第168話 混沌魔猫(ケイトスキャット)
魔猫の国からの使者は一人の女性。
明るい雰囲気だが、どこか推し量れぬ空気のマーガレット。
メイド騎士と呼ばれる”使用人”と”女騎士”の複合職業と思われる、獣神の加護を得た人間なのだが……。
三つ編みおさげの彼女の身体から漂っているのは、達人の気配だった。
細腕だが、濃厚な魔力で筋力を強化しているのだと判断できる。
緊張した空気が流れているが、彼女はどこ吹く風。
猫を彷彿とさせる愛嬌あるアーモンドアイを光らせ、マーガレットはニッコリ。
戦いに発展されても困ると、私は皆にも釘をさすように魔力のオーラを可視化させ。
魔王の威厳をもって告げる。
「パリス=シュヴァインヘルト。客人の前です――確かに侵入という形を取った相手に非があったのやもしれませんが、戦いとなり、そして命の奪い合いとなれば大魔帝が黙っていないでしょう。どうか、ここはエルフ王たる私に免じ矛を収めてください」
「失礼いたしました陛下――」
王を守るという、従者としてはごく自然な反応なので彼が悪いわけではない。
だが今回は相手が悪い。
相手は異世界の住人、こちらとの文化の違いも考えられる。
「マーガレット殿、部下が失礼をした」
「いいえ、こちらこそ――本当は気付かれずに潜伏し、相手の趣味や趣向を探り情報を入手。接待の際に快適に過ごしていただく環境を作りたかったのですが、少々、そちらの常識の範囲外の行動だったようで。無礼をどうかお許しください」
「――顔を上げていただきたい、マーガレット殿。互いに探り合いの状態であることは理解しておりますのでご安心を」
「ありがとう存じます、異界の魔王陛下」
これでとりあえずの緊張は解除された。
執事職特有の物腰とメイドの声音で、彼女は凛と告げる。
「それでは我らが主が待つ国へとご案内いたします。ご同行されるのは――」
まだクリムゾン殿下とシュヴァインヘルトは私達だけの出発に反対のようだが。
女神アシュトレトが有無を言わさぬ様子でスッと二本の指を上げ。
『妾と夫の二名じゃ』
「おや――お二人で宜しいのですか?」
『妾の判断に不服があると?』
相手は大魔帝の使者。
自負していた通りそれなりの腕なのだろうが――さすがに女神の言葉には緊張するのか、その背をビクりと跳ねさせていた。
まあアシュトレトも相手にこちらの世界が舐められてはいけないと、意識して女神の威光を発動させているようだ。
本来なら気絶してもおかしくない神の気配が漂っている。
それでもメイド騎士は息を静かに整え、努めて冷静に――。
「いえ、滅相もございません。ですが――我が主は、何名でも歓待すると意気込んでおられましたので。少々、残念であると感じられるかと」
『意気込んでとな?』
「ええ、はい……まあこれをご覧になっていただければ」
告げて使者マーガレットはまるでゲームのような魔術ウィンドウを表示。
歓迎会の開催場所らしい広間にて――魔猫達がトテトテトテ♪
その列の中央……エプロンを装備したでかい黒猫”大魔帝ケトス”がドヤ顔で行進。
多くのシェフ魔猫を連れて、くはははははは!
『相手は魔王様の三分の一の欠片、それはすなわち魔王様のご同類! ここで我の素晴らしき料理スキルを披露し、大魔帝ケトスの名を混沌世界にも浸透させるチャンス! 我が配下の魔猫料理人たちよ、今日は存分に腕を振るおうぞ!』
大魔帝がキリっと、丸い顔で決め顔でビシ!
モフモフな毛並みを靡かせ漫画のようなポーズをとると。
従者と思われる魔猫達も、ビシ!
同じポーズで決め顔をし、一斉に。
くはははははははははははははははは!
魔猫の大合唱である。
揺れるしっぽの群れは、まるで魔力で満たされた草原のようである。
彼らはただの魔猫に見えて、大魔帝の従者。
一匹一匹がかなり強力な魔物なのだろう。
どうやら、私と同じく従者を強化する能力も有しているようだが……。
なにはともあれ。
ウキウキでパーティ会場を準備する、最強の魔猫の様子が映し出されていた。
これはおそらくはライブ映像……現在進行形で、軍隊規模の会場を用意しているようだが。
……。
思わず、私の口は動いていた。
「なぜ、異世界の大物邪神、自らがパーティの準備を……? しかも、自らで料理を作っているように見えますが……」
「あぁ……なんというーか、あの方は変わった方なんで。あ! でも料理の腕は確かっすよ? あの方手作りの大魔帝風ホットサンドといえば、こっちの世界じゃ全回復アイテムとして有名なんで」
使者マーガレットは砕けた口調で、満面の笑み。
全回復アイテム。
言葉の響きと意味を考えると、文字通り全快状態になるアイテムのようだが。
アシュトレトが魔猫の群れに、ほほほほほっと微笑をし。
『まるでメルヘンの世界や夢の国。そう、あちらはまるで人々の意識の下に世界を築き上げているという夢世界ドリームランドのようじゃな』
「まあたしかに、ケトス様はドリームランドと呼ばれる世界を所有しておりますが――さすがにこの会場は、通常エリアとなっていますので……」
『ドリームランドを所有とな? ならば大魔帝ケトスはダゴンのように、夢世界の力も保有しておるという事か――ますます危険ではないか』
ダゴンは人々の歪んだ信仰により邪神としての側面を付与されているのだが、その一つが夢世界の力。
そして、大魔帝ケトスは女神アシュトレトと同じく黙示録の悪性を持っていることは確実。
つまりは既に三女神のうち、二柱と同等の特別な力を所持していることになるのだが。
モニターに映るのは、ドヤ顔でゴロゴロゴロ。
喉を鳴らし会場準備をする丸っこい猫である。
そのギャップはすさまじい。
「これは――バアルゼブブの悪魔王の能力とも、何らかの類似した力を持っていると考えた方がよさそうですね」
『妾たちが三女神で揃っている状態を、あやつは一匹で備えているという事じゃな。魂を三つ内包しておるという事は、魔力の源となる心も三つ。油断できぬ相手であろうぞ』
さて、と。
女神アシュトレトはシリアスな顔を作り出し、使者に言う。
『大変申し訳ないが、そなたたちを信用できておるわけではないのでな――外の世界といえば聞こえは良いが、楽園から去った妾達にとっては忌まわしき場所がある世界。そして大魔帝ケトスが楽園を知る者ならば、妾と敵対する未来を歩むケモノかもしれぬ。故に、二名で赴く。これは決定事項じゃ。何事も慎重に、それが我が夫の方針よ』
「畏まりました、ならば二名のご参加と主に報告させていただきます」
メイドの仕草で告げる使者マーガレットであるが。
その後ろのモニターの中。
黒い魔猫、大魔帝ケトスがなぜかモニター越しにこちらを眺め。
じぃぃぃぃぃぃぃぃいい。
猫の口から真摯で紳士な声が響き始める。
『せっかく国を丸ごと招待できるほどの準備をしているのだけれど、本当に二名だけなのかい?』
違和感がないことに違和感を感じたのは、私と女神アシュトレトのみ。
相手はこの状況で、当然のように会話を成立させているのだ。
私は言う。
「……モニター越しに話しかけてくるとは、いったいどのような魔術をお使いなのですか」
『座標さえ分かっていれば簡単な事さ。それよりも、二名だけっていうのは……ちょっと寂しいかなぁっと、大魔帝は思うわけなのですけれど、どうです? 異界の魔王陛下。全員で来たりしませんか?』
それはまるで、自分が可愛いと信じ切っている我儘飼い猫のソレ。
主人にはどれだけの迷惑をかけてもいいと思っている、邪悪な猫の顔である。
まあ実際、魅力の値もカンストを超えているようだが。
「申し訳ないですが、あなたを……というよりも、外の世界を信用できてはいないのです。部下の命までは危険に晒したくないのですよ」
『そうですか? そうですか……んー……えぇ、でもぉ。私、一生懸命準備してますしぃ……ノリノリで準備してたのに二人だけっていうのは、ぶっちゃけ物足りないですしぃ……』
しょげている姿を見せれば相手が折れる。
自分の意見を押し通せると知っている、邪悪な猫の顔である。
「あなた――いつもそうやって異界の魔王に甘えて、わがまま放題していたのではないですか? 確かに猫は可愛いですが、甘やかしすぎもどうかと思いますよ」
呆れる私に、大魔帝はニヒリと微笑。
モフモフの首回りを輝かせ、ふんぞり返り。
『はぁ、さすがに私の魔王陛下みたいに甘くはないみたいですね。仕方ない……じゃあマーガレットくん! ちょっとだけ横にそれていておくれ。今そちらに行くから――!』
あたしが来た意味、あったんすかねえ……と頬を掻くメイド騎士マーガレットが横にズレた。
その瞬間。
遠見の魔術の一種である魔術映像から、グググググググ!
大きな体を捻じ込み、ぶほっとやってきたのは大魔帝ケトス。
『くはははははは! せっかく準備したんだし、全員強制招待発動!』
遠見の魔術そのものを転移門に利用したのだろう。
もちろん遠見の魔術とは遠くを見るだけの魔術。
本来ならば見ている景色に介入――侵入する効果などない。
かなり上位の魔術なのだろうが――見た目は間抜け。
それはさながら障子を破り、顔を突き出す悪猫の顔で。
ニヒィ!
こちらの全員に沈黙状態を掛ける、猫の魔眼を発動。
私はレジストしているが、他の全員は沈黙状態。
私以外の全員に、アシュトレトも含まれているのが問題なのだが。
まあ、アシュトレトも自分と対等、あるいはそれ以上の存在との戦いには慣れていないのだろう。
妾に状態異常を!?
と、本気で驚いているので、良い薬になるかもしれない。
今のは彼女が警戒していれば、ちゃんとレジスト出来ていた筈なのだ。
私が冷静な事を一定以上に評価したのだろう。
大魔帝ケトスの顔は満足そうに、もふもふっと膨らんでいた。
『ああ、これは攻撃じゃなくて。あれだよ、あれ。そう! フラッシュ……フラ……一種のデモンストレーションとか、演出というか。サプライズ的なアレさ!』
「もしかして、フラッシュモブの事ですか?」
それはそれでかなり意味が違うのでは。
と、私はジト目を継続するが、何食わぬ顔で大魔帝ケトスは肉球を鳴らし。
転移魔法陣を展開。
『さて、そんなわけで――せっかく私が招待をしたんだ、ここにいる全員に来てもらおう。嫌だって言わないようだから――構わないよね?』
他の全員は沈黙状態なのだから答えようがない。
もちろん、確信犯だろう。
どうやら強制的なようだが、悪意は皆無。
これも猫の悪戯の一環と看過した私は苦笑に言葉を乗せていた。
「安全は確保していただけるのでしょうね」
『ええ、もちろんです異界の魔王陛下。我が君に誓って――必ず』
その言葉に偽りはない。
かなりふざけた猫だが、私に一定以上の尊敬の念もあるらしい。
最終許可を待って、私の顔をじっと眺めていた。
本気で断れば止めるのだろう。
魔猫の言葉を信じた私は、転移してもいいと頷き。
この場にいる全員ごと相手の魔術の影響下へ――。
空間が、歪んでいく。