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第160話 満月の墓標―前編―


 既に埋もれた歴史。

 既に終わった歴史。

 まだ月の女神が、人類に手を差し伸べていた時代の逸話。


 あの日、女神は人類を嘆き空へと消えた。

 人類は、それでも女神は自分たちを見捨てないと思っていた。

 勝者となった側が、再び女神を祀れば神との関係性は取り戻せると思っていた。


 けれど、違った。

 月の女神は振り向くことなく天へと昇った。

 まるで月に帰るカグヤ姫のように。


 大陸から魔力と加護が失われていく様を人々は見た。

 もう手遅れだと気付いた時には、既に女神は痕跡すら残さず消えていたのだ。

 空には満ち欠けを繰り返す月が、煌々と照っていた。


 人々は月を拝んだ、どうか帰ってきてくださいと。

 自分たちが悪かったと。

 頭を垂れて、懇願した。

 けれど。


 彼女が帰ってくることは二度となかった。


 月はそのまま健在でも、女神が降臨することはない。

 もはや祈りも届かず、次第に彼らも、彼らの子孫も女神の事など忘れ――信仰はそこで途絶えた。


 その筈だった。

 それでも今。

 月の女神はこうして、再びサニーインパラーヤ王国の大地を踏みしめている。


 月の女神キュベレーは口を開いていた。


『確かにオレの魔王は、しばし休暇を頂きたいとかぬかして、旅立った。だがよぉ、オレはこんな話、聞いちゃいねえぞ? それに、ウサギの姿だったって、そりゃおめえ……あいつがムーンファニチャー帝国の大陸神だった時の姿じゃねえか。いったい、どーなっちまってるんだ?』


 蒼と黄色の月光の下。

 月明りに、若干こけた頬の凹凸を目立たせる忍者。

 サニーインパラーヤ王国の新しき王アサヌキが言う。


「なぜかあの方はまるでドワーフのような……ウサギの姿になっていらっしゃいました。そして我らにこの大陸の過去を語ってくださったのです。多くの争いと悲しみと、そして月の女神様の嘆きを。我々は……女神様を悲しませ失望させてしまった故に、恩寵を失っていたのだと」


 アサヌキやその従者は幸福の魔王たる私を眺めていた。

 正しいかどうか私に答えを求めているようだ。

 導くように私が言う。


「――たしかに、私もその歴史を知っています。あなたがたの先祖は月の女神の心を裏切り、約束を破り戦い続けた。それは神との契約の一方的な破棄。代償はそれなり以上に大きかったでしょう。言うならば、そうですね……この世界の民は大陸神や女神によって、常に一定の加護バフを受けています。けれど、サニーインパラーヤ王国にはそれがない。本来の意味ではそれが通常、バフを受けていない状況が平常なのですが、他の全ての者が加護を受けているとなると……」

「我らは常に、他の大陸よりも」

「はい――あくまでも比較の問題ですが、全ての行動に一定の増減を与える幸運値に大幅なデバフを受けている状態にあったのでしょう。あるいは、先日までの滅びを間近にしていた状況も……元を辿れば、あなたがたの先祖が月の女神を裏切ったことにあったのかもしれません」


 全ての原因は月の女神に失望された事。

 それはあくまでも可能性の一つだ。

 けれど神の加護によって魔術を授かるこの世界では、神の加護が薄れる事の意味は重い。


 もっとも、彼らは忠節の魔王の加護を受け、魔術を維持できてはいたようだが。

 私は月の女神に言う。


「忠節の魔王、彼はいまどこに?」

『気配を辿ってはいるんだが、なんつーか……すげえ生命力が薄いっていうか』


 生命力が薄い。

 それが正しい言葉かどうかは分からないが――。


「彼はエナジードレインを使う事でその寿命を延ばしていた。ですが、今回の件で使用しなくなっていたのだとしたら……」


 そこにあるのは寿命。

 大陸神の姿に戻ったとして、その辺りがどうなっているのかは分からない。

 だが、神に戻っていたのならもっとはっきりとした魔力が大陸に伝わっていないとおかしい。


 ならば。

 私は月の女神に目線をやっていた。

 彼女はしばし考え、おそらくは忠節の魔王が自分に告げずに行動していた意味を考えたのだろう。


 女神は言った。


『……寿命で死ねることは悪い事じゃねえだろうさ』

「そうですね。無駄に長く生きることが幸せだとは限らない。もし彼が自らの死を尊重しているのならば、私にそれを止める権利はない。しかし、一度彼と話がしたいですね。なぜ月の女神、あなたの像を作るようにこの国に促したのか。なぜウサギの姿に戻っているのか。分からないことだらけです」


 告げて私は気配を追い。

 月の女神と共に転移をした。


 ◇


 そこは崖の上。

 誰かの墓標だった。

 まるで人目から隠れるような、小さな墓地の山だった。


 名が刻まれた古い墓石の上には、動かぬ一匹のウサギ。


 それはかつて大陸神だった男。

 かつて人間の娘に恋をして、神から人間になった男。

 それは、将軍と呼ばれたギルドマスターの男。


 忠節の魔王の亡骸だった。

 ウサギが、墓の上で死んでいたのだ。

 その傍らには美しき女性。


 黄昏の女神バアルゼブブ。

 口を開かなければ聖女ともいえる、清楚な乙女は死んだウサギの頭をそっと撫でていた。


 その手は慈しみに満ちている。


 確かに、三女神の中では一番に夜や月に近いバアルゼブブならば、人間へと変貌した大陸神をウサギの姿に戻すこともできるだろう。

 奇跡を行う上では、現実的な候補者だ。


 私は墓標に目をやった。

 古い墓に眠っていたのは――かつて彼が愛した女性。

 彼が人間に憧れるようになった、神を捨てるきっかけとなった女性の墓だった。


 最後は愛する者の墓標に寄り添い。

 そして、安らかに逝ったのだろう。

 しかし、なぜここにバアルゼブブが……彼女はダゴンからの説明を受け、大人しくしていた筈なのだが。


 私は言う。


「バアルゼブブ、なぜあなたがここに……」

『――ボクはね、レイド。この子に頼まれたから、ここにいるんだよ』


 振り返る乙女の髪が、サラりと揺れていた。

 月光を吸ったバアルゼブブは、キラキラと輝いている。

 その姿はまるで女神そのものだった。


 そしてなにより彼女に女神らしさを与えていたのは、その発言か。

 いつものたどたどしい口調ではなく、女神としての威厳に満ちた口調だったのだ。


 まあバアルゼブブはその身を蟲の霧とし、この大陸全てのダンジョンに入り込んでいた。それはすなわち、この大陸の全てを隅々まで探っていたと同じ。

 魔力の蟲が大陸を侵食した影響により、多くの情報を入手出来ていたとしても不思議ではない。

 様々な事情や内情を知ることもできていたのだろうが――。


 私は言う。


「忠節の魔王は月の女神の駒。あなたが干渉すれば、些かのわだかまりが生まれる可能性もあるのですが」


 バアルゼブブの、虫の群れの声が響く。


『それでも僕は、あたしは』

『あたしたちは――』

『考えを変えないんだよ。だから聞いて欲しい――』


 バアルゼブブの身体から、無数の声が漏れる。


『我らが伴侶よ、我らが主よ。常しえの救世主よ。我らはこの者が望んだ故に、此処にいる。其処に他意はなく、其処に野望はなく。在るのはただ純粋なる感情。そう、これを言葉にするのならば、余はこれを憐憫と名付けようぞ』


 それぞれに一人称も口調も違うが、それがバアルゼブブの特性でもある。

 多くの悪魔の神性を彼女は内包しているのだ。

 悪であるべき蠅の主と、貶められた神の王。

 それがバアルゼブブ。


 そんな彼女がお節介とはかなり珍しい。

 月の女神が前に出て、死んだウサギとバアルゼブブを交互に眺め。


『てめえが殺したわけじゃねえんだよな?』

『する意味がない。ボクにとっては、僕らにとっても――このウサギが、かつての大陸神が、死のうが生きようが関係ないんだよ。どーでもいい存在が生きようが死のうが、ぼくにはどーでもいいんだよ。僕にとってはね、レイドとアシュちゃんとダゴンちゃんと、そしてあの方がいれば、それでいいんだ。だから、キミにわざわざなにかをするつもりはないんだよ。キュベレー、キミならぼくがそーいう存在だって、よく分かっているよね?』


 言葉は羽音と共に重厚に蠢いていた。

 ぐぎぎぎぎっと空間まで揺れている。

 悪魔王の悍ましき魔力が、周囲を揺らしているのである。


 しかし。


 どうでもいいと言いつつも。

 彼女はおそらく、忠節の魔王に手を差し伸べたのだ。

 あの、バアルゼブブがだ。


 バアルゼブブは、その自分の変化に気付いているのだろうか?


 彼女の内面の変化を感じる私の横、月の女神は髪をガシガシと粗雑に掻き。


『けっ、相変わらず陰気だな、この蠅野郎が』

『ほ……本当は、ね。夜の女神が動きたかったらしいんだよ、で、でも、キミと、彼女は仲が悪いでしょ? だ、だから、ボ、ボクが頼まれちゃったんだ。そして、ボクも事情を聞いて、納得したからここにいるんだよ?』


 舌打ちが崖の上の空気を揺らす。


『夜のババアの差し金か』

『それでも、それは全部このウサギのためだよ? 夜の女神は、ムーンファニチャー帝国の地底にいる。だ、だから、この子が大陸神だった頃からずっと、知っていたみたいだったし……ぶ、ぶっちゃけるとね? ふ、ふたりの仲が悪いせいで、あ、あたしたちが巻き込まれて、め、迷惑もしてるんだよ?』


 バアルゼブブは上目遣いで恨み言を述べ。

 じぃぃぃぃぃぃぃ。

 その瞳は、呪う、呪う、呪う、とかなり強力な呪術を準備しているようで。


 さすがに悪魔王の呪詛を受けたくはないのだろう。

 月の女神は肩を落として降伏の構え。


『悪かったよ、んで、なんだってんだ』

『キュベレー、どうか――この大陸の人を許してあげて欲しいって。それが、この子の願いなんだよ』

『あぁん? なんでこいつがそんなことを言う。こいつは、ムーンファニチャー帝国もサニーインパラーヤ王国も、どっちにも呆れて見捨てた神だぞ? それを何で今更……訳が分からねえんだが?』


 腕を組んで悪態をついてはいるが、信用はしているようだ。

 空気はそう重くはない。

 かつての彼女達ならば一触即発だったのかもしれないが。


 私は言う。


「理由をお伺いしても?」


 問いかける私に、バアルゼブブは頷いていた――。

 まるで。

 慈悲深い女神のように。

 慈愛に満ちた笑みを浮かべていたのである。


 バアルゼブブが語りだす。

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