第189話 魔術戦 ―最上位の戦い―
明らかにアシュトレトは相手の攻撃を誘っていた。
わざと前に出て、わざと結界を遅らせ隙を作っていた。
相手である大魔帝ケトスの息子、月影キャットもそれを理解した上でそのまま攻撃を開始。
夢世界を通して、相手の精神と魂を破壊。
夢を介するので回避は不可能。
本来なら絶対に避けられない即死攻撃だったようだが――。
今回ばかりは相手が悪い。
昼の女神アシュトレトはこの混沌世界でも信仰を集める三女神であり、イシュタルの流れを汲む存在。
それは終末神話”聖者の黙示録”にて、多くの王を騙し姦淫を働かせる”バビロンの大淫婦”と繋がり、それが彼女の悪性ともつながっている。
ようするに悪の頂点ともいえる神性。
反救世主と呼ばれる、世界を掻き乱す黙示録の悪性が正体ともいえる大魔帝ケトスと、同格の邪神。
通常ならば即死するような攻撃であっても、油断をしていなければこの通り無傷なのだろう。
お道化た様子でアシュトレトが唇を揺らす。
『しかし、はて……大魔帝ケトスの息子というからどれほどに愉快な存在かと思うたが、妾に夢を介して攻撃を仕掛けてくる、ささやかな児戯をみせてくれようとはな。ふふふ、面白い。なれど、少々……物足りぬ、まだそなたは成長途中なのだろうが些か不満、妾には矮小であった』
馬鹿にされたとは判断したようで、月影キャットは影を無数の触手の槍と化し。
獣毛をぶわりと膨らませ。
じっ。
煌々と瞳を尖らせていた。
『へえ……、凄いね。父さん以外に今の攻撃を防がれたのは初めてだ。あんた、名前は?』
『我が名はアシュトレト、昼の女神と呼ばれておる』
『光属性か……悪神なのに。なんで……?』
『光が悪と誰が決めた、金星が堕天の象徴と誰が決めた。それは人類が勝手に歌っただけの話、妾は妾。正しきことも悪行も妾が決めればいいというのに――』
まつろわぬ女神たちは人間の信仰によって生まれた存在だと思われる。
故にこそ、その思想や思念の影響を受けやすい。
彼女はかつてイシュタルであり、悪魔とされたときにはアスタロトとなり、そして最終的には世界を滅ぼす悪神へと貶められた。
それは彼女の精神にも影響を与えている。
女神の多くが傲慢で唯我独尊なのも、元を辿れば人間の信仰の影響なのだろう。
信仰こそが力、魔術に用いる魔力となったせい。
彼女達の存在の成立もまた、魔術のおかげなのだ。
魔術があるからこそ、人の心から彼女達は召喚されたと言ってもいい。
逆説的に言えば――。
……。
もし魔術がなかったことになれば。
まつろわぬ女神たちも全員が泡沫の夢。
ふと、一瞬だけ夢見た幻。
白昼夢のように消えてしまうのだろう。
「それは、嫌ですね――」
『レイドよ? いかがしたか?』
「いえ、なんでもありませんよ――それよりも、あなたたちはいったい何をしているのです」
告げる私の目線に発生するのは、音だけで山を削れそうなほどの魔力の消滅音。
天属性のラスボスよろしく。
太陽を詰め込んだような、無数の光のオーブを弾けさせて大魔術を発動させているアシュトレトが、魔力で髪を靡かせ――ふふり。
『気にするでない、子供相手に遊んでやっているだけじゃ』
『俺を子ども扱いするって、やっぱりオバさん?』
『ほう? 可愛い子猫よ――そなたは魔術ではなく、父から口の利き方を学ぶべきであったな』
父の話題はあまり好きではないのか。
『そう……じゃあ少し本気を出そうか』
月影キャットは、尻尾の先をぶわっと広げ。
禹歩と呼ばれる舞踊による肉球ステップで詠唱を開始。
彼の周りに、虹色の文字が刻まれ始めるが……。
「アシュトレト――これは少々危険です。加勢しますか?」
『捨て置いて良い――汝の魔術の師匠は妾じゃ。師匠の戦い、見ておくがよい』
アシュトレトがこう言うからには対処できるのだろう。
私の視線は、一箇所を見つめていた。
猫ダンスと共に得体のしれない魔術式を組み上げていく相手から、目が離せなくなっていたのだ。
そう、踊る美猫である。
……。
まあ、実際に組み上げている魔術は未知なので、危険なのだが。
魔術式を読み解くのにかなりのラグが必要だった。
これは異世界の魔術。
それも陰陽道と夢世界の法則を掛け合わせた、おそらくはこの月影キャットのオリジナル合成魔術と思われる。
こちらの世界では発動しないはずの法則……夢の気配を感じる魔術をそのまま発動。
月影キャットは背後に名状しがたい歪な、制作に失敗したツボのようなナニかを生み出し。
カコン!
ツボのようなそれは扉だったのだろう。
おそらくは召喚魔術。
瞳を赤く染め、足元から広がる影を結界内全体に、宇宙のように広げ。
月影キャットは口を蠢かす。
『空間魔術:【虹のヨグサハ】』
ツボから飛び出した異形なる者たちが、空間を侵食。
アルミホイルで光を包むように、グシャグシャグシャと空間そのものを丸め。
ぎゅぅぅぅぅうぅぅぅぅぅ。
正体を掴めぬ、複数の攻撃を混ぜているのだろう。彼の生み出した異様な魔術は周囲の光、全てを攻撃し始めていた。
アシュトレトの光のオーブによる魔力散弾攻撃を、影から生み出した鏡で吸収。
倍増させ反射。
貌のないスフィンクスと、それらに戦車を引かせる謎の魔人を召喚し轢死させようと操るが。
アシュトレトはネイルの輝く指を鳴らし。
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの逸話魔導書を召喚。
妖艶な微笑を浮かべ、呪の言葉を告げる。
『全ては在りし日の思い出に――神話再現アダムスヴェイン:【契約解除】』
アシュトレトの目の前で、全ての召喚獣が消失していく。
それは過去へと遡りたいと願ったイエスタデイ=ワンス=モアの力を借りた、神話再現魔術。
彼女に触れる寸前で効果を発動。
それは過去に戻る力を悪用した、一方的な外野による契約破棄。
ようするに召喚契約をなかったことにし、相手の召喚獣を強制帰還させているのだろう。
『アダムスヴェイン……神話を再現する魔術体系の最奥にある奥義。あんた、そんなのまで使えるんだ』
『当然じゃ、なぜなら妾は妾。昼の女神アシュトレトそのひとなのであるから』
『……いや、意味わかんないし……』
同意見である。
まあアシュトレトのテンションもなかなかに特殊なのだが。
彼女も彼には言われたくないだろう。
『光よ――妾を照らす金星よ。我が名はアシュトレト。落ちた明星よ、輝かしきルシファーよ。嗚呼、汝の力を貸してくりゃれ、汝の魔性は妾と共に――』
『やば……っ。詠唱妨害させて貰うよ』
なにやらアシュトレトが本気の構え。
手加減抜きの詠唱を開始しようとしたようで――。
それに反応し影の中に溶けた月影キャットは、緊急転移。
なにやら人が悩んでいる目の前で、高次元の魔術の応酬。
目に見えていないだけで、夢を介した攻防が繰り広げられているようだ。
状況はアシュトレトがわずかに有利。
相手は夢という精神世界からアシュトレトの存在を消滅させようと、やはり夢の中から影の猫を飛ばし攻撃し続けているのだが。
アシュトレトもやはり夢の中で陽光を輝かせ、影の猫を光で満たし封印。
『俺の分身体が……消えた?』
『ほほほほほ! 女の心と扱い方を知らぬ小童に、妾は倒せぬ』
『……有利な場所に引きこもっているのに、強気だね』
『有利な状況を維持することとて戦術。よもやいきなり攻撃を仕掛けてきておいて、卑怯だと宣うほどの子供でもあるまい?』
ここは混沌世界。
その創造神で主神ともいえる女神だからこそ、この世界で能力が大きく向上しているが、もし外の世界だとしたら――。
この月影キャットは敵に回したくないのだが。
私はじっとアシュトレトの姿を追う。
どうやら、久々に本気で魔術戦ができて高揚しているようだ。
だがそれは相手の本気を引き出すことにも繋がる。
月影キャットもアシュトレトの強さは計算外だったらしく、本気を出さざるを得なくなりつつある。
これはまずい。
私は再び彼らの間に入り。
「両者、そこまでです――」
カン!
邪杖ビィルゼブブで衝撃波を発生させ、両者を妨害。
二人の姿が、夢世界から再顕現し始めていた。