第172話 恋物語をもう一度
接待会場の筈のエリアには、魔猫の群れ。
そこに顕現するのは異界の魔猫王。
玉座にふんぞり返りモフ毛を靡かせ、大魔帝ケトスは私に魔杖を向けていた。
まあ見た目は偉そうなブリティッシュショートヘアーが、ドヤ顔で玩具の杖を傾けている……そんなファンシーな姿に見えなくもない。
彼の主人である、”あの方”は私を危険視しているようだが。
部下の魔猫に団扇で黒い靄を、特撮の演出のように”ぶわぶわ”させている魔猫を見て。
じぃぃぃぃっぃぃい。
シリアスを維持できない相手に私は言う。
「あなたからは殺意も敵意も感じない。消し去るつもりもないのに杖を翳すのはどうかと思いますが。まあいいでしょう、その杖の瞳からこちらを見ている方。可能ならば話をしたいのですが――」
大魔帝が装備する猫目石の魔杖の先端には、魔王や猫の瞳を彷彿とさせる魔石が取り付けられている。
遠見の魔術の応用で、私と同質の存在がこちらを眺めているのだ。
だが、相手からの返事はない。
私と同様に、とても慎重なのだろう。
勇者に殺されずに眠りに就き、私のように肉体と魂と精神の、三つの欠片に分離させられずに生きている”楽園の破壊者”。
大魔帝ケトスを従える彼がどんな風な人生を歩んでいるのか、それに興味があるのだが。
私は肩を竦めてみせていた。
「おや、呼びかけに応じないとは冷静なのか、それとも――」
『臆病風に吹かれた、などという愚弄は遠慮していただきたい。レイド陛下、私はあの方の忠実なるしもべ。あの方に関してのみは、なにひとつ遠慮をするつもりも必要もないと感じておりますので――どうか、最大限のご配慮を』
これは大魔帝の本音。
おそらく、彼の主人を馬鹿にしたら私はこの身を切り刻まれるだろう。
もっとも、その程度では今の私は滅びないが――ともあれ。
主人を守る魔猫に、瞳を細めた私は存外に優しい声を掛けていた。
「あなたは主人をとても大切になされているのですね」
『ええ、あの方は私の全てですから――けれど。まあ、そうですね。あの方以外にも大切な存在ができましたがね』
そして、彼の主人はそれを喜ばしい事だと感じているようだ。
遠くを眺める大魔帝ケトス。
その顔の獣毛は、ふわりと魔風に靡いている。
魔王が勇者に殺されなかった世界は、多くが上手く回ったようだが。
「あなたの主人がここに出てこない理由をお聞きしても?」
『単純な話です、私が止めただけですよレイド陛下』
「あなたが? 何故」
『これも単純な話です。今のあなたと、そしてこの混沌世界を生み出した存在……楽園においても特殊な存在だった”まつろわぬ女神達”全員が力を合わせた場合、私は魔王陛下をお守りできない可能性がある。どれだけに成長しても、どれだけに思い出を作っても……私はあの方を喪えば暴走しますからね、今更この三千世界を私自身が壊してしまう――それも非常に困るのです』
冷静な猫顔で、主人が死ねば全てを破壊すると宣言する。
その発言もどうかと感じるが、まあ事実なのだろう。
「それは杞憂でしょう。私に協力する女神は確かにいますが、全員ではない。女神の性質は魔猫と同じく自由奔放、私があの方と呼ばれた魔王の三分の一の欠片だと知っても、呼びかけに応じない者ばかりの筈。あなたの心配は無用だと考えますが」
『失礼ながらその認識が既に甘いのですよ、レイド陛下』
言って大魔帝ケトスは猫目石の魔杖を翳し。
ペカーっと。
自らで効果音を立てた魔猫が言う。
『私の未来視、私の主の未来視。そして全てを見通す神鶏ロックウェル卿。我らの未来視は理論は皆違いますが、それでも先を見る力を有している。三柱が三柱とも、結論は一緒でした。この世界の女神達は全員、あなたに協力する姿が観測されています。あなたはあなたが思っている以上に、女神に好かれる性質の存在なのでしょう』
しばし私は考え。
黙り込んでいた美猫アシュトレトに目をやり。
「なるほど、私をこのレイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバーとして育て上げたのは三女神。女神にとって理想の魔王が、今のこの私という事ですか」
『断言はできませんがね。それにそれが本心かどうかは分からない。けれど、おそらくは……あなたを喪い錯乱していた彼女たちはこう思ったのでしょう。今度は、居なくならない理想のあの方を作り出そう、と』
大魔帝ケトスは伸ばした肉球の上に私の人形を作りだし。
その周囲に、三女神のミニチュアを配置し。
彼女たちがそれぞれにしていたナニカを、再現してみせ。
赤い瞳を光らせていた。
魔性の証たる赤の光の下で、光を吸った髯の影を伸ばし。
ゆったりと魔猫は口を開く。
『それは三女神の願い――純粋な想い。彼女達は願った――今度こそ誰にもやられない。自分を置いていかない、一生ずっと永遠に……共に歩んでいられる伴侶が欲しい。誰かにそんな存在となって欲しい。でも、誰かじゃなくてあなたがいい。そう、たとえばあの方と同じ性質を持った存在を、この手で……。それは女神達にとっての光源氏計画、とでもいうのでしょうか。あの方との楽園をもう一度……そんな女神たちの願いの結晶こそが、あなたなのでしょう。もう一人の私、大魔王ケトスがあなたを喪い絶望し宇宙を破壊してしまったように。あなたを喪った女神たちは暴走状態になっている可能性が高い』
指摘されて思い出すのは、この世界に転生した初期の記憶。
あの頃の女神達は本当に、独善的だった。
文字通り、人の心が分からない存在だった。
楽園で静かに暮らしていた時は、もっと理性的で、慈愛を持ち合わせていたのだ。
けれど、私を探し求め見つからず。
次第にその内を黒く染めていたのだとしたら。
懸念を浮かべる私に魔猫が言う。
『あるいは今も、彼女達は暴走状態にあるのかもしれません。魔力とは心の力、それはどの世界でも共通の事象。そして愛するものを喪った、愛や恋を美徳とする女神達の暴走する心。それがどれだけ危険か、魔術を扱うあなたならば当然、理解できているのでしょう?』
魔術師として考えた私は理論を構築。
頭の中で浮かんだ式を言葉として紡ぎ始めていた。
「あなたたち魔性と呼ばれる存在は、心を暴走させ、その暴走する無限の心を魔力とすることで絶大な力を発生させている――そして魔性とは自らを自制し、制御できている時ならば無限の力を扱える”有益な特殊能力”と言えますが、一度、心の安定を失えば――その無限の魔力と心の力は広がり続け、大きな事件へと発展するでしょう。周囲に与える影響も極めて大きい。女神たちがそれに近い状態にあると、あなたはそう考えているのですね」
言葉から青色の魔術式が生まれていた。
仮に女神達が暴走した場合の計算式が展開されていたのだ。
式に破綻がなかったからだろう。
満足そうに大魔帝ケトスは頷いていた。
彼もまた魔術師の顔で口を蠢かす。
『そんな彼女たちが野放しになっているこの世界は、とても危険と言えるでしょう。故に……願いを叶える獣とされる四星獣、現代を司る巨大熊猫神ナウナウも饕餮ヒツジをこの世界に派遣した。まあ、あのパンダくんはなかなかに能天気、どちらかといえば私利私欲のために獣神をコレクションするついでだったのでしょうが――それでも私にまで、この世界の情報は伝わってきた。知ってしまった以上、やはり、このまま危険を放置しあなたがたを見なかったことにするというのも、難しいかと』
再び私は美猫アシュトレトに目線をやり。
「あなたの目から見て、どうなのですかアシュトレト。暴走しそうな、或いはすでに暴走している女神はいると考えても?」
『はて、どうじゃろうな。しかし、そうじゃな……答えを返すとするならそれはイエス。妾の計算だと、ふふ、妾ら三女神を含み、混沌世界を生み出した女神全員がいまだに暴走状態にあるのであろうな』
考えたアシュトレトは私の肩から降り。
スゥ……っと、泉の表面を足先で揺らす鳥のように、静かに着地。
大魔帝ケトスが生み出している闇の空間を、光の波紋で揺らし。
フィールドを陽光属性に強制変換して。
告げた。
『レイドよ、妾はそなたを愛しておる。心の底から、揺るぎない思いを抱いておる。焦がれるほどの想いじゃ――ならばこそ、こう思うのじゃ。この愛が、心の暴走だというのなら。おそらくは妾達三女神は、”愛の魔性”。愛と呼ばれる感情を暴走させ、無限の魔力を得た存在と言えよう』
その証拠だとばかりに、元の女神の姿に戻った彼女は陽光の下で微笑んでいる。
あの伝承にある大魔帝ケトスの空間を打ち破り。
逆に光で満たしているのだ。
そんなアシュトレトを眺め、大魔帝ケトスが困った顔で。
『魔性として覚醒した神性――本当の愛を知った女神……厄介な存在だよ、君たちは』
『同胞よ、それはこちらのセリフじゃ。そなた、いったいどれほどの命を食らい滅ぼした? 妾にも見えておる。そなたはその陽気な猫顔の下に、邪悪な気配を漂わせ続けておるからのう。おぬしとて、既に世界を何度も壊しておるのじゃろうて』
『否定はしないよ――だから私は破壊神としても祀られているのだからね』
言いながらも、大魔帝ケトスは自らの周囲に無数の魔導書を浮かべ始めていた。
それは魔術師の臨戦態勢。
戦うのならば、それもいい。
そんな一触即発の空気なのだが。
おそらくはこの大魔帝ケトス……単純に、自分の闇フィールドを光で上書きされたことに、ムスーっとしているのだろう。
負けず嫌いも猫の特徴。
そして、だからこそやらかしてしまうとも私は知っていた。
二人に割り込む形で、私は淡々と告げる。
「二人とも、冷静になってください。ここで戦えば互いに犠牲者を出す。それを私は許可できません。もしやるのでしたら、私も本気であなたがたを止めなくてはなりません」
それが可能だと証明するように、私は大魔帝ケトスが装備する魔杖を生成。
世界蛇の宝杖と、猫目石の魔杖。
そして、三女神の牙杖と呼ばれる女神の力と共鳴させた、牙状の杖を浮かべ――。
魔法陣を展開。
十の戒めが刻まれた石板を召喚。
戦闘行為を禁じる結界を張ったのだ。
大魔帝ケトスが、シリアスに瞳を細めていた。
『他者に行動制限を強要するアダムスヴェイン、神話再現か――仕方ない、ここは私が引こうじゃないか』
戦闘にならずにこの場は済んだが……。
この後どうするか、悩むこちらに気配が近寄ってくる。
使者マーガレットがにっこりと微笑んでいた。
「はーい、そこまでっすよ! 料理も冷めちゃいますし、それは料理への冒涜っすし? それじゃあ! 接待の準備も整ったので。会場にご案内するっすね!」
さすがの彼女も私や大魔帝ケトス、そして女神アシュトレトの魔力に巻き込まれたらひとたまりもないのだろう。
だからこそ、私達は力を弱める。
こちらの理性を彼女は利用しているのだ。
大魔帝ケトスと女神アシュトレトとの間には、まだ魔力がバチバチしているが。
使者マーガレットは気にせず愛嬌ある笑顔を継続。
感心した私が言う。
「あなたもなかなか肝が据わっているようですね」
「あはははははは! まあ、あの方の臨時従者みたいなことをしていると、こういうことはしょっちゅうなんで、はい!」
この状態で陽気に笑う彼女は本物だろう。
その理由は一目瞭然。
魔猫化していた私の部下は、理性を取り戻しているが……。
誰も何も、一度も言葉を発することができていなかったのだから。
まあ神々の前で気絶しなかっただけでも、褒められるべきなのだろうが。
相手の魔猫達との差は歴然。
こちらの練度不足は否めそうにない。