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第161話 満月の墓標―後編―


 愛した女性の墓標の上。

 安らかに眠るウサギを眺め――。

 悪魔の王たる女神バアルゼブブは語りだす。


『この子はね、全部思い出したんだって。それでね、死ぬ前に月の女神――キミにもう一度、この地を祝福して欲しかったんだよ。だ、だからね、この子は彼らにキミの像を作らせた。あ、あたしたちはただそれに協力しただけ。だから、キュベレー。逝ってしまうこの子の代わりに、もう一度だけ……こ、この国の人たちに魔術をあげて欲しいんだよ』


 サニーインパラーヤ王国の民に魔術を授けていたのは忠節の魔王。

 だからここに漂う彼の残滓が消滅すれば、おそらく魔術も消失する。

 その前に、誰かが魔術を授ける必要がある。


 まあ、私がやってもいいのだが……。

 月の女神が言う。


『だぁかぁらぁ! なんでこいつがそんなことをいいだしたのか! 一度破棄した契約を、なんでまた戻してやらなきゃならねえのか!? オレはそれを聞いてるんだよ!』

『お、怒らないで欲しいんだよ! キ、キュベレー、すんごい怒ってるけど。も、もしかして……もうそんな力が残ってない、とか?』


 できないのではないかと疑われ、さすがのキュベレーも頬をヒクつかせる。

 まあ、大陸神だったウサギを人間に変える時点でかなり無茶をしていたのだ。

 力を大幅に失っているのは事実。


 しかし、なぜ彼女があの忠節の魔王に力を貸したのか。

 それはおそらく、彼女が彼に同情をしたから。

 月の女神は見た目こそ粗暴だが、その性質は心優しき女神なのだろう。


『ナチュラルに煽るな! んなわけねえだろう! そりゃあできるかできないかなら、できるが! なんでしなきゃならねえのか、理由を言え、理由を!』


 バアルゼブブはしばし考え。

 上目遣いで言う。


『た、たぶん。お墓の中の人への想い? なんだよ』

『想いだぁ!?』

『そうだよ、ぼくには分かるよ。愛した人の大事だったものは守りたい。愛した人の大切だったものは守りたい。ぼくはね。その気持ちがとっても分かるんだ。だって、ボクだってレイドの……あの方の大切なお兄さんを壊しちゃった楽園を一緒に滅ぼしたかったんだよ?』


 月の女神は楽園の単語を聞き、僅かに眉を顰め。


『もう、滅んじまった古巣なんてどうでもいいだろうよ。あの方は、オレたちが追いつく前に……見つける前に、全部自分で片付けちまった。糞みてぇな連中を滅ぼして、落とし前をつけた。魔術なんて持っちまったあいつらをぶっ壊した。そりゃあ……オレもまさかあの方がってビビったけど。もうやっちまったもんは、しゃあねえだろう』

『僕はね、キュベレー。それでも楽園の連中が許せないんだよ』

『はぁ? 許せないっても、もう殆どが滅んじまってるんだろ?』

『それでもしぶとく生き残っている神はいる。僕はね、キュベレー。レイドと一緒に、いつか外の世界で楽園で滅びずに逃げた連中を滅ぼしたいと願っているんだよ。あの方を追放している最中に、お兄さんを殺していただなんて、許せないよね? キミは違うの?』


 バアルゼブブの吐露には重厚な呪詛が詰まっていた。

 彼女は彼女で崩壊した楽園を憂いている。

 楽園崩壊のきっかけとなったのは、あの方と呼ばれていた頃の私の、兄の死。

 まあそれも今は関係のない話。


「それにしても――」


 と、私は眠るウサギに目をやり話題の方向性に力を加えていた。

 かつて愛した者の大陸に、再び女神の祝福を。

 分からない話でもないが……。


「どうも腑に落ちませんね、理由として弱いとは言いませんが……」

『そ、それでも。この子は僕に頭を下げたんだよ? ぼくにお願いしたんだよ? ボクにお願いしますって。僕は頷いたよ、だって、この子。あの日の憧れを捨てられずにいたんだよ、ずっとずっと、人間の女の子に恋をして、それを忘れられずに生きていたんだよ? それはね、レイド。きっと純愛って、僕はそう呼ぶと思うんだ』


 叶わなかった恋の果てに、いったい彼は何を望んでいたのだろうか。

 私はウサギ姿の、かつて大陸神だった男の亡骸に目をやった。

 その頬は墓標の冷たさの上で、固まっている。


 満月のように丸まるウサギは死んでいた。

 けれど幸せそうだった。

 最後に、成し遂げたという顔をしていた。


 気配がやってくる。

 新しき王アサヌキだった。


「皆さん、いったい――なにが」


 そういえば告げずに転移をしてしまったのだ。

 理由も言わずに神々が突然消え、そしてこんな場所に転移をしていたら驚くだろう。

 ここは崖の上。

 なにかに追いやられたように隠れておかれた、墓地の一つ。


 なぜだろうか。

 アサヌキはウサギが眠る墓標に目をやっていた。


 私が言う。


「困りましたね、説明しにくい事なのですが――」

「我らが祖の墓標に、いったいどのようなご用件で。それに、そのウサギは……もしや将軍殿では」


 我らが祖の墓標。

 彼は確かにそういった。


 アサヌキは没落した王族の血筋。

 五十年前の夜の女神と月の女神の抗争の時に、失墜した王家だった筈。

 ならば――。


「ああ、そういうことだったのですね」


 人間として老いと共に記憶が消えていた時には、気付かなかったのだろう。

 もはや時が経ちすぎて、知ることもできなかったのだろう。

 けれど、かつて人間に憧れた大陸神は思い出したのだろう。


 焦がれるほどに恋をした、あの女性。

 その末裔が、今、どうしているのか。

 知ってしまったのだろう。


 忠節の魔王。

 彼が恋をした、初恋の女性の血は長い時を経て――王族の末端へと入り込んでいたのだろう。

 それに気が付き、だからウサギは女神の像を再建させた。


 どうか。

 彼らに祝福をもう一度。

 そう、自らの神に願うように。


 月の女神が墓に顔を擦り付け死んでいたウサギに近寄り。

 ゆったりと、瞳を閉じていた。


『ったく、オレの駒のくせにオレの許可なく死にやがって。しゃあねえやつだな、おめえは』

『キュベレー? だ、だめだよ、怒っちゃ。この子はね、初恋の憧れを、わ、忘れられなくて。だ、だから……』

『わぁってるよ! 本気で怒ってるわけじゃねんだよ、空気を読め、空気を! このクソ蠅!』


 バアルゼブブがどこまで力を貸したのかは分からない。

 けれど、彼女は地底に棲むウサギと相性がいい。

 だからきっと、忠節の魔王の言葉も届きやすかったのだろう。


 バアルゼブブは、初恋の人の末裔が誰なのか気が付いた忠節の魔王に、手を差し伸べたのだろう。


『だぁぁぁぁぁぁ! これでオレが無視したら、まるで外道みてえじゃねえか! ああ、くそ! 分かったよ、分かった! オレの大事な駒だったんだ。最後の願いぐらい、聞いてやるよ!』


 月の女神がウサギの亡骸に手を翳し。

 神の魔力を大地に流し始める。

 めきりめきりと、地が揺れる。


 崖の上の大地が補強され、神殿となり。

 そこには神聖な祭壇が生まれていた。

 静謐の台座ともいうべき中央には、墓標とウサギの亡骸。

 その神だったモノの獣毛から顕現されたのは――巨大な植物。


 まるで天をも貫きそうなほどの、樹木ともいえるほどの笹だった。

 月光の中で輝く笹の下。

 月の女神がアサヌキに向かい言う。


『なぜオレが今一度慈悲を与えるか……おそらく、おまえら人類には分かりはしないだろうが――いいだろう。おまえたちサニーインパラーヤ王国の民が、この笹を大切に守り、崇め続ける限り……オレはおまえたちに魔術という名の祝福を与えてやる。だが、この笹を蔑ろにし、枯らしてしまったその時は――今度こそ、我はもう二度と、この地に祝福は与えぬ。これが汝らと我、月の女神キュベレーとの新たな契約だ』


 月の女神は瞳を細めていた。

 神たる瞳で人間と新たなる『約束の神樹』を見る。

 まるでウサギの眉間を撫でるかのように、触れるように笹の幹を撫で。


『本当に、これが最後の契約だ。次に約束を違ったら――その時は容赦なく、我はおまえらを射抜くだろう。たとえ、我が想い人が止めようともな』

「想い人、でありますか」

『ああ、叶わぬ恋ってやつだ。まあだから、オレにはあの大陸神だったウサギの気持ちも、なんとなく分かるんだよ……それに、争いを好まないからこそおまえらに争い続けよと呪詛を撒いた、その心もな』


 月の女神キュベレーも。

 大陸神だったウサギも。

 どちらも争いは嫌いな神だったのだろう。


 けれど人類は争い続けた。

 ならばこそ、こう思ったのだ。


 それほどまでに戦いが好きならば、止められないのならば。

 おまえたちの願いをかなえよう。

 未来永劫。

 滅ぶまで戦い続けよ。

 ――と。


 女神と魔王。

 どちらも人類たちの願いに寄り添い、結果として両国は争い続けていたのだ。

 もう滅びがそこにまできていた所に、私が関わった。


 なんてことはない。

 元を辿れば、全ては人類の自業自得。

 けれど、これで呪いは解除される。


 二つの大陸は救われた。

 けれど。

 死したウサギが動くことはもう、二度となかった。


 笹となった彼の輪廻を掻き分け。

 私は――ウサギの魂を追った。

 最後に話が聞きたかったのだ。


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