第193話 魔王の計画―称号:神特効―
魔導ジャグジー空間ではなく、マルキシコス神殿の応接室。
香油の薄い煙が広がる部屋。
無駄に高価な魔道具をそろえているが、どれも見栄えばかりの成金趣味だった。
この大陸神の性質を表しているといえなくもないが……。
ともあれ――。
私は今までの事情をざっと、説明が可能な能力”かくかくしかじか”にて伝えたのだが。
マルキシコスは、ふむ……と考え固まっているだけ。
沈黙が走る中。
聞こえてくるのは――退屈そうに身体を反らす斧勇者ガノッサの、応接ソファーをギシギシと鳴らす音と欠伸のみ。
神マルキシコスはこれからどう動くか、しばし考えているのだろう。
どうせ保身や自分の今後の事なのだろうが、先ほどは一応、自らの神官を守る度量はみせていた。一概に駄目な部分だけしかない神と断じることはできない。
ガノッサはもうこんな神は放って、他に行こうと目で私に合図を送っているが。
私は苦笑で返すのみ。
ようやく考えが纏まったのか。
貌だけは武人の神は、瞳を細め訝しみ。
『――あいわかった。しかしだ。断じて保身のための発言ではないが。そのような事態、たかが大陸神に過ぎぬ我が出る幕ではあるまい。我では力不足。いったい何をしに来たのだ、幸福の魔王よ』
普段は自信満々なくせに、今度は自分はたかが大陸神と言い切る根性だけは見習いたいが。
彼の神官を魅了し茶を用意させた私が言う。
「猫の手も借りたいという言葉を御存じですか?」
『強大な存在に手を借りたいという諺かなにかであったか』
……。
「そうでした、魔猫は既に強力な存在。この世界でももう言葉の意味に変化があったのですね」
『まあ何だか知らぬが、強大な存在に手を借りたいという貴様の願いは理解した。しかし、実際問題だ。相手はあの忌々しき創生の女神達と同格、あるいはそれ以上の存在なのであろう? 我ら大陸神がどう動いたところで焼け石に水であろう』
言いながらもマルキシコスは流し目で部下をちらり。
魔王たる私に魅了された神官たちの魅了を解こうと、チャームを発動させる。
だが、私の魅了には打ち勝てないようで効果はなし。
ぐぬぬぬぬっと唸りそうな男神を見て、私は言う。
「だからといって何もしないおつもりなのですか」
『断じて保身を図るわけではないが、我が策なしに動いた結果――大魔帝とやらの不興を買い、この世界が滅ぼされるという結果となることもあろう。無能な働き者は一番の敵。兵法の教本にもそう書いてあるではないか』
「都合がいい時だけ、自分を無能扱いしないでください……」
保身にかけては本当に口が回る男神である。
こちらを眺めていたガノッサだったが、じぃぃぃぃぃぃ。
どこか侮蔑を含んだジト目のままで神マルキシコスを睨み。
「しかし、昔は女にしか魔術を与えなかったてめえが、男の神官も囲ってるとはねえ」
『これはおかしなことを言う、魔術を授けるには愛する必要があるのでな』
「そうなのか?」
『そうか、貴様は魔術師ではなかったな。その程度の事も知らぬとは――ふふふふ、ふはははははは! これだから無知蒙昧な人間は好かぬ、なにより貴様は美しくない。金髪となって出直して参るのだな!』
相手が私ではないだけに強気である。
高慢な笑いを上げ続けるマルキシコスは実に小物で、相変わらず。
だが、相手の力量を見極められない部分も変わっていないのは困る。
「言っておきますが、神マルキシコスよ。ガノッサさんはあなたと違って成長していますからね、おそらくあなた……普通に負けますよ?」
『なに!?』
「それにあなたはどちらかといえば剣神や戦神といった、物理主体の神性でしょう? 魔術に関しては、正直他の大陸神にも劣っていると耳にしているのですが」
このマルキシコスを分類すると、神たる魔物。
火星や剣を司るマルスや、その原典たるアレスの流れを汲んだモンスターの最上位の筈。
魔術に関して、他者に自慢できるような存在とは思えない。
神マルキシコスは責めるように私を眺め。
『そうならそうと先に言ってもらわねば困る。強いと知っていたらもっと媚び諂ったものを――』
「それを口にできてしまう、あなたの性根だけは本当に羨ましいですよ」
ネガティブ思考の傾向にある私としては、ここまでのポジティブはいっそ輝かしく思えてしまうのだ。
ともあれ、ガノッサの先ほどの問いに応えるべく、私は魔術式を展開し。
大陸神が人類に魔術を授ける計算式を、具体的に表示。
私の唇は高速で動き出していた。
「これをご覧いただければ分かると思いますが、神が人類に魔術を与える行為とは……一種の魔導契約。信仰を代価とし、その神性の力を貸し与える事を基本とします。多くの人々の心を得た神性に溜まった力を、魔力をもって魔術として引き出しているわけです。魔力の基本は心の力。つまり、力を与えたことで再度信仰が高まりますので、神は貸し与えた魔術を使用される度に強化されることになるのです。だからこそ、大陸という名のダンジョンボスたる大陸神は、自らを強化する意味も込めて人類に魔術を授けている。見返りがある、共生関係にあるわけですからね。ただ神マルキシコスは男性にも魔術を授けるために、愛するようになったと言っていますが……それは理論的にはおかしいと感じます。魔術の下賜に感情は必要ない、ただ儀式をするだけなので愛する必要はないのです。ですが……まあ、神によって性質は様々。人類を愛すると決めることで魔術を授ける、そういった流れでしか魔術の伝授ができぬ神がいても不思議ではない、このマルキシコスの場合はそうなのかもしれませんね」
理論を説明するも、二人とも反応は薄い。
「もう一度説明いたしましょうか?」
「いや、すまん。たぶん何度聞いても分からんわ」
「そうですか――」
人類に魔術を与えている側の神マルキシコスも目線を逸らしているところを見ると、この神も、こういった神から人類に与える魔術と加護の原理を、きちんと理解はしていないのだろう。
話をそらすように、大陸神は咳ばらい。
『幸福の魔王、我をバカにし我が大陸で好き勝手動きおった貴様には、正直……辟易としておるが――。なれど、男神官の美しさにも気づかせてもらった点だけは感謝しておる。我が愛する金髪碧眼であれば、柔らかき女性と違うその献身も、また一興』
ガノッサは何言ってんだこいつ……と、完全に呆れ顔である。
そのまま煙草に手を伸ばし、すぅっと煙の息を漏らすのみ。
実際、私も斧の勇者と同意見だが。
「あなたの趣味趣向をどうこう言うつもりはありませんが、協力はしていただきたい。本当にこの大陸の人類を愛し始めているのなら、なおさら、あなたも信徒を失いたくはないでしょう」
『しかし――本当に大した力にはなれんぞ』
「あなたが大陸神である以上は、ちゃんと役には立ちますよ」
告げる私に、神マルキシコスは露骨に顔を歪め。
小さな声で、確かめるようにぼそり……。
『……よもや貴様、我を生贄に魔術儀式をしようというわけではあるまいな?』
「そういった手段も取れますが、違います。あなたは腐っても大陸神。一般的に信仰されている神とされる存在の中では、主神に近い存在でしょう。つまり女神よりも私よりもあなたの方が人類に近い存在、あなたの言葉ならば耳を傾ける人類も多いでしょう」
『我を通じて人類になにかを訴えかけると?』
まあ、それならばとマルキシコスも納得顔である。
「幸いにもこちらは情報操作を得意とする、風の勇者ギルギルスを味方としていますからね。あなたという神の御旗があれば、ある程度以上の情報は操作も可能となる。そして魔力の源は心、心を集めるのならば信仰が最も楽。どうせならばこの世界に英雄の人類を作ってしまおうという作戦です」
『――自らを信仰させ力を増そうという作戦か』
「いえ、私ではなく彼の戦力を増強させます。それも、ほぼ全ての大陸の信仰を使って」
言って私は勇者ガノッサに目をやり。
「というわけで、よろしくお願いします。勇者殿」
「は……?」
ぽろりと煙草をこぼした男に、私は冷静な顔のまま。
「まさか魔王たる私がこの世界を救うわけにもいかないでしょう。それは人類の役目。ならばあなたしかいないのでは?」
「聞いてねえぞ!?」
「反対されると思ったので、言ってませんからね」
しれっと言い切った私は怒る勇者を横目に、大陸神マルキシコスの協力を確約させ。
魔導契約。
魔法陣の光の中、私は状況を楽しみながら告げていた。
「第一、あなたは一度私を殺したことのある勇者。資格は十分だと思いますよ」
なにやら反論をする前に、次々と話を進めていく。
実際――。
一度、魔王たる私を殺したことのある経験、それはとてつもない魔術的な効果を持っている。
私は楽園の神の転生体。
つまりは、この斧の勇者ガノッサには――神殺しの称号。
つまり、”楽園の神への特効”を有していると、魔術的には解釈できるのだ。
ドラゴンばかりを狩った者が、ドラゴンキラー、ドラゴンスレイヤーと言われ実際にドラゴンへの特効を獲得する現象と似ているか。
そしてかつての私は、一部の者から救世主と呼ばれていた。
なので、その私を殺した勇者は”救世主殺しの特効”も有していると解釈できる。
その曖昧な情報を、大陸神の言葉と風の勇者ギルギルスの囁きで確定させる。
これは魔術の応用だった。
それは一種の召喚魔術に近いだろうか。心が力の源である以上、応用幅は広い。
人々の噂という心を利用し、噂にしか過ぎない力を現実へと昇華させる。
噂でしかなかった力が、実際に勇者ガノッサにも能力として固定される。
噂を用いた流言飛語。
これを一つの魔術体系として、新たに私が作り上げているのだ。
私はかつて魔術を作り出した存在、その転生体。
これくらいの応用とて可能なのである。
救世主としての属性は大魔帝ケトスも保有しているので、状況をかなり有利に動かせるだろう。
これが、私の考えた勇者育成計画だった。