第143話 五十年前の真相
魔物の氾濫により防衛ラインも決壊間近といった印象の王都。
その最終防衛ライン。
ダブルス=ダグラス手製の砦とは比べ物にならないほど脆弱な、サニーインパラーヤ王国の砦にて。
安物の酒の香りが充満した室内。
魔王たる私は僅かな辟易の中にいた。
目の前にいるのは王族と文官たちと、その護衛。
捕虜たるアサヌキと、名を捧げている将軍。
そしてこの大陸を使い遊んでいたヤンキー女神を連れて――私は咳払い。
前を譲り合っている、意志薄弱な者たちに決定を促していたのだ。
「それで――そちらの代表はまだ決まらないのですか?」
文官たちは明らかに疲弊をしていた。
毎日いつ魔物が襲ってくるか分からない生活だ、失敗をすれば民に睨まれ、そして民の命も消えていく。ストレスはかなりのモノとなっていただろう。
だが――。
魔王を前にして逃げ、引きこもる王など問題外。
そう、ここに王がいないのだ。
これで王家の血筋を維持するために逃げたのならば、ある意味で立派、称賛できなくもないのだが――肝心な王様は寝室にて立てこもり状態。
砦の中はもはや統率力の欠片もない。
責任を放棄した王を魔王の瞳で眺めつつ、素知らぬ顔で私は言う。
「国王はどうしたのです?」
「そ……それが、その」
「まあ……この際、誰でも構いませんよ。こちらはムーンファニチャー帝国の代行であり、冒険者ギルド本部からの正式な依頼で訪問しております。代表がおられないのなら、救助も救援も損害賠償請求もできそうにない。このまま見捨てるという選択肢もあるとご理解いただきたい」
ようするに救援する気もないことはない。
そう伝えたと同時に、彼らの瞳は明らかに変わっていた。
文官たちの護衛なのだろう――気丈そうな女狩人が顔と声を張り上げる。
「救っていただけるのですか!?」
「ドワーフ達への虐殺に対する損害賠償を請求するにしても、侵略を罰するにしても国が終わってしまえばできませんからね。あなたたち次第ではありますが、この魔物の氾濫の原因となっているダンジョンを攻略してくることも、まあ……考えてはいますよ。ですが」
言葉を区切り。
「もし私がダンジョンを攻略し、この大陸を救った場合。ドワーフ達に行った非道を正式に詫び、それ相応の賠償を支払うと国家全体に魔導契約をして貰うことになります。それはこの大陸の民であるのならば避けられない契約ですので、代表の許可……つまりは王権保有者の承諾は必須。それができないのでしたら、助ける義理もありません。助けられ平和となった後に手の平を返す、それが生物の性質の一つでもありますから」
喉元過ぎれば熱さを忘れるとはいうが、それは人間だけではない。
楽園にいた神々もそうだった。
彼らに魔術を授けたのは――あの方と呼ばれたモノ。
女神の恩人であり、楽園を滅ぼしたモノ。
”あの方”と呼ばれた愚かな男に魔術を授けられ、神々は図に乗った。
世界の法則を書き換える魔術とは、まさに神の力のように思えたのだろう。
神と人。
魔術の有無。
魔術無き者とある者では大きな差が生まれた。
それが楽園の神々に万能感を与え、自らを特権階級だと錯覚させたのだろう。
今思えば――魔術の祖となったあの男は、神々に魔術など授けなければ良かったのだと、私は感じていた。
ともあれ、それも全てが終わった話。
楽園はもう、滅びたのだ。
それでもあの日、絶望に吠え楽園を滅ぼした男の。
割れた鏡に映る”あの方”とやらの顔が、私の頭から離れない。
捕虜たるアサヌキが私の顔色を窺い。
「魔王殿? いかがなされたか」
「いえ、なんでもないですよ。少し、昔のことを思い出していただけです」
「昔、でありますか……」
なんとも反応しにくそうなアサヌキが漏らした言葉の後、ヤンキー女神が私の顔を覗き込み。
『なあ幸福の魔王、てめえ……オレとどこかで会ったことがあるか?』
「大陸神マルキシコスと戦った時や……そうですね、あなたも百年前のフレークシルバー王国で起こった騒動の時、姿を隠した女神の一人として観覧していたのでしょう? おそらくはその時に会ってはいるでしょうが」
サメのようなギザ歯を見せつけ、女神は首を傾げ。
『バッカ、ちげえよ! そーいうんじゃなくて、もっと前だよ前。なーんか、懐かしい魔力っつか、悟ったような糞腹立つその微笑がオレの胸を、こう、ガッ! つーか、ググググ! ってするんだが。覚えてねえのかよ!?』
ジャージもどきの異装で身振り手振り、熱演しているのだが。
どうやら他者に感情や胸の内を伝える事を得意としない女神のようだ。
そもそもまだ名も聞いていないのだが――。
なぜだろうか。
朧げながらにその名は心に浮かんでいた。
だが彼女の名を口にはせず、私の唇は淡々と動いている。
「さて、どうでしょうか――私も記憶が曖昧でして」
『マジで会った事ねえか? なあなあ! ぜってぇ知ってるのに思い出せないのは、ぜってぇおかしいって!』
ぜってぇ、ぜってぇ!
と吠える女神はプリン色の頭をガシガシと粗雑に掻いていた。
紹介もしていなかったので、怯える王族たちはアサヌキと女神、そして将軍に目をやるも――直接、こちらに問いかける胆力はないようだ。
彼らや文官に目線で指名された、気丈そうな女狩人が言う。
「あの、そちらのお方は……いったい」
「この世界の女神であり、創造神でありながら――そこの将軍を使い戦乱をまき散らしていた黒幕、とでもいいましょうか。おそらく、五十年前にあなたたちがムーンファニチャー帝国に攻め入ることになった原因ですよ」
情報が多すぎたからだろう。
文官たちは言葉を失っていたが。
それを女神への畏怖と捉えたのか、ヤンキー女神は露骨に口の端を吊り上げ。
『おう! おめえら、このオレさまこそが月の女神様だぞ!? オレが司る属性は、満ちる輝きと欠ける光を繰り返すことによる、死と再生。つまりは破壊神であり、豊穣神でもあるっつーこった。もっと崇めて奉りやがれ! なあ、将軍野郎! こいつらにオレの偉大さを教えてやれって!』
月の女神を名乗り。
偉そうに笑っているが――。
「ようするにあなたは五十年ほど前、夜の女神……つまり冬と春を司る女神ペルセポネと戦い負けた。ケンカの理由はおそらくはその権能。夜の女神もあなたと同じく、死と再生を繰り返すことから得た神性を持っていますからね。冥界神ともいえる属性でありますが、あなたも月の満ち欠けによる死と再生を権能としている。目の上のたん瘤、或いはライバルというわけですか」
『は、はぁあぁぁぁあぁぁぁ!? あの陰険朕々女神が、ライバルだぁぁぁ!? てめえ、訂正しな!』
どうやら滅茶苦茶意識をしているようである。
「まあライバルかどうかはさておき。何故、夜の女神の眷属である終焉の魔王グーデン=ダークがわざわざムーンファニチャー帝国を救ったのか、その理由を掴めていなかったのですが……これで納得はできました。あの羊は夜の女神の命令で動いていたのですね」
『あぁあああああぁぁぁぁぁぁ! 何度思い出してもムカつく! イラつく、腹が立つ! 夜の女神のババア! よりによって異世界から口先三寸を得意とする邪悪な悪魔を駒に選びやがって! 普通に戦いを得意とする侍を連れてきたオレが、馬鹿みてえじゃねえか!』
月の女神に叫ばれ、彼女の駒たる将軍は肩身が狭そうである。
まあ彼女も悪気があった言葉ではないのだろうが。
アサヌキが言う。
「どういうことなのか……わたしにはさっぱりなのですが」
「五十年前にあなたたちサニーインパラーヤ王国がなぜムーンファニチャー帝国を襲ったのか。その理由は女神同士の駒遊びにあったということですよ」
私は夜の女神のシルエットと、その眷属たるグーデン=ダークを表示。
その横に、月の女神の情報と、その眷属たる魔王将軍を表示。
「女神の代行者たる魔王と魔王が戦うボード遊び。その現場に選ばれたのが、ムーンファニチャー帝国だったということです」
おそらく五十年前にサニーインパラーヤ王国を操りムーンファニチャー帝国を攻め込ませたのも、将軍の仕込みだろう。
もっとも彼は忠義のサムライ。
本当の意味で、ただ女神の代行としてその勅命に従っていたと考えられる。
女神にとってはただの遊び。
自分で作った世界で遊び何が悪いと開き直る……というよりも、悪い事とは微塵も思っていないのだろう。
研究者が自らが生みだした、フラスコの中の世界で実験するように。
彼女もまた、混沌世界の中で遊んでいただけなのだから。
だが、そこに生きる命にとっては堪ったものではない。
文官たちが言う。
「――将軍が、魔王、ですと?」
『おう! そうだぜ!? こいつはオレの忠実な駒、”忠節の魔王”だ!』
月の女神はあっけらかんと言っているが、将軍を信じていた者にとっては衝撃的だったらしい。
まあ聖人だと思われていたのだ、かなりの衝撃なのだろう。
魔王であることを隠さなくなった将軍は、女神の前に凛と立ち。
「我は女神様の駒であることを誇りに思い、ただひたすらにその忠義を果たしたのみ。部屋に隠れ怯えるような愚かな王族に仕えた覚えは一度もない。君たちには悪いと思っているがね、これが現実であるよ」
彼らは将軍を睨むが――。
未来と過去を見るように赤い瞳を輝かせてしまった私は、銀の髪を揺らし……。
ついお節介をしてしまった。
「彼を責める感情は理解できますがね。ですが――ここまで国を衰退させたのは彼ではなく、おそらくは王族の上の方々でしょう。原因となったのは確実に女神同士の駒争い、魔王の戦いです。けれど五十年前の敗走後の将軍はおそらく、この国にかなり貢献した筈です。彼がいなかったら、この国は既に滅んでいた可能性も十分にある。そして――こうした状況でも動かぬ王をどうにもできなかったあなたたちに、何かを言う資格があるのかどうか……私には分かりませんね」
フォローしてしまったのは、私には見えてしまったからだ。
確かに、将軍は終焉の魔王グーデン=ダークに敗れた。
無茶な遠征計画を王に進言したのも、当時冒険者ギルドのマスターだった彼だ。
だが、もし戦争に勝てていたら、この国は莫大な資源とドワーフという労働力を手に入れることができていたのだ。
当時のこの国に、その誘惑に乗った人間が多くいたことも事実。
勝てば全てが許されていた筈。
だが、彼らは終焉の魔王の話術に負けた。
結果としてギルドからは除名され、ダンジョンサイクルが進む迷宮を制御できなくなり、現状の終わりかけた国となっているが――。
魔王将軍は、魔王。
サニーインパラーヤ王国とこの国の腐った王族を見捨てて、この地を去る事とてできたのだ。
それでも彼はこの地に残り、戦い続けていた。
エナジードレインという武士としては恥ともいえる行為を使い、その戦える若さを維持した。
月の女神がこの国をどう思っているのかは知らないが、将軍は敗北の責任を取り続けていたのだと、私の瞳には見えていたのだ。
よく見えすぎる瞳も考えものだが……。
アサヌキが言う。
「レイド殿、な、なぜ女神様は、創造神様はそのようなことをなさるのです?」
『あん? 文句があるならそっちの魔王じゃなくて、オレに直接聞きやがれよ。女神なめてんのか!?』
吠える月の女神に私は肩を落とし。
「直接訊ねたら、あなたはそれはそれで生意気で不敬だと吠えるでしょうに」
『お! よく分かってるじゃねえか! なあなあ! やっぱてめえ! ぜってぇ、知り合いだよな!? どっかの男神の生まれ変わりとか、どっかの神の一部が入り込んでる系の、アレだろ!? 素直に言いやがれよぉ! 気に入ったから、てめえの姉さん女房になってやってもいいぜ?』
女から言わせんなよ!
と、ギザ歯を見せて笑う女神であるが――。
私の中にある記憶の残滓は、その笑顔を知っていた。
私の中にはやはり。
楽園の頃にいた記憶が残っている。