第164話 幕間~黒き訪問者~
これは一連の騒動が終えた後の昼下がり。
太陽の陽ざしが調整された空中庭園にて――。
女神アシュトレトがフレークシルバー王国のエルフの貴婦人たちを招き、サニーインパラーヤ王国から購入した着物を自慢している時の出来事だった。
アシュトレトはエルフのマダムたちの中では、ファッションリーダー的な扱い。
まあ美の女神なのだから当然と言えば当然か。
エルフ以外の女性たちからも、一目置かれる存在となっているのだ。
彼女が着用した装備には、一種の”御用達”としての付加価値が付与されるからだろう。
空中庭園のテラスはまるで、装備品を展示した新作装備のイベント会場のようになっていた。
会場さながらのテラスに並ぶのは、サニーインパラーヤ王国から出張してきた着物職人。
彼らは自国の立て直しのために、一級品の着物を制作。
ここで販売するつもりなのである。
買い付けるのはもちろん三女神だが、他の女神達も様子を探りに来ている状態であり――彼女たちの気まぐれ一つで世界情勢が変わってしまう。
よって、今ここはかなりの危険地帯。
歴史の転換期になりかねない、危ない場所。
そんなわけで――警備を担当するフレークシルバー王国からの騎士団や、ニャースケをはじめとする元暗殺者たちは、かなり緊張しているようだ。
ニャースケに至っては鼻の頭に濃い汗を浮かべている。
きっと肉球もびっしょり濡れているだろう。
まあ、私が見張っているので女神達も自重はするだろうが。
買い付けにやってきているのは女神だけではない。
そこにいるのは、比較的財政に余裕のあるエルフの貴婦人たち。
クリームヘイト王国の貴族。
沿岸国家クリスランドからはコボルト商人たち。
彼らは女神御用達品を手に入れようと、眼鏡を輝かせ。
じろり。
互いに牽制している真っ最中。
アシュトレトが花魁をモチーフとした装備を装着。
くるりと回転。
エルフの貴婦人たちが素敵ですわと、褒めたたえる中。
自らの姿を魔力鏡に映し。
アシュトレトがうなじをみせつつ振り返り――。
『ふむ、これも妾の肌に良く映える。サニーインパラーヤ王国から参られた職人よ、妾はこれを所望する。言い値で買おうぞ、値はいくらになる』
職人が言う。
「ね、値段など、滅相もございません。こ、これは献上させていただきます」
『献上という言葉の響きはよいが、無料では受け取れぬな。職人よ、覚えておくがよい。自らの作品に誇りを持て、そなたはこれを作り上げるのにどれほどの魔力を注ぎ、研鑽された技術を用いたか。その修行の日々は無料で他者に与えることができるほどに安いものであろうか?』
アシュトレトは美の女神の微笑を浮かべ。
『妾はそうは思わぬ。それにエルフ王の妃が他国の職人から装備を巻き上げたと噂されても困るのじゃ。安心せよ、妾の夫はよく稼ぎ、よく働く。どれでも一つは好きに買っていいと言われておるからな、遠慮せずに値段を申してみよ』
「そ、それでは、恐れながら――」
金額としては妥当。
相場通りの値段である。
まあ相場通りといっても、これはほぼ一点もの。素材も技術も一級品の花魁装備であり、貴族の年収に匹敵するほどの額――。
そしてなにより、もうすでに十数点購入しているのだが……。
まあ……サニーインパラーヤ王国の再建には金が要る。
そして私は彼女が言うようによく稼いでいるので、私がケチると経済が止まってしまう恐れもある。
共通金貨を循環させるためにも、これは必要な取引といえるだろう。
交渉は成立。
アシュトレトは新しい着物にうっとりと身を包み。
またしても微笑。
これでサニーインパラーヤ王国のあの職人は、【女神御用達職人の称号】を獲得したことになる。
腐っていても彼女は創造神。
その価値は、まあ言うまでもないだろう。
そんな即売会に変化があったのは、ある程度、テラスが落ち着いた頃だった。
私の足元には、ニャースケがやってきて。
鼻孔と髯を広げ。
うななななな!
魔王に事情を説明する猫の図である。
思わず抱き上げたくなる感情を制御し、私は猫語で返していた。
『空中庭園に見たことのない猫がいる……ですか?』
ニャースケの飼い主である元女暗殺者も転移しやってきて。
私に事情説明を開始し始める。
「お忙しいところ申し訳ありません、陛下。誰かが連れてきたペットや召喚獣がはぐれてしまったのかもしれませんが、一応侵入者ですし……けれど、誰かの大切な猫ならば無下には扱えませんし。便宜上、持ち物と言わせていただきますが、所有者を発見できておりませんので、どうしたものかと」
『ふむ、とりあえず案内していただけますか?』
どのような猫がいるのか、非常に興味がある。
もし自然発生した魔猫ならば、私が飼うという選択も――。
つい顔が緩んでしまいそうになるが、ここは魔王としての威厳を保つべきだろう。
膝の上に乗ってくる猫を想像しつつも、私は冷静な顔のままだった筈なのだが。
元女暗殺者が言う。
「陛下? さすがに誰かのペットだった場合、陛下がお飼いになるのは……どうかと」
『……顔に出してはいなかったはずですが』
「あの、その……既に手に召喚されているのは、猫じゃらしですよね? それに、その……足元にも猫用の小さな家やクッションを召喚されていますし……」
自惚れるつもりはないが、今の私はそれなりの上位存在。
魔術でなんでもできてしまう、というのも考えものなのだろう。
確かに、指摘された通り私の周囲には猫グッズが顕現していて。
しばし考えた私は、目線を逸らし。
『見なかったことにしてください』
「畏まりました。それでは、ご案内させていただきます」
彼女も私の部下となり、かなりの時間が経過している。
私のこういう部分にも慣れていて、対応も手馴れていた。
彼女は私を尊敬してくれているようだが、妄信はしていない。
おそらくは、彼女達もダブルス=ダグラスと同じく例外。ある程度の力を持つ前の私と関係をもった者には、精神汚染が発動していないのだろう。
実際、斧の勇者ガノッサも、前と変わらず対等な友好関係を築けている。
助けた相手が私に妄信してしまう、あの現象はいつかどうにかしたいのだが。
ともあれ。
転移した先は、食糧庫。
ここでは日々、女神の食事を作る最高の職人が出入りしているのだが。
確かに――侵入者の気配がする。
それは――エルフの農場から買い付けている、葡萄酒用のブドウやリンゴや梨が保管されている木箱。
何者かが、うにゃ~っと後ろ脚を伸ばし。
顔を突っ込み、むっしゃむっしゃ。
盗み食いをしているのだ。
太々しいフォルムの真っ黒な猫なのだが。
かなり真ん丸な、まあ柔らかい表現をするとふくよかな猫である。
その気配には覚えがあり、私は思わず呆れの息を漏らしていた。
魔力音声ではない通常の声で、私は言う。
「大魔帝ケトス、異界の大物がまさか盗み食いですか?」
モコモコな首で振り返り。
ニヒィっと微笑み黒猫が言う。
『やあ、異界の魔王陛下。これは異なことを仰いますね。私は猫であり、魔猫の王にして魔猫の神。全ての猫の頂点でもあるわけで――そして猫といえば、全ての生物の頂点。あなたとは違う私の魔王陛下を宇宙一とし、猫とは二番目に偉い存在。つまり、私ならば何をしても許される。そうでありましょう?』
「私とは違う魔王、ですか」
『あなたが勇者に殺された魔王陛下の欠片なのでしたら、私の魔王陛下は勇者に殺されなかった魔王陛下。あなたが勇者に殺された世界はその後、滅びを迎え、一度転生をした――故に、この三千世界には二柱の魔王陛下がいらっしゃるのです』
宇宙規模の話となれば、そういった事象が発生していても矛盾にはならない。
魔術がある世界だからこそ、そんな現象もあり得てしまうのだ。
ともあれ、勇者に殺されたかどうかで分岐した世界となると……この大魔帝ケトスが主人と仰ぐ魔王と私は、もはや別人と考えてよさそうである。
だからこそ、この魔猫は私をあくまでも主人と同じ魂を持つ別人。
そう考えているのだろう。
猫らしい考え方かもしれないが。
「しかし、やはり盗み食いは感心できませんね」
『ぶにゃははははは! まあまあ、ここは私の可愛さに免じて許すべきだろうと、私はそう考えます。それに、ここにいた給仕たちをちゃんと魅了して許可を貰いましたので。勝手に食べているわけではないのです』
盗み食いの正当性を主張する姿に、悪びれた様子はない。
魅了を使っている時点で、かなり問題なのだが。
まあ、そこを問いただしても無意味か。
ともあれ。
まるでチェシャ猫のモデルとなったとされる、ブリティッシュショートヘアのような。
神経も図体も図太い猫がそこにいたのだ。
上品なビロードの獣毛はおそらく手触り抜群だろうが――、下手に手は伸ばせない。
これでも魔力は三女神を超えているのだ。
見た目は、本当に愛らしいのだが。
その魔力は絶大。
これが、先日の事件でも介入してきた大物の正体。
逸話魔導書にも記載されていた、三獣神の一柱。
世界最強の魔猫なのだろう。
……。
しかし、人が真面目な顔をしているのに、相手は木箱から盗み食いを継続している。
くっちゃくっちゃ、ぬっちゅぬっちゅ。
ゲプゥ。
咀嚼音の中。
私が言う。
「まあ、敵意はないようですが。いったい何の御用なのでしょう」
『特に大きな用もないけれどね、まあ強いて言うのならば――こちらの世界の美味しい食べ物を堪能するついでに、女神アシュトレト、彼女に会いに来たのさ』
とても砕けた口調だったが……そんなことはどうでもいい。
全く想定していない言葉に、私の眉間に皴が刻まれていた。
「アシュトレトに? いったい、なぜ……」
敵意がないからといって、問題が起きないと断言はできない。
そもそもこの空中庭園に侵入できている時点で、異常である。
私は、大魔帝ケトスの返答を待った。