第183話 魔猫大富豪の威厳
ザァァァァァァ。
ざぁぁぁぁぁぁ。
っと、竹の葉が囁いていた竹林フィールドが上書きされていき――。
現れたのは、夜星を反射し光らせる沼地。
ここが未来を司る四星獣――。
品種改良された猫の魂魄が神へと昇華された、魔猫の大富豪。
ムルジル=ガダンガダン大王の得意とする住処なのだろう。
やはり無理やりに空間を繋げているようで、周囲には濃い魔力の霧が発生している。
香りはほぼ無臭だが……皆無ではない。
心地よい川の香りが僅かに私の鼻孔を揺すっていた。
沼の中には……多くの魔物がいるようだ。
瞳だけがギョロリとこちらを眺めている。
警戒の汗と緊張を表情に刻む斧勇者ガノッサが、沼地の目線に気が付き。
歯を食いしばり唸り始める。
「おいおい、あの沼地にいるのって……」
「ええ、おそらくは海の怪物。伝承にある海の怪異を回収し、釣り堀としているのならば――魔物としてのリヴァイアサンや海に沈められた蛇神ミドガルズオルム。本来ならば魚を意味していたバハムートなどもいると考えていいのでしょう。それに、あの沼地のどこかには――大陸ほどの巨大な神亀がいると思われます」
答える私にムルジル=ガダンガダン大王は、ニヒィ!
積み上げた財宝の上に、テチテチテチ!
かわいらしい短い脚で富の頂上を目指し、よっこいしょ。
金貨や宝石を玉座とし、大王は両手を広げガハハハハハ!
『然り! これらは余の配下! 余の眷属! 余が釣り上げた財宝の一種!』
「神魚を使役する魔猫……ですか、かなり希少な能力者のようですが、まさか本当に釣り竿を武器とする獣神がいるとは思っていませんでしたよ」
『ぬぅ? これは異な事を申す、そなた、余の物語が刻まれし”逸話魔導書”を読み終えておるのだろう? ならば、それが真実であると気が付くはず。余は釣り上げた全てのモノを我が支配下に置くことができる、どうだ、貴様も余の配下にならぬか? 楽園に在った真なる救世主、その割れた欠片よ』
ムルジル=ガダンガダン大王は私に配下になれと、金を積み上げ始めるが。
さすがに本気ではないようだ。
こちらも冗談を返すように、肩を竦めてみせていた。
「さて、私の値段は如何ほどになるのか。あなたに払えるのでしょうかね、異界の大王よ」
『ぬははははははは! 余の財をあまり舐めるでない、余に買えぬものなどない! と、それはともあれ――しばし待たれよ、イエスタデイの恩人よ。そして……のう、ナウナウよ。おぬし、また勝手に動いておったな?』
本人もかなり自由そうな魔猫大王が、心底きついジト目である。
ナマズの帽子もかなり高位の魔道具なのか、装備者と連動しナマズの瞳を器用に細めている様子。
まあ、魔猫のジト目は愛らしいが……。
ナウナウはえへへへへ~♪ と微笑み。
『勝手にじゃないよ~、ちゃんと管理者の~、ネコヤナギにも連絡したよ~?』
このナウナウ。
四星獣の中にあっても、かなり自由奔放で天上天下唯我独尊なのだろう。
大王は積まれ続けている金銀財宝の中からマタタビ粉を取り出し、キセルに装着。
ぷふぅ……と。
まるで煙草のように、マタタビ煙を発生させ。
『そのネコヤナギから言われてきたのだ……どうも、おぬしが盤上遊戯を抜け出し外のゴタゴタに顔を突っ込みおったとな。我らは四星獣は他者の願いを叶える獣神、世界に影響を与えすぎるからあまり動くなと、他の獣神にも釘を刺されておるであろうて』
『でも~、ちゃんと許可を取ったよ~?』
『勝手に宣言して、一方的に魔術通話を打ち切るのは許可とは言わぬじゃろう』
ナウナウは不思議そうに首を傾げ。
丸い耳をブワブワっと動かし。
『なんで~? 僕がお願いしたんだから、通るよね~?』
『ナウナウよ、おぬしがそんな態度だからネコヤナギの愚痴が広がるのだ。いまさらルール違反をとやかく言う気も咎める気もないが、さすがに此度の件は軽率であると言わざるを得ん。今、三千世界がどのような状況か、思考も見た目もふわふわとしておるおぬしとて理解はしておるだろうに』
『どの魔王様の意見を尊重するか、だっけ~?』
話を聞いていた午後三時の女神の瞳が、つぅっと細くなっていく。
『初めまして、ムルジル=ガダンガダン大王。あなたの御機嫌を窺う前に聞かせていただけないかしら? どの魔王様の意見を尊重するかとは、どーいうことかしら?』
『女神ヘスティアを原初とする、まつろわぬ神か。余も神はあまり好かぬが、まあ女性であるというのならば尊重してやるか。さて、女神よ。余は汝を何と呼べばいい。ギリシャに刻まれしヘスティアか、ローマで語られしウェスタか。或いは竈と火に連なる女神ブリギッドか、それとも――他民族に吸収された聖女、聖ブリギッドと呼ぶべきであろうか』
午後三時の女神が、目を見開き。
まるでホラー伝奇にでてきそうな、悍ましい魔力を纏ったビスクドールのような形相で。
『あたしの名を勝手に決めつけないで、不愉快なのよ』
『これは失礼した、しかし多くの歪められた逸話によりうつろう女神達が作りし、この混沌の坩堝は複雑怪奇と言わざるを得ん。その創造神たる女神たちの名は、我らにとっても曖昧過ぎる。余らが治める盤上遊戯内でも、汝ら創造の女神たちを何と呼ぶべきか……はて、多くを悩んでおると言うのが現状である』
『あたしはあたしよ、二度とその名で呼ばないで』
本気の睨みにムルジル=ガダンガダン大王も理解を示したのか。
『失礼を詫びよう、異界の女神よ。さて、話を戻すが外の世界も少々波立っておってな。なにしろそなたら女神も”あの方”と呼んだ存在――あの救世主と同一視される存在が多くおるのでな。偽物であったのなら話は早かったのだが、実際、本当にその者たちはかつて”あの方”と呼ばれたモノなのだ』
大王は肉球の上に水鏡のモニターを浮かべ。
次々ととある男の姿を映し出していく。
それは――私と魂を同じくする、おそらくは各世界で魔王と呼ばれる同一存在。
『まずこちらの方が――オリジナルとされ勇者に殺された最初の魔王、大魔王ケトスに魔王と仰がれる存在であるが――既に故人。その肉体と心、そして魂が三つに分かれたとされる存在。次にこちらの方が大魔帝ケトスが魔王と仰ぐ存在、世界をやり直したことで発生した勇者に殺されなかった魔王。本来ならありえない事であるが――既にこの時点で二柱のあの方が、この三千世界には存在しているという事である』
世界をやり直した時点で、それらは別次元、別宇宙、いわゆるパラレルワールドの存在。
本来なら互いに干渉することはない。
だが……かつての戦いの途中、大魔帝ケトスと大魔王ケトスは、それらの世界を一つに繋げてしまったらしいのだ。
そのせいで、色々と世界にバグのような現象が起こっているようなのだが……。
その辺りの事情を説明しても理解はできないだろうと、私が黙る横。
ガノッサが言う。
「それの何が問題なんだ」
『さて、余には正直分からんがな。だが、そうであるな。たとえば同じ魔力を持った司令官が同時に二人も在籍し、それぞれが別の命令を出したら――その側近はともかく直接的な面識もない末端の部下は、混乱するのではあるまいか?』
「なるほどな……」
最優先にされる存在が複数存在する。
それは確かに混乱の種になるだろう。
納得した斧の勇者を確認したムルジル=ガダンガダン大王は、更に水鏡を蠢かし。
『二柱のみならばまだ良かったのだ。彼らは部下ともども互いにその存在を認めておる。大魔帝ケトスも大魔王ケトスもどちらの命も素直に聞くであろう。しかし……問題は、大魔王ケトスが主と仰ぐ、オリジナル魔王陛下――その欠片の一つが三千世界に影響を及ぼすほどに成長したことにあろう。既に知っておるだろうが、勇者に殺されたオリジナルの魔王は死した時に欠片となり、多くの命として転生した。現実に確認され、そして実力を身に着けておるのは魔猫と化した魔王、魔導書と化した魔王から派生した我らが盤上遊戯の魔王、そして――魔術を無かった事にする事を望んだ、そこの魔王。おぬしだ――レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバー』
ナウナウが口を挟み、赤い瞳を輝かせ。
『ほぼ無関係な僕たちとか~、計測限界の十重の魔法陣を張れるほどの強者なら問題ないんだけどね~。それより弱いみんなはね~、どの魔王陛下の命令を聞いたらいいか、分からなくなってきちゃってるんだって~』
『故に、今――宇宙と呼ばれし多くの世界を内包したこの三千世界は、それなりに緊張状態となっているというわけである。余の説明を理解できたのなら、ほれ? 分かっておるであろう?』
手を伸ばし、クイクイっとするムルジル大王であるが。
「なんだ、肉球でも突っついて欲しいのか?」
『たわけが! 情報料をよこせと言うておるのだ!』
「大王って名前のわりにはケチなんだな……」
『ナーッハッハッハハ! どれほどに言われても余の心は変わらん! 金持ちというものは常日頃から倹約をしておるのだ!』
大笑いしながらも、手をクイクイっとするムルジル大王に負け。
斧勇者ガノッサはこちらの世界の共通金貨で代金を支払い。
「ようするに、命令系統が滅茶苦茶になりつつあるってことか」
『然り、故に慎重に動く必要があるのだが……このナウナウが勝手に動きおって……』
『だって~、面白そうだったんだもん~』
彼らも彼らで話題が多いのだろう、こちらをそっちのけでモフモフ会話タイム。
ほのぼのと会話をするマンチカンとパンダ。
その姿は愛らしいが……。
平静を装っている斧勇者ガノッサは、腕に汗を浮かべたまま。
「なあ……こいつらが同時に敵になったら」
「万が一にでも勝ち目はないでしょうね」
私は大王に目をやり。
「ムルジル=ガダンガダン大王。ナマズの神性を持ち合わせる彼もまた、未来を見る力を有しています。あのピンと張った猫髯で、先の未来に発生する魔力の揺らぎを感知――起こりうる未来を式として計算し直し、未来を観測する。いわゆる計算型の未来監視者でしょうね」
「あぁん? どーいう意味だ……?」
一人だけ魔術師ではないので、仕方ないが。
呆れた様子で午後三時の女神が、ふわりとした髪飾りを揺らし。
『物事が起こる時には、必ずそれが発生する原因があるでしょう? その原因が分かっているのなら、だいたいの見当がつく。たとえば今あたしが並べた紅茶を沸騰させるとして……火をつけた時間と火力が分かっているのならば、いつ沸騰するかも計算できる。それって捉え方によっては、未来予知といえるんじゃないかしら? それを魔術の基盤として世界にあてはめるのよ。世界ができた時にも必ず原因がある筈と仮定し、計算式を作り出すの。もし宇宙発生の原因が分かっているのならば、そこから逆算すれば、理論上は全ての可能性も計算することができる……って、聞いているのかしら、斧の勇者』
「おう、まあすげえってことは分かる」
いっそ、これくらいの考え方の方が悩まずに済むような気もするが。
なにはともあれ、ここもまた一つの正念場。
ナマズ帽子に怒りマークを浮かべ。
悪びれないパンダの顔を、ぐいっと肉球で押し説教中な大王。
彼の助力を得られれば――かなり事を優位に進められるだろう。
もっとも、こちらに大王の眼鏡に適うほどの財があれば。
だが――。
どれほど積めば彼の協力を得られるか、私もまた未来視を発動させていた。