第170話 魔猫アリス迷宮その2
北欧神話に謳われる伝説の世界蛇。
ミドガルズオルム。
最終戦争と呼ばれる神々の黄昏にて、雷神と相討ちになる哀れな巨大蛇。
その伝承を無理やりに大迷宮を抜け出すアイテム、アリアドネの糸玉と繋げ再現。
全ての階層、全てのフロアに『∞』を意識させる程の蛇が物理的に圧迫――本来なら全ての座標に小さく細い巻き糸が通り過ぎ、糸によりナビゲートさせる魔術構成なのだが。
糸をミドガルズオルムに書き換えたことで、この大騒動。
迷宮内部の全てを、無限に広がる蛇の胴体が圧迫している様を想像して貰えばいいだろう。
召喚されたミドガルズオルムはその身を、ねらねら、存分にくねらせ迷宮内を駆け巡り続けているのだ。
美猫と化しているアシュトレトが、鼻頭に汗を浮かべ。
沈黙状態にもかかわらず、会話を発動。
『(の、のう……レイドよ? これはさすがにやりすぎなのではなかろうか……)』
「こちらは民や部下、派遣されている冒険者を守る必要もありますからね。こちらもある程度は本気を出さないと大魔帝ケトスに舐められて、終わり。全員をこのまま魔猫化されたら非常に面倒なことになりますし」
『(しかし、せっかく作った迷宮をこうやって攻略というのも風情がないのではあるまいか?)』
たしかに。
迷宮を創る者の楽しみといえば、侵入者がクリエイターの作った罠にはまり驚くことにある。
そういった仕掛けは山ほどあったのだろうが。
「相手は加減を知らない魔猫ですからね、死者を出しても蘇生すればいいと考えていそうですし――多少は可哀そうとは思いますが、強めにいかないとどこまでも調子に乗らせてしまいます。これは大魔帝ケトスのためでもあると私は考えますが……アシュトレト、あなたはやはり彼と同類というか似た気質の持ち主。せっかく作った仕掛けを破壊されるからと、相手に同情しすぎなのでは?」
言われて美猫アシュトレトは上を向き。
『(……そうであるな、まああやつとは近しい神性を感じるのは事実。妾も同類と会えて、多少心を許しすぎているのやもしれぬ)』
「あなたにそこまで心を開かせるとは、さすがは異界の大物といったところでしょうか。……と、なんですか、そのドヤ顔は」
『(ふふふふふ、レイドよ、そなた――嫉妬をしておるのではあるまいか?)』
嫉妬とはかわいらしいのう、とドヤ顔美猫がほほほほほほ!
肩に乗っているアシュトレト猫が笑うと、彼女のネコ髯が頬に刺さってくすぐったいのだが。
「沈黙状態という設定を忘れて、高笑いをしないでください」
『(おっと、すまぬすまぬ。沈黙状態といっても効果が切れた途端に再度、沈黙を掛けるという魔術構成になっておるのであろうな。タイミングによってはレジストできるだけじゃ。別に、そなたに任せるために敢えて沈黙になっているわけではない――理解して貰えるな?)』
まあ、そういうことにしておくが。
「しかし、実際どうですか? 三女神で本気となれば――」
相手を抑えられるかどうか、それを問うているのだが。
アシュトレトは美猫のまま瞳を細め――。
『(さてな……これがあやつの本気というわけではあるまいし、それになにより相手は三獣神とよばれるケモノ。仮に妾とそなたで大魔帝ケトスを追い詰めたとして、他の二柱が飛んでくることは目に見えておる。大魔帝ケトスと並んで数えられる獣神じゃ、他のケモノも相当な使い手じゃろう)』
「本気の死闘となった場合、相手は大魔帝ケトスだけではない、と」
『まあ戦いとなった場合の話ではあるがな。おそらくその三獣神のうちの一柱は、楽園の関係者。あの地の神聖な森に独り棲んでおった”審判の神狼”。まだ三分の一に引き裂かれる前のそなたと交友があった、”公正を吠えるケモノ”。油断できる相手ではあるまい』
私の記憶の中にも残っている森の神狼。
公正さや公平さを重んじた狼は楽園の愚者たちを捨て、神々ではなく神々を滅ぼすことにした私側についたのだが……。
そのまま魔王軍に在籍……三獣神と呼ばれるほどの”絶対に敵に回してはいけない獣神の一柱”として語られるようになっているのだろう。
逸話魔導書を読み解く限り、大魔帝ケトスと並ぶそのケモノの名は――。
”白銀の魔狼ホワイトハウル”。
嫉妬の魔性とされる、嫉妬の心を暴走させ膨大な魔力を発生させている、神のケモノ。
楽園崩壊の時も彼の神狼は動いていた。
その能力で最も厄介なのは看破の能力。
彼の前では全ての嘘は見抜かれる。
そして一つでも嘘を見抜かれた瞬間――獲物は非常に不利な戦いを強制される。
もはや彼の術中に嵌っているのだ。
審判の神狼は公平さを重んじる神聖なケモノ。
嘘をついたモノに対する全種族特効ともいえる、絶対的な強制能力を有しているのだ。
嘘をついた存在に対する攻撃は絶大。
もっとも、だからといって最強というわけではない。
その効果は相手の罪悪感に影響を受けるのだ。
嘘をついていても相手が別に気にしていない、あるいは、嘘を嘘だと本気で思っていないのなら効果は激減。
別に猫ちゃんなんだから嘘をついても良くない?
と、思っている大魔帝ケトスに対しては、嘘をついたモノに対する絶対的な強制能力が軽減されると推定できる。
彼とも、かつて引き裂かれる前は友であり部下だった。
記憶が、少しずつパズルのように埋められていく中。
アシュトレトが言う。
『(どうやら、昔を懐かしむ余裕はあるようじゃな)』
「……まあ、あなたに語ったかどうかは覚えておりませんが、自分が主役の映画が脳内で再生されている。そんな不思議な感覚ではありますよ。森の神狼、彼は私が勇者に殺された後どうしていたのか……少し、気になってしまいますね」
『(なれど、この大魔帝ケトスはそなたが勇者に殺されなかった別世界の魔猫。ならばこやつの知り合いの森の神狼は、そなたが知っている森のケモノとは別の神狼。分岐された世界の存在ならば、おそらくは……元は同じでも既に別存在ということになるじゃろうて)』
まったく、どうして世界はそんなに複雑な状態になっているのか。
やはり全ては魔術のせい。
魔術さえなければ……。
胸の中に膨れ上がっていく、嫌な感覚を抑え。
私は迷宮を見渡した。
神話の逸話や伝承を魔術として発現させるアダムスヴェインにより、迷宮は大混乱。
おそらく、さまざまな罠を仕掛けていたのだろうが。
迷宮内、全ての場所に世界を巻き付くほどの神話の蛇がググググググゥゥゥ!
その身をくねらせ、大移動。
迷宮内に声が響く。
『ぶぶにゃァァァァァァ!? ニャニャニャニャ! せっかく作ったレベル永久永続ダウンの落とし穴が! ぶにゃぁぁぁぁぁぁ!? 全ての習得魔術、全てのスキル、全ての祝福を全部忘れさせる忘却の落石も壊れちゃってるじゃん!? ひ、酷い! な、なんという外道!』
外道が外道なる罠を壊され、こちらを外道と罵っているが。
あのアシュトレトが呆れた様子で、うにゃん。
『(なんという面倒な罠をしかけておったのじゃ……)』
「おそらく、彼にとってはこれでもかなり手加減した罠なのでしょうが――こんな邪悪な魔猫を育てた、勇者に殺されなかった世界の私はいったい、何を考えていたのでしょうね……」
ちなみに案内役の使者マーガレットは、というと。
さすがにやりすぎの罠だと判定しているのか。
本当にすんません……と頭を下げ続けている。
迷宮内の罠を全て破壊した私は再び腕を翳し。
錬金術と鍛冶のスキルを併用発動。
「我が手に戻り、形となりなさい――世界蛇ミドガルズオルムよ」
言葉に従い帰還したミドガルズオルムのサイズは縮小され、圧縮。
私の手の中に納まり、それは一対のとぐろを巻く”蛇の宝杖”へと変換されていた。
知っている装備だったのか――。
様子を眺めていたマーガレットが思わず目を見開き。
薄らと唇を開き、乾いた声を上げていた。
「それはまさか……っ――魔王陛下がロックウェル卿に下賜されたという【神器:世界蛇の宝杖】、ミドガルズステッキっすか」
どうやら、勇者に殺されなかった私は自らで作り上げた装備を三獣神に下賜していたようである。
ミドガルズオルムから作り出したこの装備は、回復の力と状態異常制御の力を倍増させる、ブースト効果のある宝杖なのだが。
「つまり、異界の私はこんな危険なものを獣神に授けていたと?」
「え、えーと……あ、あたしは知らないんっすけど……たぶん、そーいうことかと」
「一度、異界の私と会って色々と説教をしたい気分ではありますが。まあ、いいでしょう。とりあえずは迷宮を抜けましょう」
言って私は世界蛇の宝杖を振り。
短文詠唱。
時の流れを状態異常とわざと誤認することで、状態異常に干渉。
この歪んだ世界に影響を与える魔術式を構築。
「時間石化魔術:【アトラスの砂時計】」
時間を停止させる、時魔術を展開。
魔術により発生した”霧の巨人が抱える砂時計”を停止させると、周囲の時も止まり始める。
相手からのこれ以上の干渉を封じるため、時の流れそのものを停止させていたのだ。