第135話 魔王の逸話魔導書
かつてニャースケに魔術を授け、魔猫――猫魔獣へと進化させたように。
ここ、ムーンファニチャー帝国でも魔術伝授による変化が訪れていた。
ドワーフ達の種族が変更。
モフモフ度が三割増しの、【偉大なるドワーフ大兎】へと種族変化が起こっていたのである。
ムーンファニチャー帝国皇帝、カイザリオンは自らの手を眺め。
『こ、これは――いったい、かつて失いしあの感覚っ、魔力と魔術理論で満ち溢れておるではないか』
「簡易的な契約ではありますが、これであなたがたにも魔術の加護が付与されている筈です。どれほどの魔術を伝授できたか私も確認したいので、試しに魔術を使用していただいても?」
『う、うむ、そうだな。そうであるな』
皇帝カイザリオンは手甲の下で、モキュっと手を握り。
巨体の足元をゴゴゴゴゴっと魔力で揺らし、詠唱を開始。
唱える魔術は私の逸話魔導書を通じて生まれた新魔術。
私を疑似的に神と認識させることにより発生した、新しい魔術式の構築。
解釈や理解度が足りないせいか。
魔法陣は多少歪んでいるが、それでも詠唱は開始される。
『主よ――人妖精を束ねし白銀王よ。幸福を導きし者よ。死と共に”大いなる知識”、”魔力溢れる肉体”、”聖者の魂”を世界に与えし、大いなる賢人。女神に拾われし、その一欠片よ。余はカイザー・カイザリオン=ムーンファニチャー。多くの同胞を従えしドワーフ帝なり! 盟約に従い――今ここに、汝の奇跡を授け給え!』
完全ではないが、それは私を利用した魔術。
詠唱が、魔術という現象を承認し始める。
世界の法則を書き換えたのだ。
それは私という存在を神とした場合の詠唱であり、私の逸話を読み解いた結果生まれた魔術。
当然、私はこの世界の神ではないが――この世界にそうだと認識させ、偽装することはできる。
カイザリオンの手甲が強大な魔力に耐え切れず、割れ――その下からはやはりモフりとした兎の大きな手が出現する。
その手の上には、魔術の波動。
許可を求めるようにカイザリオンが私を眺めるので、促すように私は頷く。
呼吸を置いた、その後。
カイザリオンの魔術が発動する。
『種族強化魔術:【我らドワーフに祝福あれ】』
皇帝の手から発生した強化魔術の光が、ドワーフという種族全体を包み始める。
効果はドワーフ族の永続的な能力強化。
そして、魔術の伝授。
実験は成功。
私の加護を受けている状態の、一時的な現象ではあるが。
このドワーフ皇帝……”カイザー・カイザリオン=ムーンファニチャー”を、大陸神と同等の存在にすることに成功したのだ。
『なななな、なんと素晴らしい! これぞ失われし魔術。失われし加護』
「これでおそらくは、ドワーフ語ではなくとも他の方々にも言葉が通じるようになったでしょう――あなたがたの言葉は多少イントネーションが難しいので、少々苦労していたのです。っと、失礼――言語を批判するつもりではなく、モフりとした口を前提とした種族の発音なので、モフさが足りない私には使いにくいという意味ですが」
ともあれ魔術伝授には成功した。
種族も強化できたことで、以降は簡単に倒されることはなくなるだろう。
「さて、一つ問題なのは一時的とはいえあなたがたは今、エルフ王たる私の眷属扱いとなっていることなのですが……」
『構いませぬ。いや、むしろ魔術の加護、恩寵を再び取り戻してくださるとは――余はなんとお礼を言ったらよいのか』
「お気になさらず、こちらにも打算があることですので」
『打算でありますか?』
私は苦笑し。
魔術国家インティアルで起こった事件の簡単なあらましと、エリクシール量産計画とを説明。
「というわけで、あの国家が取引できる国を探していたのです。本来なら魔術の加護が消失したこのムーンファニチャー帝国に、回復薬を高く買い取っていただき、あちらの国の借金を私に返していただきたかったのですが」
『なるほど、分かりました――余も恩を仇で返すことはしとうありませぬ。もし、こちらが落ち着き、鉱山で採掘できた素材で生みだした武具にて、外貨を再び獲得できるようになった暁には――必ず、必ず魔術国家インティアルと交易を開始すると約束いたしましょうぞ』
一応はこれで魔術国家インティアルの財政立て直しも可能だろう。
まあ、ほぼ完全回復薬のエリクシールならば買い手は他にも見つかるだろうが――変に人間に大きな力を与えると面倒になることは、目に見えている。
ドワーフに買い取ってもらい続ける事は、後の安定に繋がると想定しているのだが。
魔術国家インティアルの王子と王女が国を買い直した後は、彼らの判断に任せる事になるか。
ともあれ。
「他のドワーフ達も既に魔術の素養、素質が芽生えている筈ですので――」
『うむ、余が責任をもって魔術の基礎を教育しようぞ。しかし、そうさな――図々しい願いであると承知しておるが、いくら巨体な余であっても、民全員の魔術教育などできん。そこでだ、恥を忍んでお願いしよう』
カイザリオンの願いは既に理解している。
「魔術の教育ができ、そして信頼出来る人員を派遣して欲しいということでしょうか」
『うむ、白銀王は実に優れた慧眼をお持ちのようで、話が早い。まるで未来が見えているようではあるまいか』
未来が見えている。
そんな言葉を受け流し。
「――分かりました。それでは港町にあった冒険者ギルドに、我がフレークシルバー王国から魔術を得意とする有能な冒険者を派遣いたします。無償というわけにはいきませんが、後払いで大丈夫ですので。問題は派遣する魔術講師の人種なのですが……」
現在、ドワーフ達は人間と敵対している。
全ての人間ではなくあくまでも東の大陸、サニーインパラーヤ王国の人間との敵対だが――虐殺や略奪を受けたドワーフの民は人間というだけで、多少の恐怖を感じてしまうだろう。
しかし、エルフとは犬猿の仲。
なにやら我が母、白銀女王スノウ=フレークシルバーは、彼らと少しは交流があったようだが。
巨体の先にある耳をぴょこりと動かし、ドワーフ皇帝カイザリオンが言う。
『エルフの方々で問題あるまい。仲が悪いとはいっても小競り合いや個人間でのやりとりのみ、戦争を起こしていたわけではないし……それに長い間、仲が悪いという事で交流がほぼ皆無であった。人間の講師がくるよりもよほど、昔は仲が悪かったとされるエルフの方の方が安心もできよう。ただ、気になるのは……エルフの方々はその、多少傲慢な気質がおありなのが』
外交対象相手に自分の民の事をフォローするのは少し気が引ける。
さて、どうしたものかと私が一瞬言葉を悩んだその隙に――空気を読んだのだろう。
グーデン=ダークが口を挟みだす。
『ああ、それならば問題ない筈でありますよ。なにしろ百年ほど前、白銀王レイド殿が即位した際に、大きな意識改革が起こったようですからねえ。情報があまり入っておられない様子のムーンファニチャー帝国の方々は、ご存じないようですが、今やエルフと言えば品行方正。他者を思いやり、騎士道精神をもった慈愛に満ちた種族と評価されておりますので』
『なんと、あのエルフが品行方正!?』
クワっとウサギ口を開き、謁見の間を揺らすほどに叫んだ後。
慌ててドワーフ皇帝カイザリオンは、モフ手で口を塞ぎ。
『失礼した――その、あの他者を見下すエルフが……品行方正などという、その、なんでありますか』
「百年前の彼らが酷かったのは知っておりますので、ご安心を。私も最初は苦労させられたのです」
『そうでありましたか。ならば、是非ともお願いしたい。このご恩も必ずや』
私と女神とで意識改革と言う名の修業を行った。
多少の種族間のわだかまりは残っているだろうが――今のエルフならば、とりあえず問題を起こすことは少ないだろう。
これでエルフとドワーフの関係も少しは改善される筈。
事態は好転しているといえるか。
ドワーフ皇帝がモッサモッサと三割増しになったモフ毛を輝かせ、準備に席を外した。
その直後。
――私はやけに大人しいグーデン=ダークに目をやっていた。
目線に気付いた羊姿の魔王は目線をこちらに返し――。
『おや、どうかなされたので?』
「随分と素直に今回の魔術伝授を認めたな――と、少し驚いているのですよ。あなたにとってはこのドワーフ帝国が適度に弱っていた方が都合がいい、神獣を連れ帰るという目的を達成しやすかった筈ではありませんか」
『然り、しかし、ええ……はい。物事には優先順位と言うものがございますので』
グーデン=ダークは神獣であるカイザー・カイザリオンを連れ帰るよりも、もっと重要だとばかりに、目だけでなく正面となるように私を振り向き。
羊毛を膨らませ、恭しく執事の礼をしてみせていた。
見事な立ち居振る舞いを私は訝しみ。
「……なんのつもりですか、終焉の魔王ともあろうものが。それでは本当に忠誠を誓っているようにみえてしまいますよ」
『おや、失敬な! これでも吾輩! 本当に忠誠を誓っているのでありますよ!』
とても忠誠を誓っているような言葉ではないが、忠義の姿勢は本物だ。
どういう心境の変化か。
「あなたも女神アシュトレトのように、何か企んでおいでなのですか? 正直、あなたのような実力以上の成果をみせる策略家を相手にしたくはないのですが」
『滅相もない、この吾輩――グーデン=ダークはあなたとは絶対に敵対しないと決めましたので。その誓いでございますれば、信用していただければ――と』
物凄い胡散臭いが。
グーデン=ダークは顔を上げ。
『まあドワーフ皇帝殿には、状況が落ち着かれてから話を持ち掛ければいいだけの事。この世界の時の流れは外の世界とは異なります故、猶予も期限も長く御座いますからね。無茶をしてあなた様の心証を悪くしたくはない。ですが、吾輩も何か、途中経過と申しましょうか、ある程度の成果を主人たるナウナウ様に転送しなくてはなりません。そこでです、どうか一つ、吾輩の願いも聞いては頂けませんか?』
頂けませんか?
ませんか?
と、エコーを発生させての羊フレーメン顔である。
「――あなたが心の底から下手にでていると、なにか少し薄気味悪いですね……」
『ご不快ならば直しますが』
「いまさら直されても違和感がありますし、別に構いませんよ――それで……願いでしたか。話と内容によりますが、なんですか」
グーデン=ダークは精一杯の羊スマイルで。
『吾輩にもあなた様の逸話魔導書。グリモワールをお譲りいただきたいのです、むろんただとは言いません。言い値で買い取りましょう』
「言い値の言葉の意味を理解していますか?」
『ええ、もちろんであります。吾輩は交渉術で生き続けた魔物でありますから』
私は冗談で肩を竦め。
「それではあなたの全財産と、これから百年稼ぐ全ての金銭、財産でなら――」
『承知いたしました。契約完了ですね』
言って、グーデン=ダークは悪魔としての笑みを浮かべ。
既に用意していた魔導契約書に捺印。
こちらの冗談を利用し、勝手に契約を完了させてしまう。
これはさすがに想定外だった。
本当に、予想していなかったのだ。
ヒカリゴケによる淡い輝きを反射する私の頬には、わずかな汗が浮かんでいたのだと思う。
「こんな条件で私の逸話魔導書を買い取るなど。正気ですか?」
『失礼ながら、レイド殿。あなたはご自分の価値について全く理解されていない、あなた様の魔導書、そしてあなた様にはそれだけの価値があると判断し、即決させていただきました』
横から――神々しい女神の声が届く。
『まあ――そうであろうな……』
「アシュトレト、あなたまで何を言って」
静観していた女神アシュトレトが逸話魔導書を召喚。
それは私の情報が記された、魔導書。
珍しく私よりも前に出て、口を出しはじめたのだ。
『そなたとて、自分がどのような存在なのか――もはや理解しておるのであろう。こやつはそれに気が付いた。逸話魔導書の詠唱が決め手であったのであろうな。まあ良いではないか、魔術を扱う者であるのならば――その条件とて、安い買い物であろうよ』
女神アシュトレトが妻の仕事とばかりに、グーデン=ダークに逸話魔導書を手渡し。
『そなた、良い目を持っておるな。名はなんと言ったか』
『終焉の魔王グーデン=ダークにございます』
『そうか――覚えておこう』
グーデン=ダークは私の逸話魔導書を受け取ると、執事の仕草でぺこり。
恭しく、もう一度頭を下げていた。
事態を理解していない、アサヌキは困り顔だが――まあ親切に解説する必要もない。
逸話魔導書を抱え、魔法陣を展開。
買い取った書を異次元に転送するグーデン=ダークを横目に。
私はこのムーンファニチャー帝国に人員を派遣する手筈を整えるべく、兄たるクリムゾン殿下に連絡を入れた。
あのドワーフの帝国に魔術教育だと!? なにをどうするとそうなると言うのだ!?
と、兄は多少混乱していたようだが――。
まあ、クリムゾン殿下の事だ。
いつものように、硬い眉間に濃い皴を刻んで悩んでくれるだろうが――最終的にはうまく調整してくれるだろう。
やはり兄は頼りにするべきだと、強く私はそう思うのである。