第15話 善と悪
黄昏の女神がウズウズと見守る中。
冒険者たち……特に勇者の仲間でもあるガノッサが壁に自慢の斧を立てかけ、じろり……。
目を尖らせる空間。
床に頭をこすりつけていたのは単身、嘆願にやってきた英雄騎士の息子ノーデンス卿ジュニア。
既に冒険者から私刑を受けたのだろう、かなりの酷い状態なのだが――その命を落とす前に拾ってきたのがガノッサ。
謝罪はちゃんとあった。
結論から言えば完璧だった。
だが、彼の謝罪はあまりにも退屈だった。
普通に後悔を覚えた顔で頭を下げ。
普通に本気で、一生の罪を背負う顔で。
普通に父や母、家族や一族の命だけはどうか、殿下に取りなしてくれと、必死に咽び泣いた。
ただ、完璧な謝罪である。
私はもっと汚い姿を期待していたのだが。
これでは本当に、ただの反省する若者だ。
「どうか、家族だけは……っ。お願いしますっ、なんでもします、なんでも……だから、どうか」
私は、その姿に酷く胸を打たれていたことを覚えている。
きっと私も。
もし、アントロワイズ家が助かる可能性があったのなら、こうして頭を下げていたことだろう……と。
家族を助けたいと願うノーデンス卿に、少なからずの共感を抱いてしまったのだ。
私の中にも、そういった感情が残っていると理解できたのは収穫であるが。
ともあれだ。
空気は非常に重い。
殺気立っていると言っていいだろう。
漂うのは香草が練りこまれた包帯の匂い。
そして、もう一つ。
砂糖を焦がしたような香りは、ヒーラーの扱う魔導薬のものだった。
遠征に同行していた冒険者が帰ってきたという事で、私は治療を受けることができていたのだ。
治療してくれたのは顔見知り。
まずそちらの感謝するのがギルドに働く、いい子としての私か。
だから、ギルド従業員としての私の声で口を開いていた。
「ありがとうございます、ファリナさん……その、お礼の代金は、待っていただけるとありがたいかな、なんて……はは、駄目ですかね」
同席していたのは、貴族であるが特殊な人材。
他の冒険者同様、やはり険しい顔をした女性。
珍しく貴族令嬢でありながら冒険者となっていたヒーラーのファリナ。冒険者ギルド内で私に心を奪われていた存在の一人である。
欠損した腕すら再生させる腕の彼女にかかれば、私刑で受けた私の傷の治療など容易かったのだろう。
貴族でありながら冒険者の彼女の立場は特殊。
一触即発の貴族と民衆との緩衝材といえるだろう。
けれど、彼女の瞳は揺らいでいた。
「殴りますわよ?」
「え、ええ? な、なんですか……っ!?」
「あのですねえ、あたくし達がどれだけ心配したと思っていますの?」
「でもいつも言ってるじゃないですか、あたしの治療魔術は天下一品ですの、絶対に無償で治したりしない――どんな相手でも正規料金を取るって」
「あ、あなたはいいのよ! 特別なの! それくらい分かりなさいよ!」
冒険者たちの空気が少し和らぐ。
けれどファリナ自身、今の状況にはかなりご立腹の様子。
「まさか、王都のために魔物退治に同行していたら、あなたがバカな貴族に虐められていただなんて……それで、そこの犯罪者がいったい何のつもりですの?」
ノーデンス卿ジュニアはやはり、既にここに来るまでに、私刑を受けていたのだろう。
ほぼ裸に近い状態での土下座である。
「ファリナ様……あ、あなたからもどうか、レイド君に言ってくれないか!?」
「あら? なんのことかしら?」
「しらばっくれないでくれ! あなたはあのファリナ、ファッシネイト家の家出娘、ファリナ様だろう! ほ、ほら、昔、王宮で一緒にケーキを食べたこともありましたよね!?」
「それはまだあたしが十二歳の頃。あなたが七歳くらいの頃になるのかしら、よく覚えていたわね」
記憶と一致していることにノーデンス卿の目が輝く。
私が彼に同情してしまったように、彼女もそうなると思ったのか。
だがファリナが見せたのは冒険者としての辛辣さだった。
「ノーデンス卿には確かに世話になった過去もあるわ。まだ社交界なんていうお遊戯に夢と希望を持っている時期もあったの。でも、知ってるでしょう? あたしはもう貴族であって、貴族ではない。アナスターシャ様のご機嫌を損ねて家にはいられなくなった。あたしが……あたくしが持ち出せたのはお母さまがもたせてくれた、冒険者ギルドへの手紙、紹介状だけ。あたくしが……いろんな手を使って神聖魔術の魔導書を自力で手に入れて、神童と言われるようになったのは十五歳。それまで、あたくしが、あたくしがどれだけ酷い目に遭っていたのか! こうして、庶民をいたぶるゲスな貴族様には一生分からないでしょうね!」
同席していたガノッサが言う。
「ファリナ……おまえ。だから十二歳で頑張ってるレイドに、そこまで入れ込んでいるのか」
「だって、仕方ありませんわ。一人で苦労して生きているこの子が、どれほどつらい思いをしてきたのか。全部わかるとは言いませんが、少しなら、あたくしには……分かりますもの。いえ、あたくしはまだお父様とお母様に学問を十二歳まで学ばせていただいていたから、まだよかった方。レイド様は、この子は、やっとそんな学問を学べる、幸せな場所に入れた。あたくしは、本当に応援していたのです。なのに、こんなのあんまりですわ。あんまりですわ!」
冒険者として気丈に生きるファリナの、令嬢だった頃の感情と口調が入り混じった叫びと涙が、冒険者ギルドにこだまする。
この王都一のヒーラー。
貴重なヒーラー。
その生い立ちが貴族であることも、皆が知っていた。けれどそんな彼女が冒険者たちに受け入れられているのは、彼女が頑張っていた姿を、皆が見ていたからだろう。
私は冒険者ギルドのレイドとして眉を下げる。
「すみません、ファリナさん……」
「あなたが謝る必要なんでないですわ」
酒を飲まなければ冷静な男ガノッサが、顔の古傷を摩りながら言う。
「ノーデンス卿にはオレも面識があるからなあ……あの人は貴族の中ではまともな方だし、何とかしてやりてえところなんだが。殿下はたぶん、絶対に許さねえだろうな」
再び地に頭をこすりつけるノーデンス卿の肩が震える。
「しかしジュニアよ。おまえさんもなんでまた殿下のお気に入りのこいつに、そんな馬鹿な真似をしちまったんだ」
「それは……」
「もしかして、誰かに命令されていた――ってことはねえだろうな」
意味ありげな言葉に皆の視線が男に向く。
ノーデンス卿の肩が、更に震える。
「たとえば、アントロワイズ家に第二王子殺しの罪をなすりつけた外道な女。【核熱爆散】すら扱えるこの国一の大魔女。アナスターシャ様とかな。そりゃああの女なら、レイドに生きていられるのは困るのかもしれねえがな」
それが答えだというように床に落ちたのは、ノーデンス卿の青痣だらけの頬から垂れる汗。
ファリナが言う。
「どういうことですの」
「オレから説明しちまってもいいのか?」
問いかけられたノーデンス卿は頷いた。
「こいつの本名はレイド=アントロワイズ。あの騎士貴族の生き残りだよ」
「アントロワイズ家の! 本当なの、レイド様!? だって、あなた、髪の色が」
他の者達の目線も私に向いていた。
たしかに金髪碧眼ではない。
けれど私はアントロワイズ家の礼儀作法で、スゥっと胸に手を置き。
「え、ええ。真実です、あの……殿下にはお伝えしていますが……アントロワイズ家の方々が、僕を孤児院から引き取って下さって。大切に育ててくれたんです。義父の名はヨーゼフ。義母の名はジーナ。姉の名はポーラ……あの、皆さんは、僕の家族がなぜあんな汚名を着せられているのか、ご存じなのですか? 僕は、僕を助けてくれたあの方々が、第二王子の暗殺なんてしていないと知っているんです」
ガノッサが瞳をきつく細め。
「知っているってのはどういうことだ。もっと具体的に言え」
「だって、王子殿下は、生きてダンジョンから出てこられたんですよ? 僕はあの日、見ました。たしかに毒を受けてはいたようですが、それでも治療が間に合った様子でした」
細められていた男の瞳が完全に閉じる。
その眉間には、深いしわが刻まれている。
後悔と積年を感じさせる低い声が、酒焼けのハスキーとなってこぼれ出ていた。
「……。あの日、第二王子がダンジョンに狩りに出かけた……その話を知っているのは、愛妾だったあの方と、少人数の家臣だけ。当時はオレも殿下の護衛を頼まれていたんだが……当時は、その、あまり仕事熱心じゃなかったからな。あんな迷宮ぐらい、部下たちだけで大丈夫だろって、気を抜いて……。まあ、色々とあったんだが、殿下がダンジョンに魔物狩りに行ったのは事実だ。んでだ、ここからが重要なんだが――この話は誰にも話しちゃいねえ。つまりは……」
「本当にアントロワイズ家の生き残り、ということですわね――」
あの学び舎の者ならば、私がアントロワイズ家の生き残りを名乗っているとは知っていたが、街の者は知らなかった。
ここで初めて知ることになった訳である。
女神アシュトレトがいれば再び拍手が送られただろうが。
黄昏の女神は、ガノッサの引き締まった筋肉にご執心のようで、デヘデヘしながらその肉の筋を眺めるばかり。
女神のマイペースさが羨ましいと感じる事もあったが……ともあれ。
私はアントロワイズ家の人間だと証明する事には、成功していたようだった。
「アントロワイズ家の生き残りが、自分の息子、愛しい殿下に囲われている。それも、その坊主の目的は六年前のあの事件の真相の解明。そりゃ、あの女は黙っちゃいねえだろうな」
「なるほど……そういうことですのね。反吐が出ますわ」
しばしの沈黙が流れる中。
私が言う。
「あの、どういうことですか? アナスターシャさまが、いったい……」
一同は違った意味で沈黙してしまう。
皆がガノッサに目線を送る。
「お前さんの家族を殺したのはアナスターシャ様。この国の王妃さまで間違いねえだろうよ」
「王妃様が……なんで」
言葉を絞り出した私の手を、ぎゅっと温かい感触が包む。
かつて貴族令嬢だったファリナである。
「そういう人なのよ。あたしも……あの人に追放されて家を失ったから、分かるわ」
補足するようにガノッサがノーデンス卿ジュニアを睨みながら。
「離宮の崩壊には、最強魔術【核熱爆散】が使われていた。この国であの魔術を使えるのは、あの王妃か、光の勇者のみ。光の勇者は勇者様だ、私欲でそんなことをすることはない。仲間だからな……断言してもいいぜ。ようするに、オレにとったら犯人は鼻っからアナスターシャ様、あの大魔女しかいねえんだよ」
私の手を優しく握ったままのファリナも、瞳を閉じ。
「貴族でないあなたですらそう思うのですもの。直接あの方を知っている貴族ならば……暗黙の了解になっているのでしょうね」
「王妃様が、みんなを……なぜ、なぜ皆さんはそれを表ざたにしなかったのですか!? どうしてっ」
「言った人間は皆――殺されちまった。それだけだ」
それは冷静な声だった。
おそらく仲間や知り合いも殺されただろうガノッサの、長い後悔の果てに出た声。
だが、恐ろしい程の殺意のこもった声でもあった。
「英雄たるノーデンス家ではどうなっていたのか、あなたは何かご存じなのかしら?」
どうしても私から殿下への言葉が欲しいのだろう。
ノーデンス卿ジュニアは挽回のチャンスを求め、必死の形相でファリナの言葉に食らいついていた。
「し、知っているぞ! 父は、その件に関しては……普段は見せぬ鬼の顔で、な、何も言うなと!」
「そう……なら、何かを知っているのでしょうね」
ファリナが言う。
「レイド様。もし真実が知りたいのでしたら、ノーデンス家に手を差し伸べてはいかがでしょうか」
「そ、そんな、手を差し伸べるだなんて、僕はそんなに偉い立場じゃ」
「レイド様は……すごい方なのに色々と抜けているのが不安です。今のあなたはとても偉い立場と言えますわ。驚きましたよ、あの作戦を立案したのがレイド様でしたなんて。ますます好いてしまいましたが――それはいいのです」
コホンと咳払いをし、彼女は続けた。
「ノーデンス卿の御子息である彼を許し、その父たるあの方から話を聞きましょう。あの日、なにがあったのか、おそらくノーデンス卿ならご存じの筈ですわ。彼も一族の命がそれで助かるかもしれないとなったら、今まで一度も語ることのなかった真実を、語って下さるかもしれません」
ガノッサが私に頭を下げ。
「レイドの坊主。頼む……オレもあの事件の決着をつけたい。そのためにずっと、ここにいたんだ。そろそろ……故郷の魚も食いてえしな。殿下に事情を説明してくれないか」
全てが上手くいっていた。
この私が、家族のために本気で反省したノーデンス卿に同情してしまったのは……誤算だったが。
既に大衆も動いている。
王妃アナスターシャは今までのように好き勝手はできないだろう。
証拠さえ集まれば、アントロワイズ家の冤罪も晴らせるのだ。
だが。
全てが思うようにいっている時こそ、誤算があるもの。
床に頭をこすりつけていたノーデンス卿の首を狙い、神速にも近い刃が振りかざされたのは一瞬。
ノックもなしに部屋が開いたのは、それはノックを必要としない人間だったからだろう。
ノーデンス卿を斬首しようとしていたのは、憤怒していた殿下。
マルダー=フォン=カルバニア第一王子だった。
殿下は自分の実力を謙遜していたのだろう。
私に対し、たいしたことはないと言っていた。
おそらくは強大な魔術師である母アナスターシャと自分を比較し、過小評価していたのだろう。
その太刀筋は一流。
だから計算違いが起こった。
殿下が彼を怒りのあまりに殺すだろうとは計算に入れていた、だからこそ、それを止められる人材、ガノッサが同席するように調整していたのだ。
だが、殿下の一撃はガノッサや私の想定の上。
だから――。
私は本来の使い手であるガノッサよりも早く斧を掴み、その刃を止めてしまっていた。
「いけません、殿下!」
王家の剣と斧の衝突。
残光の中。
殿下が呆然とした顔で、告げる。
「レイド……?」
おそらく、この部屋で二人は気が付いただろう。
殿下とガノッサ。
一流の者達の目は誤魔化せなかったはずだ。
この部屋の中で、私が誰よりも強いという事を。