第136話 瞳を閉じると見えるモノ
朝の港町でてきぱきと作業を進めるのは、緑髪のハイエルフ。
豪商貴婦人ヴィルヘルム。
今回も彼女にサニーインパラーヤ王国への船を用意して貰っているのだが、彼女は嫌な顔を一つせず頷き、行動を開始――。
それもその筈。
女神アシュトレトが所望している”着物”と呼ばれる装備に価値を見出したようで――。
女神を捕まえ、あれやこれやと情報を聞き出しているのだ。
おそらくはサニーインパラーヤ王国から技術を流用し、着物を販売するつもりなのだろう。
商魂たくましい豪商貴婦人を女神アシュトレトも嫌いではないらしく、空気は良好。
まあ実際、着物は幾重にも重ねた生地を使う。
模様にも儀式的効果のある文様を刻めることから、かなり魔法防御や状態異常耐性を補強できる装備は作れるだろうが。
観察する私の心を読んだのだろう。
羊ジト目でグーデン=ダークが言う。
『いえいえいえ、あれは絶対にただの女神様の享楽……見栄えのいい、変わったドレスが欲しいだけでありましょう』
「まあいいじゃないですか、彼女も彼女でこの世界を楽しんでいるのです」
『楽しまれるのは結構なのですが……こちらの苦労も考えていただきたいものですなあ』
おそらくは夜の女神に、『朕の着物も用意させよ――』と命じられたのだろう。
「夜の女神には私から着物を捧げておきますよ」
『それはとてもありがたい! いやはや吾輩、昨日の取引で貧乏生活を送っておりまして』
「ドワーフ皇帝には無料で進呈したのです、別にあの時の条件を緩めてもいいのですが」
現在の財産はともかく、百年後までの稼ぎまで回収したらまるで守銭奴に見えてしまう。
しかしグーデン=ダークは、ぐふふふふっと悪魔スマイル。
ビシっとポーズを取り。
『――残念でありますメェ! あれは正当な取引でありますので! シャークトレードと言われましても、今更お返しできません!』
「シャークトレード?」
『条件に釣り合わない取引の事でありますよ――吾輩、既にあの逸話魔導書は我が主に献上しました故。お返しできませぬ!』
「いえ、ですから――他の人にタダで差し上げたモノをあなたに代金をつけるというのも」
私の顔色を覗き込んだグーデン=ダークは、はぁ……と息を吐き。
『言いたいことは分かっておりますよ……ですが、本当の意味であれは不平等な取引。あの魔導書にはそれ以上の価値があるのです。ご忠告申し上げますがあなた様は些か、他者に甘い。モフモフに甘いところは理解できますが、あの人間――アサヌキでしたか……あのような男まで救おうなどと考えておられるのでしょう?』
どうやら、グーデン=ダークなりに私の行動が心配なのだろう。
似合わぬお節介を焼いてきているようだ。
相手が真剣なので、私も真摯に考えた末に眉を下げ――。
「救おうなどと偉そうなことは思っていませんが、まあ現地の様子を見るくらいはしてもいいでしょう。幸い、女神も着物目当てに興味を持っているようですからね。観光のついでならば――と」
『あぁぁぁぁ! あぁぁぁぁ! そんなことをいって、どぉぉぉぉぉせ、困ってる人がいたら見捨てられないのでありましょうに! 救世主気取りな部分を見ていると少しイラっとしますよ、ワタクシ!』
もっと欲に忠実に生きるべきであります!
と、悪魔が悪魔のささやきをしてくるが――。
まあ、これはどうやら本気で心配されているようである。
「おや、私の事を気に掛けてくれているのですか?」
『はい? 別に、ただあなたほどの強者が? 人間如きに利用されるのは? 見ていて面白くないだけでありますが? なにか?』
「――自業自得な存在には厳しくしているつもりなのですが」
それでも確かに、私は他者に甘い傾向にあるのだと思う。
しかしだ。
ある程度、過ぎるぐらいの寛容な心を身に着けていなければならないと、そう私は感じていた。
女神がそうであるように。
今の私は、やろうと思えばもうこの世界そのものを破壊する程度の力は習得してしまっているだろう。
狭量な心で罰していたら、簡単に大陸は滅びてしまう。
本当の意味でどうしようもない相手ならば止むを得ないが、できるのならば避けたい。
そんな私の感情を、人の心を巧みに読む饕餮ヒツジは感じ取ったのか。
はぁ……と、また一段と大きな露骨な溜息に言葉を乗せる。
『まああなた様がそういうのでしたら、この可愛い羊めの吾輩の口からは、何も……ただ、正直申し上げまして。他者をいちいち気に掛けるその悪癖は、明確な弱点になりかねませんよ』
言って、グーデン=ダークはトテトテトテ。
許可を出した覚えはないのだが、勝手に東大陸へ向かう船に乗り込んでいる。
既に話術で手下を作っているようで、自分のスペースをちゃっかり確保しているようだ。
再び、私の心を勝手に読み切ったようでグーデン=ダークはモコモコな首で振り返り。
『神獣がいると聞かされたのです! 行くに決まっているでしょうが! もう我が主から、よろしくね~と釘を刺された吾輩の気持ちを考慮していただきたい!』
「あまり他者の心を勝手に予想し、しかも正解するのはどうかと思いますが。まあ、乗っていただいても構いませんよ、というか、豪商貴婦人は既にあなたの名を船員名簿に記入していましたし」
『おや、あのハイエルフも見る目があるようで――後でお礼がてら、揶揄うとしましょう』
やはりこの羊。
根は享楽主義な悪魔のようだ。
言葉や交渉を武器とするだけならばともかく、魔王としての最低限の力があるのでタチが悪いのだが。
豪商貴婦人ヴィルヘルムが羊の乗船に気付き、年季の入った髪飾りを指で揺らす。
それは私への合図だったのだろう。
乗って貰って構わないと無言でうなずいた私に阿吽の呼吸、豪商貴婦人ヴィルヘルムは恭しく、承知いたしましたと頭を下げて返してくる。
出港準備は順調。
サニーインパラーヤ王国に強制的に設置する筈の、転移門。その仕掛けをチェックしているエルフの技術者に目をやった私の口から、ゆったりと言葉が漏れる。
「やはりこの手の流れは適材適所。優秀な部下に任せるに限りますね」
本来なら転移魔術で向かってもいいのだが――既に冒険者ギルドの存在しない地に転移する際に、座標のブレが発生する可能性がある。
魔王たる私やグーデン=ダーク、女神ならば極端な話【*石の中*】に座標が被ったとしても、石の方を世界から除外して生存できるが――同行する忍者アサヌキはそうもいかない。
捕虜とした彼を生きたままサニーインパラーヤ王国に連行し、あちらと交渉。
ムーンファニチャー帝国からの使者として抗議、及び賠償金を要求する予定なのだ。
金、金、金、とまた賠償金だが、まあ国家とはそういうもの。
迷惑をかけたのなら金銭で解決するというのは、そうおかしな話ではない。
実際、ドワーフはかなりの被害に遭っていたのだから、このまま講和……というわけにもいかないだろう。
金銭で解決できるのなら、それに越したことはないのだ。
もし解決できないのなら――。
それはもっと悲惨な結末に繋がるのだから。
私は静かに瞳を閉じていた。
様々な記憶が、走馬灯のように駆け巡っている。
あの時、ああしていればよかった。
あの時、こうしておけばあの人は助かったのではないだろうか。
そんな思いばかりが浮かんでくる。
百年ほどの時の流れのせいだろうか。
姉ポーラがそうであったように。
ふとした瞬間に、今の日常が失われるのが怖いと感じるようになっていた。
そう思ってしまうのは、今、血相を変えて飛んできたこの男を見てしまったからだろう。
瞳を閉じていても魔力で分かる。
ムーンファニチャー帝国に入国したエルフの一団の中からやってきたのは、紅蓮髪の貴公子。
長身のエルフ。
兄たるクリムゾン殿下だった。
鋭利で冷徹な炎の剣。
そんな印象を周囲に抱かせているが、その実はかなりの努力家で苦労人。
寡黙で生真面目な男は、胃痛を乗り越えたような顔で私の顔を眺め……。
「まったく……おまえは――また随分とやらかしてくれたようだな」
「そう責めないでください、とりあえずドワーフとは友好関係を築けそうなのです――確かに唐突な話ではありますが、悪い事ばかりではない筈ですよ」
本国を離れての公務は珍しいのだが。
寝不足らしい兄は、サニーインパラーヤ王国に向かう準備を進めている私を瞳に捉えていた。
「そうは言うが――議会の許可がまだ下りてはいないのだぞ」
「私もできたら皆と相談してからとは思ったのですが、これは勅命なので――どうにも」
クリムゾン殿下が紅蓮の髪を揺らし眺めたのは、豪商貴婦人とグーデン=ダークを捕まえて船旅用のドレスを披露する女神アシュトレト。
彼女たち三女神が唐突に何かを言い出し、これは最優先事項じゃと強引に話を進めるのはいつもの事。
だから殿下は気が重いのだろう。
「なるほど――また、神々の悪戯か」
「おや、なかなか風情のある言い方ですね。まあ悪戯かどうかは分かりませんが、私にサニーインパラーヤ王国をみせたいというのは本心のようですので」
「五十年ほど前にドワーフの地を襲い、ギルドを除名された大陸か……あの男、パリス=シュヴァインヘルトはなんと?」
殿下と私の側近パリスは友人関係にある。
歳の近いエルフが二人、私には気軽にできない相談も色々としているようだが。
「冒険者ギルドとしては彼らを受け入れ直す気はないそうです。どうやらドワーフ以外にも様々な種族を襲っていたらしく、彼らを受け入れるという事は多種族の反発を強く買うそうで」
「あの大陸は人間至上主義と聞くからな」
「人間も分類上は魔物だと伝えたら、異教徒扱いされてしまいましたよ」
苦笑する私に、クリムゾン殿下は眉を顰め。
「――いや、それは異教徒扱いされても仕方あるまい。事実がそうであったとしても、到底受け止められない答えであろうからな」
「そうでしょうか? 人間の感覚はよく分かりませんね」
「……まあ構わないが。おまえはどうするつもりなのだ」
問いかけの意図が分からず、私は僅かに間を置き。
「どうする、とは」
「冒険者ギルドから除名された国家だ。五十年ほどもすればモンスターサイクルを対処しきれず、まもなく滅びを迎えるはず。ギルドへの復帰も許されないとなれば、滅びを迎える運命にある。まさかおまえに終焉を迎える国家を観察するだけして楽しみ帰ってくる、などという悪趣味はないだろうからな」
そんな悪趣味な羊がメメメメっと抗議のフレーメン顔をしているが。
それはスルーし。
港町の潮風で銀髪を揺らし――私は言う。
「まあ――到着して、向こうの様子を見てから決めますよ」
「そうか――だが、兄として一つだけ忠告させて貰ってもいいだろうか」
「なんでしょうか、珍しいですね」
クリムゾン殿下は自分が兄だという立場をあまり利用しない。
あくまでも王たる私に仕える大臣のような、一歩引いたドライな関係を心掛けているようなのだが。
殿下が言う。
「全ての者を救えるなどと思い上がるな――」
「おや――手厳しいですね」
「言い方は悪かったかもしれないが、世界には助ける価値のある者とない者がいると俺はそう感じている。全ての者を平等に救おうなどと考えているのなら、それは酷く傲慢な考えだ。仮に、おまえにそれが可能だとしてもだ」
おまえは傲慢だと、真正面からの忠告である。
だからこそ、感じる。
兄もまたグーデン=ダークのように私を真剣に心配しているようだ。
今の私は他者から見れば、そんな見境なく、全てを救いたがっている狂人に見えているのだろうか。
少し考える私に、殿下は兄の顔で告げていた。
「可能な事であっても、それをする必要があるわけではあるまい。全知全能を彷彿とさせるほどの無限の魔力を用い、独り、国を支えていた母を見ていて……かつて思ったことがある。あの母の力があったからこそ、エルフはどんどんと傲慢になっていった。俺は――おまえが母と同じように、悪い意味で周囲を変えてしまうのではないかと心配だよ。全てを救えてしまうおまえという存在の影響を受け――勘違いする者達がでるのではないか、そんな杞憂が晴れんのだ」
女神は東に向かえという。
グーデン=ダークは懸念を表明した。
兄はこうして、心配そうに私を眺めている。
しかし、まあ三者三様。
滅びるだろう東に行くというだけで、それぞれに思いがあるようだ。
共通点はおそらく、私のため、なのだろうが。
港町を照らす太陽の下。
私はあっけらかんと告げていた。
「まあ――なるようになるでしょう。行く前から心配しても仕方ないですよ」
「……俺はおまえのそういう、女神の悪い部分を吸収したような――適当な性格も心配なのだがな」
「女神に対して、そのように悪し様に言えてしまうのも、この世界で兄さんぐらいでしょうね」
女神たちも実の兄であるクリムゾン殿下には強く言えないのだ。
おそらく私が身内を大事にしているからだろう。
別に、姉ポーラの代わりというわけではないが――。
やはり、私は少し失う事が怖いと思うようになっている。
瞳を閉じると、滅びゆく楽園の姿が見えていた。
私の記憶の奥には――。
割れた鏡の前。
兄の死に嘆き、全ての命、全ての魂、全ての精神に絶望し――。
神々の園……その全てを滅ぼす男の姿が見えていた。
あれが。
あれこそが――、女神たちが”あの方”と呼ぶ男なのだろう。
勝手に他者に期待し、勝手に裏切られ。
勝手に絶望し、魔性と化し。
勝手に神々を滅ぼした、なんとも惨めで無様な男だった。
もし三女神たちがあの場にいたのなら。
彼を止めたのだろうか?
それとも彼に従い、共に楽園を滅ぼしたのだろうか。
おそらく、出会った頃の三女神ならば一緒に滅ぼしたのだろう。
しかし、今の彼女達ならば。
どうなのだろうか?
そして、今の私ならば。
いったい――どうしていたのだろう。
私には、答えが分からなかった。
閉じていた瞳を開き。
港町から覗く、青い海を私は見た。
海は――ただ静かに揺れていた。
◇
翌朝。
船は出発した。
私達を乗せた船は――サニーインパラーヤ王国へと向かった。