第166話 幕間~招待状~
女神食堂で行われていたのは、女神と魔王と魔猫の会談。
気まぐれで暴れられたら世界が危ないと判断した私は――両者を睨みつけているのだが。
相手はアップルパイに齧りつき。
『くははははははは! 齧ると滴るこの果汁、サクサクなパイ生地の食感。実に美味である! 我のぽんぽんを満たすに相応しき贄よ!』
ビロード毛並みが汚れても構わず、むしゃむしゃむしゃ。
これが三女神の一柱、女神アシュトレトと原典を同じくする大邪神だというのだから……宇宙とは本当に広いのだろう。
ともあれ暴れられても困る。
私はちくりと、釘をさすように口を開いていた。
「どうやらあまりシリアスを維持できない体質のようですが――それは理解できました。こちらも児戯で済ませられるのなら、それはそれで構わないのです。ここはあなたの世界ではない。どうか、こちらではそのまま大人しくしていただきたい」
大魔帝は口の周りの丸い箇所を、ぽこりと膨らませ。
リンゴの香りと共に、甘ったるい蜜のようなハスキー美声で語りだす。
『これはこれは、レイド魔王陛下は随分と慎重な御様子。実際。今の私はおとなしくしていますでしょう? どうか、異なるルートを歩んだ魔王陛下の愛弟子であり、最高幹部であり、愛猫であるこの大魔帝を信じていただきたい』
「今のところは信じますが……。それで、アシュトレトに一体何の用だったのですか」
『まずは顔合わせをしたかっただけですよ、異界の魔王陛下』
真摯な声音で――んにゃんにゃうなん……。
猫語なのである程度の魔力が読み取れる能力者でないと、何を言っているか理解できなかっただろう。
実際にはちゃんと魔力会話になっているのだが。
どうも、その言葉にうさん臭い敬語が混じり始めている。
「それを信じろと?」
『私ほどの存在が動くときには何か重要な案件がある。勝手にそう思われてしまうのは少々心外ですが――そうですね、他に告げることがあると言えば。ああ、そうそう。実は私もこの世界の大陸を一つ購入しましてね、実は既にその大陸では私は一定の地位を持った代表……まあ、領主と言いましょうか魔猫王として一つの勢力を持たせていただいておりますよ』
……。
もうすでにやらかしている、という事だろう。
緊急で魔術通信。
側近たるパリス=シュヴァインヘルトと豪商貴婦人ヴィルヘルムに連絡を入れると――。
……。
緊急報告を受けた私は言う。
「どうやら、事実のようですね。なるほど、南部の大陸が異常に発展し始めていたとは聞いていましたが。あなたの仕業でしたか、大魔帝ケトス」
『おや、私はちゃんと共通金貨で正式に土地を買っただけ。一切の不正はしていないよ』
大魔帝の声のトーンはまるで敬虔な神父。
交渉を得意とする魂に切り替えたのだろう。
黒猫の身体から邪悪な魔力が溢れだしていた。
アシュトレトが言う。
『我が夫レイドよ、良い。創造神として妾はこやつの入国を認めようぞ。まあ、入国という表現は似つかわしくないやもしれぬが、ふふふふ、ほほほほほほ! 既に我らが女神の世界に拠点を築いているとは、実に面白いではないか』
「笑い事じゃないでしょう……」
『しかし――そなたとて魔術国家インティアルを買ったではないか。正式な手段で、正式に金銭を支払い国を買う、同じ行為をしたばかりであろう? おそらく、この異界のケモノはそれを把握し利用したのじゃろう。そなたがした行為じゃ、それを否定するとなるとそなたを否定したことになる。容易には否定できまいて』
それを考えて強硬手段ではなく、正式な手段で、一切の不正なく土地を買ったのならば。
冒険者ギルドも商業ギルドも手が出せない。
私は銀髪の隙間から赤目を輝かせ。
「もし、あなたが無辜なる者を虐げているのなら――」
『そういった非道は行っていないと断言しますよ。しかし、そうですね。言葉で言っただけでは理解できないでしょうから――ああ、そうです! エルフ王陛下……! あなたをフレークシルバー王国からの国賓としてご招待させていただきます。どうか、ご自身の目でご確認いただければ――と』
告げた大魔帝の頭上に黒い霧が生まれ。
それは彼の肉球音と共に、一通の封蝋印つきの手紙へと存在変化を起こしていた。
それは大魔帝ケトスが購入した国家、猫の国への招待状。
これが目的だったのか。
警戒する私とは裏腹、女神アシュトレトは微笑を保ち。
『良いではないか、この招待――妾や他の女神も含まれておるのであろう?』
『くはははははは! もちろんであるぞ、我が同胞』
『ならば良し。魔術国家インティアルから始まった世界巡りも区切りがついてしもうたからな、少々退屈しそうだと憂いておった所じゃ。その招待、乗ってやろうではないか』
勝手に決めているが。
まあ、他の女神達も同意見だろう。
既に食堂の外では女神達が大騒ぎ、猫の国へ着ていく新着装備を見繕うため、サニーインパラーヤ王国の着物職人と交渉を開始しているようだ。
既に決定されているようで、些か遺憾だが。
アシュトレトがそんな私の心を読んだように瞳を細め。
『心配せずとも、この大魔帝ケトスからは悪意を感じぬ。おそらくは妾と同類、長い時の中で永遠に生きる退屈しのぎを欲している存在じゃろう。これもその一環と見て間違いあるまい』
「悪意がないのは確かでしょう。しかし、悪意がないからといって何もないとは限らないのでは?」
言って、私は悪意なくやらかす女神アシュトレトにジト目を向けるが。
『ん? 妾の顔に見惚れたか? ふふ、そなたが妾に欲情するのは理解できるが、さりとてまだ日も高き時刻。なによりも無粋なる人の目もある、自重せよ』
「そこまで勘違いできるあなたが羨ましいですが、まあいいでしょう」
どうせ女神達が行くと言い出すからには、こちらも話に乗っておいた方が手っ取り早い。
招待状を受け取った私を眺め、魔猫はニヒィっと口角を吊り上げ。
『――確かに招待状はお渡し致しました。いついらっしゃっても、何人でも構いませんので我らは国でお待ちしております。レイド魔王陛下。我が君とは異なる魔王陛下――その欠片ともいえる、偉大なる君。どうかあなたが、魔術を消し去るなどという妄想に囚われていないことを願っております』
それでは――と、告げた大魔帝の身体が闇の霧となって消えていく。
その魔術式を探るも、アンノウン。
私の眼をもってしても鑑定不能。
魔術法則が異なるからという理由ではない。
単純に、あの魔猫のレベルが高いのだろう。
魔猫という種族はレベルが上がるのが早い種族、ニャースケもそうだが、通常の魔物よりも成長が早い。
そんな魔猫が、あれほどの魔力を蓄え続け、レベルアップし続けているのなら。
「まったく、厄介な存在が入ってきたようですね」
『それを言うのならば、そなたとて同じ――妾たち女神とて、創造主といえどこの世界にとっては要らぬ強者なのやもしれぬがな……と、なんじゃその顔は』
「あなたが急に、まともな女神のようなことを言うから驚いただけですよ」
アシュトレトもなかなかどうして、性格の歪んだ女神。
シリアスを維持できれば本当に威厳と威光のある女神なのだが……。
まあそんな状態を維持できれば苦労はしない。
ともあれ私は招待状に目を通し。
エルフの警備隊に緊急連絡。
他国への訪問準備を整えるべく、急ぎ、王宮に一報を入れたのだった。
幕間章~魔猫王からの招待~《おわり》