第140話 神々の人命救助
異界の冥界神ヘンリー。
特徴的なクマと少しひょろりとした印象のある皇族姿の青年だが、その力は本物だったようだ。
既に次元の裂け目に突き入れた腕には、多くの魂が掴まれている。
魔術なのか権能なのか。
皇族姿の男は蒼白い炎のような魔力を纏い、力を思う存分発揮している。
冥界神の名は伊達ではないのだろう。
魔物は慄き、腰を引いていた。
「生者も死者も、ボクらにとっては等価値――分け隔てない魂ってね」
何もない空間から開いた門。
そこから伸びる死霊王の手が、無数の魂と生者を掴み――闇へと引きずり込む。
そんな光景が広がっているのだ。
「あっちの魔物は邪魔だなあ……なあちょっと責任者。あんただよあんた、そこで饕餮ヒツジをこき使って玉座を用意させてる美の女神!」
『なんじゃ? 座ってはならぬと?』
「あんたが座っても座らなくともどっちでもいいに決まってるだろうっ。そうじゃなくて、あんたたぶんこの”混沌世界”の創造神だろう? ここの悪魔とか不死者とかさあ、邪魔なら排除しちゃっていいか聞きたいんですけど?」
問われた女神は玉座に腰かけ、微笑。
グーデン=ダークが差し出した酒を傾ける。
『構わぬぞ――どちらに加担をする必要もないが、どちらかが減るような行動をしたとしても問題はない。何故なら妾は女神じゃ、完璧なる美しき存在。妾が許可すれば全てが許される。それがたとえ、世界の理に反していようがな』
「相変わらず、女神ってのは無駄に偉そうな連中ばっかりだな……」
『じゃが、そなたからは女神と”閨を共にした者”のみが持つ称号が見える。おぬし、さてはどこかの女神と懇ろになりおったな?』
ようするに大人の関係をもったという事だろう。
アシュトレトは美の女神であり、豊穣や繁栄を司る女神としての性質もある。
肉欲に関する関係性も見破る権能があるのだろう。
もしこの権能を噂好きのご婦人が所持していたら、色々と大変なことになりそうだが。
まあアシュトレトは腐っても女神。
吹聴したりはしないだろう。
湯気が出るほどに顔を真っ赤にした冥界神ヘンリーが、初々しい反応で唸っていた。
「そ、それが悪いのか!?」
『悪くはない、悪くはないが――そうさな。もしそなたの相手が妾の楽園での知り合いであったのならば、少々複雑な心境ではある。神と人間、いや……そなたは死神か、ともあれ――人間を愛し楽園を抜け、堕天……駆け落ちをし、神々に制裁された者たちがおったからな。思う所もあるのじゃ』
あやつらも、元気にしておるのだろうか。
と、女神は心からの微笑を漏らしていた。
そこにあったのはまるで巨匠が描いたかのような、美しい光景。
芸術ともいえる女神アシュトレトの昔を懐かしむ顔である。
アシュトレトは口を開きさえしなければ、こういった神々しい美しさもあるのだが……。
「まあいいさ。とにかく、ここのアンデッドどもを排除していいって言うのなら、ボクの眷属として使役させて貰うからな。おい、饕餮ヒツジ。おまえは悪魔たちの方をなんとかしろ!」
『はて? なぜ吾輩が?』
「簡単な授業さ、悪魔は上位悪魔の言葉に基本的に逆らえないからね。饕餮にまで進化した悪魔の言葉に必ず耳を傾け従う筈だろう? おまえの上司のナウナウにサボってたってバラされたくないなら、分かるだろう?」
『んな!? 卑怯でありますよ!』
グーデン=ダークを操るには上司を利用する。
上司には逆らえない悪魔の基本性質が、このグータラ羊にも適用されている。
確かに、簡単な答えではあった。
この冥界神ヘンリーとやら。
どうやら搦め手も得意とするようである――。
このグーデン=ダークといい、どうも外の世界の者たちは一筋縄ではいかない……高度な話術スキルを基本スペックとして持ち合わせているようだ。
「まあ、ボクはどっちだっていいんだ。お前が決めなよ」
『あののんびり鬼畜上司にはっぱをかけられるのも困りますし……はぁ……。仕方ありませんね、では――少々あなた様の扉を利用させていただいて』
グーデン=ダークは羊毛から取り出した魔導メガホン……。
ようするに魔力による拡声器を取り出し、こほん。
『あぁ! あぁ! ただいまマイクのテスト中であります! 聞こえていますかな、サニーインパラーヤ王国を覆う悪魔の方々。命令です、これからは吾輩の命に従いなさい。迷宮から追い出されて辛かったのでしょう? お給金は出せませんが、食事ができる環境程度はご用意いたしますので――』
滅びかけた街ガゼルスを覆っていた悪魔たちが一斉に振り返る。
ダンジョンから追放される程度の力しかない彼らのレベルに比べて、グーデン=ダークは悪魔にして魔王。その実力差は歴然。
上位の悪魔の命令という事で、街を襲う手を止めていた。
その横。
アンデッドたちも冥界神ヘンリーの力に取り込まれ、その虐殺の手を止め始めている。
悪魔とアンデッド。
二つの種族は完全に掌握され、逆に瓦礫を退かしたり生存者を延焼から守るような、救助活動を取り始めていたのだ。
そして、救助が必要な存在や、まだ蘇生可能な遺体を発見すると上に報告。
冥界神ヘンリーが扉から腕を伸ばし、別空間に回収……そのルーティーンを繰り返し始めていた。
……。
まあ一見すると、悪魔とアンデッドを操る存在がおり。
魔物以上の何か得体のしれない邪悪な手が、生者を誘拐し……そして、死んだ者の魂すらも貪欲に回収、喰らっているように見えなくもない。
実際は救助活動なのだが。
斥候がこの光景を目にしたら、間違いなく敵判定。
非常に誤解を受けそうである。
ともあれ。
誤解を受けそうではあるが、生者はそのまま冥府の門と思われる扉で回収され無事保護。
安全圏に転送され。
死した魂も無事に回収。この冥界神は魔物に食われ、魔力の糧にされた魂さえ拾い上げているのだ。
女神アシュトレトが感嘆とした息を漏らす。
『ほう? 糧とされ、混濁した魔力の中から元の人格と魂を救い上げるとは――そなた、なかなかにやるではないか』
「ま――、こんなもんじゃないかな。もっともっと誉めてくれてもいいが、どうだ! 見たか! はは、これがボクの実力さ! 冥界神の偉大さってやつを、ちゃんと理解して貰えたかな? 異世界のよく分からない愉快な諸君」
「どうやら、言うだけの事はあるようですね――あなたを召喚して良かった」
「そうだろうそうだろう!」
なーはっはっは!
と、まるでドヤ顔の猫のような偉そうな哄笑であるが――。
まあとりあえず煽てておけば、機嫌を良くして貰えるようなので扱いやすいタイプである。
実際に嘘の煽てであったならそれを見抜かれ逆効果なのだろうが、実際に感心しているのだから問題ない。
それだけの腕を彼は持っているのだ。
ならば何が問題かというと、回収されてきた人間の処遇をどうするかなのだが。
グーデン=ダークはわざわざモニターの前に歩き出し。
『ああぁぁぁ! あぁぁぁ! 吾輩も悪魔を操り、人命救助をしているのでありますが~!? 誰も褒めてはくれないのでありますか~!?』
「……あなた、私に褒められて喜ぶタイプですか?」
『いえ、まったく』
真顔で返してくるグーデン=ダークに、私は肩を落とし。
「なら、無駄な流れを省略したとお考え下さい」
『ご安心ください、悪魔である吾輩は無駄も好む性質ですので――そのイライラも美味でございますよ?』
面倒な羊はスルーし。
捕虜たるアサヌキに私は目線を向けていた。
「さて――このまま彼らを元の場所に戻しても再び襲われるだけ。かといって魔王城で回収したら、それは拉致誘拐となります。どこか安全な場所に運びたいのですが、心当たりは?」
「……」
「アサヌキさん?」
アサヌキからの反応がない。
安全な場所などないということだろうか。
全身黒ずくめの忍者姿なので、顔色も真意も読めない。
これは何かの駆け引きか?
考えに入りこもうとする私の足元で、グーデン=ダークがぼそり。
『いやこれは……アサヌキ殿は冥界神ヘンリー殿の瘴気に中てられ、動けない状態にあるのでは? あなたの部下もお兄様も動けないでいるようですし』
言われて振り向いた場所にあったのは、神による力の影響……魔力汚染状態でぐったりとしている見慣れた顔。
クリムゾン殿下だけはこの中では上位。
勇者以上の例外的な存在を除けばかなりの強者なので、なんとか耐えているが……その顔は船酔いを我慢する貴公子の図である。
汗で崩れた紅蓮の髪を、額に張り付けながら……殿下が言う。
「お、おまえたちは神だからなんともないようであるが……――っぐ、お、おそらく……この国も、同じ状態になっているぞ」
確かに。
遠見の魔術のモニターに映る人々が、地面に倒れ込み始めていた。
魔王や神の力が大陸の上を駆け巡っているのだ、当然といえば当然の反応である。
冷静に私が言う。
「ああ、たしかに……生者の魂と死者の魂を探り――回収、そして無理やりに開いた次元の扉の奥、亜空間ともいえる別の次元に押し込んでいるわけですからね。周囲に発生する魔力もそれ相応なもの。そして、悪魔やアンデッドを同時に大量に眷属化させたので、大陸の魔力が乱れても不思議ではない。グーデン=ダークさんの悪魔の力……そしてヘンリーさんの神たる瘴気の影響も濃く、並の存在では立っていることすら困難ということですか」
『のう、レイドよ――この光景はちと歪じゃ。魔物を使っているさまも、少々まずい。今頃、このサニーインパラーヤ王国とやらでは敵からの奇襲、次なる魔の手か? などと、大きな騒ぎになっておるのではあるまいか』
言って女神は遠見の魔術を操作。
既に魔王と魔王城の顕現で混乱している会議場が、さらに混乱している様子を映していた。
この国の代表者たちだろう。
乱れた魔力の大陸で、意識を失わず行動していることは立派なのだが……一人、また一人と倒れているのはかなり問題だ。
そして次々に上がってくるのは、人々が倒れたという報告。
現場はかなりカオスな事になっているようだ。
当然、それは魔王レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバーのせいとなっている。
何が明日の日没までだ……魔王め。
と、怨嗟の声がモニターで響く中。
先ほどまでドヤ顔だった冥界神ヘンリー。
その頬に濃い汗が浮かび。
慌てて叫びだす。
「い、言っておくがボクだけのせいじゃないからな!」
冥界神ヘンリーは責任転嫁の構えであるが。
こちらも魔王と女神で顔を見合わせ。
『今回ばかりは本当に妾のせいでもないぞ?』
『はて……吾輩のせいでもございませんが』
「私も、ただ召喚神に人命救助をさせているだけなので――」
全員がとりあえず責任転嫁である。
クリムゾン殿下が言う。
「だ、誰のせいなどと下らぬ争いをしていないで――結界の一つでも張っていただけないかっ」
「しかし、兄上」
「人命救助ならば後で説明すれば信じて貰えるだろう。信じて貰えないのならば、この地もそれまでの国という事だ。だから早く、結界を……俺の力だけでは、他の者たちは支えきれん」
正論を受けつつも、私は結界を展開。
精神防御を高める空間を作り、このサニーインパラーヤ王国を包み込んだ。
◇
結局、回収した人間と蘇生した人間は魔王城に回収することになり――独断で決めるのも問題かと冒険者ギルドに連絡。
それらはパリス=シュヴァインヘルトを通した案件なので、即座に承認。
私達は難民を受け入れる体で、行動を開始していた。
アサヌキも民を救って貰えることをありがたいと思っているらしく、明らかにこちらを見る目が変わっていたが……まあ、サニーインパラーヤ王国の他の王族はそうもいかないだろう。
今回の件で、なにやら難癖をつけられるかもしれないが……。
「まあ――人助けが悪い事とは思いたくないですからね」
蘇生された子供と再会した母親の、ただただ泣き崩れる顔を見て。
私の唇からは、そんな言葉がこぼれていた。
混沌とした状況の中。
難民キャンプと化した魔王城の外壁を照らすのは――朝焼けの陽ざし。
既に夜は明けていたのだ。