第197話 完全なる世界平和
黒幕ともいえる犯人。
夜の女神に曰く――その正体は、平和を願い世界を救うために魔導書となった魔王の欠片。
あくまでも世界を平和にするための行動なのだと言われたら、なんとも重い空気となっても仕方ないだろう。
そんな話を聞かされた面々の反応は様々だ。
気まずさとも違う沈黙の中。
空気を切り替えるように私が言う。
「願いを叶える魔導具、あるいは魔道具が効果を発動。世界全体に対する平和への願いを叶えようとしたとして――そこには様々な限界と壁があります。ガノッサさんは何だと思いますか?」
「世界平和、ねえ」
神々や魔性。
そういった、理外の存在たる私達とは違った、まだ常識的な目線を持つ勇者は考え。
煙草に火をつけ一服。
夜の女神の顕現により浮かぶオーロラ色の夜空に煙を流しながら、答えを口にし始めた。
「そりゃあ平和なんてもんは実現しない……って答えは面白くねえな。そうだな、平和ってもんは種族や環境、世界によっても違うだろうからな。たとえば一つの国にとっての平和って答えなら、まあ分かる。その国だけが何不自由することなく、争う事もなく日々を暮らせりゃいい訳だからな」
しばし男は考え――。
酸いも甘いも嚙み分けてきた勇者の顔で目を伏せ、続きを語る。
「だが、たとえば大陸全体を平和にするってなると、また話は変わってくる。大陸内に二つの国があって、どっちの国も平和になりましょうってなると――種族も民族も文化も違ったら、なかなかうまくはいかねえ。極端な話、人しか食えねえミノタウロスの獣人国家と同じ大陸に、人間の国家があったとしたらその時点でアウトだ。人間を食料としか見てねえ獣人国家と人間の国家じゃ、平和に暮らすなんてできねえだろうしな」
獣神たちや女神達が注目する中。
話を聞いていたグーデン=ダークが悪い顔で、メメメメメメ!
悪魔羊の笑み。
『人間を家畜化すれば平和になるんじゃないですかねえ!』
「あのなあ、それのどこが平和なんだ……」
『これはこれは、はて……? ミノタウロスにとっては平和そのものでありましょう? あなたがた人類が牛を飼って、美味しくいただいているのと同じことでは?』
しかし揶揄する饕餮に、勇者はニヒりと罠にハメたしたり顔である。
「そりゃそうだわな。こいつが言ってくれた通りだ。つまりは――生きる者全てに、同時に平和を与えようとすること自体が無謀。実現できない願望、掴めない幻。どんな願いを叶える魔道具だって魔術齟齬が起きる。ようするに無理なんだよ」
『はたしてそうでありましょうか?』
モコモコな羊毛を揺らし、メメメメメ!
わざとらしく息を吐く羊を、キッと睨み。
勇者が面倒な相手を見る顔で、羊の頭を軽く指ピン。
「終焉の魔王がめんどうな羊だってのは聞いてたが、おまえ……本当に面倒な性格してやがるな」
『お褒め頂き恐縮であります』
「褒めてねえよ……ったく、まあいい、それでなんなんだ? 人食いミノタウロスと人間が共生するなんて、無理だろ? 平和なんて不可能だろうが」
悪感情すら、貪欲な饕餮にとっては御馳走扱いなのか。
勇者の溜息を喰らうように羊は、ムシャムシャと口を蠢かし。
ピコーン!
『そうでありますね――! いっそ人間の脳を改造し幸福の定義を改竄、家畜である事を平和に感じるようにするというのは?』
「……そーいうのは、平和って言わねえんじゃねえか……?」
実際にやろうと思えばこのグーデン=ダークにはできてしまいそうだ。
そう気付いているのか、じぃぃぃぃぃぃぃ。
斧の勇者としては、問題児としての羊をマークしつつあるようだが。
ともあれ。
脱線しかけた状況を直しながらも、神々の前で勇者は言う。
「まあミノタウロスだって実際に人間を食わなければ飢えて死ぬ。それしか食えねんだから、人間とは絶対に相容れない。それは平和じゃねえだろう――つまりは、全ての世界を平和にするなんていう、どーしようもねえ願いが叶わないってのは、規模の問題じゃねえか」
小さな範囲ならばともかく、大きい範囲なら絶対に無理。
悪くない線での答えである。
まあ、その小さな範囲の平和ですら、突き詰めれば無理なのだろうが。
「って、なんだレイドの坊主……その意外そうな顔は」
「いえ、もっとくだらない答えが帰ってくると思っていたので。素直に感心しております」
「わりと本気で言いやがってるな、この野郎。だから魔術師って人種は好かねえんだよ……」
前衛職と後衛職の派閥争いはさておき。
「ともあれ、ガノッサさんの言う通り。平和という概念への答えは、環境や種族によって異なる。解答が一つではないからこそ、平和を願った魔導書はそれぞれに独自の動きを見せ、この世界を救い続けているのでしょう」
「その中に、極論に走っちまってる平和を望む魔導書が、何冊かあるってことか――おそらく、悪意がないだけに厄介だな」
大魔帝ケトスが玉座の上で、ぐでーんと猫の手足をのばし。
『いっそ、人類全員が猫になれば平和になるんだろうけどね~』
「そうは言いますが、全員が猫になったら誰が猫の世話をするのですか?」
『じゃあ希望者には猫の下僕のままであり続ける事も選択できるというのは、どうでしょうかねえ?』
私と大魔帝の会話に、女神アシュトレトがはぁ……と露骨な吐息で割込み。
『ふざけている場合ではなかろう。そういった……全てのモノの恒久的な平和などという、在り得ぬ願いを叶えようとした結果、いくつかの”欠片の魔導書”が魔猫化したあの方を攫い、何かを企んでおるのじゃろう? 本当の意味での世界平和など絵空事で実現できぬが――全ての命を根絶やしにし、結果として平和を維持するという答えならば実現は可能。無駄に焦れとは言わぬが、実現されたらさすがに妾も困るぞ』
メイド騎士マーガレットが言う。
「あのぅ、魔猫陛下を攫った理由ってのはなんなんすか? たしかあの方は平和な時の流れと、転生して作った家族によって心を癒し、幸福となった。けれどその代償……心を安定させた結果として、魔性としての力を喪失しかけている。失った分の力を補うべく、近代文明とかいう技術で魔法陣を作り出しているそうっすけど……。魔猫陛下本人の力は、普通に鬼強い主神レベル。失礼を承知で言わせていただければ、ぶっちゃけケトス様を攫った方がよっぽど使い道がありますよね?」
答えは見つかっていないらしく、大魔帝は事情を知っていそうな夜の女神に目をやるが。
『朕も知らぬ。なれど、生きてはいるとは聞いておる』
『証明、できるかい?』
『生と死を司る、世情を嗤う黒き堕天使より――映像を預かっておる』
黒き堕天使とやらが夜の女神の協力者のようだが。
ともあれ、オーロラ色の夜空に魔猫陛下の映像が投影される。
そこに映されていたのは――。
『むにゃむにゃ、はは……チーズだって早く食べないと鮮度が落ちるからね……そう、だからこれはつまみ食いじゃなくて、地球環境のための犠牲であって……むにゃむにゃ』
わたあめのようなクッションの上。
猫の口から涎を垂らし……安眠を貪る魔猫の姿。
これが――私と同じく三分の一の欠片の一つ。
魔猫になることを願った、もうひとりの私なのだろう。
ただネコが寝ているだけなのだ。
その映像を眺めるこちらの空気は、ぬーん……。
酷い目に遭っているのも困るが、ただ魔猫がクッションを抱えて眠っているだけ。
無事なのは幸いだが、これはこれでどうしたら……?
という反応か。
なんというか。
とても平和そうな光景なだけに、こちらも反応に困ってしまうが。
映像を解析するように瞳に魔術式を浮かべる月影くんが、美麗な眉を顰め。
『たぶん、これ……魔猫おじさんの夢世界の力が利用されてるんじゃないかな』
それは夢の中にある世界。
女神ダゴンも因子を持つクトゥルフとしての属性……夢だからこそ、全ての事柄が実現可能となる場所。
夢の中では全てが自由。
飛べないペンギンとて空を飛べる。
四星獣も、突き詰めれば夢世界の力を利用していると聞くが……。
そんな――。
なんでもできてしまう世界の力を、抽出しているということか。