第196話 世界で最も尊き願い
大魔帝ケトスの息子、月影青年。
彼は私ではない私が消息を絶っている原因、つまり犯人を知っている存在を知っていると言うが……。
その視線はこちらを捉え、じっと眺めている。
シャープで無機質な印象のある彼は、雪豹を彷彿とさせる瞳で私を追っていたのだ。
短く愛らしい猫手を顎に当てるムルジル=ガダンガダン大王が、ムゥっと唸り。
『――よもやレイド殿が犯人だとでもいうのか? 余はあり得ぬと思うが』
『そうは言ってない……俺が示しているのは犯人……ってか、今回の事件を少し知っている存在だし』
玉座の上の大魔帝ケトスが、モフモフの喉をごくりと鳴らし。
ぼそり。
『というか、月くん……なんで今まで黙ってたんだい?』
『だって、父さんなら既に知ってると思ってたし。だいたい、そっちだって魔猫陛下が行方不明になってたの……皆に黙ってたんだし。どこまでの事態なのか、こっちじゃあ把握できてないし』
『う……っ、それはまあそうなんだけどね月くん――』
魔猫親子の微妙な親子模様はともかく。
今は真相を追及するべきだろう。
私が言う。
「すみません、話を先に進めていただいても?」
『魔王陛下、あんたの知り合いの女神に冥界……というか。なんだろう……、夜とか生死とかを司ってたり……四星獣と接近した人っている?』
ざわりと胸の奥が動いた。
私の眉はぴっと跳ねていた。
該当者は――いる。
確かに、彼女は一柱だけかなり前から外の世界との繋がりを持ち、行動していた。
私が彼女の事を口にする前に、私の影が蠢き、発生したのは揺らぎ。
女神降臨の気配である。
ざざざざ。
……ざざ。
ザァァアアアアアアアアアァァァ!
周囲を夜空とオーロラで満たし出現したのは、夜の女神ペルセポネー。
しかし顕現したのは彼女だけではない。
同時に出現したのは、月光を反射するような魔力を持った月の女神キュベレー。
黄金と闇。
二色のプリン色の長髪を魔力で靡かせるキュベレーは女戦士の顔で、弓を構え。
ギリリリリリイィィィィ。
魔力結界と魔力結界がぶつかり合う、魔術による摩擦熱がオーロラを朱色に染め上げ始めていた。
自衛のためだろう――夜を畳んだような扇を操り、結界を張るペルセポネー。
対する狩人の系譜たるキュベレーは、光を放つ聖弓を彼女に構えたまま。
本気の唸りを上げる。
『あぁん!? てめえ、夜のババア――いったいどういうことだ!? 話を聞いてりゃっ、レイドの残りの欠片っつったらあの方の事だろう!? 何を企み、何をして、なんで内緒にしてやがったのか。事と次第によっちゃだな――』
『囀るな月よ――朕はペルセポネー。夜に縛られる者……逃げたりはせぬ』
四星獣が動こうとするが、それを制したのは大魔帝ケトス。
彼にも見えているのだろう。
夜の女神には悪意も害意もない。
ただこの状況では自衛のための魔術は必須、夜のヴェールと扇による結界を張らざるを得ないのだろう。
夜の女神は枯れた半分の手を伸ばし、私に礼をし。
『幸福の魔王よ、朕のアドニスになりえる者よ。事情を説明する機会を頂きたく思う。如何か?』
『ふざけんなよっ――知っていて黙っていたなら、それは裏切りだろ!?』
月の女神が激怒するのも無理はない。
大魔帝ケトスも落ち着いてはいるが相手を逃がす気はないらしく、尻尾の先端のみを僅かに左右に揺らしている。
獲物を狙う猫そのものだ。
その赤き瞳の矛先は――事情を知りつつ黙っていた夜の女神。
ペルセポネーは周囲を見渡し、一柱だけ戦闘態勢を維持する月の女神に告げる。
『聞け、キュベレーよ』
『いいや、てめえをぶっ飛ばしちまった方が話は早えだろう!』
一触即発だった。
だからこそ私は邪杖ビィルゼブブでいつもの床ドン。
衝撃波を発生させ、静かに告げていた。
「キュベレー、ペルセポネーの話を聞きましょう。ここにはあなた以外の強き神がいる、私もいる、それになにより大魔帝ケトスが彼女を逃がすことはない。そうでしょう?」
大魔帝ケトスの口から、全てのモノを魅了するほどの低音美声が漏れる。
『――ええ、事情を知っているのならば聞かせていただきたいレディ・ペルセポネ。ああ、先に言っておきますが私は魔王陛下ほどに甘くはない。古き神は、私の敵対者。私はこれでも多くの古き神を狩ってきた邪神。もしあなたが不審な動きをするのならば、私のキルスコアが増えるだけとなるでしょう』
夜の女神は、キルスコア?
と、意味が分からぬ言葉に首を傾げているが――。
「ケトス、彼女はあまり遠き青き星の近代文明を知らぬようなので」
『……えぇ、なんか私が滑ってるみたいになってるじゃないですか……』
ともあれ空気は緩んでいた。
月の女神もこの空気の中で威嚇をする気になれないのか、ちっと大きな舌打ちをして。
『わぁったよ……で? 早く事情を語れよ、ババア』
夜のヴェールで表情を隠す女神は、しばし考え。
朗々と告げる。
『如何にも――朕は事態を把握しておる』
「まあ……あなたは唯一外界と連絡を取っていた女神でしたからね。可能性としては一番高いとは思っていましたが――聞かせていただいても?」
『朕はただ、星々の流れのまま――生と死の狭間、朝と夜の流れのままに導かれただけの話。そこに善意も悪意もあらず』
「なるほど――やはりあなたに悪意はない。そのような解釈で宜しいのでしょうか?」
『然り――』
夜の女神の古めかしい語りに、勇者ガノッサが露骨な息をぶっきらぼうに落としていた。
「いや、全然わかんねえって……よく翻訳できるな」
「……まあ、昔から彼女はそうでしたから」
「そうか――おまえさんは本当に、前世だかの記憶を持ってやがるってことか」
そう、その前世の更に前世の記憶が、世界で最も信仰されたとされる存在だった。
ただそれだけの話。
今は関係ない。
「それでペルセポネー、まずはっきりとさせておきたいのですがあなたは犯人を知っているのですか?」
『是である』
肯定したペルセポネーは枯れていない方の指で、まっすぐ。
私を指差していた。
「私、ですか?」
『是であり否。願いを叶え魔猫として転生したあの方を攫ったのは、魔術をなかったことにしたいと願ったそなたではなく――残りの破片。世界の安寧と平和を願った、魔導書としてその身を複製させた最後のあの方の欠片。つまり、そなたであってそなたではない者』
……。
「なるほど、そういうことですか……」
言葉を漏らした私と同じく察したのだろう、大魔帝ケトスはわずかに逆立てた猫毛を揺らし沈黙。
四星獣も、視線を僅かに逸らし何も語らず――。
空気はかなり重くなっていた。
困惑と気まずそうな顔を維持しながら、ガノッサが言う。
「……なんつーか、翻訳して貰わねえと分からねえんだが」
「楽園を滅ぼし、迫害されていた魔のモノを束ね魔王となった私はかつて、勇者に殺されました。魔王たる私は強大な神性でもありましたからね、死してもなおその存在は消滅できませんでした。けれど力ある勇者に殺されたのです……もちろんタダでは済まなかった。結果としては三位一体の崩壊……私という存在は”肉体”と”魂”と”精神”、三つの欠片に分け放たれたのです」
図説しながら、私は話を続ける。
「一つは自由になることを望み魔猫となった、魔猫陛下と呼ばれる存在。彼が今現在、行方不明となっている存在。一つは魔術を無かった事にしようと願い女神ダゴンに拾われた存在、これが私ですね。そして残りの一つの欠片は、世界平和を望んだ。その世界平和を望んだ欠片は自らを魔導書とし、世界平和のための魔術や技術を伝える意志ある魔導書となったのですが……厄介なのは、彼だけは生命ではなく魔導書。世界を救うべく動くアイテムとなった影響で、単体ではないのです。複数の意思と意志を持ち自立する魔道具、ようするに複数個体が同時に存在するということなのですが――」
「いやいやいや! ちょっと待てよ!?」
またもやガノッサである。
まあ、他の多くの者も同意見のようだが。
「なんですか」
「世界平和を望んだ欠片だか何だか知らねえが、なんでそんなやつがこんな騒動を起こしやがるんだ!?」
大魔帝ケトスが言う。
『世界平和を望んだから、だろうね』
「はぁ? 意味が分からねえぞ」
話を聞いていたアシュトレトが、複雑そうな表情で応じていた。
『分からぬのか? もし、三つに分かたれたあの方、それぞれの願いを、願いを叶える魔道具……四星獣の主イエスタデイ=ワンス=モアが恩に報いるために、無意識に叶えていたのだとしたら。全ての辻褄が合ってしまうのじゃ』
「いや、だーかーらーだな! わかんねえっつってんだろ! 事前知識のあるおめえらだけで納得してるんじゃねえ! そっちの猫に従う魔王軍の連中も、半分以上分かってねえだろう!」
『分からん奴じゃのう――だから、それぞれの願いを叶えようとしておるだけじゃろ』
それが分からねえんだよと吠える勇者ガノッサに、夜の女神についてきていた終焉の魔王グーデン=ダークが皮肉を隠さず、呆れ顔で言う。
『はて、世界平和の意味にもよりますが、最も完全に安全な状態を作り出すにはどうするか。ガノッサさんならどう思いますかねえ』
「んなもん、皆が仲良く戦争もせずだな」
『そんなこと、生命全てを洗脳するしか実現できないとお分かりで?』
馬鹿にされたガノッサが青筋を隠さず口を開き。
「だぁああああああああっぁぁぁあ! もったいぶってねえで、さっさと答えをいいやがれ! てめえら神々の、そうやって話を引っ張る性質ってのは、ぜってぇ悪い癖だからな!?」
ぜぇぜぇと肩を怒らせる友に私は言った。
「簡単ですよ、人類や神を含め……意志ある存在を消せばそれで平和は恒久的に続きます」
「な!? つまり、それって……」
「ええ、世界平和を望み魔導書となった私の何冊かが、全ての知的生命体を滅ぼす――そんな平和への答えを得てしまったのでしょうね」
つまり、犯人は平和を望んだ私の欠片。
どの魔王に従ったらいいのか、その命令系統が壊れてしまっているのも納得ができる。
犯人が魔王なのだから。
世界から生命を消す。
それは間違いなく世界平和。
最も安全な世界。
もう二度と、誰も泣かず、誰も血を流さず、誰も殺し合わない理想郷。
戦争はおろか。
食物連鎖すら起きない、完全なる平和の世界だ。