第17話 大帝国カルバニア
賢帝マルダー=フォン=カルバニアが新たな王国憲章。
新たな国の基盤を作ったとされる、カルバニア帝国。
穏やかな人の営みの中。
その中央の市場にある噴水を眺め、白銀の髪の美青年は露骨に眉を顰めていた。
自身と似た銀髪の少年の巨大像が、堂々と鎮座していたからだろう。
二百年経っても文字は変わっていない、像の台座に刻まれた文字をちゃんと読むことができた。
そこには帝国となったカルバニアの歴史の一ページが刻まれていた。
賢帝マルダーの最愛の弟にして、救国の英雄。
レイド=アントロワイズ。
「あの愚物、大成したようではありますが――結局最後まで私を疑うことはなかったのでしょうね」
勇者の仲間ガノッサが約束を守ったという事だろう。
あの状況からどう周囲を納得させたのかは分からないが、それができるからこその勇者と仲間。
魔王である私が魔王としての性質があったように、彼らには彼らで補正に近い何かが世界に働く可能性がある。
しかし。
私ははぁ……と息を漏らしていた。
この像はないだろうと。
像の横には初代帝となったあの貴公子マルダーの時代に建てられただろう、記念碑。
私はそれをどんな顔で読んでいたのか、あまり想像はしたくなかった。
きっと、苦虫を嚙み潰したようだっただろう。
「大魔女に殺されるも、その残した知恵が救国へと導いた神童……ですか。なんとも脚色されていますね。愚物は愚物のまま、哀れな成功をしたまま。その一生を終えたのでしょう」
『あらあら、まあまあ! ふふふふふ、旦那様ったら、嬉しそうな顔をしてらっしゃいますのね』
どうやら違ったらしい。
それはともかく。
私は私の横で、聖職者の格好でニコニコと微笑んでいる邪悪なる汚物。
朝の陽ざしに肌を輝かせる、明け方の女神に目をやっていた。
「一応あれでも愛玩動物に向ける程度の感情はありましたからね、あれがちゃんと名君として、腐っていた王国を潰し帝国とした。それをどこかで喜んでいるという事でしょうね。というか、あなたは、なぜ人の横に並んでついてきているのですか?」
『旦那様と、ずっと、ずっと共にいるのが良き妻。配偶者なのだと本で読んだのです』
「胸の前で手を合わせ乙女のふりをしても無駄ですよ。あなた方が穢れた存在だという事は明白、できれば金輪際、かかわらないで頂きたいのですが」
『二百年ぶりの世界です、苦労もあるだろうとあたくし、旦那様を待っておりましたのよ?』
褒めてくれてもよろしいのでは?
と、聖職者の衣を纏った汚物はにっこり。
私の腕に絡みつき、まるで恋人だと周囲にアピールしているようだった。
明け方の女神は他者からも姿が見える存在なのか、あるいは、ただ姿を実体化させているだけなのか。おそらくは後者だろう。
「頼んだ覚えも、私を蘇らせてくれと願ったこともなかったのですが」
『あらあら、まあまあ! 怒っていらっしゃるのですね!』
「勝手に召喚し、勝手に魔王としての駒とし、そしてそれを一切説明しない。あなたたちは詐欺師と同じなのでは?」
『詐欺師? 神とはもとよりそのような存在でありましょう? むしろ最も神に近い存在であると自負しておりますわ』
綺麗な顔をして、言い切るこの女も存外に性格が腐っているのだろう。
「ここはあのカルバニアということであっていますか? と、これは神託を求めたものではなくあくまでも独り言ですが」
『カルバニア帝国。今この大陸でもっとも勢力のある、大帝国。あなたの育てたマルダー=フォン=カルバニア殿下が大成され、作り上げた夢の都……の筈ですわ』
あいまいな部分があるのは女神アシュトレトと同じ。
女神とは基本的に大雑把なのだろう。
「私は正しい歴史を知りたい……あの後、私が勇者の仲間に魔王として殺された後。どうなったか」
『ウジ虫の動きなど、あたくしが知っているとでも?』
「でしょうね」
想像通りの、人間を玩具としか思っていない、清々するほどの醜い心の存在なのは間違いないようだ。
『まあ! あたくしを置いてどこに行かれるのです!』
「図書館を巡ります。少なくともあなたの話を聞くよりも早いし信用ができます」
『……あたくしの知識が信用できないのですか』
「逆にお訊ねしますが、あなたは昼の女神アシュトレトのあのテキトーな言葉を信用できますか? それと同じことですが」
あの昼の女神のたとえには、確かな説得力があったのだろう。
私は街を歩き。
そして最初の難問にぶち当たった。
図書館の前には私でも読める文字で、入館料の記載。
女神に言う。
「女神、出番だぞ」
『神が人間の金銭を持っているとでも?』
「使えない女だ――アシュトレトならば、こういう時にすぐさま動いてくれたのでしょうが」
比較され続けたことで、ぷくーっと頬を膨らませた明け方の女神は、つん!
『なら、お金を稼ぐ――旦那様に金銭が入る幸福を運んでくればよろしいのですね』
「言っておくが、人は殺すなよ。不快だ」
告げた直後に、私はさらに言葉をつけ足した。
「それと亜人や家畜もだ」
『分かりましたわ、ならば――ここに魔物を呼びましょう。死者が出る前に旦那様が魔物を討伐すればよろしいだけなのですから』
女神はニッコリと微笑み。
聖職者の服から神々しい女神の姿へと転身。
背中に大きく奇怪な時計を背負って、祈りを捧げた。
「被害を出すなと言っただろう!」
『あら? 旦那様がおっしゃったのは、死者を出すなとだけ……あたくし、何か間違ったことをしておりますでしょうか?』
女神はきょとんと無反省。
二百年経っても女神は女神のまま。
私は悲鳴が轟く街へと駆けた。