第167話 魔猫国家からの使徒
時は大魔帝ケトスが襲来した一月後。
招待された約束の日。
私達は指定された座標の上、具体的にはマルキシコス大陸とされるクリームヘイト王国と大帝国カルバニアの遥か南の海域だった。
ふよふよと浮かぶ大陸は、女神アシュトレトが所有する浮遊大陸。
空中庭園にそびえる三女神の神殿では、フレークシルバー王国の重臣たちが集まり、てんやわんや。
これから大魔帝ケトスからの使者が来るとの事なのだが――。
エルフの騎士団は王を守るべく、目を尖らせ――。
派遣されてきた冒険者ギルドの超一流冒険者たちも、異世界の魔の存在を聞かされ鼻梁に力を刻み。
異世界の魔の襲来により南の大陸が乗っ取られたと聞いた、世界の経済を牛耳るヴィルヘルム商会も困惑中。
厄介な騒動になりそうな気配はある。
だが、無駄に慌てても仕方がないと――。
エルフ王たる私――レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバーは、愛用する神器、邪杖ビィルゼブブの石突で床をカツン!
音を発生させ――静寂を作成。
皆が注目したと同時に、落ち着いた様子で語りだす。
「皆さん落ち着いてください。相手には悪意がないのは確か、そして今回は国賓としての招待。おそらく大きな問題は起こりませんよ」
そもそもの始まりは、南大陸の買収。
突如として宣言されたのは、魔猫の国の建国。
その領主ともいうべき代表の名は大魔帝ケトス。
そのものは異世界の大物であり、魔猫の王であり神。
異世界の神を綴る【逸話魔導書】において、信じがたい物語を歩み続けている、恐るべき大邪神であることは間違いないのだが……。
どうも、悪というわけではないらしく。
その行動目的は不明。
まあ、実際に目的はどうあれ外の世界がこちらを警戒するのも無理はない。
私という存在もそうだが、三女神もそれぞれが宇宙に影響を与えることができる規模の、古き神。
その他にも楽園と呼ばれた神の世界から堕天した女神達も、かなりの数が健在。
正直、私が外の世界の住人だったとして――そんな女神たちの危険地帯を発見してしまったら、まあとりあえずは様子見に接触を図るだろう。
危険かどうか。
排除するべきかどうか。
その辺りをチェックするために。
相手の行動は冷静だった。
彼らは既に支配地域としていた自らの国へと、私達を招待したのだ。
エルフ王であり幸福の魔王たる私とその一行が、魔猫の国に招待されたわけだが。
そう、一筋縄ではいかぬ事情もある。
先も述べたが、私達は指定された海域の上。
空中庭園を漂わせ待機中。
こちらのメンツはとりあえずは私と、そして直接招待された女神アシュトレト。
まあ、他の女神も私の影の中で待機をしているので、いつでも出てこられる状態なのだが。
他の家臣の護衛は全て拒絶。
それが問題になっていて。
兄たる赤髪の貴公子クリムゾン殿下と、その友で私の側近の無精髭エルフ、パリス=シュヴァインヘルトが心配そうに言う。
「弟よ、本当におまえとアシュトレト殿だけで大丈夫なのか?」
「クリムゾン殿下の言う通り、やはり護衛なしというのも――」
エルフ王が妻を連れ、二人で異世界の魔猫の支配領域に足を踏みいれる。
確かに危険な行為だ。
だが――私は心配をしてくれる二人、大臣と領主でロイヤルなエルフ二名を眺め。
極めて合理的な答えを返すのみ。
「危険があるからこそ私とアシュトレトが出向くのです。とても嫌な言い方をしますが――相手の力は少なくともアシュトレトに匹敵する。正直、あなたがたでは足手まといでしかないですからね」
事実だと彼らも理解しているのだろう。
友である彼らは顔を見合わせ。
無精ひげを擦りながらパリス=シュヴァインヘルトの方が淡々と告げる。
「そうだな、陛下と我らとの実力差は圧倒的。心外といいたいところではあるが、僕たちでは神々の戦いにはついていけないだろう」
「……それほどの存在なのか、その大魔帝というのは」
頬に汗を浮かべての兄の問いを、私は瞳と言葉で肯定し。
「はい、兄上。少なくとも私の鑑定能力がレジストされるほどの存在なのは事実です。この世界にいったいどれだけの数、私の鑑定を拒絶できる存在がいるか――それを考えていただければ、まあ少しは理解していただけるかと」
家臣たちがざわめきだす。
幸福の魔王たる私の鑑定を無効化できる。
その事実はかなり衝撃的。
少しのざわめきの後、今度は一転……家臣たちは皆、黙り込んでしまう。
重い空気の中、洋風にアレンジした着物を装備したアシュトレトは軽く微笑み。
『ふふ、まあそう心配するでない。我が夫はそなたたちを心配しておるのだ。もしそなたたちを連れて行ったとしても、いざとなったら庇うであろうが――それが原因で主人が負傷し命を落としたとしたら。そなたたちは一生を悔いるであろう? それに、創造神の中でも最も優れた妾がついておるのだ。我が愛するレイドは、わが命に代えても守ってみせる故、安心せよ』
豪商貴婦人ヴィルヘルムが、ふと頬に手を添えて。
「あなたさまが消えてしまうのも問題なのです、女神アシュトレト様。ワタクシたちはあなたを創造主、神と崇めているのです。それになにより、我がヴィルヘルム商会のブランド力はアシュトレト様あってのモノ。女神様が着てくださった装備は価格が跳ね上がる。いなくなられても困るのです」
商売を気にする豪商貴婦人ヴィルヘルムに、パリス=シュヴァインヘルトが鋭い目線を送り。
ちくり。
「豪商貴婦人よ、今は陛下と王妃殿下の安全――ひいては命の問題を論じているのだ。それを装備の価格がなどと、低俗な持論を混ぜるのはいかがなものか」
「おや、シュヴァインヘルトは相変わらずですね。我らは生きている、我らは生活をしている。そしてフレークシルバー王国の経済には、女神様の威光が関係してくるのです――それは全て民の生活に影響をしております。経済を考えられずにどうして陛下の側近を名乗れましょう」
シュヴァインヘルトとヴィルヘルムのやりとりはいつも通り。
これが平常である。
だからこそ、周囲の家臣は落ち着きを取り戻したようだ。
まあ、さすがにこれは側近たる二人の計算ではないだろうが。
アシュトレトも満足そうに彼らのやりとりを眺めている。
『どちらにせよ正式に招かれておるのは我が夫と女神のみ。あの魔猫の口ぶりであれば、誰が訪ねても問題はなかろうが……警戒はしておくべきであろう。それよりも、そこの女。いつまで他人のふりをしておるのじゃ? 許す、名を明かす許可を与えよう。十秒待つが――ほれ、どうするか?』
「侵入者だと!?」
パリス=シュヴァインヘルトが狼狽の声を上げた。
その次の一瞬。
クリムゾン殿下が伝令を発動。
「我、魔王の兄クリムゾンが命じる! 皆の者、”対魔族結界”を構えよ」
女神の忠告と兄殿下の号令に、キィィィン!
家臣たちが一斉に結界を展開。
ガラスの壁のような、硬い魔力防御の壁が発動されていたのだ。
既に何者かが入り込んでいる。
そんな言葉だと察したのだろう。
豪商貴婦人ヴィルヘルムも周囲に魔導書を浮かべ、警戒の構え。
自動索敵の魔法陣が周囲に飛び交い始める。
皆が警戒し、前回の事件で習得した集団スキルにて。
神にすら対抗できる強固な結界を張ることには成功していた。
今回の集団スキルによる結界の原理は簡単だ。
全員が味方全員にバフを掛け大幅に能力上昇させた後、全員同時に同じ結界を発動――。
群れとなったエルフが、普通ならばあり得ない規模の極大結界を展開する。
そんな流れなのだが。
敵は見つからない。
けれどだ。
違和感は確かにある。
何故か一人、結界を張っていない者がいるのだ。
それは隙のない、気配の薄い女性だった。
おそらくは姿を消す能力、或いは、周囲と同化する存在隠避の力を発動しているのだろう。
だが、さすがの違和感に皆も気付き始めていた。
そんな気配に、相手も気付き。
まるで猫のような瞳を大きく見開き。
場違いなほどに能天気な声が――響く。
「あっれー、おかしいっすねえ。完全に気配は消していた筈なんすけど。さすがに甘く見過ぎたっすかねえ」
家臣の中に紛れ込んでいたのだろう。
その女性は前に出て、やはり能天気な声で語りだす。
「ああ、どうか攻撃はしてこないで欲しいっす。これでもあたしも戦える方なんで、攻撃されたらやり返してもいいって命令もされていますし。あたしが死んだら、たぶんあの方はブチぎれてこっちの世界を破壊しちゃうと思うんで、それも困るんすよ」
気配を割ってやってきたのは、一人のメイド姿の女性だった。
しかしメイドといってもただのメイドではないことは明白――三つ編みおさげの女性は、禍々しい神槍を背に装備し、その職業はメイド騎士。
メイドと女騎士のハイブリッド職、異世界の固有職業だろう。
使用人装備なのだが、足には甲冑が装備されている。
パリス=シュヴァインヘルトが剣を構えながら。
つぅっと剣に魔力を通し。
「何者だ――本来ならば僕たちは君を拘束する権利がある筈。なれど、そちらに最大限の配慮をし矛を収めている状態にある。それを理解できてはいるのだろう?」
対話が可能な存在か確かめているのだろう。
パリス=シュヴァインヘルトの意図通り、相手は頷き。
三つ編みの女性はそのまま姿勢を正し、恭しく頭を下げ。
「失礼しました――そして初めまして皆さま、あたしはマーガレット。三獣神が一柱、大魔帝ケトス様に恩を感じる人間であり――三獣神が一柱、神鶏ロックウェル卿様配下のメイド。本日は皆さま方の案内を務めさせていただいております、以後、お見知りおきを」
慇懃に告げた女性……マーガレットは、すぅっ、とメイドのカーテシー。
洗練された動きに、洗練されたデザインの服。
人間なのは間違いないが、寿命も延命されていて不老に近い状態だと考えられる。
所有する神の加護は、大魔帝と神鶏の二柱。
三獣神の信頼出来る使徒といったところか。
さすがに女神よりは劣るが――その力には勇者の波動を感じる。
おそらくは、異世界の勇者に連なる存在なのだろう。
人間であるが、逸脱者。
甘く見ていい相手ではない。
警戒しつつも、私は口を開き始めた。