第182話 ゲームセット―終わりの盤上―
ナウナウは友達思いのパンダ。
だから友を傷つけた者たちと同じ場所にいた存在に、過剰な反応をした。
結果として、遊びだった筈の遊戯は遊びではなくなった。
四星獣ナウナウ。
遊戯の世界で生きる、現在を司る神。
その権能はダイスを操るだけではなく、彼もまた四星獣である以上、願いを叶える力を宿している。
おそらく、このナウナウの遊戯の強さの秘密は二つ。
饕餮ヒツジとグーデン=ダークによるサポート。
そして願いを叶える力。
遊戯をずっと続けていたいという自らの願いを叶え続け、勝利という今を獲得し続けていたのだろう。
因果を操り私の盤面を操作。
三回目以降の盤上遊戯に勝利したのだ。
しかし。
午後三時の女神、彼女の登場で流れは変わった。
『あれれ、あれれれれ? 僕、負けそう?』
『ええ、そうね。ごめんなさいねパンダさん。あなたに罪はないけれど、あたしもレイドに頼られちゃったら断れないもの。この勝負は――貰うのよ』
午後三時の女神は魔物の駒を操り、ナウナウ側の勇者の駒の首を刎ね。
『これでチェックメイトかしら――』
『僕の因果律操作が、効かない? あれ~、なんでだろう。いつもはね~、ただ見ているだけで、願うだけで叶うんだよ~?』
『そうね――これが遊びだったら、そうだったのでしょうね。けれど、ナウナウ。あなたは友達を思いすぎて、あたしを意識しすぎちゃったのね。ごめんなさいね、泣かないでね。あなたはあたしたち女神も含めて神が嫌いなんでしょうけれど、あたしはあなたを嫌いじゃないのですから』
遊びを尊ぶパンダが、終わらぬ遊びを求め願いを叶え続けたナウナウ本人が、遊びを捨ててしまった。
それが彼の敗因。
常に遊びを選び続ける者、道化としての性質をもつ存在が戯れを捨てればどうなるか――。
『まだだよ? まだ、駒はあるもんね~』
『そうね、これが魂の込められた世界の戦いならば、あたしはあなたを止めたのでしょうね。そうね、けれど、これは魂無き疑似的な新世界。あなたが納得できるように、完全に詰ませてあげるのよ』
言いながら、全ての塔を操作し――女神は人類を蹂躙する。
午後三時の女神にあるのは、まるで豊穣の女神のような空気。
パンダのナウナウを暖かい火の光で、優しく包んでいるようにも見える。
腐っても……幼い姿をしていても。
逸話や存在を歪められても彼女は女神なのだ。
対するナウナウはもはや詰み。
遊戯の力を失ったナウナウを相手に、午後三時の女神は盤面を圧倒。
火を宿した竈の魔術を用い、ティータイム。
あくまでもこれは遊戯だと、彼女は余裕の構え。
勝利を焦るケモノと、それを優しく眺める女神。
結果は見えていた。
魔物に制圧された世界を眺め、ナウナウは己が熱くなりすぎていたことに気付いたのだろう。
戯れだからこそ余裕をもって周囲を見ることができる。
戯れだからこそ余裕をもって相手の心を探ることができる。
けれど、絶対に勝たないといけないとなったら。
『僕、負けちゃうね?』
『そうね、あなたの負けなのよ』
『僕、負けたくないな~?』
『そうね、けれど――ごめんなさいね。これが遊びだったのなら、あたしはあなたの気持ちを優先させたのでしょうね。けれど、これは遊びじゃない。ナウナウ、あなたが選んだ真剣勝負なのよ。後で美味しいお菓子にしましょう、だから、ごめんなさいね――友達思いな孤高なる獣さん』
塔から溢れる魔物が完全に人類の街を覆い。
そして、世界は反転する。
勝者である魔物が人類側となり、今度は人類側だった存在が魔物となるのだ。
まあ、もっともあくまでもこれは疑似世界。
魂を込めた世界ではないので、終了すれば消える世界。
滅びゆく人類に心はない。
それでも私には、魔物に蹂躙され滅びる駒は泣いているように見えた。
そして反対に。
ようやく勝利を掴むことができた魔物たちは、やっと自分たちが蹂躙される側ではない立場になれる事に、歓喜している。
勝者の願いを叶えるように、魔力光を輝かせる盤上遊戯。
その光に照らされたナウナウの口だけが、ぼそりと動く。
『……僕の負けだね~』
敗北の悔しさに下げていた顔を上げたナウナウ。
その獣毛がぶわりと膨らむ。
敗因を既に理解しているようだ。
私は敗北を知った獣神に、申し訳なさを隠しきれず。
「すみません、ナウナウさん。あなたに勝つために私は少々卑怯な手を使いました」
『分かってるよ~、その女神は家族や家庭を司る女神なんだよね~。僕はね~、四星獣の仲間を、優しいイエスタデイも強欲なムルジル=ガダンガダン大王も口煩いネコヤナギも、みんなみんな、家族だと思っているよ~。だから、その感情を刺激されちゃったんだね~。ズルイな~、心を使うなんて、ズルイな~』
でも、とナウナウの喉の奥から音が漏れる。
『負けは負けだね。認めるよ』
後半は、気の抜けた声ではなく低い獣の唸りだった。
しかしナウナウの顔は存外に笑顔だった。
鼻を膨らませ、瞳を赤き魔性の色に輝かせ――。
願いを叶える存在特有の――。
相手の願いを値踏みする、そんな神としての側面を前面に出し。
嗤っていたのだ。
『――さあ、願いを言ってごらん。僕は四星獣ナウナウ、勝者の願いを叶えるケモノ。かつてあの方と呼ばれし”救世主”、いつのまにか多くの人類から神と崇められた願われし神よ。楽園を滅ぼした者の欠片。レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバー。君は僕に何を望むのかな? 魔術をなくす手伝いをするのかな? それとも全ての人類の救済でも望むのかな?』
私の願いは単純だった。
「大魔帝ケトスが占領した南の大陸攻略に、あなたと、可能ならばあなたの仲間たちの助力が欲しいのです。戦力差が凄まじいですからね、相手もこちらの戦力が低い内はまともに交渉もしてくれないでしょう。そしてなにより、あの魔猫はおそらくあなたたちの参戦を待ち望んでいる」
『願いは、僕たちの助力、だね、いいよ――』
勝敗を決し、輝く盤上遊戯の願いの力を魔力として取り込み。
四星獣ナウナウは差し出した熊猫手の上に、『巨大熊猫の獣神動物園』と記されたチケットを召喚。
魔力で浮かべたそれを持ち上げ、私の手元へと運んでいた。
『それを使えば~、僕を呼べるし~。もし~、他の獣神たちも気が向いたら~、呼ばれて飛びでてくるかもしれないね~』
「強制召喚に、強制従属の召喚カード……といったところですか」
『そうだよ~?』
「あまり無理強いはしたくないのですが」
『ダメだよ~、だって~、強制じゃないと~、たぶん~、途中で飽きたら僕、そのまま帰っちゃうし~』
うんうんと彼の後ろでは、モフモフ達が主人を眺め全力で頷いている。
そんな獣たちの様子を斧勇者のガノッサは訝しみ。
「もしかして、本気で途中で帰っちまうのか……?」
『当たり前だよ~、僕たちは気まぐれだからね~。ねえ、みんな~?』
彼の眷属たる獣神たちは、じっと主人を眺め。
グーデン=ダークが言う。
『たしかに気まぐれな存在は多いですが、あなたほどではありませんよ……我が主よ』
『そうかな~?』
『少しは自覚しているようなので、まあいいですけれどね。さて、レイド殿。これで四星獣ナウナウ様の力を借りることができるようになったわけで、少しは話も好転すると思うのですが――』
正直なところ、これではまだ足りないだろう。
言葉にするとナウナウに失礼なので、口にしないが。
そんな私の心を読んだように、グーデン=ダークが更に言う。
『ならば、このまま他の四星獣の力も借りてしまいましょう』
「借りて、といいますが――あなたという接点があったのでナウナウさんとは交渉ができましたが、他の神とは縁があまり」
まあ前世で私はイエスタデイ=ワンス=モアを救っているわけだが。
正確にいうのなら、前世の前世かつ私は三分の一の欠片。
自分の中でも遠く薄い過去の救済を用い、願いを強要するようなこともあまりしたくない。
だが。
グーデン=ダークが羊の顔をニヒりと歪め。
メメメメメメメェ!
『ご安心ください、というか――本当に気付いていらっしゃらなかったのですね』
「何の話ですか?」
『もう、来ておられるのですよ――我が主人ではない四星獣が、こちらに』
勿体ぶった倒置法である。
おそらくはこうなることをこの羊は予測していたのだろう、さすがに知恵で上り詰めた悪魔といったところだが……。
と、感心している場合ではない。
グーデン=ダークがネタ晴らしをするように言った。
その直後。
勝敗を決していた盤上遊戯。
その大海が輝きだし――、星の光が竹林の夜空に広がっていた。
『ガァァッァッハッハハハ! 魔猫の性質にて姿を隠していたとはいえ、余の素晴らしき気配に気付かぬとは、畏れるに足らず! あの方とやらの破片も所詮はその程度! 余の敵ではないようであるな!』
「な!? どこから!」
『油断しちゃだめよ、凄い魔力なのだわ!』
女神の本気の警告に緊張と覚悟を決め――キリリ。
斧勇者のガノッサが斧を召喚。
午後三時の女神も、竈の火に魔力を注ぎ込む中。
「ど、どこにいやがる……」
『おかしいわ、気配は確かにあるのだけれど……』
頬に汗を浮かべる二人とは裏腹。
私は周囲を探る彼らとは違い、足元をじっと眺めていた。
そこには、明らかな違和感があったのだ。
ソレは私が気付いたことに気付いたのだろう。
モフモフ獣が、私を見上げ。
『うぬぅ、やはり余に気が付くのはそなたか。楽園を滅ぼしたモノよ』
この四星獣の性質を把握していない私も臨戦態勢。
慌てて結界を張ろうと腕を伸ばすが――。
既に相手の気配はない。
今度は背後から――まるで石油王を彷彿とさせる偉そうな魔猫の声が響きだす。
『動くな、余はまだそなたを信用しているわけではない。そこのナウナウとは違ってな』
「完全に私の後ろを取るとは――やりますね。しかし体術ではなく、未来視による先回りと見えました。逸話から察しますと、あなたは先を見ることが可能とされている四星獣、未来を担当なされている神に相違ありませんね?」
『我が技巧を見抜くとは、あっぱれなやつよ! 良かろう、では余の名乗りを聞くがいい!』
やはり背後からは、威厳に満ちた気配。
振り返るとそこには――。
……。
とても愛らしい、足の短い魔猫がナマズの帽子を装備して、ドヤ顔。
髯をピンピンに伸ばし。
手に持つ釣り竿で結界を張り、短い手の先から肉球をペカァァァ!
周囲を自らの属性で上書きし始めていた。
札束や金貨、宝石が舞い落ちる中。
獣の神は名乗りを上げた。
『我が名はムルジル=ガダンガダン大王! 主神イエスタデイ=ワンス=モアの盟友にして、未来を司る四星獣! 余の尊顔を拝謁する栄誉をそなたらに授けよう、それがナウナウに勝利した汝らへの褒美であるとしれ!』
ガーッハッハッハ!
と、とても偉そうな声なのだが。
見た目はファンシー。
けれど、力は本物のようで。
星の夜が、大王が得意とする沼地フィールドに侵食されていく。