第159話 再びの信仰を
月と夜の始まりの時刻。
サニーインパラーヤ王国での新しい祭りにて。
そこにあったのは月の女神を祀る神像。
賑やかな夜の街並みに溶け込む私たちは、姿を人間に変えて降臨中。
復興に向けて前向きとなっている祭りを見て。
月の女神は自らの像を見上げ、うへぇ……。
眉間に濃い皴を刻み、髪を掻き上げる姿は夏祭りを楽しむ粗暴なお姉さんか。
ともあれ、彼女は不満を口にしていた。
『んだよこれぇ、全然オレに似てねえじゃねえか!』
「仮にも女神の像なのです、まさかヤンキー風の姿で模るわけにもいけませんし――女神らしい服装にされてしまうのは仕方ないでしょう。実際、顔はあなたにそっくりですよ。ほら、吊り上がった口角など、まさに瓜二つではありませんか」
まあたしかに、いかにも”清楚な女神”といった印象の像なのだ。
もし私がこんな像を作られたら、同じように眉間に濃い皴を刻んでいただろう。
そう、こんな風に。
……。
彼女の像の隣には――。
いかにも聖人風のハーフエルフの像が凛々しく立っていて。
その台座には、こう刻まれている。
偉大なる救世主【レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバー】。
と。
月の女神キュベレーは腹を抱えて笑い出し。
『ぶひゃはははははは! なんだその顔! おまえ! 心底嫌がってるだろ、これ!』
「偶像崇拝を禁止する信仰が多い理由がなんとなく理解できました。これは……存外に恥ずかしいとしか言いようがありませんね」
『うひゃぁ! てめえのその顔が見れただけで満足だわ!』
心底喜ぶ月の女神の前、それなりの強者がこちらに気付いたのだろう。
何やら人々を集めだし、五分もしないうちにやってきたのは新しき王アサヌキ。
戦時中だったので全身黒ずくめだった男も、今は見違える姿。
「――その気配に、その魔力。お姿を変えていらっしゃるようですが、レイド様に女神様であらせられますね?」
告げたアサヌキの顔には王族の気品。
武骨で骨格のしっかりとした美丈夫の顔がそこにある。
もっとも、既にそこには信仰の色が覗いてしまっているが。
私は言う。
「完璧に神や魔王の気配を遮断していたと思ったのですが」
「恐れながら――その完璧さゆえに、不自然さを感じてしまったのであります。ただ人ならば、あのように安定した魔力と存在感を維持できませぬ。ならば、と思い当たったのがお二人でありまして」
「なるほど――人と併せるというのは、存外に難しいものですね」
まあアサヌキの部下という事もあり、彼らの多くは忍者。
人を見破る才にも長けているのだろう。
「それで、この像はいったい」
「魔王陛下と女神様のご神体に御座います」
「見ればわかりますが、私が問いかけているのはそう言う意味ではなく――」
「あの……なにか問題が」
文句の一つも言ってやりたいが、それは彼等にとっては神の言葉。
あまり強くも言えない。
どうしたものかと言葉を悩ませていると、助け舟を出すように月の女神がニヒィっと嗤い。
『おまえ、決まってるだろう。オレは女神だぞ? 女神様! 創造主様だ、その身姿を拝もうってんだ、タダってわけじゃねんだろ? 肖像権的なアレだ、アレ。不労所得的なもんはちゃんと貰えるんだろうな?! ええ! どうなんだ!?』
その姿はまるで極道である。
いや、まあ勝手に像を作られたらこうもなるが。
問い詰められたアサヌキは、月の女神に跪き――月明かりの下で言う。
「――今までの非礼を詫び、誠心誠意、信仰をもって支払わせていただきます」
「非礼?」
思わず問い返した私に、アサヌキは静かに瞳を細め。
歴史の重さを考えるように、ゆったりと口を開いていた。
「ええ、我らがサニーインパラーヤ王国とドワーフの国ムーンファニチャー帝国。我らはかつて共に、月の女神様のお言葉やお気持ちを踏み躙り、その愛を失ってしまったと聞きました」
「……どこでその話を知ったのです?」
それは、あの書庫で私も知っていた過去。
かつてこの大陸は月の女神に愛されていた。
けれど、成長した人類は女神の言葉に次第に耳を傾けなくなり――内乱をはじめ。
それでも、女神はサニーインパラーヤ王国の民に訴えた。
戦いを止めよ。
無為な争いは好かぬ。
なぜ同じ血族で、同じ種族で、同じ命で争いだすと必死に平和を説いたのだ。
それは伝承にあった、この大陸の黎明期。
まだ月の女神がこの大陸を守護していた時代の話。
時の王は言った。
「この川は我らが一族が削り、住めるように改良いたしました。大地を耕し、地を魔力で満たし豊穣の儀式を行いました。全ては我が血族の力であります。なれど、我が娘の伴侶はその土地を半分寄こせと言うのです。それはできません、それはあまりにも横暴です。ですので、分からない者には武力をもって正すのみ。女神よ、どうか我らに祝福を」
時の王の義理の息子は言った。
「削られた川から生まれた迷宮の魔物を退治しているのは、親父殿じゃない、俺たちなのです。なのに親父は俺たちを認めず、何も与えず、ただ奴隷のように魔物を狩り続けよと言うのです。古い大人たちは、みな、戦わずして権利だけを主張します。昨日は妹が戦死しました、明日は兄が死ぬかもしれません。魔物と戦う我らには、土地を所有する権利がある筈です。全部とは言いません、半分で我慢をします。だから、どうか女神よ我らに祝福を」
月の女神は言った。
『両者の言い分は理解した、なれど待つが良い。我は血腥い争いを好かぬ。戦うなとは言わん。争うなとは言わん。なれど、互いに今一度話し合いの場を設けてみよ。一度始まった戦いは、長きに渡り互いの心を蝕み続ける。一度振り上げた拳は、もう二度と振り下ろせぬ。考えよ、我は――人類が楽しい存在だと願い、他の女神と協力しそなたらを作り上げた。我は、戦うために生まれた醜い人類を愛せはせぬ。もう一度だけ警告する、一度戦いを始めたら最後。もはや神の恩寵は汝らには届かぬ』
とても強い口調だったそうだ。
ギルドの歴史書には、月の女神の警告は真摯で凛としていて。
そして、だからこそそれが崩されたことに、大層、神は嘆いたのだと記載されている。
話し合いは行われなかった。
戦いが始まり。
そして、月の女神はそこに楽しさを見出すこともできず。
どちらの代表の力にもならず。
ただ、その血塗られた大地を眺め。
冷めた口調で、こう告げたのだとされている。
『そうか――ならば人類よ。きさまらは永遠に争いあって死んでいればいい、オレはもういい。勝手にしろ、おまえたちにはもう飽きた』
サニーインパラーヤ王国。
この大陸はその時、女神の恩寵を失い。
女神の恩寵を失った地は――呪われた。
女神の愛を失った大陸から、魔力や素材が枯渇していったのだ。
それが将来的には災いとなり。
ドワーフ達に優位を取られるきっかけとなったのだろう。
全ては女神の忠告を無視した、黎明の時代の――人類の驕り昂りのせい。
月の女神が彼らに辛辣なのも、これが原因。
神は我儘だ。
傍若無人だ。
けれど、人類もまた――。
そんな、もはや忘れられた過去の事を。
冒険者ギルドの隠しエリアでしか綴られていない歴史を、いったいどこで。
私は新しき王アサヌキの言葉を待った。
彼は言った。
「それがその……忠節の魔王――将軍殿を名乗る、巨大なウサギの方が……」
全てを語ったのだと。
月の女神の瞳孔が、広がっていた。