第186話 エルフ王の帰還
戦いと言っていいかは分からない勝負は終わった。
それも、一つではなく二つの勝負。
後の歴史では、もっとまともな戦いとして誇張されて語られるのかもしれないが――。
ともあれ、神と神の勝負は決着を迎えていた。
現在、フレークシルバー王国の上空に浮かぶ女神アシュトレトの領域”空中庭園”。
その中央のエントランスホールにて、多くの獣神と二柱の主神格のケモノを連れ帰った私は――息を吐き。
ケモノたちが興味津々に探索を開始した姿を横目で眺めながら、モフモフにほっこり。
対するこちらのメンツは、何があったのか理解できていないのだろう。
唖然としている皆に、事情を説明するスキル【かくかくしかじか】を簡易発動。
動物園化し始めている空中庭園にて、私はしれっと告げていた。
「――というわけで、助力を得る事には成功しました。彼らとその眷属たちはしばらく空中庭園に棲むそうなので、対応をよろしくお願いします」
しばしの間の後。
言葉を受けた紅蓮髪の貴公子、我が兄クリムゾン殿下は眉間に硬い皴を刻み。
「……まず、なにがどうなったのか事情を知りたいのだが」
どうやら”かくかくしかじか”を使っても、意味が通じなかったようだ。
まあ、たしかに……なかなかカオスな状況なのは事実。
「見てのとおりです、四星獣のうち二柱……現在を司るナウナウさんに、未来を司るムルジル=ガダンガダン大王が協力してくれるとの事です。どうぞ丁重に接待を」
「彼らが、四星獣!?」
「ええ、あちらの巨大熊猫の方がナウナウさんで、こちらのナマズ帽子を装備した魔猫の紳士が、ムルジル=ガダンガダン大王です。ああ、見た目は可愛いですが正真正銘の大物、強さで分類するのならば三女神に匹敵するほどの神性です。不敬はなるべく控えていただければと」
クリムゾン殿下の後ろでは、豪商貴婦人ヴィルヘルムと領主でありギルドマスターのパリス=シュヴァインヘルトも困惑した面持ちで目線を合わせ。
髪飾りを凛と鳴らしながらヴィルヘルムが頷き、営業スマイル。
「異界の皆さま、初めまして――フレークシルバー王国にようこそおいでくださいました。お噂は伺っております、わたくしはレイド魔王陛下の側近ヴィルヘルムと申します。おそらくはわたくしが皆さまの身の回りのお世話や、滞在に必要な全ての手続きをさせていただくことになると思いますわ。どうか、よろしくお願いいたします」
苦労を掛けることになるが、おそらくは彼女に任せておけば問題はない。
四星獣とその眷属を国賓待遇で接待してくれるだろう。
恭しく礼をされたナウナウとムルジル大王は、じっとヴィルヘルムの顔を眺め。
鑑定の魔眼を発動。
使える商人だと察したのだろう。
『えへへへへ~、はじめまして~♪ 僕はね~、ナウナウだよ~』
『ガハハハハ! さあエルフの王国に住まう者たちよ、汝が主人を助けたく思うのならば刮目せよ! 余を持て成し、余を崇め、余を湛えよ!』
『ねえねえ~、遊ぼうよ~!』
『待て待てナウナウよ。まずは酒と御馳走を用意させるべきであろうて、今宵の余は気分が良い! 宴じゃ宴! 余を持て成し囃し立てよ!』
髪飾りを揺らした時点で既に、行動済み。
部下に根回ししているのだろう。
ヴィルヘルムは落ち着いたまま、豪商の名に恥じぬ余裕を持ち――接待を継続。
「承知いたしました。それでは――まずは皆さまのお部屋をご用意いたします、リクエストがあれば何なりとお申し付けください」
『じゃあ~、僕~、キッチンを貸して欲しいな~』
「ナウナウ様は御料理をなさるのですか?」
『そうだよ~!』
逸話によるとかなりの腕前らしいが、それはともあれ。
一匹一匹がこの世界の勇者、あるいはそれ以上に強い獣神たちの対応はこれからかなり大変なはず。
私は一緒に帰還した午後三時の女神を、じっと眺め。
『分かったのよ、あたしが彼らを見張っておけばいいのかしら』
「お願いします。彼らを信用してはいるのですが――獣神は自由奔放。そしてこちらの世界での力加減も得意ではないはず。ヘスティア、家庭や調和を司るあなたならば……」
『みなまで言わずとも分かっているわ。そうね! このあたしも頼りになるってことを、ちゃんとあの三馬鹿……じゃなかった、三女神にもアピールしないといけないものね!』
ふふっと午後三時の女神は微笑み。
ヴィルヘルムと獣神たちを追って、姿を消していく。
グーデン=ダークも私に羊の瞳で合図を送り、彼らを追って合流。
ヴィルヘルムに午後三時の女神、そしてグーデン=ダークがいるのならばまあなんとかなるだろう。
とりあえずの出だしは問題ない。
「弟よ、あの者たちはやはり神……ということでいいのか」
『ええ――伝承にある異界の主神格のお二人です、ああ、機嫌を損ねると本当に洒落になりそうもない厄災となる可能性もあるので、先ほども少し触れましたが……どうかご丁重に。味方となってくれる契約はできていますが、その解釈の範囲は存外に広い。あくまでも私に助力をするという解釈をあちらがすれば、あなたがたに手を出すことはできてしまいますからね』
契約を都合よく解釈するのは魔術師の基本。
彼らは強きケモノであり、魔術も嗜む神。
ナウナウは魔術が得意ではないとされているが、それでもこちらの大陸神とは比べ物にならないほどの魔術を、軽々と操れるだろう。
「彼らは信用できると考えてよいのだな?」
『ええ、とりあえず簡単にではありますが事情をご説明しましょう』
言って、私は魔術を展開。
女神の事に関しては伏せるが――あちらで起こっていた状況を、映像付きで説明し始めた。
願いを叶える力を持つ異世界の神と契約。
彼等が協力してくれるという事実は、それなりに士気高揚に繋がったようだ。
◇
説明を終え、ひとまず私室に戻った私であるが――。
ソファーに腰掛け息を吐く。
さきほどからずっと、なにやら言いたげだった影の中に声を掛けていたのだ。
『何か不満なのですか、アシュトレト』
「妾に不満? ふふ、あるわけなかろうて、なにしろあの楽園に在った盤上遊戯と同等の力を持つ神がそなたと契約したのだ。それは間違いなく戦力増強。不満など、カマキリの触角の先ほどもない」
「ではなぜ、そのように尖った声なのですか」
そう、アシュトレトは少し不機嫌だった。
その理由は、まあ考えれば理解もできるか。
まだ影の中にいる彼女に、私が言う。
「あなたにではなく、午後三時の女神に助力を願ったのが不満なのですね」
『はて、どうであろうか』
「それと、ナウナウさんと戦いになりそうだったあの時――あなたたちの時間を遅らせて様子を探らせなかったのも不満だった、違いますか?」
私はナウナウと小競り合いを起こす前に、女神との中継を断っていた。
彼女にとってはやはり、それは面白くなかったのだろう。
肯定するようにアシュトレトは影の中から陽光を浮かべ、すぅっとソファーの上に顕現。
『分かっておるのなら人が悪いぞ、レイドよ』
「すみません、ですがやはり――あまり見せたくはなかったので」
『……そなた、やはり楽園に在った頃の力をほぼ取り戻しておるのだな。別に隠すことでもなかろうて』
それは魔術すら作ってしまう万能な力。
魔術を得た楽園の神々すら滅ぼしてしまうほどの、圧倒的な力。
力があることは悪い事ではない、けれど――。
腕を伸ばした私は、私室に備え付けられているグラスを割らぬように掴み。
「おそらく、私は……他の誰よりも私自身が怖いのでしょうね――」
『自惚れとは似合わぬな』
「自惚れであったのならば良かったのですが、今こうしている瞬間にも、私の力は増しています。この混沌世界の人類たちが私を信仰し始めているのでしょうが……」
前にも語った記憶があるが、神にとって信仰とは力そのもの。
そして今の私は間違いなく、神の一柱。
楽園の神々の一員だった頃の記憶と神性が蘇っている。
『強くなくては他者も守れぬ。力がなくては幸せも守れぬ。妾を守れるのならば――それはむしろ喜ばしい事であろうて』
「守って欲しいのですか?」
『妾はそなたの妻であるからな、当然であろう?』
守られるほど弱くはないでしょう。
そう言おうとしたが。
しかし、相手が大魔帝ケトスとなれば話は別か。
『四星獣さえ協力者へと取り込んでおいて、随分と弱気ではないか。今のそなたと四星獣の願いの力、そして妾らまつろわぬ女神達が協力すれば――三千世界の掌握とて夢ではなかろうに』
「アシュトレト――」
『分かっておる、そのような力の使い方は妾も好かぬ。じゃが、仮に外の世界の者たちがこの世界を危険と判断し、消し去ろうとするならば……妾らも対抗せねばならぬじゃろう』
「可能性としてはゼロではありませんからね」
私という存在と、女神達の存在。
そしてかつてあの方と呼ばれた存在が増えたせいで、世界には多くのバグのような現象が発生し始めている。
それを正すのに最も楽な方法は、おそらくバグの決定的な原因となっている私を消すことにある。
そう考えると、四星獣の助力を得られたのはやはり大きい。
外の世界の強者たちも、この世界に手を出しにくくなる。
万全を期すならば、残りの二柱の力も借りたい所なのだが。
アシュトレトが言う。
『さて、盤上遊戯とやらで願いを叶え続けるあのケモノたち。かつて人類への復讐心を持っていた魔性ナウナウに魔性ムルジル=ガダンガダン大王。彼らは確かにそなたに手を貸した、しかし残りの二柱がはたしてそなたに力を貸すかどうか、ふふ、レイドよ。そなたの人望や、腕の見せ所であるな』
「アシュトレト……また私の心を読んだのですか」
『見えてしまうのだから仕方あるまい。妾は大魔帝ケトスと同じ黙示録の邪神の神性を持つ身、アレと接触してからというもの、力が有り余って仕方ないのじゃ』
「あなたもあなたで成長……いえ、かつての神性を取り戻し始めているのですね」
アシュトレトは気だるい仕草で私に凭れ掛かり。
吐息で私の前髪を揺らしながら、語り始める。
『世界を終わらせる終末神話。その登場人物たる妾はバビロンの大淫婦。そして、大魔帝ケトスこそが人々を惑わし滅びに導く反救世主。終末の獣たるマスターテリオンも外の世界では召喚されていると聞く――そしておぬしも力を取り戻しているとなると、これでは預言の再現と言っても過言ではあるまい。強者ならばこそ、心配して様子を探りに来るのも仕方ないとは理解しておる』
同じ原初、同じ因子を持つ存在との接触でアシュトレトにも少し変化がでているようだ。
強大な魔性を彷彿とさせる美貌に妖しい笑みを浮かべ、彼女は私の耳に唇を近づけていた。
『聞こうと思うておったのだ、ムルジル=ガダンガダン大王との賭け――おぬし、あれはどうやって破ったのじゃ?』
「別に、普通に答えただけですよ」
『しかし、あやつの権能は完全に未来視を遮断しておった。未来に干渉し、物理的にそなたの目を塞ぐという古典的な方法であったが……あやつの妨害は完璧であった。だからこそ、妾は知りたい。あの妨害をどうやって潜り抜け、解答を得たのか。魔術師として……実際、深い興味をそそられるのじゃ』
何か大きな期待をされているようだが。
私は苦笑に言葉を乗せていた。
「本当に、普通に答えただけなのですよ。未来が見えないのなら、濁流のように流れる全てのダイスの目を数えればいいだけの話でしょう?」
答えは本当に数えた。
ただそれだけ。
魔術師にとっては盲点だったのだろう。
アシュトレトは一瞬、きょとんと瞳を丸くして。
ふふっと、大きく肩を揺らし始め。
『なんと! ふふふふふ! 随分とまあ、単純な方法で解答を得たというわけか。おぬしは複眼を持つバアルゼブブの弟子でもある故、数える能力にも優れているか』
笑うアシュトレトに何か言おうとした、その時だった。
声が――響きだす。
『……なるほどね……、けれど――それって……あの大王の妨害を破って未来を見るより、明らかに……大変なんじゃないかな』
「何者ですか――」
やる気のなさそうな。
けれど蠱惑的な声の正体はつかめず――私はアシュトレトと共に結界を展開。
今は完全にプライベートな空間だった。
けれど――。
警戒もしていたので、油断はしていなかった。
にもかかわらず、この声の主は私とアシュトレト、二人の索敵をくぐりぬけ声をこの私室に響かせている。
間違いなく――外の世界の大物だろう。
相手の姿を探る私の視界の端には、一匹の魔猫が映りだす。
影が――蠢いていたのだ。
『油断するでないぞ、レイド。こやつ、なかなかにおかしな存在のようだ』
「分かっています」
それは、まるで月のような色をした。
けれど、悍ましい魔力を内包した猫だった。