第132話 五十年前の悪魔
殿下と呼ばれた全身黒ずくめ。
忍者姿の男は素直に私に投降、帝都のドワーフ皇帝に謁見する私達と同行していた。
進む道は帝都の中央。
ヒカリゴケを一番豪華に使っていることが、ドワーフ達にとっての贅沢なのだろう。彼らの王宮と思われる施設は淡い光に包まれていた。
案内役だったドワーフのリーダーが、素直に従い歩く黒ずくめの男を見上げ――鼻をチクチク。
心配げに私に言う。
『こいつ、拘束しなくて、大丈夫か?』
『彼は私やその連れ、そしてグーデン=ダークさんの実力を感じ取っているようですからね。逃げるよりも素直に従った方が生存率が上がると理解している筈です』
『グーデン=ダークさんの、実力を、そうか、ならば分かる』
やけに終焉の魔王グーデン=ダークに関しての評価が高いが……。
『あの、グーデン=ダークさんは一体ここで何をしたのですか? 随分と皆さまから信用されているようですが』
『数十年前の話だ、前にもこのムーンファニチャー帝国が、人間に、襲われたことがあった。その時、颯爽とやってきた、グーデン=ダークさんは、今のように、麻袋をもって――悪い人間、殲滅してくださった。グーデン=ダークさんに、おれたち、救われた』
しばし私は考える。
ようするに……。
「なるほど、あなた――食べてもいい外道をこの地で調達したというわけですね」
『おやおや、吾輩は自分の倫理観に従ったまで。五十年前でしたか……たしかに、吾輩はこの地に降臨しました。ですが……、吾輩が行ったのは人間狩りではなく外道狩り。そして目的は食用ではなく、人間という種族を触媒に魂を変換……神獣へと作り替える魔導実験の研究です。そりゃあまあ少しくらい食べてもいいとは思いましたが、これでもワタクシ、ダイエットをしておりまして――』
グーデン=ダークの口からたまに漏れる、ワタクシという言葉。
それが公私の切り替え、プライベートでの自称なのかもしれないが。
ともあれ。
「可能性の世界、混沌世界たるこの世界ならば人を獣神に作り替えることが可能かもしれない……その実験、ですか。非人道的ではありますが……まあ、研究してみる価値はあるでしょうね」
結果の成否はどうあれ、人間を使った実験だ。
それなり以上には残酷なことをしたのだろうが。
グーデン=ダークはそんな私の思考を読んだように、いつもとは違う空気で口をモサりと蠢かす。
『――ワタクシがどう思われても構いませんが、主人や友の名誉のために言わせていただきます。吾輩は善人を食らうことも犠牲とすることも是とはしません。もちろん雇い主たる夜の女神様とも相談させていただき、”一定以上の悪行”を”された方のみ”を条件付けされ、実験の許可を頂きました。吾輩は悪魔でありますゆえ、条件は必ず守っております』
非道を行うにしても自分の中でルールを設けているのだろう。
この価値観、思考は私にもよく理解ができていた。
ようするに私は共感しているのだ。
やはりそんな私の思考を読んだ様子で、グーデン=ダークは羊スマイル。
『それに――五十年前と言えば、同じ時期……魔王陛下も罪人のエルフを使い、生命神秘の研究をしておられたのでは?』
「おや……よくご存じで」
『あなたは研究にあたり、外世界の神、合計三柱の力を利用なさった。神の力を借りるという行為は魔術儀式――その時にあなたは観測……把握されたのでしょうね。過去と回帰を司る大神にして盤上世界を支配する獣神、”イエスタデイ=ワンス=モア様”。そして単騎で宇宙を壊すことが可能とされる最上位の大神”三獣神”が一柱。”神鶏ロックウェル卿さま”と、異なる世界を進んだ同一個体”魔帝ロックさま”。彼らとは知り合いでありまして、一応は気をつけろと警告されているのですよ』
この羊は警告といった。
私は訝しんだ。
「外なる神々が、既に私という存在を把握していると?」
『敵に回すなと厳命されております』
「ふむ、おかしいですね。彼らの逸話、そしてグリモワールから逆算できる能力は私よりも上位。これからの修業次第では分かりませんが、今の私ではまだ彼らに勝てない。それなのに、そこまで警戒される理由とは……分かりませんね」
グーデン=ダークも理解ができていないのだろう。
策士な羊が神妙な面持ちで考え込み。
『こちらが聞きたいぐらいなのですよ、いや、本当に……。たしかに――あなたはお強い。おそらく外の世界に出ても既に最上位の神々とも対等な存在と言えるでしょう。ですが、たとえ女神様の力を借りたとしても――先ほどの神々に勝てるとは思えない』
「想定はしておりましたが、それほどの存在なのですか」
あるいは、楽園からあの方を追い堕天した全ての女神の力が合わされば……勝てる可能性も。
まあ、基本的に自分勝手な女神たちが協力する未来など見えない。
できない過程を想定しても無駄か。
『――そもそも”三獣神とは本当の意味で絶対に敵に回してはならないケモノ”。戦うなどとは思うべき存在ではない。なにしろこの混沌世界の女神様達とは思想の異なる神々……あの方と敵対した者達、”楽園から逃亡した古き神々”の多くは、三獣神に滅ぼされておりますからね』
「おや、情報を提供してくださるのですか?」
私には、三獣神という存在に対しての知識があまりない。
私の魔術の師である女神アシュトレトの口からも、あまり語られていないからだろう。
おそらくは彼女たちも知らないのだ。
つまり。
彼女達が楽園を去った後に発生した、強大な神性だと想像できる。
少なくとも女神達と共にいた世界の神を、一方的に屠れるほどの存在なのだろう。
『まあ、この程度なら漏らしても平気でしょう。これでも吾輩、あなたを信用も評価もしているのですよ。弱きを助ける姿には、幾分かの感慨も受けました』
実際のところは、悪人ならばどう扱ってもいい。
それが人間であったとしても、因果応報ならば気にしない。
そういった感覚の共通点……私とこの終焉の魔王グーデン=ダークは近い価値観を持っているのだろう。
『さて、話を戻しますが。かつて女神様と同格とも言えた楽園の神々、”あの方”が兄を殺された報復にと滅ぼした輩たち……その残党狩りを行った存在こそが三獣神。魔性と呼ばれる、感情を暴走させ強さを得た大いなるケモノ。この宇宙で最も強き三体の獣神なのです』
「つまり、三獣神とは――あの方と呼ばれる者の部下、或いは眷属ということでしょうか」
グーデン=ダークは肯定を口にはしなかった。
けれど否定もしない。
おそらくは前者なのだろう。
『ともあれです――レイド殿。あなた個人がどうこうという話ではなく、そんな三獣神の一柱が、たかが一つの世界の魔王をそこまで評価する理由が、吾輩にも分からないのでありますよ……。逆に、です、逆に! あなた本人はなにかご存じではありませんか? 我が直属上司のナウナウさまも、これは~、ぜったいに~、なにかあるよ~? と、興味津々でありまして!』
「さて、どうでしょうか――」
私はグーデン=ダークを見習い、のらりくらり。
そんな私に目をやったのは、女神アシュトレト。
彼女もまるで何かに気付いている様子で――薄らと口を開いていた。
『レイドよ、そなた――……いや、それを言うても詮無い事か』
『なんですか! あなたがただけで以心伝心でありますか! 吾輩にもお聞かせください! ええ、ええ! これは羊差別でありますね!? 仲間外れはあまりに酷いではありませんか!?』
メメメメ! ウメメメェ!
と、歯を剥きだすフレーメン顔の羊魔王はともかくとして。
ドワーフ達はドワーフ語ではないので、気にせず謁見の間へと進み。
話を聞いていた殿下と呼ばれる忍者は、露骨に鼻梁を暗く染めている。
会話を聞いてはいたものの、外の世界のことなど常人には通じない話。
彼の知識では理解できていないようだ。
だが、端々に意味も理解できる単語があったからだろう。
男は酷く動揺していた。
素直に連行される忍者に私が言う。
「大丈夫ですよ、ここは冒険者ギルドが配置されている大陸です。捕虜の身ならば一定の立場は保障されています、まあ、捕虜とは違う……あなたの他のお仲間はどうなるかは分かりませんが」
「……エルフ王よ、確認させていただきたい」
「答えられる範囲なら、構いませんよ――」
この国を襲撃していた人間と関係はあるらしいが、彼は理性的だ。
ここで敵対する意味も薄い。
こちらの意図を知ってか知らずか、忍者姿の男は羊魔王に目をやり。
「さきほど、五十年前がどうとか言っておられたな」
「ええ、まあ――」
「五十年前と言えば……もしや、そこの羊は……終焉の魔王グーデン=ダークではあるまいか?」
その通りなのだが。
私に代わり、麻袋を魔力で浮かべ運ぶ彼がモコモコな羊首で振り返り。
『え!? 今更でありますか!?』
「やはり、か。なんということだ、くそっ……魔王が二匹だと。だから、わたしはこのような遠征は嫌だったのだ」
かなり動揺しているようだ。
まあようするに五十年前にもこの大陸を襲ったのは、この男の組織や国なのだろう。
グーデン=ダークの話を信じるのなら、五十年前はここまで酷い侵略をされてはいなかったようだが……それは彼が、ここまで被害が広がる前に実験用に回収したということか。
私が言う。
「これほど怯えさせるとは、グーデン=ダークさん、あなた……いったいどのような人間討伐をしたのですか?」
『衛生兵のふりをして紛れ込み、人間にしか効かない毒を撒いたり――その毒を撒いた罪を部隊長に押し付けたり。優秀な聖騎士の奥様の心を誘導し、他の騎士と不倫をさせ人生に絶望させ、聖なる力を奪ったり。後は、組織間の不和を誘う噂をばらまいたりと、まあごく一般的な人間国家の滅亡プランを実行したぐらいでありますね』
「そして弱った人間を実験用に連れ帰った、と」
魔王の名に恥じぬ搦め手を行っていたようだ。
そしてこのグーデン=ダークは魔王としては弱いだけで、人間相手ならかなり無双もできるはず。
対処するには勇者が必要だが、ほぼ全ての勇者はフレークシルバー王国が実質的に管理している。魔王相手に有効手段もなかったせいで、人間たちは惨敗したのだろう。
まあ、ドワーフ達の虐殺や略奪を行っていた連中なので、同情はしないが。
忍者姿の男は女神アシュトレトに目をやり。
「な、ならば――この美しき女性も……曰くつき、ということだろうか」
『妾か? 妾は神じゃ。それ以上でも、それ以下でもない』
「神……大陸神でありますか」
『――あのような矮小なる存在と同一に語るでない、不快さが増す』
アシュトレトはやはりまだご立腹なのだろう。
振り向きもせず。
ただ淡々と女神としての声で告げる。
『――脆弱なる人の子よ、今のうちに存分に妾やこの世界、生きている実感を覚え――生まれてきたこの世界を愛でておくことだ。これは神託にして宣託じゃ、妾は此度のドワーフ達への一方的な略奪を不快に感じておる。そなたたちの事情次第ではあるが、そなたたちの大陸そのものが危ういと知るが良い――そなたたちが神と仰ぐ大陸神の名、後で聞かせて貰うでな』
また、一つの大陸がピンチになっているようだが、まあ自業自得だろう。
ドワーフ達の事を知恵ある存在だと知っていても魔物と認定し、狩りを行っていたのだ。
それが創造神の怒りを買った。
ただそれだけの話である。
忍者姿の男がみせた反応は、困惑。
正体の分からぬ女神からの警告に息を呑んでいたのだ。
まあ、目の前にいるのが創造神だとは普通は思わないだろう。
しかし、事実は事実。
助け舟とは違うが、私が言う。
「――どうか、これ以上彼女を怒らせないでください。本当に、彼女は神。信じる信じないはお任せしますが、この世界の創造神ですよ」
魔王たる私がそんなくだらない嘘をつくとは思わなかったのだろう。
事実を告げた私の言葉を信じたようで。
忍者姿の男は更に、その表情を曇らせた。
私達はドワーフ達の帝都の中央。
その謁見の間まで辿り着いた。