第153話 魔王の恋の物語:後編
元はウサギの姿だった大陸神。
そして月の女神の力により人間になった男の、恋物語。
話の区切れという事もあり、月の女神が言う。
『はは、こいつ! 神でウサギのくせに人間に恋をしたって、マジで笑えるだろ!? でも、マジですげえだろう!? だから、オレはこいつのこと気に入ってんだよ!』
「なんと! 我が神、我が君よ! 我をそのように言っていただけるとは!」
『気にすんなって! オレとてめえの仲じゃねえか!』
ガハハハハと女神とかつてウサギで神だった魔王は大笑い。
同じく月の属性の持ち主。
気が合うのは確からしい。
ダンジョンボスをほぼ攻略し終えている私は、魔術式を操作。
杖の先端から生み出した魔力檻を投射――ダンジョンボスの召喚するケモノタイプの魔物を捕獲しつつ、周囲の壁に結界を張り、大陸を壊さぬように状況を維持。
一息つきながら言葉を漏らしていた。
「ふむ……しかし分かりませんね」
『なにがだよ』
「彼がかつて大陸神でウサギだったことは分かりましたが、なぜ両者の大陸についてあまり良い感情を持っていないのですか? あなた、かつてはドワーフ達の神だったわけですよね?」
今は私の加護を得て、ドワーフ皇帝カイザリオンが大陸神に近いことができるようになっているが。
そうなる前に、彼はあの大陸を恋のために捨てたわけだ。
どちらかといえば気に病んだり、気に掛ける必要がある立場に思えるのだが。
月の女神はジト目を維持しながら、呆れを示すように肩を竦め。
そして、ニヤり。
『んだよ、ねちっこいやつだなぁ。レイドォよぉ、おまえ……友達いねえだろ?』
「……それは今、関係ありますか?」
『うわ! その顔は図星だろ! かぁぁぁぁ! しゃあねえなあ! じゃあまずはオレが友達からの関係ってやつになってやるよ! こんなイイ女の友達になれるんだ、まさか嫌とは言わねえよな!?』
特別だぞ?
と、なぜか恩着せがましく言われてしまう私は、悪酒をしながら絡んでくる女神アシュトレトを思い出し……げんなり。
辟易の中で言う。
「あなたは無駄に友達が多そうですね」
『ひでえな、無駄はねえだろ、無駄は――まあ、たしかに、昔は本当に多くの友がいたさ。”あの方”の大切な兄上を守れなかった楽園の連中も、あの方の大事だったモノを壊しちまったあの場所も……全部が全部嫌いだったわけじゃねえ。友は友でいたさ、オレにもな』
急に女神らしい一面を覗かせ、月の女神は遠くを眺めるようにゆったりと瞳を細めていた。
まあ、たしかに。
今のは私の失言だったかもしれない。
『別に気にしてねえから、そんな顔するんじゃねえよ。オレたち、ダチだろ?』
「まだ友達になったとは言っていませんが、はぁ……どうもあなたたち女神は、全体的にそういう傾向にありますね。勝手に人の顔色を窺って、勝手に心を読む。いったいどこまで見えているのです?」
『全部じゃねえが、まあ、あぁこいつ、いまこんなこと考えてるなぁ――ってのはなんとなくな。たぶん、オレたち女神って存在が畏れや願いってか、人間の信仰から発生した存在だからだろうさ』
女神は神の威光をもって、胸元にそっと手を当てていた。
なにか大事なことを言うつもりなのだろう。
その視線は――私の顔と瞳を眺め、そして一度鎖骨に目線を下げ……女神は更に瞳を細め。
静かに微笑を作ったのだ。
ヤンキーのような印象だった月の女神キュベレーだが、その顔立ちは女神だけあり美しいと言って問題ない。
黙っていればとても位の高い女性なのだと理解ができる。
少しだけ、私の脳裏にはまだ会ったことのない、だが割れた鏡の記憶の奥にある様々な女神の姿が思い浮かんでいた。
私の感傷を知ってか知らずか。
威厳と清廉を同時に纏いながら。
だから、と――言葉を繋ぎ女神は告げる。
『てめえがもしエッチなことを考えちまったら、オレにも筒抜けってわけだ』
本気の女神の威光の中で、これである。
……。
真剣に聞いて損をしたようだ。
こちらの呆れも気付いている筈なのに、やはり真剣な表情のまま。
女神の威光全開の、黄金色の月のような顔で――。
『オレに欲情しちまったら、それは仕方ねえってことだ。おめえなら気にしねえよ、ダチだからな。だから、オレはいつまでも待っててやる。この際、愛人でもいい。てめえの三女神にも配慮はしてやるってことだ。分かったな?』
一応は、こちらはダンジョン最奥のボスを攻略中なのだが。
まあ、先ほども述べたが流れ作業。
待っている者たちにとっては、神々の戦い――激しい戦いが行われていると思われているだろうに、実際はこれである。
言葉を失いつつも私が言う。
「とりあえず、あなたの相手をまともにしても無駄だとは理解できました」
『おう、オレ様との接し方はちゃんと記憶しておけよな!』
「話を戻しますが、なぜこちらの元ウサギの大陸神……忠節の魔王、あなたは二つの大陸にあまり良い感情をもっていないのです?」
話を振られた忠節の魔王は、しばし目を瞑り。
「もう、過ぎた話。人類の争いに、元は神だった我が口を出す権利はないのやもしれませぬが……ムーンファニチャー帝国も、サニーインパラーヤ王国も……人知れず、互いに多くの命を奪っておりました。人としては長い時の流れの中で――我は見たのです。知ってしまったのです。考えてしまったのです。ああ、彼らはどうして醜いのかと……」
「醜いとは言いますが、あなたも人だったのでしょう?」
「ええ、ええ。そうであります、そうでありますからこそ……見えてしまったのです。彼らは……我が愛した者と、その子孫を不幸にした。そういった歴史にも残らぬ歴史が、あったからでありますよ」
正直、よくわからなかった。
ただ考えられるとしたら――。
元ウサギの神は、人間となった。
だから。
人間として、様々な感情が浮かんできたのだろう。
神と人との時間感覚のズレ。
長い歴史。
人間としての視点で見てみると、神だった頃には見えなかった闇も見えてしまったのかもしれない。
男の瞳の奥には、記憶があった。
プアンテ姫に近い無限の魔力を有する私の瞳には、見えていた。
魔力同調を通じて、もはや届かぬ、かつてのその景色が見えていたのだ。
彼の愛した女性は最後には看取られて、奇麗に死ねたが。
それでも、多くの苦悩の人生を生きてきたようだ。
サニーインパラーヤ王国でも、ムーンファニチャー帝国でも……彼の愛した女性は、泥水を啜る様に生きてきたのだろう。
そして天寿を全うした彼女の、その子孫たちも今はもう、消えてしまった。
人類たちの、国同士や大陸同士の抗争に巻き込まれて死んだのだろう。
既に人間となっていた彼は神ではない、彼女の子孫を追う事ができなくなっていたようだ。
神の視点でみれば、人が死ぬなど当たり前だ。
けれど、人間の視点でみると違う。
愛した女性の子孫が理不尽な死を遂げたことを、彼は許せなかったのだろう。
男の記憶はもはや曖昧だった。
けれど、愛した者の血族が両者の大陸間でのいざこざで、不幸な死を遂げたのは間違いないようだ。
その憎悪だけは、今でも彼の心を突き動かしている。
記憶が曖昧になっている今でこれなのだ。
当時はおそらくもっと……。
まあ、想像しかできないが。
だから、元ウサギの、元大陸神だった男は、願ったのだ。
こんなことならば、人間になどならなければよかったと。
そして、そんな彼の願いを聞き入れ――月は手を差し伸べたのだ。
それがおそらく、忠節の魔王の誕生。
男は名を捨て、魔王となった。
それが、元ウサギの叶わなかった恋物語。
もうそろそろダンジョンボスの討伐も終わる。
赤い瞳を煌々と照らし。
白銀の結晶を周囲に纏いながらも、私は考えていた。
もし、彼が願うのならば――。
私は彼に名を取り戻させ、その姿と性質を大陸神だったウサギに戻せるだろう。
だが。
私は結局、その提案を口にすることはなかった。
考えたのだ。
そして少し先の未来が見えたのだ。
もし私がそう提案していたら――彼はしばらく困ったように考えて。
首を横に振っていた。
彼はかつて愛した女性と同じように、天寿を全うして死にたいのだろう。
魔王であるのなら、死ぬことはできる。
神になったら、おそらく寿命で死ぬことは早々にない。
だから私は、何も言わずに――ただ淡々と作業のようにダンジョンボスを討伐した。