第188話 美猫と美女
突如現れた様々に色を変える異世界の魔猫。
その正体は大魔帝ケトスの次男。
そしてその目的は……。
呆れと興味の狭間の微笑で、私の表情は緩んでいた。
「どうやら本当に、ただ様子を見ていただけのようですね」
『……そうだよ?』
「おそらくですが、あなたはお父様にこう言われている筈。強すぎる上に影響力がありすぎるのであまり勝手に動かないように、異世界で行動するのなら事前に許可を取りに来て欲しい。と」
くわっと反応した月影キャットは、瞳を大きく開き。
『凄い、全部その通りだ……あんた、預言者?』
首を横にことんと倒す姿は愛らしい猫そのもの。
けれど、この魔猫の周囲には常に混沌とした闇が渦巻き、空間を圧迫し続けている。
存在が強力すぎるのだろう。
相手の性質を読み解きながら私は告げる。
「実際かつては預言者といわれていましたが、これは予言でも預言でもありません。かつて私があなたのお父さんに同じことを言っていたからですよ、まあ、私が拾ったケトスとあなたのお父さんは別存在、私が勇者に殺されたことで発生したかもしれない……パラレルワールド。別の宇宙で新しくやりなおした世界のケトスなのでしょうが」
『ふーん……詳しいね。宇宙って何回やり直してるの?』
「さて、何度も何度もやり直しているという説もあります。世界生物論によれば、世界は元に戻ろうとする性質があるとされています。そうですね……ただ具体的には、少なくとも魔術という概念を生み出す私の誕生で一回、私の死により発生した大魔王ケトスによる世界崩壊で、一回。この合計二回のやり直しは確実なものとして観測されているかと」
人一倍魔術に対しての興味もあるようだ。
私の瞳の奥に、かつての魔王城の景色が浮かんでいた。
私の魔猫もこうして、魔術に対しての好奇心が人一倍強かった。
やはり本当にケトスの息子なのだろう。
まだ弱かった頃のケトスもよくこうして、私に疑問を何度もぶつけていた。
魔術の基本は改竄。
それは突き詰めれば物理法則を捻じ曲げる現象。
本来ならありえない現象を成立させるために宇宙に接続、魔術式を用い本来の法則を捻じ曲げ、現実世界へと上書きさせる行為。
宇宙の法則を無理やりに改竄しているのだ、そのうち不具合がでてくることも当たり前の話で……。
……。
また、私は魔術について考えている。
それもその存在の是非について。
そんな私の顔色を読んだのだろう。
かつての弟子たるケトスの面影を持つ魔猫が、私を眺め。
『結局……あんたは魔術をどうしたいの?』
「どうしたいとも考えてはいません。しかし……宇宙に支障が発生し始めているのなら、その歪みを直さねばならないのは事実でしょう。そもそも大魔帝ケトスと大魔王ケトスは何故、本来なら別々の宇宙だった世界を繋げてしまったのでしょうか」
『さあ……あぁ、でも昔母さんに聞いたことがある。たしか……大魔王ケトスがあんたに会おうとしたんだよ』
私に会おうと……。
「どういうことでしょうか」
『えーと……俺の父さんはあんたが勇者に殺されなかった場合の、一度やり直した別世界のあんたの飼い猫だったってのは』
「はい、把握しております」
『そう……なら簡単な話だよ。勇者に殺された世界の父さんは、憎悪の感情を倍増させて魔性として暴走していたらしいから。で、自分の世界のあんたが死んでいなくなって……寂しかったんだろうね。悲しかったんだろうね。もうボロボロと泣き続けて、全てを破壊する神となってたらしいんだけど……ちょっと待って、今、映像にするから』
言って、彼は資料から状況を投影。
神話のような世界が映し出され始めていた。
大魔王と化したケトスが世界を破壊する。
その都度……破壊された世界を創り直す主神の姿も見えるが……その姿は凛々しき狼。
おそらくは、聖域の魔狼。
三獣神の一柱、白銀の魔狼ホワイトハウルと同一の存在。
……私の部下だった魔狼だろう。
『でもこうして何度も世界を壊しているうちに、変化があった。いつかの世界で、勇者に殺されていない世界の父さんと出逢っちゃったんだよ。そして、大魔帝の世界ではまだ魔王陛下、つまり殺されていなかったあんたが生きていると知ってしまった。自分の世界にはあんたがいないけれど、父さんの世界にはあんたがいる。暴走した魔性がそんなことを聞いたら……どうなるかな? ほら、話は簡単でしょう?』
魔王と再会するために。
世界を繋げる。
おそらく、暴走した魔性ならそうするだろう。
できるできないかは別としてだが……私のケトスは天才だった。
魔術を愛する猫だった。
だから、できてしまったのだろう。
「本来ならあり得ないパラレルワールドを合流させた。生きている私に会う、ただそれだけのために……」
それは私ではなく別世界の私。
勇者に殺されなかったイフの私。
けれど魔性として暴走していたのなら、当時のあの子には区別などつかなかったのだろう。
私は考え。
「疑問があります」
『……なに?』
「なぜ大魔帝ケトスは大魔王の世界……つまり、勇者に殺された私達の世界と接触したのでしょうか。本来ならばやり直したはずの別次元の宇宙に干渉、介入することはできないはずなのですが」
『さあ……ん~……ああ、でも、たしか、北の賢者っていう存在がなんか父さんを召喚したっぽいみたいなことは聞いたけど』
北の賢者。
私の知る伝承にはない名であるが……。
嫌な予感がする私の前で、当時の資料をモフ毛の中から取り出した月影キャットが、天井に映像を展開。
我が愛しき魔猫、と表紙に描かれた一冊の魔導書を映し出していた。
その魔導書が大魔帝ケトスを、勇者に主人を殺され暴走した大魔王ケトスに滅ぼされた世界に召喚。
本来ならあり得ないはずの世界合成現象。
パラレルワールド融合のきっかけを作りだしたようだ。
問題はその魔導書。
北の賢者と呼ばれる存在は、どうやら意志と自我をもつ魔導書のような存在らしいが……。
……。
どうみても私である。
魔術師としての目線で、一緒に状況を観察していたアシュトレトが、気まずそうに……。
『のぅ……この文字、この魔力は……』
「ええ、おそらく世界がここまで混沌と化している原因。二つの世界が重なり、破綻が出始めている現象の犯人は、魔導書化した私。魔猫になった私と、私となった私とは別の、三分の一の内の……最後の欠片でしょうね」
つまり、世界を繋げてしまった犯人。
戦犯ともいえる存在を言うならば。
『ふーん……あんたが、原因ってわけだね』
「そのようですね」
『まあ、勇者に殺された後に分裂。三つに分かれたなら、もう、その時点で三つの個人に分かれている。あんた自身の罪じゃあないとは思うけど……どうなんだろうね』
どーでもいいけど、と本当にどうでもよさそうに彼は欠伸。
モフモフな首回りで目線を逸らしながら――うにゃり。
『もう帰ってもいい? 俺が知りたかったのはあんたがどうやってムルジル=ガダンガダン大王に勝ったか。それだけだから』
「せっかくならばゆっくり滞在されていかれたらどうですか。歓迎いたしますよ」
『女神の世界に? 冗談でしょ……ここは凄い怖い世界だよ。父さんもたぶんそれに気付いているから、ここに来たんじゃないかな』
怖い世界。
大魔帝ケトスと並ぶほどの悍ましい魔力を持った、彼の息子はそう言いきった。
確かにここは、様々に秘密を抱えた女神達が生み出した新世界。
私の背後で守られるアシュトレトが言う。
『はて、妾達はただの暇つぶし、ただの時間つぶし。無聊の慰めにこの世界を創りだしただけだというのに』
『……俺、嘘を見抜く能力があるんだけど?』
『う、嘘などついておらんわ!』
ダゴンの時点で嘘……というか隠し事はあったのだ。
アシュトレトにない筈もない。
いったい何をしたのか……。
ジト目を向ける私に、彼女は下手な口笛を吹き誤魔化すのみ。
そんな私達を見ながら、月影キャットがぼそり。
『ねえ……、そこのおばさんをあんまり信用しない方が良いよ』
『お、おば!?』
アシュトレトが私の結界から出てしまい、慌てて結界を広げるが。
何故か、アシュトレトは私に一瞬、魔術への遅延状態を発生させる。
わざと結界を間に合わなくさせているようだ。
意図があるのだろうが、これは極めて危険な状態にある。
相手は――明らかにアシュトレトを眺めている。
案の定だった。
私による結界の自動構築が反応するより先に、月影キャットは瞳の色を真っ赤に染め。
『いいや、あんたに言っても無駄だろうし。父さんは悠長に様子を見るつもりみたいだけど……、俺はこの三千世界が嫌いじゃないし……。ここで消しちゃえば、父さんも出張から早く帰ってくるわけだし……。そうだね、決めたよ。悪いけどあんた自身には恨みはないけど、ごめんね』
告げたその瞬間。
アシュトレトの体が四散し、分解。
存在が消滅されていた。
それは夢世界からの一撃。
不可避の攻撃。
普通の会話の中で。
殺気も敵意もなく、彼はアシュトレトという神性を滅ぼしたのだ。
しかし。
直後に響いたのはアシュトレトの声。
『あたたたたた! まったく、ダゴンの性質を知っておらんかったらどうなっておったか。最近の若い神は、過激で困る。さて――成人前後の子供相手に怒るのも少々はしたない。大魔帝ケトスもさすがに息子を消されたら話し合いどころではないであろうし……はぁ、ここは妾が折れるか』
陽光と共に再び顕現したアシュトレトは、無傷。
敢えて私を邪魔し攻撃を受けたようだが、攻撃は攻撃。
いつもなら女神になにをすると大暴れしていた筈だ。
けれど。
攻撃されたのにシリアスではなくギャグの顔で。
『いきなりなにをする!? 妾でなかったら死んでおったぞ!?』
『あれ……生きてる?』
月影キャットが驚くのも無理はない。
彼は本当に消滅させる気で力を放っていたのだ。
しかし、それでも女神アシュトレトは再生していた。
相手が弱いのではない。
むしろ比類ないぐらいの、まだ若いが、最強を名乗っていい実力者の一角だろう。
だが。
アシュトレトもまた、異常なる神。
私や大魔帝ケトス、そして目の前の魔猫と同様に。
曰くのある神性なのだ。
私はじっと様子を眺めていた。
これはおそらく、アシュトレトの作戦である。