光で包みだす。
光の中からそれは妖艶な姿を覗かせ、神々しい魔力で周囲を照らす。
見た目だけは芸術品。
美しいが、ほぼ痴女な裸体に薄い布と大蛇を纏って――昼の女神は顕現していたのだ。
性格も人格も行動も狂っているが、三女神の中では比較するとマシな神性。
女神アシュトレト。
あの日と変わらぬ能天気な笑顔で、にひり。
女神が言う。
『目覚めたのであるなレイド! 心配したのじゃぞ!? まだ明け方の女神の時間である早朝に妾を呼ぶとは、ふふふふ、良い心がけじゃ。それで、明け方のはどうした? 優先担当時間じゃろうに』
「逃げたのですよ、事情は――あなたのことです、既に察しているのでしょう?」
『事情じゃと? おう、そうか! 求婚であるな! 心配せずとも、よいよい。婚姻届けなら出さずとも、妾とそなたは既に硬い絆と心で結ばれておるのでな――しかし、そなたがどうしてもというのなら、やぶさかではないぞ?』
人の命がかかっている、一刻を争う時ですらこの女神対応である。
ブレてはいない。性格も変わっていない。
「アシュトレト……そういうやりとりは結構です」
『結構? うむ! 結構良いですという、肯定であるな!』
「それは昔の詐欺師の常套手段です。本当に急いでいるのですが。あなたはそれを知っていても、これですか――二百年経っても全く、何一つ、まるで変わっていないのですね」
悪い意味での皮肉だったのだが――。
おそらく、能天気な女は勝手に美しさも変わっていないと、解釈したのだろう。
女神は満面の笑みである。
実際、表面上の美しさだけは変わっていないのも事実だが。
『二百年など、永遠を生きる妾たちにとっては誤差。可愛いそなたが成長していく様を眺める二百年は、実に有意義であった。白銀の美青年、神が作り至高の一品と言えるそなたの美形じゃが、妾からのアドバイスじゃ。鑑定にて表示される肉体年齢は十五歳程度と思った方が良いぞ? それでも既に美青年に見えるのは、成長期というやつじゃな』
「その情報も気になりますが――」
何もない空間と話す私に、老婆がぽかんとしている。
このままというわけにはいかない。
『どうじゃ? 結構と言ったのは、そなたの方。この際、婚姻届けを出してみぬか? まあ! この世界だと婚姻の許可と届けをどこに出すのか、妾は知らぬがな!』
「くどいですよ。そろそろ真面目になってください」
『そなたの辛辣さも、無駄にロジカルな思考も変わっておらんな。安心したぞ、妾はそなたの性格も含めて、全てを愛おしく思っておるのじゃからな』
全てを理解している。
そんなドヤ顔であるが。
「ならば、そろそろ私が本当に怒り出すことぐらいは」
『そろそろそろそろ、そなたはせっかちであるのう』
あ、そろそろ、と舞の一つでも披露しそうな声であるが。
本当に私のラインを測ったのだろう。
『しかしまあ、そうであろうな――さすがにポーラを助けなかった黄昏のように、ずっと根に持たれても面白くない。良かろう、この老婆は妾が神の名において守ると誓ってやろうぞ。具体的にはそうじゃな……安全な場所へと送っておく。人としての、常識的な範囲でな。そなたはどうするのじゃ?』
「私が倒したという、客観的な事実がない限りは代金も請求できません。すぐに殲滅に戻りますよ」
『そうか、ならば行け。レイドよ、この者は妾に任せよ』
返事を待たず。
既に私は風魔術で加速し、銀髪を靡かせ――人間が可能な現実的な跳躍速度で街道を駆けていた。
女神アシュトレトならば私に怒られるラインを考える。
彼女は女神にしては狂っていた。
つまりそれは、正常に近いという事。あくまでも私への善意での行動が多いのだ。
私に名を聞かれたあの日に、彼女の心は本当に私へと向いているのだろう。
老婆の安全は確保されたと考えていい。
行動資金程度ならば、あの老人一人からの謝礼で十分だとは判断できる。
だからこそ、ある程度被害を出してから救った方が、感謝される可能性は高いのだが。
この解答は合理的ではない。非効率だとは分かっている。けれど。
――それは嫌だ。
と、私の中に残る人間性が、被害の拡大を待つ選択を否定していた。
私は周囲を見渡した。
やはり各地で戦いが発生している。
【幸福なる魔王眼】にて観測される地図。モニターに表示される死者は、ゼロ。
私は非合理だとは理解しつつ。
街を駆けた。
◇
魔物の首を刎ねながら迅速に進む、魔王たる私の狩り。
多くの感謝を受けながらの殺戮は続く。
結論から言えば、中級悪魔とて私の敵ではなかった。
魔王として覚醒したという事実は、それなり以上の成果となっていたのである。
だがその分、色々と見えてきたことがあった。
地図を見ながら私は訝しんでいたのだ。
問題なのは、街の周囲に魔物がいる事実だろう。
――魔物が何故、カルバニアの近隣にいた?
街の近くに魔物がいるのが普通の時代なのかもしれないが……。
一つ考え出すと、いまだ仄かに眠りの中にいた脳が冴え始めた。
思考がつながる。
――考えられるのは、ダンジョンの活性化か。
結論から先に言うと。
ダンジョン攻略を長期間放置すると、周囲に湧く魔物の数が増加する。
おそらく、この時代では魔物急増状態が発生しているのだろうと、私は結論付けていた。
妄想や気の迷いではなく、もちろんそう考える事情がある。
私が知る時代でも、カルバニアの近隣に魔物が多く出現する時期があったのだ。
ダンジョンの外に強力な魔物が湧く現象にも、もちろん理論がある。
おそらくだが。
迷宮内の魔物を定期的に倒していないと、魔物達は生態系ピラミッドを作り増殖するのだ。
迷宮では日夜ポップというイベント、魔物生成現象が繰り返されている。
無限に湧き続けている。
かつての人間たちは理論は把握していなくとも、それを感覚で理解していた。
ある一定以上の数、ダンジョン内の魔物が進化や強化されると、異常事態……いわゆるイレギュラーが発生することを知っていたのだ。
だからこそ、冒険者には定期的に魔物討伐クエストが与えられていた。
だからこそ、強力な魔物を倒せば褒賞が与えられる。
二百年前の私はそれをロジックで考えていた。
ダンジョンは定期的に攻略をしないと、極悪化する。
それが私の仮説でもある。
攻略する人間が減れば、討伐数の減少につながる。
きちんと攻略されているダンジョンならば、湧く数と冒険者が討伐する数のバランスが保たれ、魔物が大量に発生するということはないのだが。
たとえば人間同士の争いが増え、迷宮攻略ではなく戦争に重きが置かれるようになったらどうなるか。
すると起こるのは、魔物の供給過多。
するとどうなるか、溢れた魔物が魔物同士で戦い合う。
勝利すればむろん、相手を食らうだろう。
レベルも上がるだろう。
そのレベルアップがいけない。
リーダーともいえる個体が誕生するのだ。
そしてそのリーダーがピラミッドの頂点に立てば、もう取り返しがつかない。
魔物は爆発的に強化――増殖してしまう。
ダンジョン内で更に強固な食物連鎖が形成されるのだ。
すると発生するのは、迷宮の外に逃げていく魔物達。
それが大量発生の原因の一つ。
居場所を無くす、群れに入れぬ魔物。
弱肉強食のサイクルに入れない異端。
新しくダンジョンに築かれた魔物社会に入れぬ「はぐれ魔物」がダンジョンから漏れ出て、野や山に徘徊する。
それがダンジョンの外に魔物が出現するメカニズムである。
その食物連鎖の繰り返し。
レベルアップのサイクル数が異なることで、周囲に出現する魔物のレベルにも差が発生すると、私は結論付けていた。
そして迷宮から逃走する魔物数が増える原因と考えられるのも、やはりダンジョンピラミッドの頂点に君臨するほどの、ボス個体の出現。
強いボスの出現で逃げる魔物が大量に発生する事こそが、二百年前にもあった魔物大量発生の原因なのだ。
あの当時も、ボス個体の出現を私は観測していた。
ならばこそ、今もどこか近隣のダンジョンにて――強力なボス個体が発生している。
それが討伐されていないからこそ――街の近隣まで魔物がいる。
明け方の女神はこれほどの数の魔物を、街に発生させることができた。
これが私の導き出した解答である。
ともあれ。
考えが正しいかどうかは判断できない。なにしろ情報が足りない。
今は魔物の殲滅が優先か。
市民を助け、魔物を殺し、金銭を受け取りまずは図書館でこの時代の知識をすべて頭に入れる。
それが最優先させるべき目的。
そのための人助けはとても合理的だ。
女神が運命を操り呼んだのならばマッチポンプなのだが、私が命令したわけではない。
可能性としては実際にありえたかもしれない未来を、明け方が選んだだけとも言える。
つまり、私は何一つ悪くない。
ならば、報酬を受け取ることも不当ではない。
駆けながら考える私に並走するのは、大蛇を纏う女神の影。
透明状態となっている女神アシュトレトが老婆を安全な場所に連れて、自分は私のところに戻ってきたのだろう。
『レイドよ』
「なんですか、アシュトレト」
『さきほどから、長ったらしく考えておったようだが……一つ良いか? 単純に、魔の王、つまり魔王たるおぬしが再臨するから、魔物が活性化しておったという可能性が抜けておらぬか?』
しばし、私は沈黙していた。
私は私を客観的にみるという事を、あまり得意としていない。
失念していたのだ。
魔王の復活こそが、魔物が街の近くにまでいる原因。
一理はある。
が。
この女神――魔王の発生の原因は、誰にあるのか自覚はしていないようだ。
「明け方の女神が街を襲う魔物の原因かどうか、そしてマッチポンプだったかどうか。私はきちんと考えた上で行動したかっただけです」
『そして結局、そなたは自分は悪くない。金を受け取っても正当な対価。そう結論付けたのじゃな?』
「……まあ、そうですが」
女神アシュトレトのくせに、まとめていう。
『ならば、長ったらしく考えんでも。”魔物を殲滅して人間から金を貰う”。これだけで良かったのではあるまいか?』
「それを論理的に考えると、こうなるのですよ」
言って私は、天に手を翳した。
魔物の首を刎ねた際に刻まれた、血糊。
血まみれとなっている手のひらの先から、魔法陣を生み出したのである。
「死者が出られても面倒です、一気に片づけますよ」
生み出された街を覆う巨大魔法陣が、私の手により砕かれる。
それは攻撃魔術の因となった。
血糊を吸って、赤い、殺戮の氷雨となって降り注ぐ。
「対象指定氷魔術――【メトロイアの散弾】」
それはまるでガラス破片の散弾。
ただし、ターゲットを魔物のみに固定し、他の生物への被害を避ける。
私は正しく魔物を一掃した。
騎士団も、冒険者たちも未知の範囲攻撃魔術に呆然としていた。
魔物の殲滅を通じ、私は合理的な答えを導き出す。
今の私は二百年前より――強い。
勇者の仲間に殺されたことで覚醒。
一度死んだ魔王が復活した時、更に強くなって復活する。
それはよくある話だろう――と。
私は魔術で血糊を拭い――誰から金銭をせしめるべきか、最も効率のよさそうな答えを探し始めていた。