第187話 マイペースな闖入者
四星獣の騒動が少し落ち着いた直後。
彼らを空中庭園に迎え入れている最中に発生したのは、新たな気配。
私の自室に入り込んできたのは、一匹の、シャープな印象の猫だった。
アシュトレトが珍しく緊張しているようで。
胸元に汗を垂らし、ごくり。
バケモノを見るような、本当に、本当に珍しい表情で薄らと唇を開けていた。
『こやつ……ダゴンと同じ性質の力を持っておるのか』
かつての神性を取り戻している今のアシュトレトが、ここまで息を呑む相手。
ただ者ではないのは確かだが。
……。
すごく、情けない言い方ではあるが見た目はイケニャン。
様々に色を変える月のような毛並みの猫は、周囲を勝手に探り始め――勝手に座り。
私をじぃぃぃぃぃっと眺めている。
どうせ大魔帝ケトスの関係者だろう。
影の中。
他の女神達も反応し動き出そうとするが、私はそれを瞳で制していた。
『レイド? なぜ止める!?』
「事を荒立てる必要はないですからね。それに……ダゴンと同じならばそれはドリームランド、夢世界の力――人々の心の中にそれぞれ存在する国や世界、その中では独自の技術体系、魔術体系が広がっているとされています。或いはこの三千世界そのものが、一匹の大きな魔猫の見る夢世界かもしれない……そんな説もありますが。魔術師として、多少は興味もあります」
『興味を持っている場合ではなかろう! 妾らのラブラブ結界に入り込んでくるほどの侵入者じゃぞ!?』
つまりは強者。
それもかなりの上位存在だとは理解できる。
だが私は存外に落ち着いていた、相手に敵意が皆無なのだ。
「ラブラブ結界との名は初めて耳にしましたが、まあ……いいでしょう。話し合いに来たという空気ですからね――彼は安全ですよ、あくまでも今のところはでしょうが」
『しかし』
「むしろ下手に刺激した方が危険と判断しています、どうでしょうか」
『……おぬしがそう言うならば、今は引くが……本当に油断するでないぞ。こやつ、猫の姿をしておるがその正体は虚無。猫という器の中に、這いずるような虚無が渦巻いておる』
実際、彼女の言う通りだった。
猫の形をした宇宙のような、そんな存在感のある相手なのだ。
まあ本人は、本物の猫のように、くわぁぁぁっと身体を伸ばして欠伸。
手を舐め毛繕いを開始しているが……これもなかなかに怖い。
外の世界の獣神は、変人なほど能力が高い。
アシュトレトがいうように、油断は禁物。
アシュトレトを落ち着かせるように肩に手を回した私は、大丈夫ですよ、と声をかけ。
彼女を守る様に、目の前に転移。
女神と魔猫の間に入り、慇懃に礼をして見せていた。
「はじめまして異邦人の方。私はレイド。レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバー。この混沌世界の中にある大森林、エルフたちの国家、フレークシルバー王国の王。あなたのお名前を伺っても?」
『俺は……月影』
「月影さん、ですか。あまり聞いたことのない名ですね」
私の所有する逸話魔導書に該当の神の名はない。
比較的新しい神性なのだろう。
そしてなにより、その名には漢字の空気がある――つまりは、日本と関係している存在。
転生者という可能性もあるが、絞り込めない。
正体を掴めず悩む私を月影キャットはやはり、じっと見上げ。
呟くような、けれど絶世の美声で眠そうに語る。
『そうだろうね――俺は、妹や父さんと違って……品行方正で、静かに暮らしているから。知名度はないよ』
「妹さんや父上ですか」
『身内を、自慢するわけじゃないけど――あんたが所持している逸話魔導書、その大半は妹が編纂して――多くの世界に流通させている。”次元図書館の赤き魔女猫”、そういえば名前ぐらいは聞いたことがあるんじゃない、かな?』
ムフーっとした鼻息が聞こえてくる。
身内に関してはお喋りなようだ。
しかし問題はその内容。
私は少し目を見開き。
「次元図書館の魔女……ですか。聞いたことがあります。何故多くの世界には……接点のない筈の異世界に関する書物……【逸話魔導書】が入り込んでいるのか。何故世界には……正しく効果の発揮する【力ある異界の魔導書】で溢れているのか。その出所はありとあらゆる時間と場所と接続できる、時の流れから切り離された図書館。その次元図書館に住まう赤き魔女猫が、世界の流れを変えるためいたずらにバラまいているのだ……と。伝承でしか耳にした事がなかったのですが、実在したのですね」
『信じる……?』
「この世界にも逸話魔導書が紛れ込んできていますからね、それもちゃんと力の発揮する魔導書ですからね。魔術が発動するという事……それはつまり、正しき逸話が記された異界の神の伝承。知ることもできないはずの異界の伝承がどうやって入り込んでいるのか――その理由と原因を考えれば、最も可能性が高い説ではありますからね」
長くを語る私に欠伸をして。
月影は、うにゃうにゃ……。
『信じてくれるのは、嬉しいけど。あんた、話が長い……』
「これは失礼、グリモワールの編纂主が確定したという事は魔術師にとっては貴重な情報。存外に喜ばしい新発見なのですよ」
そう、と興味がなさそうに月影キャットは息を漏らし。
『――あんたが……魔王陛下の割れた欠片……。そのひとつが、古き神々に育てられていた存在ってことでいいの?』
「おそらくはその通りかと。ところであなたはいったい。次元図書館の主の兄上ということは理解できたのですが」
『俺は……、……ちょっと待って』
話の途中で顔の向きを変えた月影キャットは、調度品の一番高い場所にジャンプ。
それは魔猫の性質。
おそらくはわざわざ、相手よりも高い位置に乗って――決め顔。
格好いいことを言うつもりなのだろう。
案の定、わざわざ演出の黒霧魔術を発動し。
周囲から混沌とした闇を放ちながら、猫の口をうにゃりと開きかけ。
止まってしまう。
「どうかなさいましたか?」
『名乗り上げをしようと思ったんだ……けど、よく考えたら、さっき月影って名乗ったし……。やり直そうとしたんだけど、なんかどーでもよくなってきたっていうか』
「もう一度名乗っていただいて構いませんよ」
『やだよ、そういうの……なんかダサい……』
再び眠そうに、くわぁぁぁぁぁっと欠伸をしながら、しぺしぺしぺと毛繕い。
色々と面倒くさい猫である。
これでおそらく、かなり神格の高い存在なのだから対応に困ってしまう。
「どうか寝ないで事情を説明してください。用があってここに侵入したのでしょう?」
そうじゃそうじゃ!
妾とレイドのラブラブを邪魔するでないわ!
と、騒ぐアシュトレトを一瞥し、私に視線を戻した猫が言う。
『別に……ただ、さっきのムルジル=ガダンガダン大王との賭けをみていただけで、そうしたら、あんたが未来視を破って答えを引き当てたから……なんで? って思って。だから見ていただけで。うん、別に大きな用はないよ』
「……どうやら嘘ではないようですね」
『だから……そういってるじゃん。でも……凄いね、あんな砂漠の砂の数ぐらいのダイスを、全部数えるなんて……あんた、少しおかしいね』
「そんなおかしな私や女神に気付かれず盗撮、そしてこのままこの空間に侵入してきているあなたも相当におかしいですよ」
このまま去られてしまってもまずい。
私は邪杖ビィルゼブブを闇から取り出し、床をトン。
戦闘になっても世界を守れる空間を作り出し――。
白銀の髪の下。
赤い瞳を輝かせ、唇を蠢かせる。
「さて、お喋りもここまでです」
『ん……なに?』
「あなたほどの存在が自由にこの世界を行き来している、それも困ります。どうか、私に戦いをさせないでください。私にはこの世界の民を守る義務がある、このままあなたを捨て置くわけにもいかないのです」
まずは警告。
これで逃げられたらそれはそれで放置する手もあるが。
相手は私を鑑定し――。
ぶわぶわぶわ!
毛を逆立て、不意に真剣な顔をして見せていた。
鑑定に成功したのだろう。
だからこそ、私の能力を見て反応している。
薄らと口を開き、闇月の猫は言う。
『あれ? 本気を出されたら、俺、負けるかも――? いや、勝てるかな……ギリギリだけど。あんた、凄いね』
「さて、それはどうでしょうか――」
『まあいいや。あんたとは戦うなって兄さんと妹にも言われてるし、そうだね。俺が何者かって言ったら……父さん……大魔帝ケトスの次男っていえば、分かるかな?』
……。
よりにもよって。
『あの魔猫の息子か、なるほどのぅ』
「その適当な性格も、それに比例した強さも理解ができました」
大魔帝ケトスの息子。
その時点でも厄介なのだが、大きな問題がひとつある。
あまり伝承されていない存在だからこそ、相手の弱点や性質……。
行動理念が分からないのだ。
しかし、問題はこれだけではない。
さらに大きな懸念があるだろう。
彼の妹が次元図書館の魔女ならば――。
それはすなわち、大魔帝ケトスの娘という事になる。
もし大魔帝ケトスと敵対すれば、逸話魔導書の編纂者……つまり、多くの魔術の基礎や新技術を作り出している存在も自動的に敵となる。
そしてこの月影キャットは兄といった。
つまり、少なくとも三兄妹。
大魔帝ケトスだけでも厄介なのに、おそらく同じほどに厄介な彼らも敵に回すという事になる。
敵意がないのは救いだが。
さて、どうしたものか――。