第146話 神創生魔術:【女神創造】
地上で行われたのは、氾濫した魔物の殲滅。
降伏の意志を示さなかった魔物を全て植物化させ、復興のための樹木に変換。
神話や伝承を再現する魔術奥義、魔術体系アダムスヴェインによる範囲即死魔術ともいえる奇跡が発動された地。
その上空。
女神達は女神達でなにやら話し合っていたらしく。
空中庭園のテラスに築かれたカフェにあるのは、集う女神達。
明け方の女神ダゴン。
昼の女神アシュトレト。
午後三時の女神。
黄昏の女神バアルゼブブ。
夜の女神ペルセポネ。
そして、今回の騒動の主ともいえる月の女神。
月の女神の駒にして従者、サニーインパラーヤ王国で将軍と呼ばれていた魔王将軍は、女神たちの悪酒の絡みに巻き込まれ……撃沈。
魔力酩酊状態で、床に転がっていた。
まあ生きているので問題はないが……。
女神バアルゼブブは見知らぬ彼に人見知りを働かせているのか、部屋の四隅で、虫の霧となってチビチビと紅茶をすすっているようだ。
酒を飲んでいるのは女神アシュトレトと月の女神。
ほかの者たちは優雅に午後の紅茶を味わっているようである。
私の部下の飼い猫であり私の眷属でもある魔猫、ニャースケの更に眷属の魔猫達が徘徊するようになった空中庭園にて。
午後三時の女神が用意したと思われるアフタヌーンティーセットを横目に――。
魔力による会話ではなく、通常の声で私が言う。
「どうやら……色々と大変だったようですね、プアンテ姫」
魔王将軍が倒れるほどの濃い魔力濃度なのだ。
労いの視線を向ける私に頷いたのは、午後三時の女神の駒。
魔王の一人でありフレークシルバー王国の要人の一人、かつて我が母たる白銀女王の生まれ変わりとも称されるほどの白雪姫プアンテ=ド=メディエーヌ=フレークシルバーだった。
白銀の髪にある美少女顔には、女神たちに精神を揉まれ、苦労したとわかる疲れの表情が浮かんでいる。
プアンテ姫の小さく品のある唇が動く。
「いいえ! いいえ! 多くをお救いになられているレイドお兄様のご心労に比べれば、このプアンテの苦労など――と、言いたい所ではありましたが……」
「女神の我儘と無理難題に振り回されていた、と」
「はい、さすがにすこしわたくしも疲れを感じてしまったようですわ」
素直で結構。
「心中お察しいたします。そして、彼女達の対応をお任せしてしまって申し訳ありません。なにしろ相手は女神達、通常の存在では対処できませんからね。魔術国家インティアルもまだ落ち着き切ってはいない状況ですし、ドワーフの国家ムーンファニチャー帝国も襲撃の余韻で、安定はしていない。そしてその襲撃者たるサニーインパラーヤ王国は既に背水の陣だった――あまり空中庭園に人員を割くわけにもいかず。すると、単騎で並の国家ならば圧倒できるほどの、力あるあなたに頼るしかなかったのです」
プアンテ姫はとても思慮深い魔王で、姫で、淑女。
エルフたちが腐っていた時代にあっても、まともだったエルフの王族だ。
普段はフレークシルバー王国の守りについて貰っているのだが、今回は女神達の邂逅の対応を任せる事となったのだが。
黒と黄金。
おそらくは月の満ち欠けを示すプリン髪の月の女神が、ギザ歯でケシシシっと微笑し。
『このオレたちの世話ができるだなんて、滅茶苦茶に名誉な事だろう? 別にいいじゃねえか! なあ、プアンテちゃんよぉ!』
「え!? あ、は、はい。わ、わたくしも女神さま方とお会いできてとても嬉しく存じます」
『ほら見ろ! どうだ、魔王レイド! この嬢ちゃんはオレたちの世話をさせていただいて、とても嬉しいって思ってるんだよ! なあ!? そうだよなぁ!?』
ガハハハハ!
と、実に豪快に肩と胸を揺らす月の女神は馬鹿笑い。
そんな豪胆な女神を冷笑するように、夜の女神が顔を覆うヴェールを揺らし。
『ふむ、これだから月を朕は好かぬ。幸福の魔王の顔を立て、騒ぎを起こすつもりはないが。はて、朕の忍耐もどれほどに持つであろうか? 些か、不安じゃて』
『うっせーなぁ半分死人女。あぁーあ、てめえといると酒がまずくなっちまう』
『アフタヌーンティーに酒を呷るような品無き女が女神だとは、あの方もなにゆえに、このようなガサツな神性を救い上げられたのか――あの方の優しさは”嘆きの川”よりも深く広いという事であろうな』
夜の女神と月の女神は不仲。
こんなやりとりがずっと行われていたのだとしたら、プアンテ姫の心労も相当だっただろう。
魔力溢れる女神たちの嫌味の応酬は、周囲に与える影響力も絶大。
この空中庭園でなければ、それだけで台風や震災、神雷となって周囲を襲っていた事だろう。
その辺りのカバーは空中庭園の結界と、気を利かせた女神ダゴンが行っていたようだが。
血の色をしたワイングラスを傾け、女神アシュトレトが言う。
『良さぬか、夜よ。こやつとて――あの方がお救いになった者、あの方が手を差し伸べた尊き命じゃ。妾もこやつの存在は認めよう。些か小うるさく、騒がしい小娘だとは思うておるがな』
『オレが小娘か? そりゃあいいや、たしかにアシュトレト、てめえの方が歳はとってそうだからな!』
『さて、どうじゃろうか――そなたも古くは月と弓の女神にその源流をもつとされておる。あの方に拾われたときには、はて……どのように落ちぶれた姿であったのかは知らぬが、古き神性であることは間違いあるまい? おぬしの方が年増やもしれぬぞ?』
更なるバトルが起こる直前。
ダゴンは聖職者の服の隙間から覗く白い肌を輝かせ、淑やかな笑みを漏らし。
『仲が良いのは理解したのですが少し、よろしいでしょうか――?』
『は!? クソ尼。だれがこの朕々女と露出狂女神と、仲がいいだぁ!?』
吠える月の女神であったが、女神ダゴンは涼しげな糸目で。
ふぅ……と白魚のような手を頬に添え。
『――旦那様は五十年前の騒動について、あなたがたにお聞きしたいみたいなのです。あたくしは正直、あなたがたが殺しあおうが呪いあおうが、どうでも良いのですけれど……』
『あぁん!? てめえ、本気で言ってやがるな!?』
『月の満ち欠けは潮の満ち引きと連動し続ける――あなたの存在は、あたくしの海にも影響を与えますでしょう? そして夜がなければ月はない。ですので、どちらも消えてしまえば、あたくしの海も静かになる。何もない、ただ静寂に満ちた世界へ近づく第一歩になるかもしれない……と、少しそう思ってしまいまして。駄目でしたでしょうか?』
『あ!? てめえこの野郎! オレをバカにしやがったな!?』
私と気質の近い女神ダゴンは、交渉の時にはこうした慇懃無礼な態度をよく利用する。
わざと相手を怒らせてはいるが、公式の文書では一応の敬語を貫き、体裁を保つ。
そして相手から言葉を引き出すために、小さく呆れの息を吐いてみせていた。
『あら? 失礼いたしました。バカにしたつもりはなかったのですが……お気に障ったのでしたら、謝罪をさせていただきますが――』
『おう、謝罪しろや!』
吠える月の女神に、夜の女神が星屑色のヴェールを揺らし。
『魔王が見ている前で、良さぬか――』
『あぁん? なんだ、夜のババア。珍しくしおらしくしやがって、毒気でも抜けちまったか? たかが魔王が三匹いるだけで、なんで創造神たるオレたちが気を遣わねえといけねえんだよ。こいつらはオレたちの駒。むしろ崇め奉る必要があるだろうがよぉ』
『愚かな――気付いておらぬのか』
やはり、あぁん? と眉を顰める月の女神。
その狼のような睨みに応えたのは、この中ではあまり立場が強くなさそうな午後三時の女神であった。
『あぁぁあぁぁぁぁ! もう! 喧嘩をしないで欲しいのだけれど!? あたしのお茶会が滅茶苦茶じゃないの!』
『いいじゃねえか、お茶も紅茶も酒も、腹に入っちまえば同じようなもんだろう?』
『同じじゃないのよ、もう! これだからあなたは野蛮で嫌なのよ! だいたい! 五十年前に魔王同士の戦いを行わせていただなんて話、あたしは知らなかったのよ!?』
午後三時の女神に同意する形で、私が言う。
「グーデン=ダークを使っていたのは知っていますが、ペルセポネ……理性的なあなたがなぜ、二つの大陸を巻き込んだ魔王同士の戦いなどなさったのです」
『朕は悪くはない、こやつがドワーフ……つまり兎狩りをしていたのが気に入らなかっただけの話。言語を有する命を無暗に狩ることは朕は認めぬ。夜と冥府の静寂を保つべく、動いただけぞ』
夜の女神側はドワーフを守ろうとしたという陳述だが。
対する月の女神は、はんっ……! と、腕を組み。
『オレは狩猟を是とする月の女神、兎を狩って何が悪いってんだ』
『そもそもじゃ、ムーンファニチャー帝国は朕の支配する火山地帯に存在する領土。地下の世界は、朕の世界。それでも汝が我が聖域に立ち入り、禁忌を犯した。狩るのならば魔物にせよと忠告した筈じゃが?』
『嫌ですって断ってやったはずだが!?』
『うむ、そうじゃ――意見が合わないとならば、戦いしかあるまい。なれど、朕と汝が本気で争えば――様々な知識や概念を掻き集め、一つの形としたこの不安定な世界は滅びかねん。じゃから、朕は我が魔王グーデン=ダークを派遣した。そしてそなたの魔王将軍を倒し、侵略していた者たちを追い返した。それだけの話であろうて』
月の女神が侵略者側で夜の女神が自分の支配領域を荒らされ、警告をしたのちに対応をした。
筋の通った話ではある。
『それだけじゃねえだろう? てめえがなにかあの方について隠してるから、オレは気に入らねえからそっちで狩りをしたんじゃねえか』
『隠してなどおらぬ、情報が欲しければ何か見返りを寄こせと、正統なる対価を要求したまでよ』
『かぁぁぁぁぁ! あいっかわらず、おめえはケチだな、夜のババア。あの方に関しては全てが最上位、最優先事項だろう!? てめえはあの方と再会したくはねえのか!?』
ギザ歯で吠えられた夜の女神は、私を一瞥し。
しばし悩んだ様子をみせた後。
『さて――どうであろうかな』
『アシュトレトみたいな誤魔化し方しやがって、まあいい――で? なんでオレとこいつが、ダンジョンを攻略なんつー人類みてえなことをしなきゃならねえんだよ』
不満を漏らす月の女神に、ザザザザァァァ!
虫の霧が羽音を鳴らす振動と共に、ぐぐぐぐぐぅぅぅ。
女神バアルゼブブの声が響く。
『……レ、レイドが決めたことだから』
『え、えーとね? 嫌なら……、それはそれでいいんだよ?』
『けど――……あ、あたしたちはね、ぼ、ぼくたちはきっと、二人を、の、呪っちゃうと思うんだ……それでも、いい?』
バアルゼブブの呪いとなると、月の女神も露骨に顔を曇らせ。
雑に突き入れた指で、髪を掻きながら。
『いいわけねえだろうがよ、この悪魔王……てめえの場合は他の連中と違って、ガチでやりやがるから冗談にも洒落にもなんねえだろ』
『だ、だって……冗談じゃない……よ?』
『それが気持ち悪いっつってんだよ!』
『だ、だって……ウサギさんを狩ったら、レイドがたぶん怒ってたよ? だ、だから……ペルセポネ~ちゃんも、止めたんだと、ぼ、ぼくは思うんだよ』
まあたしかに、私は少し気分を悪くしただろうが。
これはもう、夜の女神は私という存在の性質を理解しているとみて、間違いないか。
「どうやら、あなたには気を遣わせてしまったようですね――夜の女神ペルセポネよ」
『構わぬ、そなたに受けた恩を思えば――ウサギを守ることとて造作もなきことよ』
こちらは意味が通じているのだが。
月の女神は怪訝な顔を午後三時の女神に向け。
『あいつら、何言ってやがるんだ?』
『……だからあなたは鈍いのよ、月の女神キュベレー。いえ両性具有の神アグディスティスや、狩猟の女神アルテミスとでも呼んだ方がいいのかしら』
キュベレー。
やはりそれが、この世界に生きる月の女神としての、彼女の名なのだろう。
薄らと口を開き、しばしの間の後。
月の女神は神妙な顔つきで唇を動かし始める。
『名前なんてどうでもいいだろうよ……オレたち、楽園の外の神なんてもんは所詮は人間の魔力が生んだ幻想――人間が勝手に自然や災害や見えねえもんを信仰し、脅威に勝手に名を与え、勝手に貶め勝手に祀り、勝手に縋って、勝手に恐れて……人間同士の争いの中で、勝手に伝承を書き換えられた存在だ。元を辿れば、でっけぇ魔力の塊。だからこそ、その流れや原初を追えば……魔力や魔術の祖であるあの方へと辿り着く。思えば、あの方がオレたちを救い楽園に誘ってくれたのも――楽園の外に神を発生させた自分の後始末。自分が楽園の神々の命に逆らい魔術を人間たちに与えたせい――なぁんて、責任でも感じてたんだろうな』
あの方は陽気に振舞ってはいたが――根はまじめだったからな、と。
遠くを見る顔で、キュベレーと呼ばれた月の女神は自嘲する。
元より楽園にいた古き神は、”あの方”と呼ばれる男に魔術を授けられ――神の如き力をもった存在。
自らの事を神と勘違いしてしまった、哀れな存在とも言えるだろう。
魔術がなかったころは力もなかったが、特別な力をもったあの方が生まれ全てが変わった。
あの方が魔術を皆に分け与えたせいで、楽園の住人は強力な神性……原初の魔術を習得し、神となったのだ。
けれど、この女神たちは違う。
彼女たちは魔術を授けられた人間の心から発生した、神性。
つまりは突き詰めれば、魔術によって生み出された存在ともいえる。
魔術の基礎は、心の力を使い世界の法則を書き換える事にある。
だから、人間たちが例えば雨を見て――それが神の涙だと感じ、多くの人間がそれを信じれば、それは涙を流す神として世界に顕現されるのだ。
だがそれ故に、人間の心や知識が変わればその姿も変質してしまう。
神とされていた存在が異教徒には悪魔とされ。
そしてその異教徒の方が大きく勢力を伸ばせば、女神も変わる。
その姿や神性が変質してしまうのだ。
主を意味していた”バアル”と呼ばれた神が、蠅の王”バアルゼブブ”と貶められ――その逸話が広がれば広がるほど、姿が変わってしまったように……。
それは彼女達女神という存在が――人間の心から発生した神性だという仮説。
ある意味では、彼女達は究極の召喚神。
人間の信仰により作られた、神創生魔術:【女神創造】とでもいうべき、大規模な集団信仰魔術によって誕生した女神と言えるのかもしれない。
だから、あの方と呼ばれた男は彼女達を楽園に招いたのだ。
救ったのだ。
助けたのだ。
なぜなら全ての魔術という概念を生み出したのは、”あの方”と呼ばれた男。
彼は魔術の祖。
女神たちが究極の召喚魔術の産物なのだとしたら。
言い換えれば、魔術という概念を世界にバラまいたあの方こそが、女神たちの創造主ともいえるのだろう。
男は生まれながらの全知全能だったからこそ、多くの存在に影響を与えたのだ。
女神たちはあの方と呼ばれた男に感謝している。
けれどおそらくは、あの方と呼ばれた男はきっと……彼女達には申し訳ない事をした。
そう思い、とても罪悪感に満ちた顔で、今の彼女たちを眺めているのだと思う。
女神アシュトレトが言う。
『妾はこの世界が好きじゃ――生まれ変わったそなたと、もう一度出逢えた世界じゃからな。それはどうか、覚えておいて欲しい』
確かに私は女神に殺され、この世界に転生したが。
「いきなり、なんですか」
『はて、なぜか……ふと――そうおぬしに言いたくなった、それだけじゃ』
いつもの女神の気まぐれであろうな、と。
アシュトレトは、あの日、出会った、あの頃のような瞳で。
私の顔を見上げていた。