第169話 魔猫アリス迷宮その1
あの場にいた全員が転移させられたのはメルヘンな世界。
フィールド属性は森の食堂。
不思議の国のアリスを彷彿とさせる、かわいらしさと不気味さを兼ね備えた領域だった。
周囲には森とパイの香り。
大魔帝ケトスの力が強いせいか、強制的に転移された者たちは車酔いに近い感覚……いわゆる転移酔いに遭い、しばらく動けそうにない様子。
しかし問題は――その見た目。
「種族変更の罠や魔術:【妖精の悪戯】……の一種ですかね」
全員が沈黙状態になっているのは想定内。
しかし、アシュトレトも含めて私以外の全員の姿が魔猫の姿に変わっているのだ。
アシュトレトならば後で元の姿に戻れるだろうが――。
美猫と化したアシュトレトは自らの姿を、じっと眺め、ふふん!
優雅な毛並みで私を見上げ。
ジャンプし私の肩に乗り――耳元で甘い猫の吐息を漏らす。
『(相手を猫にする空間であろうな。しかし……妾の姿まで魔猫に上書きするとは、少々まずいぞ。妾はともかく、通常の人間やエルフならばおそらく永続効果。早く治さねば、一生猫のままということもありえよう)』
「沈黙状態でも会話ができるのはさすがですね」
『(妾ほどの女神ともなればこれくらいは造作もなきこと。さりとて、これはどうしたものか)』
私の肩の上から大量のエルフ猫を眺め。
アシュトレトはぼそり。
『(まあ、エルフでも人間でもネコでもそう変わらぬから問題ないか)』
「問題だらけですよ、アシュトレト。厄介なのはおそらくこれは悪意のない種族変化。大魔帝ケトスは猫であることに誇りを持っている、つまりは悪意どころか善意で魔猫化させている可能性が高い」
有難迷惑というやつだが。
モフモフ優雅なアシュトレトはふふんと余裕の猫微笑。
魔猫化していても太陽のような後光を纏い。
『(獣神という存在は、ある意味で我ら女神と同じく自由気ままで独善的な部分が多い。あやつは安全と言っておったが、やはり警戒する必要はありそうじゃな)』
「あくまでも彼基準の安全であって、人類にとってはそうとは限らない。困った話ですね」
これはアシュトレトへのあてつけでもあるのだが。
彼女は気付かず、魔猫となった自分を鏡で眺め、うっとり♪
『(しかし――実に美しい。妾とはなんと罪な女神じゃ、魔猫となっても愛らしい……ふふ、世界とは平等ではない非情な領域よのぅ)』
「……あなた、わざと大魔帝の魔猫化にかかりましたね?」
『(相手が戯れに誘ったのじゃ、こちらが招かれたゲストならば、相手の催しに乗ってやらねば無作法であろうて――)』
ようするに、状況を楽しんでいるようである。
まあ……。
彼女が余裕綽々なのは救いだが。
ほかの者たちは魔猫化した状態で困惑気味。
オレンジトサカの赤猫はクリムゾン殿下で、その横のムスっとした仏頂面の魔猫がパリス=シュヴァインヘルトか。
緑色の優雅な猫になっている豪商貴婦人ヴィルヘルムも含めて、まだ事態を把握していない様子。
まだ大丈夫だろうが、そのうち精神が肉体に引っ張られ完全な魔猫になってしまう恐れもある。
「さて、彼らの精神がどうにかなってしまう前に、ここを抜け出しましょう。神話再現アダムスヴェインを発動いたします。私に乗っているのなら、しっかり掴まっていてください」
『(うむ、存分にやるがいい)』
遠近感も実際のモノの大きさもバグっている空間に、皆が慌てるより前。
既に私は足元で極大魔法陣を作成。
魔術式を組み上げ、サッと手を伸ばしていた。
樹々が揺れる音。
食器が触れ合う音の中。
アリス空間に詠唱の声音が、朗々と響く。
「迷宮の雄牛を殺す者よ、汝の逸話を我、レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバーが改竄せん――紡げ世界よ、世界を巻き込むミドガルズオルムよ。蛇たるその逸話は姿を変えん。汝は糸、糸は汝。我が意のままに、我が理想のままに」
改竄された逸話にてアダムスヴェインを詠唱。
再現する神話は迷宮の代名詞たるラビュリントス。
その出口までの道を照らしたとされる、糸玉の伝承。
ようするに出口を案内させる魔術を作り出したのだが、私はそこにアレンジを加え神話改竄。
神話体系の異なる、世界そのものに巻き付くことができる蛇神の逸話を捏造し。
糸の代わりに蛇を操作。
神性を持つ大蛇神に、迷宮を全て掌握させる算段なのだ。
伸ばした腕の先端。
私の指先からは組み上げられた魔術が展開し、周囲に糸を張り巡らせ始める。
「領域把握魔術:【混沌たるアリアドネの大蛇神糸】」
巻き糸は絡み合い一匹の大きな蛇神となり、アリスのようなメルヘン空間に広がっていく。
カァァァァァァ!
これは蛇を用いたダンジョン索敵と領域の上書き、蛇が通った道を全て――私の支配領域へと書き換えることに成功していたのだ。
どこか遠くで。
『ぶにゃ!?』
っと、領域を支配されたことに驚く魔猫の声が響いていた。
さすがに大魔帝にとっても予想外だったようだ。
やはりアダムスヴェインを用いれば、相手の魔術とも対等に干渉はできる。
そんな私と大魔帝の魔術のやりとりを正確に眺めていたのだろう。
案内役の使者マーガレットは感嘆とした様子で、私の魔術に目を丸くし。
歯を覗かせた砕けた口調で、ニヒヒヒヒ!
「へえ! 異界の魔王陛下もやっぱりアダムスヴェインが使えるんっすね! いやあ、猫になっちゃってる方の魔王陛下の割れた欠片って聞いてたんすけど、マジってことっすか!」
これもまた一つの情報。
やはり私の欠片の一部は、自由な猫に憧れ、猫に転生しているようだ。
まあ、その気持ちも分からないでもないが。
ともあれ、私は淡々と言う。
「マーガレットさん、でしたか」
「ええ、そうっすよ?」
「あなたの普段の口調はやはり、わりと軽い……いえ、失礼。溌剌としているのですね。っと、別に敬語を使えと言う意味ではありませんよ」
使者マーガレットはそのまま砕けた口調を継続し。
胸元に指を添え。
けれど畏敬の念を存分ににじませた瞳を、私に向けていた。
「あたしはお客様を接待するように言われてるっすからねえ。異界の魔王レイド陛下の場合、堅苦しい口調よりも素の方が好感を持っていただける。そう判断しただけっすよ」
「それが相手に合わせたメイドの接待というものですか」
「これでも色々と場数は踏んでるつもりなんで、っと、それよりも――他の方々のそれはどうします? ぶっちゃけ、結構やばい状態なんすけど」
魔猫化状態の話だろう。
「やはりこれは大魔帝にとっては善意という事でしょうか?」
「あ、はい……お察しの通りっす。魔猫は宇宙で二番目に偉い種族なんで、魔猫になれることは光栄。イコール最大級の接待と、勝手に考えていらっしゃるのかと……」
ほんとうに、すんません……と。
マーガレットは困ったような笑みを浮かべるのみ。
確かめておかないといけないのは……。
「やはりしばらく時間が経つと」
「ええ、一生魔猫のまま。元に戻せない……というか、本人たちが魔猫に馴染んで元に戻っても魔猫に戻せって騒ぐ、一種の中毒状態になるかと」
そこで必要となるのが回復アイテムか状態回復魔術なのだろうが。
なるほど。
「それで会場に大魔帝風ホットサンドと呼ばれる、全回復アイテムを用意していると。そういうことですか」
「あはははははは! はは、はは……いや、本当にすみません……」
どうやらこのメイド騎士もかなり大魔帝に振り回されているようである。
ようするにこれは制限時間付きのダンジョン攻略。
この魔猫アリス迷宮を進み、会場に辿り着く必要があるのだろう。
「仕方ありませんね、強行突破をします」
私は支配した領域に干渉し、キィィィィン!
足元から十重に輝く魔法陣を展開。
道を切り開くことにした。
ミドガルズオルムと呼ばれる神の蛇が、空間を縦横無尽に駆け巡った、次の瞬間。
え!? ちょ!
こっちの魔王陛下は想像以上に過激ニャ!?
と、かわいい猫であってもちゃんと叱りつけるタイプの私の魔術に、大魔帝の慌て声が響き渡る。