第192話 酒池肉林~騒動は神酒の中で~
大魔帝ケトスが息子の登場で混乱する中。
私は始まりの地ともいえるマルキシコス大陸に降臨。
現地の勇者ともいえる斧使いガノッサを連れて訪れたのは、私の故郷といえなくもない地。
大帝国カルバニア。
そしてこの地の主神たる大陸神マルキシコスの神殿だった。
もちろん、用があるのは大陸神本人である。
大陸神とて、この混沌世界に起こっている騒動に気付いている筈なのだが。
行動を確認できているのは、大陸神に近い状態となっているドワーフ皇帝カイザリオンと、大森林フレークシルバー王国を住処とする露天商の魔女老婆。
他の大陸神も緊急事態だと連携――。
自らの大陸を外からの侵略者から守るために、協力し動いているとは伝わっている。
のだが。
泡の魔術と水の魔術。
そして、濃い香料の、葉から抽出した天然アロマの香りが立ち込める中。
『ふむ――大魔帝とやらが攻め込んできてからというもの、なにやら他の連中は慌てているようだが。なに、この大陸はあの生意気な魔王の故郷。我が慌てる必要などあるまい』
マルキシコス神殿を訪れた私の目に入ったのは――神官たちを侍らせ、屋外魔導ジャグジーにてバカンスを楽しむ神そのもの。
アシュトレトもそうなのだが。
どうも情欲を是とする神は、神殿内にこういった空間を作りがちなようで……。
マルキシコスの神殿の内部に用意されたこのジャグジー空間には、些か淫靡で怠惰な空気が立ち込めていた。
ともあれ。
ジャグジーの中心にて泡の聖水に肉体美を浮かべるのは、私も見知ったマルキシコス。
外見だけならば明鏡止水といった言葉が似合いそうな、怜悧で美形の武人。
神本人である。
ちなみに神官たちは皆、マルキシコスのお手付き。
彼らも普段は聖騎士の職にあるのだろう。
整った体躯と顔立ちだが、全員かなりの薄着であり……マルキシコスの傍で給仕中。
金髪碧眼が好みなのも変わっていないようだ。
性差など関係のない神にありがちなのだが……やはり性別を問わず、手を出しているのだろう。
肌に張り付けた薄い布はマルキシコスの趣味なのか、濡れた薄着は彼らの健全な体躯の隆起を露わとしており――。
やめよう、少しアホらしく思えてきた。
まあ……一昔前の、悪趣味で酒池肉林な光景を想像して貰えばそのままだろう。
女性神官の美女がマルキシコスの戦士の肩に顔を落とし。
うっとりと顔を上げ。
「しかしマルキシコス様、かのレイド魔王陛下は別大陸の魔王。このマルキシコス大陸からは去ったと聞いております、この地が襲われたとしても……守っていただけるかどうかは……」
だから動かないとまずい。
そう促すように神官たちは不安そうな顔を敢えて作ってみせている様子。
ただ。
このマルキシコスは腐っても大陸神――その実力は一応、本物である。
そして神だからこそ、驕りは抜けないようで。
『ふふ、案ずるな――可愛き我が信徒らよ。この地にはヤツを拾った貴族、アントロワイズ家の故郷。あの家名も今や最高位とし祀っておる。そしてなにより、奴が姉と慕っていた者の墓もある。万に一つも、この大陸を見捨てるという事はあるまい』
「ポーラ様のお墓、でしたわね。あの墓所だけは、いつもかかさず手入れをされているとは聞いておりますが……」
マルキシコスはまるで糸目細目の武人悪人顔で。
ニヤリ。
『我が心より手入れをしているという事実は必要であるからな。毎日土下座する勢いで祀っておる。それさえすませば後はもう自由――我がどれほどに遊んで暮らそうが、墓守の功績がある限りはあの生意気な魔王も我を邪険にはできん』
「さようでありますか、しかし……本当にこのまま遊び惚けていて大丈夫なのでしょうか」
「この暮らしを維持するには、神らしい行動も必要かと……」
過ぎた忠言と判断したのか。
マルキシコスが眉間に皴をきつく浮かべ。
『ほう、神たる我に物申すか?』
「神マルキシコスよ、われらは御身が心配なのです」
『ほう、そうか!』
「レイド陛下は二度までなら失態も失敗もお許しになるでしょうが、三度目ともなると……」
改善を促す神官たちを眺め。
男性聖騎士神官の額に張り付いた前髪を、スゥっと指で掬い。
『何が不安なのだ』
「他の大陸神様は大魔帝を警戒し、各々で結界の再構築や、備蓄食料の確保を指示しているとの事ですので……もしレイド陛下に知られたら……」
『むぅ――まあ、確かにな』
どうやらジャグジーで侍らせている神官の大半は、まともな存在のようだ。
おそらく彼らは大帝国カルバニアの王宮から指令を受け、神を監視しているのだろう。
それはそれとして大陸神の寵愛を受けて、尊敬もしている様子。
彼らが心から拒否。
この神殿ジャグジーで行われる酒池肉林を拒絶していたら、助け舟を出したのだが。
ここにいる者たちは神を敬愛しているようだ。
これではこちらも反応に困ってしまう。
しかし。
この神は相変わらず武人然とした容姿や見た目とは裏腹、その性格は存外にポンコツのようだ。
神酒を男女の鎖骨に流し、器とし。
悪趣味な美酒を舌で楽しみ、大見得を切るように叫んでいた。
『なれど、幸福の魔王など過度に恐ろしがっても仕方ない。奴は今、緊張状態を維持している筈。我の計算によれば、大魔帝ケトスから目を離せず右往左往しているとでておる。くくく、くははははははは! なにが魔王であるか! たかが異世界の魔猫一匹に怯えおって、所詮はそこまでの器。おそるるに足らず!』
さすがに、これを耳にしてしまったら放置もしておけないか。
私はジャグジーから漂う煙を裂くように、冷たい声を漏らしていた。
「それは実に結構。最近、私はなにかと畏怖されすぎておりますからね。あなたのように、いつまでも私を内心でバカにし続ける方は、まあ嫌いではありませんよ」
斧勇者ガノッサと呆れの眼差しを向ける私。
レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバーに気付いたのは、お付きの神官たちの方だった。
見事に洋の東西を問わぬような、美男美女ばかりの神官たちは魔王と勇者を眺め。
さぁぁぁぁぁぁぁっと血の気を引かせている。
『なんだ、おまえたち。バケモノでも見るような顔で、ははははは! 問題ない、我が愛しきそなたらを守ってやるからな。なに、いざとなったらあのレイドめに全てを押し付け、我らは次元の狭間に逃げればいいだけの事。あのような極悪な魔王とて、使いようということよ――』
いまだ成長を続けている斧勇者ガノッサとは対照的に、その怠惰は健在のようだ。
ガノッサが呆れを隠さず言う。
「これがうちの大陸の大陸神ってんだから、はぁ……マルキシコス大陸の先も暗いわな」
『なに!? 我を侮辱するのは何者ぞ!』
「声と気配でわかるだろう、普通……そこまで鈍っていやがるのか?」
マルキシコスはようやくこちらに気付いたようで。
ぐぎぎぎぎぎっと、からくり人形のようなぎこちない動作で神官を眺め。
武人たる顔に汗をびっしりと浮かべ。
『我が愛しき者たちよ。これは――夢であるな?』
「……いいえ、主よ。レイド陛下御本人の降臨に御座います」
『なるほどな――』
大陸神マルキシコスは、ふむと……美形顔を尖らせ。
『久しいな、レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバーよ。さて、我はまずどの角度で頭を下げれば良い。我の謝罪に免じて、我の部下は見逃せ。悪い取引ではあるまい?』
「心を伴っていない謝罪に価値などないでしょう」
『幸福の魔王よ、たかが数百年程度しか生きておらぬそなたは――物の価値を知らぬと見える。我の謝罪の価値はそれ相応となろう』
ちなみに、この男。
本気でこれを口にしている。
「……相変わらずですね、あなたは」
『きさまとて、白雪のように涼しげな美貌に似合わぬその厚顔。変わっておらぬようだな。さあ、なにをしておる。疾く我を許せ。我は墓守、そなたの大切な……っと、なんだ斧の勇者。女神の祝福により不老不死となった超越者よ、なぜそのように憐れみの眼差しを我に向けておる』
こんなんがオレ達の大陸の主神かよ。
と、ガノッサが本気で嘆いたのは言うまでもない。
とりあえず悪趣味な酒池肉林を中断させ、私は彼に事情を説明した。