第16話 答え合わせ
あの時、私への異変に気付いていたのは二人だった。
殿下、マルダー=フォン=カルバニア第一王子。
彼は既に私に依存しているので、どう転んでも問題ない。
仮に私個人への嫌悪や拒否反応が生まれたとしてもだ。
既に時は遅かった。
獅子身中の虫だとしても、それが心臓のようにあって当然のものとして機能しているのだから、取り除きようがない。
だが、熟練冒険者で斧戦士のガノッサは違う。
実際、彼だけはまだ部屋に残っている。
ノーデンス卿と彼に連なる者達の刑の執行についても延期。アナスターシャ王妃へ真実を問いただす前の証拠集めをする必要があると、予定通り、マルダー殿下がノーデンス卿と取引するために動いているのだが……。
普段は酒のだらしない姿しか見せていなかった熟練冒険者の男は――。
私を明らかに警戒していた。
「なんでオレがわざわざ残ったか、説明する必要はねえな?」
「まあ、そうですね。ギルドでの僕と、殿下での前での私、そして学び舎での私を使いこなすのはなかなかに大変で。実際にやってみると、これが難しい。人の名前を覚えるのがあまり好きではなかったせいでしょうね、正直、頭が混乱しています。人間、不慣れなことが重なると限界が来るという事でしょうか」
「おまえ、何者だ」
その問いに対して、私は正しい答えを持ち合わせていない。
だが、一応の解答は持っている。
「ご説明させていただいた通り、アントロワイズ家の人間ということに偽りはありませんよ。経歴にも偽りはありません。ただ、私もあなたと同じく真実を知りたくて動いていた。ギルド酒場の無邪気な少年、といったイメージで私を固定させてしまっていたのなら、たしかにそれは裏切りともいえるでしょうが――私にも私の事情があったとご理解いただきたい」
「……。当時、魔導書を使いこなす息子ができたのだと、デレデレとしていた凡愚の騎士貴族がいると噂になったことがあった。それがお前の父ヨーゼフであり、噂の息子というのがおまえか」
「義父はそんな息子自慢をしていたのですか……」
今でも目に浮かぶようだった。
姉ポーラが言葉を私に教えてくれていた裏で、義父ヨーゼフもポーラには内緒だと、私に絵本を読んで聞かせてくれたことが何度もあったのだ。
「私は……あの日々を幸せだと感じていました。本当に……。今まで感じたことのない、温もりでした。だからこそ、その幸せを奪ったモノたちを憎んだ。だからこそ、全てを犠牲にしてでもその汚名を雪ぎたかった。たとえ何を利用しても――それは否定されるべきことでしょうか」
演技ではなく、本当の感傷が私の胸を伝っていた。
だからだろう。
少しだけ敵意にも似た警戒が薄れていた。
「聞かせろ――わざと民衆と貴族との間に亀裂を走らせたのは」
「ええ、私ですよ」
「なぜ」
「決まっているでしょう、アナスターシャ王妃――彼女を討つにはこれぐらいしないと不可能。これは結果的にこの国のためにもなります。既に私は殿下が王となった場合に応じた、この国の改善策を提示してあります。殿下やそれを支えるあなたがたは、私のプランに沿って行動していただくだけで、いい。少なくとも、二百年程度の国家繁栄をお約束させていただきますよ」
理論は正しい。
だが。
「ふざけるな――っ、それで一体、何人の人間が死ぬと思っていやがる!」
「ですから私は事前に、魔物の大量発生を予想し、殿下に案を差し上げました。隊の死者は皆無でしたでしょう? 本来ならもっと多くの死者が出ていた筈。今回の貴族と大衆の争いで死ぬ人間の数を遥かに上回るだけの命を、事前に救いました。単純な計算です。むしろ私は命を救った側の筈ですが」
男はぞっとした様子で、本気の唸りを上げていた。
「ふざけるんじゃねえぞ――、人の命を何だと思っていやがる!」
ふざけるなと。
あの日黄昏の女神に叫んだ自分の言葉が、帰ってきたような思いがした。
彼の眼からすると、今の私は、あの時の女神を見て嫌悪感を抱いたと時と同じ対応をしているのだろうか?
当時の私にはよく、理解ができなかった。
分からなかったのだ。
なぜ男が睨んでいるのか。なぜ、そんな単純な引き算も出来ないのか。
その理由を考えた。
どれだけ権謀術数を巡らせても、所詮は十二歳の子どもの脳。
足りない部分が多くあったという事だろう。
……。
いや。違うかと私は考え直した。
何故女神が私を駒に選んだのか。
その時初めて合点がいった。
ようするに、私はあのバケモノ達の同類だったのだろう。
私は最も嫌悪していた三女神と似た性質の、似た価値観を持った人間だったのだろう。
私の脳裏に思考が巡る。
上手くいっていると思っていた時。
殲滅する直前が最も危険。
勝利を確信した時こそが、一番危険な瞬間。
机上ではそれを理解し、殿下に渡した草案にも書き記した言葉であったのに。
私自身がそれを理解していなかった。
私は――油断していた。
殿下のお気に入りで、この国に絶対に必要で。
もはや排除できない存在である、故に、誰も手を出せないと。
だが。
私の胸からは、黒い血が滴り出ていた。
致命傷だ。
黒い色からすると、静脈をやられている。
斧が、刺さっているのだ。
やったのはもちろん、勇者の仲間の斧戦士ガノッサ。
斧であるにもかかわらず、斬るではなく刺すとはずいぶん器用だと、私は変な感想を抱いていた。
同時に、理解がおいついていないことも理解していた。
私はただ茫然と、彼を眺めていたのだと思う。
男は唇を震わせている。
殺したくて殺すのではない、仕方なく殺すのだと顔から想像ができた。
倒れかけるも、斧に突き刺され倒れることも出来ない私。
そのあどけなさの残る少年の口が問う。
「な……ぜ……」
その何故には複数の理由が含まれていた。
何故、負けたのか。
私は彼より強いと確信していた。実際、真正面から戦ったとしても、奇襲を受けたとしても勝利することができたはずだった。
けれど、私の天才のスキルが答えを直ぐに導き出す。
「私は……、あなたが私を殺すことはない……。どこかで……あなたを信用していた、だから、負けるのですね」
けれど、男は私を殺す気だった。
どうあっても、殺す気だった。
既にそこに誤算があった。
実戦を知る者と、机上だけで盤を動かす者。
そこにも決定的な差があったのだろう。
この時の私は未熟だったのだ。
策も心も力も。
全てが。
男が斧を引き抜きながら。
告げる。
「許してくれとは、言わねえよ。代わりに、お前がやろうとしていたことは、全部代わりにオレがやっておいてやる。アントロワイズ家の冤罪も晴らし、お前がやっていたことも全部隠して、英雄として死なせてやるよ。それで、アントロワイズ家の名誉は守られる」
斧がなくなったことで、私は床に落ちていた。
不思議なことに、血が消えていた。
傷が治っているわけでもない、証拠隠滅として血が消されているわけでもない。
不思議に思い。
私の口は泣きそうな顔をしている男に、聞いていた。
「教えてください、なぜ、私を殺したのですか。私とは、なんなのですか――あなたは何かを確信していた。だから、私を、殺したのでしょう?」
勇者の仲間の男が答えた。
「お前が異界の神が送り込んできた……最も邪悪な魂。混沌を運ぶ者。魔王となるモノだから」
魔王。
と。
男は言った。
単純な理由だった。
思わず、私は笑っていた。
全ての辻褄があったのだ。
あんなに邪悪な三女神が駒に選んだ人材だ。
そんな人間がまともな筈がない。まともな駒の筈がない。
思い返せば、人の心を欠いた、酷い謀略ばかりが記憶をよぎる。
そもそもだ。
女神は話を途中でやめてしまったが、勇者について、私はもっと調べておくべきだった。
この世界の書物には記載されていた。
勇者とは、魔王を滅ぼす者なのだと。
なぜこんな簡単な事が思いつかなかったのだろう。
勇者がいるのなら、魔王もいる。
当然の推理を私は除外していた。
つまり、あの三女神は――。
魔王になるモノの候補として、私をこの世界に転生させたのだ。
思い返せば、まったくその通りだった。
黄昏の女神が人の命を玩具と告げた理由も、はっきりと理解した。
私がしていたことは、この国を混沌に導く誘導そのものだった。
魔物の大量発生のメカニズムを、人の身でありながら発見できるはずなどなかった。
人の心を利用し、人を人とも思わず扇動し、思いのままに動かした。
相手より強いのに、慢心して負ける。
数多くの証拠が私をそれだと確信させる。
魔王。
ならば、仕方がない。
私はガノッサに向かい言った。
「どうか、自身を責めないでください。私はおそらく、あなたがいう通り。魔王となる筈の邪悪な魂だったのでしょう。だから、どうか、そんな顔をしないでください。あなたと過ごした酒場での日々も……嫌いではなかったですよ。だから、どうか――」
ああ、やはり私は魔王なのだと強く自覚をした。
私は死の間際に選択したのだ。
自分を殺した勇者の仲間の心を、もっとも傷つける言葉を選んだのだ。
きっと、彼は生涯。
私の最後の笑顔を忘れなかっただろう。
なにしろそれは――偽りなき、私の本音だったのだから。
魔王は滅んだ。
この国が滅びることはなかった。
◇
どれほどの間、眠っていたのだろう。
どれほどの間、揺蕩っていただろう。
私は深い眠りの中から浮上していた。
場所は――教会だった。
目覚めたそれは私の顔を覗き込み。
うっとりとした表情で告げた。
『あら? ふふふふ、旦那様、おはようございます』
朝焼けの中。白銀の髪の青年の横。
美しい女が寄り添っていたのだ。
『どうも初めまして、あたくしは明け方の女神。死んでしまったあなたを蘇らせることに随分と手間取ってしまって、申し訳ありませんわ』
女神は言った。
『さあ、まだ世界は続いております。滅ぼすべき玩具もいっぱい残っておりますの。もう一度、遊びを再開いたしましょう。安心して、あなたは死んでもこうして何度でも蘇ることができますの。何度でも何度でも、あたくしはあなたの目覚めを支援しますわ。ねえ、旦那様。昼の女神と黄昏の女神と違って、あたくしの力はとても便利でしょう? だから、どうかあたくしを一番にして下さいまし』
あたくしたちの魔王様、と。
明け方の女神は聖母のような笑顔を浮かべていた。
これが終わらない私という魔王の物語の始まり。
私は女神たちを嫌悪した。
女神たちはそれでも私を愛していた。
時は、二百年ほどが過ぎていた。
魔王とは滅ぼされても時が経てば復活する存在。
まったくその通りだと、私は己が幸福を呪った。
第一章 魔王―終―
シビアな負けイベ時代終了。
次章からほぼ冒頭で覚醒します。