第171話 魔猫アリス迷宮その3
時間石化状態のままダンジョン攻略は進んでいた。
本来なら壊されても即座に復活する筈だった罠も、時間が石化しているので機能せず――私たちはその横を素通り。
慌てて大魔帝ケトスの魔猫達が罠を再設置しようと、ウニャニャニャ!
毛玉の集まりとなって工事ヘルメットを装備。
緊急工事で罠を操作しようとしているが――。
輝く肉球の汗やモフ毛が、緊急作業でわっせわっせ♪
と動くさまはとても愛らしいメルヘン空間。
これが”殺戮バズゾー”と呼ばれる迷宮罠を再設置していなければ、微笑ましい光景なのだが。
私は空に浮かべた邪杖ビィルゼブブに魔力を流し、骸骨の空洞を赤く光らせ鑑定の魔術を発動。
罠の状態を把握していく。
……。
思わず、私は眉間を指で押さえ呆れの息を漏らしていた。
「――どうやら大魔帝ケトスと呼ばれる三獣神は伝承通り、手加減を苦手とする獣神のようですね」
鑑定結果がエグかったのだ。
ちなみに、その回転刃を受けると問答無用に即死である。
詳細表示によると、コーデリアと呼ばれる聖女が制作した特注品らしいが……かなり腕のいいダンジョンメイカーなのだろう。
さしもの美猫アシュトレトもその凶悪な罠を眺め……引き気味に。
『のう、一見すると微笑ましい光景であるが……』
「ええ、これは魔猫の戯れではなく神話戦争に近い危険地帯。彼らは戯れるダンジョン猫ではなく、最凶ダンジョンの極悪罠を設置する超高レベルの魔猫の使い魔。普通の冒険者なら一分ももたずに全滅しているでしょうね」
『妾も手加減を苦手としておるが……、うーにゅ……こうも客観的に見せられると少々考えてしまうものがあるな。ふむ、肝に銘じるとしよう』
アシュトレトの教育になっているのは思わぬ嬉しい誤算ではある。
まあいつまで覚えているかは正直、女神の性格を考えると怪しいが。
ともあれ。
魔猫達が張り切る横。
罠を再設置されても面倒だと、私は皆に結界を張りつつ――魔力充填。
時間石化空間の中で魔王の儀礼服を纏い。
キィィィィィンと魔力による摩擦音を発生させた私は、杖を翳し。
詠唱を開始。
足元で十重の魔法陣を回転させる。
起こる魔力風も気にせず、魔猫達は罠の緊急回復を続行。
どのグループが最初に罠を作り上げるかで競っているのだろう。
その指示はもちろん、大魔帝ケトス。
どこか遠くから、メガホンのような何かで声を増幅させ。
クワワワワワ!
支援効果のある【魔猫神の応援】が発動されていた。
『さあ! どこが一番に再設置できるか! 一番のグループにはこの大魔猫勲章をプレゼントしちゃうからね! どんどん罠をリサイクルしよう!』
魔猫達のモフ毛が倍増。
大魔帝の支援を受けた彼らの作業速度は数倍にも跳ねあがっている。
わっせわっせ♪
と、肉球を覗かせ極悪罠を運ぶ姿は愛らしいが、ここまでだ。
魔力を溜めた私は、世界蛇の宝杖を翳し。
使者マーガレットに目線を送る。
これくらいはしてもいいかという確認に、彼女は従者としてのシリアスな面差しで頷き。
それを合図に、私は朗々と告げる。
「さすがに魔猫を傷つけるのは問題ですからね、ならば――彼らには自主的に退場して貰いましょう」
これでも私は多くの存在を導いてきた、幸福の魔王。
ニャースケを通じて魔猫の扱いにも慣れていて――罠を緊急回復させようとしている魔猫達の前に、発生させたのはこちらも罠。
しかも魔猫に特化した、強力な罠である。
それは錬金術で生みだしたダンボール。
ただ箱を彼らの目の前に設置する。
それだけで完了だ。
そのダンボールの中には、ケモノの気配。
それは大魔帝ケトスの操るケモノではなく、私の支配下にある空中庭園の魔猫。
私を主と認定する空中庭園魔猫は、大魔帝ケトスの魔猫よりも先にダンボールに入って、挑発的に――。
ニヤリ。
大魔帝ケトスの魔猫達が、一斉に振り向き始めた。
猫というものは他の猫が入っているダンボールに強く惹かれる存在。
誘惑に耐え切れなかったのだろう。
うずうずうずと、堪え切れない魔力の流れが発生した――次の瞬間。
一匹が耐え切れずにジャンプしたと同時に、ほぼ全ての猫が罠を放置しジャンプ!
我が先に入るのニャ!
そのダンボールを寄こすのにゃ!
と、ダンボールに飛びかかってきたところに、私の魔術が発動されていた。
「空間転移魔術:【気が付けば箱庭の中】」
術構成は転移。
対処を指定した空間転移で、相手を空中庭園に転送していたのだ。
次々にダンボールに吸い込まれていく魔猫を見て、メガホンの声が響く。
『ぶぶにゃ!? ちょ! どーなっているんだい! わ、私の結界で空間転移は防いでる筈なんですけど!?』
「抜かりましたね、大魔帝ケトス。それはそちらの世界での魔術法則、この混沌世界の中の法則に対応できていない証拠。この世界は女神の意志により様々な世界を繋ぎ合わせた秩序無き坩堝、いくらあなたでも計算違いが生じているようですね」
『ま、魔術キャンセルは、あぁぁぁぁぁ! キャンセルしちゃうとせっかく作った空間も一緒に消しちゃうし、き、君たち! ストップ! ストップ! 私の命令が聞けないのかい!?』
主人の言葉であってもダンボールの誘惑には勝てない。
それが猫の常識。
ちなみに転移先は魔猫にとっても理想郷。
空中庭園――あの地は長年魔猫が住んでいる影響で、猫にとっては住みやすい環境が整っている。
接待係は私の信頼する身内。
転移に巻き込まれていないプアンテ姫に、緊急連絡を入れていたのだ。
今頃は彼女が魔猫の接待をしながら、伝書鳩状態。
各地と連絡を取っている環境にある。
いつも厄介ごとをプアンテ姫に押し付けてしまい恐縮だが、まあ彼女はそれを信頼の証と受け取ってくれているのが救いか。
結局、こちらの魔猫化した全員を魔術で運び、相手の魔猫は全てダンボールの罠で転送。
両者ともに無傷のまま、そのまま迷宮を突破できていた。
無事に会場へと辿り着いたのだが。
何故か、そこにいたのはブスーっとした顔の大きな黒猫。
腕を組んだ大魔帝ケトスが待ち構えていて。
長い尻尾の先を、不機嫌そうにタンタンタン!
強大な魔猫だけに、それだけですさまじい猫しっぽ衝撃波が飛んできているのだが、私は結界で全て相殺。
大魔帝ケトスはニュっと丸い猫の眉間に、濃い皴を刻み。
くわ!
頭上に大きなバツマークの看板を並べ、ブブー!
『反則! 反則だにゃ! や・り・な・お・し! やり直し!』
どうやらアシュトレトが懸念したように、あの手の強行突破は満足していただけなかった模様。
それでも私は時間石化状態を解除し。
溜息に声を乗せていた。
「周囲にいた魔猫達の被害はゼロ。こちらが行ったのは迷宮内の罠だけをターゲットにした罠破壊魔術ともいえるでしょうし、あなたの魔猫達は全員接待中。大変満足されていると、あちらから連絡を受けております」
実際。
転移させた魔猫達はあちらで接待を受け、ドヤ顔。
モフ毛を緩く膨らませて、観光気分で休んでいるようだ。
大魔帝ケトス配下の超強力な魔猫と言えど、猫は猫。
猫の弱点は通用してしまうのである。
『魔猫誘拐は犯罪だろう?』
「誘拐ではなく接待ですので、こちらに非はない筈。というか、あなたが仕掛けた罠はやりすぎです。私だけならともかく、こちらにはまだ、神々の戦いについていける領域に達していない家臣がいることを、どうか考えて貰いたいものですね」
『うっわぁ、昔の魔王様みたいなきつい説教じゃん……私、魔猫なんですけど?』
魔猫だから許される。
大魔帝ケトスはそう信じ切っているようだが。
「調子に乗りやすい魔猫だからこそ、悪いことは悪いとはっきりと告げることが必要では?」
『……はぁ……、レイド陛下。あなたはどうやら本当に魔王陛下の欠片のようですね。実力も発言も、かつての力を彷彿とさせていて――魔王軍がまだ、人間と戦っていた時代を思い出しましたよ』
先ほどの戯れも、やはり私を試していたのだろう。
彼の声はシリアスな、神父のような落ち着いたモノに変化していた。
「それでも、私とは違いあなたがたは勇者に勝った世界なのでしょう?」
『ええ、私は勝利と引き換えに永い眠りに入られた魔王陛下に代わり、魔王軍を率い――眠る前のあなたに大魔帝の位を頂き、様々な冒険を通じ成長した魔帝ケトス。あなたの愛猫だった魔猫の、もう一つの世界の姿でありますよ』
「私の魔帝ケトスはどうなったのか、ご存じなのですか」
私が勇者に殺された後、世界はどうなったのか。
おそらくは魔王たる私が勇者に殺されたのだから、魔王軍はかなり苦しい立場になっていただろうと考えられる。
もはや私ではない私の記憶だが――それでも、あの後どうなったのかはやはり気になる。
大魔帝ケトスはわずかに困った顔をして。
『えーと、本当に知りたいですか?』
「それは、まあ……。なんですか。まさか悲惨な運命を辿ったと……?」
『そーいうわけじゃないんですが、なんていうか、その。にゃはははは! 勇者に魔王陛下を殺された世界の私は――その後、色々ありましてぇ! 世界そのものを破壊しちゃった……みたいな? 大魔王ケトスとなって、何度も世界を涙の洪水で滅ぼした的な……まあ、そんな感じでして!』
もう一人の私も困ったもんですねえ、と大魔帝は他人事のようにネコ笑い。
ふと、私の脳裏に過ったのは世界の逸話。
この世界は何度か転生しているのではないか、そんな説だ。
転生するには滅びる必要があるわけで……誰が三千世界を滅ぼしたかとなると。
「世界を何度も破壊した存在、それが大魔王ケトス。私が可愛がっていた、あの子という事ですか」
『ええ、まあ彼も既に暴走状態から回復し平和に過ごしていますがね』
「あの子は無事なのですか?」
『憎悪の魔性としての力は前よりも抑えられていますから、かなり安定はしていますよ。ですが――』
と、言葉を区切り。
大魔帝ケトスは何もない空間から禍々しい瞳……魔王の眼球を彷彿とさせる”猫目石の魔杖”を取り出し。
ザザザ、ザァァァァァァァ!
周囲を闇に染め、紅蓮のマントと輝く王冠――そして黄金に輝く玉座に座り――大魔帝セットと呼ばれる装備を装着。
得体の知れない黒い靄を玉座の足元から召喚し、風の魔術で魔王空間を演出。
底知れぬ魔力をその獣毛に溜め込みながらも、部下の魔猫にこっそりライトアップをさせながらも。
シリアスに告げる。
『懸念があります――もしも魔術そのものを消したがっている存在、すなわち魔王陛下の肉体の転生体たるあなたと再会すれば……どうなるか。分かりませんが、彼は結構繊細でしてね。再びその精神バランスが崩れてしまうかもしれない。ですから、正直申し上げますと――私はあなたを消すべきではないか、そう考えてもいるのです』
猫目石の魔杖の先端が、びしりと私を向いていた。
その瞳からは誰かの視線を感じる。
何者かが、あの杖の先端を通じ、こちらを眺めているのだろう。
おそらくは――私ではない、勇者に殺されなかった魔王そのもの。
大魔帝ケトスの主人たる、私と同質の魔王だろう。
杖の先を眺め――私は言う。
「なるほど、大魔帝ケトス。あなたの主人は私を危険視しているという事ですか」
『はい、そして私は魔王陛下の忠実なる魔猫。あの方のご命令とあらば、たとえあなたと言えど私は容赦なく屠るでしょう。ですから、どうか――私にそのような選択をさせないでいただきたい。私も、前とは違いこの三千世界に守るべきものが多く増えました。前とは違い……私は命の大切さを、知っているつもりなのですから』
それは、陽気でふざけた魔猫がみせる本音の警告。
私の部下だった魔帝ケトスとは違い、広い視野を持つことができた――。
世界最強の存在なのだろう。
空気は切り替わっていた。
それは戯れではない夥しい魔性の魔力。
先程のダンジョン遊びはあくまでも児戯、だが今の魔力は本気の一端を感じさせている。