第142話 狂信者
将軍の降伏により、集団スキルで繋がっていた軍隊は停戦をあっさり受諾。
そもそも魔王と戦いたくなどなかった。
というのが大半の本音なのだろう。
眼下にあるのは、平伏す敵軍の将ただ一人。
他の者たちは難民キャンプと化したフロアにて――集団スキルによって受けた洗脳状態を解除され待機、既に休んでいた。
彼だけを呼び出した理由は二つ。
一つは、集団スキルを扱える人材の勧誘。
そして、もう一つは――。
ともあれ。
場所は魔王城に生み出された魔王の間。
ようするに謁見の間の玉座にて、魔王たる私レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバーは、魔王の威厳をもって静かに宣言する。
魔力持つ声を放っていたのだ。
『初めまして、かつて冒険者ギルドのマスターを務めていた者。そして、エナジードレインにて他者の若さを吸っていた者よ、私は幸福の魔王レイド。大森林にて静かに暮らすエルフの里、フレークシルバー王国の現国王。レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバーさ』
こちらの横には威厳を放つ女神アシュトレト。
更に女神ダゴンと女神バアルゼブブも顕現、魔王様の偉そうな場面を演出するためにと玉座を並べ微笑んでいる。
まあ実は、その玉座にも一悶着があった。
誰の玉座が一番背が高いやら、装飾が豪華やら、一番神々しいやら、三女神の中でも威厳の競い合いを行っていたようだが……。
結局、私が同じ玉座を三つ作り出すことで納得。
女神は慎ましく、しかし艶やかに玉座に腰掛け、魔王の妻をアピールしていた。
グーデン=ダークも冥界神ヘンリーも、三女神が揃っていると思うところがあるらしく。
その顔からは緊張が見て取れる。
中年姿の老兵は顔を上げる。
歴戦の勇士が持つ覇気をその強面に纏わせていた。
女神と魔王を前にしても怯まず、咢を蠢かせたのだ。
「分かりませぬな――なぜエルフがドワーフの味方をなさる」
またこの手の問いかけか。
捕虜たるアサヌキもそうだったが、エルフとドワーフといえば絶対に分かり合えない関係だと、勝手に決め込んでいるようだ。
私は慇懃な口調で返していた。
『分からないのはこちらですよ――あなたは五十年前まではギルドマスターであったのでしょう?』
「いかにも」
『あの時期にギルドマスターの身であったのならば、既に私が王位を継ぎ、エルフの意識改革を行ったと知っている筈。私はハーフエルフにして、その出身はマルキシコス大陸の大帝国カルバニア。種族間のわだかまりなど関係ありませんからね、困っているドワーフを助けようとしても不思議ではないですよ』
「はて……恐れながら――魔王が人助けという時点で、不思議としかいいようがありませんな」
わりと古い考え方の男のようだ。
『魔王といっても多種多様。女神の眷属、直接手を出せない神々のための駒の総称こそが、この世界における魔王。別に人類と敵対しているわけではないのです。まあ、味方というわけでもないですがね』
魔王という概念や言葉になにかあるのか。
なぜか先程から、冥界神ヘンリーがこちらをジト汗状態でジロリ。
ものすごい形相でクマを曇らせ、凝視……そのままの流れで、「説明しろよ」とグーデン=ダークの羊毛を睨んでいるのだが。
グーデン=ダークは知らん顔。
彼らにとって魔王という言葉や役職は、こちらの世界よりもかなり重いようである。
彼らのやりとりは捨て置き――。
魔王たる魔力に満ちた声で私が言う。
『さて――将軍さん、あなたのお名前は?』
「名など既に捨てた」
赤き魔王の瞳で、私は男を鑑定しつつ。
魂をそっと掴むように探り、秘匿されている情報の更に奥を辿っていた。
『なるほど、鑑定結果でもあなたの名は表示されない。つまりは誰かに名を捧げたという事でしょうか。名とは言霊、名そのものに一定の魔力や力が存在する。そうですね……考えられるのは主人に名を捧げ、その名を人質に献上するという忠義を示す儀式の一つでしょうか。あなたは既に御名を捧げたのですね』
「然り――我が名は我が君の手中にあり。いかに魔王であろうと、この忠節の儀式は打ち破れまい」
彼を説得する、或いは洗脳するにしてもその名を取り返す必要があるか。
既に将軍自身にも、自分の所有権は存在しない。
この男の存在意義も人権も、この男の名を握っている主の、文字通り所有物なのだ。
純粋な好奇心としても、これからの混沌世界のためにも”集団スキル”はどうしても欲しい。
『さて、あなたがたの降伏は認めました。こちらも誤解をさせる失態があったのもたしか――そちらの無礼も不問とします。どうですか? あなたのその身で今回の件、全てを水に流しても構いませんが』
「どうやら魔王殿は勘違いをなされているようですな」
『おや、これはまた何を』
玉座の上。
魔王の威光を示す私は、訝しむ際にも威厳を維持していた。
この辺りの威厳の維持は経験、百年のエルフ王生活のおかげであろう。
『あなたは主人に名を捧げるほどの忠義を誓っている。ならばこそ、主人のため、この大陸のためにあなただけが下れば全てが許される。そこにどんな不満や不備があるというのでしょう』
「ふふふ、ふははははは! 愚かなり、幸福の魔王!」
将軍は、気が狂ったかのような哄笑を上げていた。
実際、少し気が狂っているのだろう。
捕虜たるアサヌキが狼狽しながらも冷静に声を上げる。
「将軍殿、いったい……なにを仰りたいのだ。た、たしかにあなた一人を犠牲にすることにはわたしも反対だ。だが、王も必ず負けるこの戦いを回避したいと願っている筈。そしてだ、貴殿が王に名を捧げている、名を人質に取られているのならば、貴殿は必ず戦場への出陣が強要される。戦争となれば、魔王殿も今度は見逃しはしないだろう。な、ならば魔王レイド殿に招かれる形で下ることこそが、国にとっても貴殿にとっても最適解の筈」
「貴公はアサヌキ、はは! あのみすぼらしい女から産まれた、落ちた王族か!」
「いかにも――」
挑発的な将軍。
対する冷静な王族の忍者は視線を絡めていた。
聖人ではないと事前に聞いていたからか、或いは忍者という職業の精神耐性の高さ故か――アサヌキは相手の挑発にもさほど動揺はしていない様子である。
避けるほどに口を開いた将軍が歯を光らせ。
「違うのだよ、アサヌキ。我は確かに主君のために動いている。だが、この名を預けた主がこの国のバカ王だと誰が言った?」
「な……っ」
「ほう、その馬鹿そうな驚き方。貴公の死んだ母親そっくりではないか! ぶわはははははは! 血とは残酷なものだな! よく似ておる、はぁ! はははは! ……はぁ、なんだ挑発に乗らんか。つまらんのう、最近の若い者は」
相手の死んだ身内を使っての挑発。
まあそれはよくある手だからこそ、心構えなどとっくにできていたのだろう。
アサヌキは憤りや怒りといった感情を、完全に制御したようだ。
見ているこちらは多少不快だが。
『あなたの主人は別にある。そして……あなた自身もこの国のために動いているわけではなかった、ということですか』
「我とて、あのような馬鹿を神輿に担ぐことはあれど、真なる主君と仰ぎ見るほどに落ちてはおらぬ」
バカ王、バカ王と言われているようだが。
実際にはどうなのかは不明である。
まあ、あの状況で私に戦いを挑むように命令する程の無謀、或いは、暴走する家臣たちを止められなかった王だということは確かか。
『それで――いったいあなたはどうしたいのですか』
「どうもこうもあるまい! 我はただ! あの御方のために、世界に血と混乱をまき散らすのみ!」
『どうやら……狂信者のようですね』
「はたして狂っているのはどちらだ、魔王よ! 妻と並べるそこの女どもは恐るべき女神、そこに並べる羊とモヤシは異世界からの間者。冒険者ギルドそして商業ギルドの最奥を掌握しておることも我は既に調査済み。貴様の方がよほど狂っておろう!」
苦労性のクリムゾン殿下が思わず同意しそうになっているが。
それはともかくとして。
『それでも私は世界の平和を乱したことなどない筈ですが』
「そのような脅威を一箇所に囲っている事こそ、まさに狂気、まさに邪悪! 我の集団スキルを狙っているようだが、残念であったな幸福の魔王! 我が主、我が神はただ御一人。そう、おまえたちはなにやら勝ったと勘違いしているようだが――既にこの魔王城には我が主が潜伏、愚かなるおまえたちの首を掻き切るべく、その刃を尖らせていらっしゃる!」
将軍は狂信者の顔で、目を血走らせつつも朗々と宣言する。
「さあ。どうぞご顕現くださいませ! そして背教者どもに罰を!」
高らかに宣言されたせいか。
アサヌキは魔法陣を刻むことが可能な苦無を構え。
護衛についていた私の部下やクリムゾン殿下が私を守るように陣形を組む。
が――。
狂信者の声に反応はない。
三女神も反応せず、終焉の魔王も冥界神ヘンリーも無反応。
本来ならここで、この将軍が神と崇める存在が顕現していたのだろう。
将軍は垂らした汗と、反動で乱れた髪を揺らし。
喉の奥が見えるほどに叫び始めた。
「な――!? なぜ、なにゆえ!? 神よ、我が神よ! なぜ御答えにならない!」
玉座の上で呆れの息を漏らした私が言う。
『魔王城に入り込んだ時点で気付きますからね。今は地下牢に入って貰っておりますよ』
「は!? ち、地下牢!?」
『難民に紛れてなにやら入り込んでいたとは思っていたのです、ですので、隠れているところにお声がけさせていただいたら――どうも難民を使い、悪さをしようとしていた様子でした。ですので、魔術もスキルも封じ投獄となりまして……ああ、あれがあなたの信じる神だとは存じ上げませんでした。申し訳ありません』
まあこれはさすがに皮肉である。
その神の存在こそが、彼一人だけを呼び出した二つ目の理由だったのだが。
申し訳なさそうに言って、私は地下牢の映像を映し出す。
そこに表示されたのは、ジャージが似合いそうな――田舎のヤンキーといった様子のプリン髪の長身女神。
あの時、私の干渉が気に入らない何者かが仕掛けてくるなら、次のタイミング……と思っていた時に感じた気配の正体である。
あんぐりと口を広げた将軍が、動揺に汗を流し続け。
「なななな、な、なにをなさっているのです! 我が神よ!?」
やはりこの将軍が名を捧げた相手こそが、このヤンキー女神。
魔力で繋がっているということは、この将軍こそが魔王。
五十年前に何があったのかは知らないが、終焉の魔王グーデン=ダークに敗北した魔王だったのだろう。
魔王ならばエナジードレインぐらい使えてもおかしくない。
ヤンキー女神が牢の中から、サメを彷彿とさせるギザギザの歯を尖らせ。
『おう、やっときやがったのか! この鈍足亀野郎! はーやーく、オレをここから出すように糞生意気なそこの魔王に言ってやってくれよ! こいつ! ひでえんだぜ!? ちょっと人間どもを魔力爆弾に改造しようとしただけで本気で怒りやがって。ふつう、女神の顔面に魔力弾をぶちこむヤツがあるか? ねえよな!? つまり、オレは悪くねえんだよ!』
将軍は私を見上げ。
「我が神になにをする!」
『私は不審者を捕らえただけですよ。それに、人間を魔改造し爆弾化させようとしていたのです、ふつう……止めるし、投獄するでしょう。あなたの降伏と同時に入り込みなにやらやらかすつもりだったのでしょうが……甘かったですね。そもそも、これは立派な虐殺未遂。創造神だからと考慮し――その場で消滅させなかっただけ、かなりの譲歩なのですが』
ここで難民を大虐殺した犯人を私とし、罪を擦り付けるつもりだったのだろう――。
こちらはごく当たり前な常識を説いたのだが。
将軍の顔色が露骨に変わっている。
「幸福の魔王よ――いま、なんと言った」
『かなりの譲歩だといいましたが、まさかこの国には他者の改造が許可されているのですか?』
「そんな許可などあるわけがないだろう!? 我が言うておるのではそこではない! おぬし、よもや我が神と戦い……勝ったのか!?」
『だから彼女はあそこにいる、それも当然の話ではないでしょうか』
将軍は考え込み、空気を変えて刀に手を掛ける。
主人を助けようとしているのだろうが。
そこに飛んできたのは、神妙な声。
ヤンキー女神が告げたのだ。
『侍ジジイ。てめえがオレを慕ってるのは分かるが……やめときな。幸福の魔王、こいつは異常だ』
「し、しかし我が神よ」
『いいから聞きな――そりゃあてめえより強い相手に戦うだけってんなら止めねえが、これはそういうレベルじゃねえ。三女神どもが育てた意味不明のこのハーフエルフ野郎だが、師匠がバケモノなら弟子もバケモノってか? そいつが理性に従っている内に刀から手を放しな。これは命令、神の勅命っつーやつだ』
それでも刀から手を外さない将軍に、女神は事実を告げるように。
『ジジイ、これでもオレはお前を気に入っている。ここで死なせたくねえんだ、分かるな?』
「あなたらしくもない。なぜ、なにゆえ、いつものようにガハハハとお嗤いになり、どうとでもなるに決まってやがるだろうと吠えないのですか!?」
狂信者の声に、女神はバツが悪そうに耳の後ろの髪を掻き。
『しゃあねえだろ――たぶんこいつ、オレらのどの女神よりも強えんだよ』
謁見の間に、沈黙が広がる。
しばらくして。
生唾を押し込んだ将軍が、肺の奥から絞り出したような声で問う。
「あなたさま、よりも? でありますか」
『ああ、そいつは正真正銘。女神を超えちまったバケモノだよ』
人類の目の前だから我慢してるが、震えが止まらねえ。
と、女神はもう一度自らの駒に目線をやっていた。
真の意味で将軍が降伏を示したのはその直後。
老兵は自らの神の命乞いをはじめ。
私は考慮すると答えを先送り――。
難民たちやドワーフ達の件で話があると、サニーインパラーヤ王国の王と連絡を取り付ける事にした。
将軍を失った彼らは素直に承諾し、無血開城状態。
私達は今度こそ正式な許可を得て、サニーインパラーヤ王国に上陸したのである。