第139話 交わる世界
猶予という名のタイムリミット表示が継続する中。
魔王城から解き放たれたのは巨大な召喚円だった。
魔術式の構築に用いたのは、冥界に縁のある神々。
可視化されるほどの魔力の海に揺蕩いながら、私の口は詠唱を刻み終え。
簡易的に作り上げた魔術名を口にする。
「不死者召喚魔術:【深淵冥王・閻魔・柘榴女神】』」
紡がれた魔術名がきっかけとなり、召喚円が更に回転。
その中心が歪み、法則を捻じ曲げられた世界が召喚魔術を承認する。
魔術式により、この現象は正しい現象なのだと世界を騙すことに成功したのだ。
宇宙の法則を書き換える、それこそが魔術の原理なのだろう。
魔術といえば幻想的で神秘的で、とても神々しい分野に思えるが――現象を辿れば、それは物理や算術の分野に似た、とてもロジカルな現象なのだと理解できる。
もっとも、その辺りのロジカルな部分を、天才ならば感覚だけで巧みに操ってしまうのだろうが。
組み上げられた魔術が発動。
分類は召喚魔術。
効果は、ランダムでアンデッドを召喚する、ごく一般的な死霊魔術なのだが――その召喚対象の制限をなくし、呼べる限界の存在を呼ぶ魔術である。
声が聞こえてきた。
「ごほげふ……っ、な、なんだこれは!? ボクを召喚!? おい、ふざけるなよ! こんなことをするのは、どうせまた駄猫、おまえの仕業だろう!?」
魔力の煙の中。
ゴホゴホと煙に覆われ文句を言いながらも顕現したアンデッドは、一体。
姿は皇族が纏うような黒衣を装備した、人型の男性。
少し、植物のもやしのような印象の体躯だが――着痩せしているのか、修行で鍛えられた肉体を持っていると鑑定できる。
かなり上位の存在なのだろう、見た目以上に強大な魔力と瘴気を纏っている。
女神アシュトレトも眉を顰め。
伸ばした腕を横に薙ぎ、防御に特化した”女神の聖域”を展開していた。
『そやつからはなにやら神の気配がする――気をつけよ、我が夫よ』
「神、ですか……神を呼ぶ気などなかったのですが」
『おぬしが本気で魔術を組みすぎたせいじゃろう……魔術の師として忠告するが、今のは加減をしなかったおぬしが悪い。自制せよ』
言い返す言葉もない。
少しの反省を噛みしめた私は、召喚した相手の周囲を結界で覆う。
召喚した魔物が暴れ、周囲を破壊する――そんなお約束のパターンは避けたい。
どうも普通のアンデッドではないようなのだ。
現地にある素材で、現地で直接召喚したアンデッドならば私たちが領域侵犯をしたわけではない。
そしてこれはあくまでも人命救助。
捕虜たるアサヌキに上位アンデッドならば生者の気配を感じ取ることができると教えるため、召喚したアンデッドに滅びた街の生き残りを確保させ、保護して貰う算段だったのだが。
煙が晴れてきたと同時に、アンデッドは私を睨み。
びしり。
煙の中から召喚主たる私を指さし。
「あのさあ、駄猫……学生時代とは違って今のボクは忙しいって言っただろう! そりゃあたまには息抜きぐらいはするだろうが――いくら師匠だからといってだな、公私混同も過ぎればただのパワハラなんだよ、パワハラ! 時代はもうコンプライアンス重視なんだよ、分かるだろう!?」
魔王たる私やグーデン=ダーク、そして女神アシュトレトの魔力を前にしても叫べる、この胆力。
やはり並の存在ではない。
目の下にあるクマが特徴的な青年であるが……。
お坊ちゃま王子が成長した青年、といった顔を彷彿とさせる顔を尖らせたアンデッドは、ご立腹である。
召喚主を勘違いされているのは非常に困るのだが。
相手はまるでこのグーデン=ダークのように、妙なところでコミカルだった。
どうも空気感の違う相手に、困惑気味にアシュトレトが言う。
『なんじゃ、こやつ……強さの割には随分と三下のような口調であるが……』
「ふむ――まあコンタクトを図ってみましょう。アシュトレト、相手はアンデッドですので周囲に瘴気が漏れる可能性があります。カバーを」
『もうやっておる――ほれ、なにをしておる。相手が何なのかさっさと聞いてまいれ。妾も気になるのじゃ』
陽気に言って、指を鳴らしたアシュトレトが召喚円から発生している煙をカット。
謎の空間に煙を吸い込んでしまう。
召喚した相手の強さに比例し煙は発生し続けるのだが……、それを途中で中断させ消した今のアシュトレトの技巧は、それこそ神の領域。
実はかなり無茶で非常識な技術を用いているのだが。
ともあれ。
相手のプレッシャーに、私達魔王と女神以外は完全に動けない状態になっている。
煙が消えかけているせいで、相手の魔力を強く感じるのだ。
以前、女神を前にした人々が動けなくなってしまった現象や、私を前にした初対面のプアンテ姫と似た反応だろう。
実力差がありすぎて、動きたくとも動けない様子である。
まあ、変に動かれても守りにくいので都合はいいのだが。
煙が晴れたと同時に、召喚された青年は「ああん?」と眉を顰め。
「さっきから何をごちゃごちゃと……って――駄猫じゃない!? おまえ、誰だよ!?」
ようやく気付いて貰えたようだ。
警戒を維持し、いざとなったら即座に強制送還できるだけの魔術式を組み上げつつ。
相手を神と尊重した私は――臣下の習わしに従い、恭しく従者の礼をしていた。
「ご挨拶が遅れました――私はレイド。レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバー、エルフ国の王なのですが。どうやら想定よりも上位の存在を召喚してしまったようで、あなた様は神の領域にある高貴な存在だとお見受けしますが」
「へえ、分かっているじゃないか! ボクはヘンリー、まあまだ姉や駄猫には勝てないが、それなりに優秀な死神。まあ冥界神と思って貰えばいいよ。おまえが媚び諂う限り、ボクはお前に力を貸してやってもいい」
従者としての態度を示したおかげで、相手の反応は良い。
ふぅん! と、鼻息まで漏らしている。
どうやら煽てにかなり弱いタイプのようだ。
しかし、ヘンリーなどという死神や冥界神に覚えはない……楽園に、このような名の神はいない。どれだけ呼び起こそうとしても私の記憶に浮かばないのだ。
私の知らない時、場所で発生した新しい神性だと思われるが。
顎に手袋の指をあてた、冥界神ヘンリーが私の顔を覗き込み。
「それにしてもおまえがエルフの王ねえ? ハーフエルフが?」
「まあこちらの事情も複雑でして――半妖半人の身でエルフたちを束ねさせていただいております」
「エルフはあんまり性格が良くないって聞くけど――半分の血によく従うねえ、ふーん……なるほど、おまえ、母親がかなり上位のエルフで父親も……へえ! 勇者か、凄いじゃんか!」
どうやら死神の力で、私の血の流れを辿ったようだが。
冥界神ヘンリーは眼鏡をはずした近視の人間がするように、瞳を細め。
「ん? それにしても……おまえ自身の奥がよく見えないな」
「私はこの世界でも多少、特殊な生まれでして」
「転生者だろう? ボクは冥界神、死者の旅路に安寧を齎す調停者。まあそれくらいは分かるさ。ただ――なんなんだ? 元は人間みたいだけどさあ……おまえ、何者なんだよ。前世がまったく見えないんだが。ふーん、あれだな。おまえさあ、たぶん前世でも普通の人間じゃなかっただろう」
私の前世は地球で研究をしていた研究者。
現代社会に生き、女神に殺され転生したモノ。
その筈だ――。
だが、もしもこの冥界神ヘンリーがいうように、前世でも異常な存在だったのだとしたら。
考え込む私に、冥界神ヘンリーは肩を竦め。
「まあ前世でなにかやらかしていたり、なんかの神の化身だったり、落とし子だったり、勇者だったりするなんてことはよくある話さ。ボクも冥界神、そういう存在を何人も見たから今更驚かないけれどね! どうだ! このボクの偉大さ、少しは理解できたかい! ハーフエルフくん!」
「気を使ってくださっているのですね」
「ああ、そうさ! だからこのボクをちゃんと崇め奉るがいいさ! なーはっはっは!」
煽てに乗りやすすぎるというのは、おそらくこの冥界神の弱点だろう。
「ところで……あなた様はいったいどのような存在なのでしょう。多くの神、多くの原初を把握している筈なのですが……あなた様のお名前を私は知りません。ただ、あなたが本当に実力のある神だとは理解しているので、それが不思議でして」
「ん? 古い神話しか知らない魔術師なのか。だとしたら仕方ないか、ああボクは近代で神となったモノ。これでも冥界の落ちこぼれだったんだが、生意気な猫の下でそれなりに辛い修行をしてね。今となっては神の仲間入りをしているってわけさ」
自分を落ちこぼれだと言い切れるとなると。
あまり油断をしない方がいいだろう。
今のこの調子に乗っている姿も演技の延長、という可能性もある。
警戒を一段階上げる中。
「で? ボクを呼んでなにをさせるつもりだったんだ?」
「えーと……本来ならば私は上位アンデッドを呼んだつもりだったのです」
「アンデッドを、ねえ? ああ、それじゃあニアミスだね。ボクは明確に分類するならアンデッドじゃない。まあ冥界の神なわけだし? 召喚系列で無理やり分類したら、アンデッドで登録されてるってのも分からないでもないさ。だがな――ちょっとおまえ、非常識なんじゃないか? どうしてくれるんだよ! ボクはこれからデートだったんだぞ!」
それでちゃんとした礼服、皇族の格好をしていたのだろう。
私は頭を下げ素直に詫び。
事情を説明するべく魔術を展開。
「申し訳ありません、実は、【かくかくしかじか】でありまして」
相手の精神と同調し、状況を一瞬で説明する話術スキル【かくかくしかじか】を使ったのだが。
冥界神は露骨に怪訝な顔をし。
「ふーん、おまえ……かくかくしかじかを使えるのか」
「ええ、まあ。それが何か?」
「いや、あれって一見すると楽な魔術に見えるが、かなり高度な魔術だからね。――どうやらおまえは、別格。この世界でも相当なやり手なんだろうなって思っただけさ。そりゃあこのボクを呼べたんだから、当たり前なんだけどさ」
まあこの世界の中では、上から数えた方が早いだろうとは自負しているが。
「さて――理解はしたさ。召喚されたからには役目を果たすが、ようするに、そこの人間の男の知ってる街が襲われてたから? 生き残りをアンデッドの生命探知能力で発見して、全員を救い。蘇生もできるように遺体も回収して持ち帰ってくればいいんだろう?」
かくかくしかじかで説明した以上の事を言い出しているようだ。
「……別にそこまでする必要は」
「嘘だね! おまえは手助けをするわけにもいかない状況だから、敢えてアンデッドを呼んで、そのアンデッドが助けちゃったから仕方がない。私は別に助ける気などなかったのですが、とか、ツンデレ的なムーブをしようとしてただけだろう? ボクにはわかっちゃうんだよなあ、そういうの」
「そんなことは……」
「分かるよお、顔が良い男で王様が、そういうツンデレムーブしちゃえばモテるだろうからねえ。ああ、分かってる! 言わなくてもいい、この国を救ってハーレムでも築く気なんだろう? 救った国で英雄となり好き勝手する、そーいうのは、男のロマンだからね」
冥界神ヘンリーは、ふーんっと見透かすような顔である。
少しイラっとするが、相手は異界の冥界神だ。
こちらが我慢をするべきだろう。
耐える私に冥界神ヘンリーは満足したようで。
「まあ、いいさ。これで召喚された事への腹いせはおしまい、本当に協力してあげるよ。とりあえずこちらの戦力は……って、なんで古き神々がここにいるんだ?」
「古き神々?」
「ああ、そこの女神――楽園の残党だろう? それに、そっちの羊は……って、は? 饕餮ヒツジじゃないか! なんで盤上遊戯世界の極悪悪魔の分霊が、こんな世界にいるのさ!? おまえ、あの四星獣ナウナウの眷属だろう? 意味が分からないんですけど!?」
どうやら、楽園についても知っているようで……女神アシュトレトを楽園の残党と勘違いするのは理解ができる。
だが問題は、この羊とも知り合いのようで……私はグーデン=ダークに目をやり。
ジト目を作っていた。
「あなた――この冥界神と知り合いですね?」
『ええ――吾輩の直接的な友人というわけではありませんが、何度かパーティーでお見かけしたことがございますれば、まあ知り合いと言っても問題ないかと。この方は正真正銘の冥界神の一柱だったかと記憶しております』
「なぜ黙っていたのです……」
『いえ、あなた様を前にしてヘンリー様がどのような反応をするのか――と吾輩、敢えて、静観しておりました。敢えてでございますよ、敢えて』
この羊は本当に……。
まあ今は責めても仕方がないが。
冥界神ヘンリーもグーデン=ダークを睨み。
「おい、饕餮ヒツジ。こいつを前にしてどのような反応かって、なんの話だ? 確かにこいつはボクより強いみたいだが、それでもボクの先生ほどじゃないだろう? こっちの美を司っている感じの……イシュタルやらアフロディーテから派生したっぽい女神も、そうだ。ボクの知り合いの女神”大いなる導き”よりは強いみたいだが、邪悪な空気はないし……虎の威を借りる狐になりたいわけじゃないが、ボクはいまさら、異界の強者になんて驚かないんだが?」
どうやらよほど師匠を信用しているようだ。
大いなる導きという女神の知り合いのようであるが、女神アシュトレトにとっても知り合いだったらしく、珍しく瞳を大きく広げている。
道化の仕草でグーデン=ダークが言う。
『おや――そうですか、気付きませんか。ああ、なるほどなるほど。それはそれで面白そうで、大変結構』
「おいこら、ナウナウの眷属! いったい何を思いついた!」
質問には答えず、グーデン=ダークは揶揄する羊のフレーメン顔。
外の世界の神々は、どうやらかなり陽気な……悪く言ってしまえば軽い連中が多いようだが――だからこそ、そのギャップは少し気味が悪い。
グーデン=ダークもこの冥界神も性格とは裏腹に、その実力は本物なのだ。
『まあいいではありませんか! それよりも、ほら、呼ばれたからには働きませんと。あなたの召喚主レイド様は、表示されているこの街の生き残りを探したいようです。さあ行きなさい、冥界神ヘンリーよ! ツンデレな主に代わって、人助けでありますよ!』
「だぁあぁぁぁぁ! 耳元で囁くな! 肩に乗るな、重いしケモノ臭いし――だいたい、おまえがボクに命令するな!」
だからモフモフどもは嫌なんだ!
と、いいつつも、冥界神ヘンリーは生者の反応を探り、闇の中に手を差し込み始めた。
生と死を司る力で、生者を辿っているのだろう。
捕虜たるアサヌキや、私の兄クリムゾン殿下も見守る中。
冥界神による、生者の探索が開始される。