第138話 冒険者ギルド無き国家
あれから半日ほどが経っていた。
だが――さすがに期限までにはまだ時間がある。
大陸の上にも、大きなタイムリミット表示が刻々と進んでいる。
今頃、向こうはかなり混乱しているだろうが――答えが決まるまでは時間がかかるだろう。
ようするにこちらは相手の反応を待っているだけ。
退屈な期間となっていた。
なので今は時間つぶし。
魔王城の広間にて、警告を発した後。
私達魔王一行は既に寛ぎ、相手の様子を魔術で眺めていたのだ。
こちらは女神が一柱に、魔王が二体。
並の魔術師ならば発動するのも難しい【遠見の魔術】も、三人ともが使える。
それぞれにモニターを展開し、サニーインパラーヤ王国の情勢を探っているのだが。
モニターを眺めるクリムゾン殿下と、捕虜たるアサヌキが口をそろえて。
ぼそり。
「……全ての会話、全ての資料が筒抜けとは。戦争に発展しかねない事態だ、今更にプライベートがどうこうとは言うまいとは思っているが……なあ、弟よ。この魔術は禁じる必要があるのではあるまいか?」
「これではわたし達の国が丸見えではないか……。これは、ど、どうなのだ!?」
常人二人を振り返り。
「魔術国家インティアルでは優秀な元宮廷魔術師がそういった”干渉・鑑賞系”の魔術を遮断する対策を取っていたのですがね。生憎とこのサニーインパラーヤ王国にはそれがない。あなたたちの防衛意識が薄いのでは?」
言いながらも私はサニーインパラーヤ王国の中を探っていた。
装備は東洋文化の名残を感じさせるが、いったいこれらの技術がどこから入り込んできたのか。
真っ先に考えられるのは、ルイン王子のような転生者の存在。
転生者など例外であり特殊事例――。
そう思うかもしれないが、それは魔術師の考え方としては間違っている。
たった一つでも例外が存在するのならば、既に可能性は無限に存在している。
例外や特殊事例が、その時だけの現象の筈がない。
あり得ない、などという事はあり得ない――。
それが魔術の基本でもあり、基礎でもある。
この時点で既に多くの情報が入手出来ている。
遠見の魔術とまではいわないが、相手の情勢を探る魔術を防ぐことは必須なのだが。
どうやらこの国では冒険者ギルドの消失と共に、そういった危機管理意識が欠如してしまったのだろう。
何一つ、情報を遮断する魔術の気配がないのだ。
まあ対策といっても限度がある。
魔術国家インティアルで行っていた対策も、魔王以上の存在であれば突破できていたが。
そこは国家機密なので黙しておくとして……。
私の言葉に異議を上げるように、アサヌキは黒ずくめの下で大きく口を開けていた。
「し、仕方ないであろう! 我が国は冒険者ギルドの加護を失い五十年、これでも必死に生きてきたのだ! 遠くを盗み見る魔術に対する対策など、する暇も必要もない!」
「する必要がない、ですか――なるほど冒険者ギルドが無くなり、蓄積されていた知識が回収されてしまうと、そのような認識になってしまうのですね」
「なに!? どういうことだ!?」
おそらくこれは芝居。
驚愕の声を上げているというよりは、私から戦術や情報を抜き出そうという演技だろう。
存外に駆け引きを用いるタイプのようだが。
まあこれくらいの知識なら問題ないかと、具体例をモニターに表示。
実際にダンジョンから溢れた魔物に占領されている、サニーインパラーヤ王国の街を遠見の魔術で映して見せたのだ。
大帝国カルバニアももし私や三女神が介入していなければ、こうなっていたのだろうが――。
魔物に蹂躙される街は、やはり惨憺たる有様である。
見覚えのある街だったのだろう。
アサヌキの口から漏れていたのは、震える声。
「そんな!? この門は……ガゼルスの街、なのか……わたしが、離れている内に……こんな」
「可哀そうではありますが――あなたがたもムーンファニチャー帝国で行っていた事でしょう?」
「わたしはっ、わたしは無意味な殺戮などしていない!」
叫びは本音だった。
魔術を使う事も心を読むことも必要のないほどの、悲痛な叫びだった。
けれど、私の魔王の瞳は銀の髪の隙間から、ただ煌々と赤い瞳を輝かせていた。
「あなた個人はそうであったとしても、他の者たちは違う。おそらく、ムーンファニチャー帝国に遠征させられていた者たちは罪人だったのではありませんか? 根拠はカルマ値の低い、一定以上の悪行をした者にしか効かない私の即死魔術が効果を発動した事です。はたして、そんな罪人たちはドワーフたちを尊厳をもって殺していたでしょうか? 私にはそうは思えません。魔物と思って、いえ、敢えて魔物だとして殺していたのならば――こんな惨状への八つ当たりも兼ねて、ドワーフ達を痛めつけ遊んでいたのではないでしょうか?」
全ては推測だ。
けれど、ドワーフ皇帝の人間への恨みは本物だった。
私の言葉に、アサヌキは答えない。
「図星のようですね。ああ――けれど我が国の民には伝えておきます、人間種が残酷なのではありませんよ。エルフとて他者の生命を食らい生きているわけですし、百年ほどの前にはエルフの王族が人間を捕らえ人体実験などしていたようですから。同じ穴の狢。結局、一定以上に知恵ある種族の習性でしょうか? 知恵持つイルカが無邪気な顔で――仲間内で苛めをするように。知能を伸ばした動物は自分ではない弱者を虐げ悦に浸る、そんな悪性があるようですから」
人間種全体が悪いわけではない。
無駄な差別意識が生まれても面倒だと、念のために部下たちに注意を促し。
私は静かにモニターに目をやっていた。
魔物に襲われ滅んだ街の景色は、ただただ悲惨。
生活感は既にない。
皆が隠れて住んでいたのだろう、崩れた街の瓦礫の中に商品の値段表示が見えていた。
まだ生存者がいないか探しているのは、人間ではない。
悪魔の姿だった。
この地を襲った魔物だろう。
どうやら襲撃者は、アンデッドと悪魔の二種類。
闇の眷属ともいえる、厄介な性質をもつ二種の魔物である。
やはり、迷宮から溢れ出た中級魔物か。
迷宮から出てきた魔物を眺め――。
羊毛の首を傾げ。
グーデン=ダークが言う。
『おやおやおやおや、これは深刻ですね。襲ってきたのはレッサーデーモンや高位ではないとはいえ、闇の貴公子とされるヴァンパイア。中級魔物のように見えますが……はて』
「この規模の魔物氾濫はもう――人の手の届く範囲にない。おそらくは手遅れでしょうね」
基本的に迷宮の外に現れる魔物とは、迷宮の中から追い出された魔物。
迷宮の魔物が強すぎて、サイクルで殺されてしまうから逃げだした存在。
ようするに街を蹂躙した彼らは、迷宮内では雑魚なのだ。
それが中級となると……。
濃い唾を呑んだのだろう。
アサヌキが喉を揺らし。
「ど、どういうことだ!?」
「――迷宮の外に中級魔物が徘徊している……そこが問題なのです。迷宮の外に魔物が出現する原因は、迷宮内からの追放にある。迷宮の中にいる魔物は、彼らを食い物にできるほどの上位魔物という事になります。つまり……ここに映る街を崩壊させた襲撃者は中級魔物ではありますが、迷宮内から逃げてきた敗者なのですよ」
「これらが、敗者……だと!」
実際、人間にとってはかなりの強敵だろう。
だが……。
「ええ――どこにあるのかは知りませんが、彼らが元いた迷宮の中は最低でも、中級魔物を虐め、追放できるほどの上級魔物が占拠しているということです。上級となると……人間の実力で言うのなら、そうですね……騎士団長クラスの人間でないと、迷宮の入り口にいる雑魚にすら負けてしまうでしょうね」
これらは冒険者ギルドならば知っている。
知識が蓄積されている。
けれど、この国は自業自得によりその知識を失っているのだ。
冒険者ギルドに多くの国家が逆らえない、敵に回せない背景にはこういう事情があるのだが。
……。
よくよく考えてみると、そんな冒険者ギルドのナンバーツーに私の側近が入り込んでいるという状況は、たしかに問題視されるような気もするが。
それは今は関係のない話。
グーデン=ダークがダンジョンの位置をマップに記入しながら、淡々と告げる。
『ま、レイド殿の言葉ではありませんが、あなたがたもドワーフの国で同じことをしていたのです。築き上げてきた文化を失う事には、多少の同情はしますがね。それ以上の感情は特に何も……。あ、冷たいとは思わないでいただきたい! この魔物たちも迷宮を追放され、生きることに必死になっているだけとも言えますからねえ。人間も魔物も家畜も悪魔も、神でさえ――生きるのに必死だという事ですよ』
『神もとな? ふふ――言うではないか、夜の女神の使い魔よ』
女神アシュトレトもこの光景をどうするべきか。
判断に悩んでいるようだ。
ドワーフ達も人間たちも、女神にとっては同じ世界で蠢く有象無象の命。
どちらを優先する必要もないのだろう――。
そしてこの魔物の蹂躙とて、食物連鎖の一環。
光景は悲惨だが、世界全体から見れば正しい生命循環ともいえるのだ。
まあ、女神アシュトレトは女神の中では慈悲ある方だ、心境は複雑なのだろうが……。
その濡れた唇が、語りだす。
『――まあそうさな……神とて生きることは苦労をする。実際、この地の大陸神も逃げておるようだからな――妾たちの顕現に怯えたのか、或いは、大陸が滅びそうになり見捨てたのかは知らぬが。アサヌキと言ったか――おぬしら、魔術はどうなっておるのだ?』
「ま、魔術でありますか? ま、まだ使用できておりますが」
『そうか……ならばまだ大陸神はこの地のどこかにいるという事であるな。あやつら大陸神は汝ら眷属から信仰を糧とし生きる”神”という種族の魔物。おぬしらが滅んでも困る筈なのじゃが、はて……なぜ何もせんのか、そこも分からぬな』
さりげなく大陸神も魔物だと言い切った創造神に、私の部下のエルフも含め、アサヌキもクリムゾン殿下も顔面を硬直させるが。
まあ、アシュトレトがそんな重要な話をさらっと漏らすのはいつもの事か。
誰もが言葉を失う中。
一匹だけ、終焉の魔王グーデン=ダークが映画鑑賞感覚でボリボリと、揚げた芋菓子を齧る横。
まあ、少しは攻略のヒントを与えてもいいかと、私の口は語りだす。
「アサヌキさん、先ほどあなたは遠見の魔術の対策など必要ないと仰いましたが、それは違います」
「と、いうと……」
「たとえば敵が死霊だとして……骨の魔術師スケルトンウィザードや、彷徨う悪霊が魔術を習得したレイス、無機物の王と崇められている屍賢者リッチであった場合――対策をせねば、干渉系の魔術で居場所を察知されるのですよ。私達が使う”遠見の魔術”はその最上位にあたるわけですが……ここまで上位でないにしても、魔物たちはあなたたちの様子を探っていた筈。この地が襲われたときには既に、ガゼルス……でしたか? この街の居場所や、戦闘員の人数などがバレていたと思いますがね」
滅びた村を見る王族の瞳、そして黒ずくめ越しの唇は揺れていた。
聴覚鋭い私の耳には、グギギギっと歯を食いしばる音が聞こえている。
それでも男は無知な道化を演じ――。
「あ、悪魔ならばともかく、ア、アンデッドにそれだけの知識がある筈がない!」
「初級のアンデッドならばそうでしょうが、モンスターサイクルを重ねたアンデッドならば話は別です。ダンジョン内の弱肉強食、食物連鎖が強まれば迷宮の魔物も進化を遂げて強化される。正確には弱い者が死ぬことにより、強者が残り……それを進化と呼ぶのでしょうが、ともあれです。一定以上の強さを持ったアンデッドならば生命反応とも言うべき、生者の魂の気配を感じることもできるのです」
実際にやってみた方が分かりやすいでしょう――と、私は詠唱を開始。
魔王城を中心に超特大の魔法陣が回転し始めていた。
どうしたことか。
瞳を閉じると見えてくるあの記憶。
滅びた楽園と、割れた鏡に映る”あの方”とやらの姿を思い出してから、明らかに私の魔術の練度が上昇していた。
まるで欠けていたピースが埋まったような感覚の中。
次々と叡智が芽生え、それに応じてレベルが大幅に上昇し続けているのだ。
今ならば何でもできてしまう、そんな高揚感もある。
むろん、今の私は少年期を過ぎ――自制を覚えているので暴走することなどないが。
これは実験だった。
どこまで手が伸びるか、どこまで手が届くか。
試したくなった。
だから私の口は詠唱する。
魔術実験を兼ねた私の口からは、今まで、この世界では実現できていなかった体系の異なる異形な魔術が詠唱されている。
天を揺さぶる魔法陣の赤光が、私の肌と髪を輝かせる中。
魔術が完成していた。
魔王城に――アンデッド召喚の魔術式が満ち始める。