第14話 私刑
※本部分には一部、人によっては不快に思われる表現が含まれます、ご注意ください。
上級生が気に入らない下級生を呼びつけ。
そして公にはできない私刑を行う。
かつて人間がサルであったという証拠が今、聴衆の目の前で繰り広げられていた。
これも集団心理の一つ、社会実験でも証明されている人間という群れの特徴である。
「雑魚、ぶはははは! なんだこいつ、全然反撃してこねえじゃん」
「イキってんじゃねえぞ、このクソウサギ!」
銀髪の少年は顔を踏みつけられ、血反吐を漏らして地に倒れていた。
私である。
名目は訓練であったが――実際はただの嬲り。
残酷なリンチを眺める視線は多数。
やり過ぎだと咎める視線の者もいれば、もっとやれと興奮気味に観戦する者もいる。
止めることができないのは、この上級生たちが地位のある貴族の息子だからだろう。
リーダー格の騎士貴族の家名はノーデンス。
濃い金髪碧眼の、英雄の息子といった言葉が似合いそうな、鍛え上げられた筋骨を持つ十五の若者である。
もっとも、その性格は英雄とは程遠いようだが。
悪いが彼にはこれから様々な不幸を背負って貰うことになるだろう。
六年前と同じく、このカルバニアの国は縦社会。
地位は絶対。
私は第一王子マルダー=フォン=カルバニアの口添えでこの学び舎にいるが、地位としてはアントロワイズ卿。先日復活したばかりの、貴族としては最も低い地位にある者。
だからこそ、このリンチもなり立つ。
そして、上位の地位にあるこの上級生たちを止められる者はいない。もっと言えば、この学園内でノーデンス卿を止められる人間はいない。
あくまでも親がだが、教師よりも地位のある貴族派閥なのである。
それこそ、英雄と言っても過言ではない親を持っていた。
ノーデンス家はこの国で大事な存在。
だから。
教師ですら止められない。
だからこそ、皆は――。
興奮しているのだ。
熱狂しているのだ。
ああ、もっと虐めろと黒い欲望を掻き立てているのだ。
止められないのだという免罪符があるからこそ、傍観者として見学できる。虐げられる異物を遠巻きから、無責任に眺めることができる。
簡単な人間心理である。
それは一種の興奮剤となって、この学び舎を狂わせ始めていた。
男性の多い騎士課とは別。
十割が女性である魔術師課の女生徒が、ニヤニヤしながら騎士の苛めを眺めて、くすり。
「かわいそうだから、やめてあげなよぉ、ノーデンスゥ」
「ぎゃはははは! 止める気ないくせに、うける~」
「ま、しゃーないでしょ。あのアントロワイズを名乗るなんて、バカ。こうされて当然でしょ」
口々に女生徒が言う中、一人の怜悧な印象のある女生徒がぼそりと口を動かした。
「でも……あの暗殺事件、アントロワイズ家はただ利用されただけかもしれないって……母様が言ってたわ」
「バカ、それは言っちゃいけない事でしょ」
「でも……」
「でももだってもないわよ。あんた、アナスターシャ様に殺されたいの? あの王妃様の魔術、あんただって見たことあるんでしょう? 過去の地雷を掘り返したいの? あたしは嫌よ、ぞっとするわ」
どうやらこの世界にも地雷の概念はあるらしい。
ともあれ、頭では冷静にそんな知識を吸収していたが。
とかく大変だったのは、傷を受けるための演技だろう。
なにしろ彼らの攻撃力は低い。
これでも私は男の魔術師。この世界では神に祝福された特別な存在。
自動的な防御力――パッシヴスキルと呼ばれる自動発動スキルの効果で、一定以下のダメージを無効化にしてしまうのだが、彼らはその防御力を貫通できないでいるのだ。
こちらはちゃんと相手の攻撃に合わせ、ダメージを発生させ、ようやく怪我を再現しているのだが……どうにも加減が難しい。
こちらの苦労も知らずに。
下卑た男の顔でノーデンス卿が言う。
「どうした、アントロワイズ卿。お前の一族は確か騎士の家系だったらしいな。卿の肩書を名乗るならばおまえとて、騎士としての誇りと誉れを身に付けるべき。これは剣技だ。我々は若輩の指導を行っているだけ、それは理解しているのだろう?」
私刑はしばらく続いた。
マルダー=フォン=カルバニアが遠征に行っている間に起こったこの事件は、更にこの国に大きな厄災を蒔くことになるのだが。
おそらくそれを理解できていた者は、この中に一人もいなかったのではないだろうか。
私刑の首謀者だったノーデンス卿が必死の形相で、私の下宿先。
つまり冒険者ギルドに青褪めた表情でやってきたのは、三日後の事。
既に街にはこんな噂が浸透していた。
貴族どもが冒険者ギルドの見習い従業員。
あのレイドを私刑にし、重傷を負わせたのだと。
◇
貴族の息子や娘たちは知らなかったのだろう。
私が冒険者ギルドではそれなりに有名な従業員であったという事を。
冒険者ギルドは王国よりも民衆と近い存在。
だからこそ、この私刑は一種の起爆剤となった。
爆発的に人々の心を狂わせ始めていた。
もし冒険者が王都に多く残っていたのなら、この噂が広まる前にすぐに私を治療し、もう少し騒ぎは小さくなっていただろう。
けれど、冒険者の多くは出払っていた。
特にヒーラーは一人もいなかった。
理由は単純だ。
魔物の大量発生である。
第一王子マルダー=フォン=カルバニアによる今回の魔物討伐。大量発生した魔物への対処にあたり――殿下は通常とは異なる作戦を立案した。
今回に限り、主戦力となっているのは彼ら冒険者。
普段ならば魔物の大量発生の際には、貴族が中心となって動く。これは貴族が冒険者よりも優れているというわけではない。
貴族たちは統率、群れで群れと戦う戦闘に特化している者が多い。
冒険者たちも街を守るために魔物と戦っているが、それは一対一。単独が多いのだ。
だが、今回だけは違った。
貴族と共に冒険者もその連携に参加していたのである。
だから、王都では極端に冒険者が不足していた。
むろん、そんな偶然があるわけがない。
作戦立案に私が介入していたからだ。
冒険者には女魔術師も数多く所属している。
貴族の箱入り魔術師ではなく、実戦で強く生きる、孤児院育ちや平民育ちの実力主義で生きていた者達だ。
親から高価な魔導書を受け取れる貴族と違い、彼らは自分で高価な魔導書を購入する。
一度魔術を身に付ければ、その力を振るい依頼をこなせるが――その一度魔術を身につけるという土台が手に入るまで、どれほどの苦労があるか。
貴族の御令嬢には一生、理解のできない領域だろう。
だからこそ、価値観が大きく異なる者同士。
冒険者の魔術師と、貴族の魔術師とは対立することも多く、元から仲が悪かったのだ。
それなのに。
荷物を運ぶことに特化した女冒険者魔術師が、遠征先からアイテムを補充に戻ってきてみれば、どうしたことだろうか。
ギルドの皆が、殺気立った様子で腕を組んでいた。
「なんかあったんすか?」
まだ魔物とは交戦中。あと少しで殲滅できるが、窮鼠猫を嚙む。最後の殲滅時こそが、最も敵が強くなる瞬間。
だから彼女は急いでいた。
早く物資を補充して、戻りたい。
けれど、この騒ぎだ。
彼女はギルドの皆に聞く、何があったのかと。
「それがな――」
「は!? なんすかそれ!?」
答えは、あのレイドが貴族からの私刑に遭ったという回答。
荷物の神とさえ言われる彼女からは既に、私は何度も仕事を受けていた。
無限ともいえるアイテム収納空間に隠していた、鑑定不能のアイテムを、ギルドに内緒で鑑定していたのである。
ようするに顔なじみなのだ。
当然、彼女は激怒した。
「あいつら、魔物退治を平民に押し付けて――っ、自分は弱い者虐めっすか!? だったらあたしらじゃなくて、宮廷魔術師どもが野を駆け山を駆け、魔物を全部倒してこいって話っすよ!」
「って、何の騒ぎだ、こりゃ……ただごとじゃねえみてえだが。魔物の大量発生か?」
ダンジョンから戻ってきた熟練冒険者たちも、休日ならばいる筈のレイドの姿が見えずに訝しむ。
「違うっすよ! いや、実際それも起こってるんで、完全に違うってわけじゃないんですけど!」
「お前の話は分からねえよ。おい、誰か事情を説明してくれ」
事情を知り、当然彼らも激怒した。
カルバニア王国の火種は大きく燻ぶり始めている。貴族と民衆との間に、明確な亀裂が走っていたのだ。
そして荷物の神とされる冒険者は急ぎ補給を終え、遠征先に戻り。
荷物の運搬はしたが大激怒。
貴族の多い騎士たちと一触即発状態になっていた。
皆が、顔を青褪めさせた。
それはなぜか。
王子のお気に入りが私刑に遭ったから、だけではない。
殿下も騎士貴族も、魔術師も軍師も――彼女から話を聞いたのだろう。
殿下が遠征に行っている間に、レイド少年が瀕死になっていると。
とんでもないことが起きてしまったと、現場は騒然としていただろう。
既にその時。
遠征に向かっていた貴族たちは知っていた。
あの見事な魔物討伐の計画を練ったのが、たった十二歳の神童であることを。
そして、その遠征に向かっていた貴族たち、王子の傍らで大隊を指揮するのは――。
魔物発生に真っ先に向かうのは。
英雄。
そう、ノーデンス卿の父親、本来の意味でノーデンス卿と呼ばれるべき男だった。
国の英雄騎士こそが、残酷なショーを行っていた子供たちの親だったのである。
魔物との戦いは人間の勝利で終わった。
結果を見れば圧勝であった。
誰一人欠けることなく――。
彼らは帰ってきた。
死者が一人も出なかったのは奇跡としか言いようがない。
だが――凱旋の筈が、騎士貴族たちにとっては針の筵状態だっただろう。
私の傀儡。
マルダー=フォン=カルバニアは、私よりも民をお考え下さいと告げた、私の言葉をちゃんと覚えていたのだろう。
本来ならばすぐに、寝込む私のもとへ来たかったのだろうが、それでも公務を優先し、民を安心させるべく発表した。
発表は二つ。
一つ目は、勝利宣言。
大量の魔物の殲滅に成功したことを告げたのだ。
もう一つは、暴動が起きかけている民への発表。
魔物討伐の立役者であったレイド少年を不当に私刑に遭わせたとして、事実確認の上で関係者の処罰。
特に主犯であった上級貴族ノーデンス家及び、それに連なる者は家名の剥奪と拘束。
そして――。
一族全員の処刑。
死刑である。
そこまで発表しないと民衆の怒りが収まらなかったのだ。
実際。
まだ刑は執行されていないが、いまもなお民衆たちは怒りの声を上げていた。
早く殺せ。
早く吊るせ。
王と王妃は何をやっているのだと、第一王子に全てを任せる今の状況に苛立ちを覚えていた。
反面、マルダー=フォン=カルバニアの評価は天井知らずに上がっている。
魔物の大量発生に迅速に行動し、貴族相手であっても正当に罰を与えるその姿勢が評価されているのだ。
それは今まで母の強権の下で地味と思われていた彼にとっては、愉悦。
強い快感となっていたのではないだろうか。
それは幸福と言えるだろう。
私を拾ったことで得た、正当な幸運だ。
もっとも彼が本当に私を心配しているのは確からしい、私にもペットに向ける程度の憐憫は持ち合わせていた。
後でよくやったと頭を撫でてやる必要があるだろう。
ともあれ。
それがつい先ほどの事。
だからこそ、私を私怨ですらなく、気晴らしに私刑にした彼は来た。
まだジュニアの方のノーデンス卿は、衛兵に捕まることなくここにきて。
最後の頼みとばかりに、私に嘆願しに来たのだろう。
どうか、殿下に口添えしてください、と。
さて、ノーデンス卿からどんな言葉が聞こえるのか。
それを楽しみにしていたのは、私だけではなかったようだ。
既に時刻は黄昏時。
昼の終わりと共に現れたアレは、霧の中で、ぞくぞくと、興奮した様子で私を眺めていた。
見た目は清楚で淑やかな乙女。
巨匠が描けば、処女を愛するユニコーンが似合いそうな清らかな乙女。詩人が歌えば、黒き花の精霊とでも形容するのではないだろうか。
けれど、その内はドロドロとした陰鬱な女。
黄昏の女神が、デフォルメされた虫歯菌を彷彿とさせる口で、言う。
『ふふ、ふ……ふふ、レ、レイド。これ、あ、あ、あああ、あ、あ、あなたが、全部、やってるんでしょう? おお、お、お。おまえは、やっぱり……面白い、面白いよ……レイド』
私は彼女をアシュトレトほど信用していないし信頼していなかったが。
それでも女神は女神。
利用価値はある。