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第162話 大陸神の旅立ち


 神樹となった約束の笹。

 その魂の奥に私は腕を伸ばし――干渉していた。

 意識と肉体は忠節の魔王を追いかけ、輪廻の空間へと入り込んでいく。


 そこは暗く混沌とした、静かで穏やかな死者の道。

 ただただ暗い道。

 匂いはない。

 ウサギ姿の忠節の魔王は、そんな明かりのない道を独りで歩いていた。


 ウサギの脚がトテトテトテと転生への道を進んでいたのだ。


 海鳴りにも似た音の中。

 転生空間に干渉したのは、私。

 レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバー。


 顕現した私が言う。


「月の女神キュベレーを独りにしていくおつもりなのですか?」

『これはこれはレイド殿。よもやあなたも死んだ……などということは、あるわけありませんな。なにしろあなたは彼女達が恩人と仰いだ、あのお方。そう易々と滅びるとは思えませぬしな!』


 カッカッカ!

 と、豪胆に笑うウサギが牙を覗かせ笑みの構え。


「……たしかに私は女神達が求め探し続けた者、その三分の一の欠片です。ですが、あの方本人ではない。転生者はあくまでも転生者。転生前の存在とは違う……ですから、あなたと女神の出会いは、私との前世の繋がりよりも強い。私はそう感じます。月の女神にとっては私よりも、あなたと共に歩む明日の方がいい。私は――そう思っております」

『いいえ、我が主はあの方たるあなたと出逢い――そして笑顔を取り戻された。長年、共に歩んでいて初めて見た、心からの笑顔でありました。我は思ったのです、嗚呼、これで我の役目も終わったのだ――と。それが答えでありましょう』


 ウサギは僅かに俯いた。

 足元を見たのだ。

 伸ばした自らの手を見たのだ。


 そこにあるのはウサギの手だろう。


『我にはあの女神様の孤独が分かりました。あの女神様の心が分かりました。ならばこそ、あなたと再会したあの方の笑顔の輝きが、穢れ無き光が――とても眩しく感じられてしまうのです。それは我を魅了しました。我にも勧めと告げられた気がしました。我もいつか、あの時、大陸神だった我の心を揺れ動かしたあの者とまた、再会したいと。そんな欲望も生まれてしまいました。だから我は新しき人生を迎えようと決意をしました』

「……転生したところで、あなたが愛した女性と再会できるとは限りませんよ」

『全て承知の上』

「その方が何に転生しているのか、どの世界に転生しているのか、そこに羅針盤はあるのですか? もし、今転生したとしても会える可能性は非常に少ない」


 この世界の転生システムはおそらく、外世界の冥界と共有。

 つまり、外の世界に転生している可能性も高い。

 外の世界は”三千世界”と呼ばれるほどに大きな世界。

 銀河の星々の数以上に、世界が無数に存在するのだ。


 そこに時間の概念も加わるとすると……万に一つも再会できることはないだろう。


 この世界の時の流れは特殊だ。

 外の世界とは違う。

 私はまだその時間の流れを解読できてはいないので、そこまで干渉はできない。


 しかし全て承知の上なのだろう。

 ウサギは頷き。


『それでも、あなたと月の女神様は再会できました。恥ずかしながら、それが、少し、我には羨ましく思えてしまいました。そして思ってはいけないと思いながらも、少々、ズルイと、感じてしまったのです。恥ずかしい限りです、恩知らずな事です。いやはや、これではまるで我も人間そのもの、でありますな!』


 あの方とは二度と会えないと思っていた月の女神。

 彼女が私と再会したことが、彼の中にも変化を与えたのだろう。

 奇跡はあると、そう感じてしまったのだろう。


『だから、我はいまいちど可能性に賭けたいと思ったのであります。次に生まれてくるときは、人かウサギかはたまた神か。あるいはミジンコやミミズかもしれませんが、それでも我は思うのです。もう一度、彼女と会いたい――と。だから、我は輪廻の輪に戻りたいのです』


 それは本音であり、嘘でもあった。

 このウサギは自らが死ぬ事で、女神の失った力を取り戻そうとしているのだ。

 月の女神は彼を人間へと作り替えることで多くの力を失った。

 逆説的に言えば、彼が神たるウサギに戻り死んだ時――その時には、女神が消耗した力も本人の元へと帰るだろう、と、そう踏んでいるのだろう。


 私は死者の道に目をやった。

 そこには薄ぼんやりと魔法陣の道ができている。

 やはり、力を月の女神に返納する儀式の道となっていた。


 ここを通り抜ければ、女神から授かった加護を返還できるのだ。


 やったのは夜の女神だろう。

 彼女は大陸神だったウサギに頼まれ、おそらく頷いたのだろう。

 私が魔法陣に気が付いたことに、ウサギもまた気が付いたようで。


 耳を僅かに倒し。


『借りた恩も力も、返すべきでありますからな』

「それらは彼女が善意で行った事。あなたが責任を感じることはありませんよ。むしろ、勝手に気を使って返しやがってと怒るのではないでしょうか」

『でしょうな!』


 女神の反応は予想済みなのだろう。


『……我には、あの方の傷を癒して差し上げることができませんでした。それが歯痒く思っておりました。ならばこそ、ここで恩を返すべき。あの方たるあなたを見つけた女神様には、力がどうしても必要でありましょう。我を救い、道に迷っていた我の道を照らし――手を差し伸べてくれたあの方が幸せになるのならば、我はそれが一番だと思っております』

「そこにあなたがいてもいい筈。ですが、それでもあなたは転生するつもりなのでしょう?」

『……我と月の女神様は、互いに傷を舐め合っていただけ。もう終わったことは終わった事と見切りをつけ、前を向き歩む必要があると――我はそう思います』


 前向きな別れなのだと、長年、女神と共に在った魔王が言う。


 考え方は人それぞれ。

 私が口を出せる雰囲気はない。

 ならば――。


「分かりました、でしたらこれは私からの餞別です。あなたの主があの方と慕った男の、三分の一の残滓に過ぎない私でも――これくらいはできますからね」


 言って、私はウサギの頭に手を伸ばし。

 その額に小さな祝福を施していた。

 神だったウサギが言う。


『これはいったい――』

「迷宮で生き別れになった仲間と再会するための魔術に細工をしました。気休め程度ではありますが、あなたが転生した先に、かつて愛したその女性がいるとしたら……きっと、あなたの額に浮かんだ奇跡が、あなたとその方を再会させてくれるでしょう。まあ、即興で作り出した奇跡です。精度のほどは保証できませんし、再会できるだけであって――そこにその後の保証はありませんが」


 私は少し、嘘をついた。

 精度は完ぺきだった。

 間違いなく、もし彼の探し求める人物がその転生先にいるのならば、必ず会うことができる。


 けれどそれは呪いのようなもの。

 もし再会したとしても、それが幸せな再会になるとは限らないのだから。

 もし幸せになれない再会なのだとしたら、彼女は彼女ではなかったと諦めることができる。

 次の再会に希望を持つことができる。

 だから、私は確定である魔術を確定ではないと、ボカしたのだ。


 どこまで気付いているのか。

 神だったウサギはしばし考え。

 そして、ぺこりと頭を下げた。


『ありがとうございます。それでは、月の女神様によろしくお伝えください』

「ええ、どうかお気を付けて。あなたの来世に、光がありますように――私はそう願っております」


 言葉は祝福となり、大陸神だったウサギの幸運値を大幅に上昇させている。

 ウサギはそのまま儀式の道を進み。

 そして、やがてその姿は光の粒子となり消えていた。


 転生の輪に戻ったのだ。


 消えていく光の粒子の中に、彼の思い出が映っていた。


 それは人間に恋をしたウサギ姿の神の物語。

 人生だった。


 恋を知り、人となり――。

 悲恋に終わり――。

 人類に絶望し、女神と出逢い。

 互いに傷つきあった者同士、彼らは生きていた。


 しばらく眺めていると、私の耳朶を声が揺らした。


『こちらにいらしたのですね、旦那様――』


 遠くからこちらを眺めていたのだろう。

 転生の空間の中。

 次元の隙間から、女神ダゴンの声が響いていたのだ。


『あそこまでの奇跡を授けて、よろしかったのですか?』

「よろしかったとは?」

『あれほどお膳立てをされたのです、彼はきっと彼女と再会できますでしょう? そしておそらくは幸せになる。けれど、それは旦那様の奇跡の力のおかげ。彼が望んでいたのは、作られた奇跡ではなく……』

「本当の奇跡、そう言いたいのでしょう?」


 女神ダゴンは返事をしなかった。

 それが返答だったのだろう。

 だからこそ、私は瞳を細め。


「大丈夫ですよ、彼はきっとどう転ぼうが――幸せに生きますよ」

『未来視をなさったのですか?』

「いいえ、ただの希望的観測です。そうであったらいいなと思う、私の楽観的な願いです」


 前向きな答えに、女神ダゴンは何を思ったのだろうか。

 姿を闇の中で顕現させ。

 ダゴンは小さく微笑み、静かに告げた。


『全てに絶望していたあなたさまが、そうして希望を口にしているとは――少し、驚きました』

「ええ、私も自分で自分に驚いていますよ」


 私も、変わったのだろう。


 本当に。

 心から、彼が幸せな来世を掴めるように。

 私は、そんな希望を抱いて、彼の転生を見送ったのだ。


 奇跡が届いたかどうかは分からない。

 けれど。

 私には見えていた。

 あの約束の笹が枯れる事も約束が破られる事も、もう二度となかった。


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