第154話 招かれざる客人
各所のダンジョンの攻略も終わり、一年ほどが経っていた。
魔物氾濫による脅威は去った。
サニーインパラーヤ王国の危機も去り、ムーンファニチャー帝国とも和解合意。
魔術国家インティアルから繋がった一連の騒動は、一応の終結を迎えようとしている。
両国ともにエルフ王たる私……。
レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバーの治めるエルフ国家と国交を結び――フレークシルバー王国を通して交流も開始。
争いの多かった大陸同士の緊張緩和は、順調に進みつつあった。
もちろん、全てが丸く収まっているわけではない。
身内を殺され。
更に私による蘇生も間に合わず、家族を失ったドワーフには大きなしこりが残っただろう。
まあ、それは相手側も同様。
それを調べるためにも、多くの者がまだ慌ただしくしている戦後の空気の中――私は独り別行動。
エルフ王として、冒険者ギルドに事の顛末を報告しにきた道すがら。
私はギルド内の最奥、存在がほぼ知られていない”秘密の書庫”に足を踏み入れていたのだ。
正式な許可を得て、私はギルド内の『封印書庫』にて書に目を通していたのである。
棚は歴史のライン。
本来ならば閲覧制限がかけられている場所であり、ここは人類にとって極めて価値のある場所。
ここにあるのは、冒険者ギルドが表に出せない歴史や史実を記録し続けているデータの塊。
内々で処理されてきた”黒い古文書”の棚。
当然、どんな上級冒険者も、どんな王族でさえも門前払い。
閲覧や入室はおろか、存在を知ることすら許されていないトップシークレットなのだが……。
既に私は、ギルドの重要機密を扱う場所に立ち入る権限を有していた。
側近たるパリス=シュヴァインヘルトが、ギルド内のナンバーツーの権力者にまで入り込んでいるのだ――。
申請をだせばそのまま通ってしまう。
ある意味ではシステムが破綻した状況であり、既にギルドの機密性が崩壊しているのだが……まあ私が悪さをしなければ問題のない話。
ギルドマスターですら生涯、存在すら知らずに退役する者ばかりの特殊空間。
ここはまるで本のダンジョンだった。
迷路のような壁となった本棚が、無数の書物を守っている。
天井にまで並ぶ本棚の中で、私は探していた書を見つけ出し個別に閲覧申請を魔術送信。
即座に許可のサインが戻ってくる、顔パス状態。
速読の魔術を発動している私は赤い瞳に文字を反射させ、次々に古文書をめくっていく。
本棚の日陰の中。
私の指はムーンファニチャー帝国とサニーインパラーヤ王国の歴史をめくり続けていた。
文字の基準が違うが、それも魔力による自動翻訳で解決できていた。
獣脂に似た香りは魔導書のインク。
鼻を擽る古紙の香りは、人によってはとても落ち着く空気に感じるだろうか。
次々と解読と記憶を繰り返し、本棚を梯子。
一人、歴史書を漁る私の耳を、一人の青年の声が揺さぶった。
「随分とご活躍だったみたいじゃないか、我が召喚主」
声の主は、異世界から入り込んできた冥界神ヘンリーである。
異世界から召喚してしまった彼は、四大迷宮の攻略後に元の世界に帰ったはずだったのだが。
一見するとひょろいモヤシのお坊ちゃまだ。
けれど着痩せする青年の実態は違う。
その立ち居振る舞いや空気はモヤシどころか鋭い。まるで軍隊か、あるいはそれ以上の過酷な修行や訓練を乗り越えたような、底知れぬ覇気を感じさせていた。
書から目線だけを上げ、銀髪の隙間から赤目を覗かせ私は問う。
「おや、契約は履行され――既にお帰りになられたのでは?」
「いやさあ、色々と確かめたいこともあったし? それで、今度はなんなのさ。まさか書店で立ち読みってことはないだろうし? 古い書物を漁っちゃって、いったいなーにが知りたいのさ」
肩を竦めて飄々と語る冥界神ヘンリーであるが、その陽気な視線は私の手の中。
私が手にしていたのは、冒険者ギルド本部に保管されていた古文書。
其処に刻まれているのは、あの二つの大陸の歴史である。
ムーンファニチャー帝国はもちろんのこと、当時はまだ、サニーインパラーヤ王国に冒険者ギルドは存在していたのだ。
ギルドが世界の裏で多くの歴史を刻んでいるのならば、当然、歴史から抜かれている記述も探すことが可能。
書に目線を戻した私は言う。
「元ウサギで大陸神だった男がなぜ人を嘆いていたのか、なぜ大陸を嫌うようになったのか――些かの興味がありました。そして私はどうも好奇心を隠すのが苦手なようです、つい、ここまで無茶をして入り込んでしまっただけの話。ああ、一応言っておきますが、あなたとは違いちゃんと許可を得ておりますので」
「歴史をねえ……」
「なんですか、その複雑そうな顔は」
「歴史も大事だけど、前を見なよ。過去よりも未来を、更にもっと先の方を眺めるべきさ! って、ボクの駄猫先生がよく言っていたからね。忘れちゃってるならいいんじゃないかなって、そう思うわけさ、ボクはね」
冥界神ヘンリーは特徴的なクマを縮めるように瞳を細め。
冥界神の魔力を発動。
一冊の歴史書を、別の本棚から召喚。
私の手元へと魔力で浮かべ、必要なページをバササササっと自動で開いてみせていた。
「けれど、あのドワーフたちもまったく恨まれていないわけではないんだね。あの……なんだっけ? ああ、そうか。元大陸神の忠節の魔王が、まだ大陸神だった時代――彼らも彼らで結構な阿漕な商売をしていたみたいじゃないか。幸福の魔王殿は、それが知りたかったんだろう?」
私が言う。
「ええ、まあ――当時のムーンファニチャー帝国では、まだ魔術が発動できていましたからね。魔術もあり、資源もあり、技術もあり、そして長寿ゆえに技術の劣化が起こりにくいドワーフ種。かたや、まだ技術も未発達で知識や技術の受け継ぎが困難だった人間が中心の、少し文化の発展が遅れていた大陸。どうやら今とは違い、ドワーフ達の方がサニーインパラーヤ王国に圧力をかけていた時代があったようですね」
それはドワーフ達の黒い歴史。
サニーインパラーヤ王国に対し、生活に必要な資源を餌に不当な取引を強要。
魔力を孕んだ火山地帯特有の豊富な資源や、刀や鎧に必要な素材を整える”クリエイト”能力を元手に、ぼろ稼ぎ。
相当に不当な、対等とは言えない取引を持ち込んでいた商人ウサギも多くいたらしい。
おそらくその件には、忠節の魔王が愛した女性も関わっている。
彼女はその取引を飲まざるを得なかった側。
かつて魔術と技術に溺れていたドワーフ達も、今は反省しているが……。
冥界神ヘンリーが言う。
「それで――ドワーフ達の黒い歴史を紐解いて、いったいどうするつもりなのさ。まさか、おまえたちもかつては人間にこんなことをしていた、だから多少殺されても許してやれ、とでも言うつもりなのかな。それはちょっとまた違うんじゃないのかって、ボクは思うけれどね」
「ここの資料で得た情報は持ちだし厳禁ですので」
「そう、じゃあ幸福の魔王陛下の自己満足ってところかな」
言いながらも冥界神ヘンリーは私が探していた記述を、また別の本棚から探り当て。
「魔王陛下が欲しがっていた情報はこれじゃないのかい?」
「……あなた、どなたでしょうか?」
「おや、ボクを忘れてしまったのかな? 酷いなあ、こないだはちゃんと召喚されてあげたっていうのに」
外見的特徴は一緒。
魔力も一緒。
喋り方は……まだ私は冥界神ヘンリーの話の癖を覚えきっていないので、曖昧だが。
その曖昧さの中にも、少しの違和感がある。
あの冥界神にはない陽気さが、今の彼には確かにあったのだ。
冥界神ヘンリーの姿をしたナニカが、悍ましいほどの魔力を纏い。
魔力を含んだ、重厚なる声を上げだした。
『失礼したね、ちょっと彼の姿を借りて顕現しているよ。ヘンリー君が一度そちらに召喚されたおかげで、彼の魔術構造を疑似的に作り送りだせば、違和感なく操作できるってわけさ。ああ、別に彼の身には何一つ問題がないし、あの時の彼は彼自身だから――そこは安心して欲しい。いやあ、あなたは本当に凄い。バレないはずだったんだけど、まああなたならば仕方がない』
冥界神ヘンリーの皮を被ったナニかが。
慇懃無礼な挨拶をして見せ。
『あなたはかつて楽園を滅ぼした者。名前を言ってはいけない、あの方と呼ばれし者。そして、勇者に敗れ――その魂と、精神と、肉体を分離させられ転生した……、あなたの言葉をお借りするのならば”始まりの魔王”。その肉体部分が女神ダゴンの手により転生させられた、三つに分かれた魔王陛下の欠片の一つ――そうお見受けいたしますが――どうなのでしょうか?』
そこまで見抜いているのならば、相当な実力者なのだろう。
そして、目の前のナニカの言葉の中に、女神ダゴンの名がでできた数十秒後。
私を守る様にこの空間が切り替わり、仄暗い海の中へと沈んでいた。
やったのは当然、ダゴンである。