第127話 女神と魔王の千夜一夜
魔王たる私の思考を擽るのは――潮の香りと海の音。
海原を進む船は、壮大な音を立てていた。
転移で向かえば一瞬。
けれど、この無駄な時間も大切なのだとは女神アシュトレトの有難いお言葉。
アシュトレトは豪華客船のデッキで優雅にテーブルを広げ、寛ぎモード。
一人だけ完全にバカンスを楽しむ構えである。
出港した港は港町エイセン。
つまりはクリームヘイト王国からの出発である。
海竜の血を継ぐ、かつて魔導姫だったピスタチオ女王は、百年経った今でも健在。
今でも交流のある彼女の伝手で、ようやく適った今回の船旅だが――表向きの目的は輸出。クリームヘイト王国の商業ギルドを通じ、フレークシルバー王国の商品を売るために入港することになっていた。
私はその監督役として派遣されている王族、ということになっている。
まあ実際、商品は多く積み込んだ。
私も王なので、王族であることに違いはない。
真実を全て語っているわけではないが、嘘はついていない。
後から目的がバレたとしても問題ない、建前を用意してあるのだ。
目的地である”ムーンファニチャー帝国”へ着くにはしばらく時間がかかる。
ドワーフ達が主流となっている大陸は火山地帯。
オーソドックスなファンタジーのイメージ通り、彼等は鉱石を扱う鍛冶に優れた種族。
そして、オーソドックスな種族間の感情通り――。
エルフ王たるこの私……。
レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバーが王を務めるエルフの国とは、険悪な関係を築いている。
「というわけで――あちらに入港はできるのですが、許可なくして港町からは出られません。まずはあちらの帝国に親書を送り、入国手続きを開始する事から始める必要がありまして……」
『ドワーフとエルフの仲が悪い、のう……』
創造神たる女神アシュトレトは、それはそれは他人事のような顔で。
『そもそもじゃ、なぜエルフとドワーフの仲が悪いのか――妾にはそこが分からぬ』
「解説してもいいのですが……アシュトレト、あなたは長い話をきちんと聞いていられますか?」
『ふふ、なんじゃなんじゃ! これは異なことを言うのう。無理だと分かっているのなら、諦めるべきではあるまいか?』
開き直ったアシュトレトは纏ったドレスを風に靡かせ。
オレンジの果実が刺さったジュースを、ちゅるちゅる。
「まああなたに分かりやすく言うと、昔からそういう風説があったからですよ。あなた達はそれぞれに持ち寄った知識をこの世界に混ぜたわけですからね。多くの女神がエルフとドワーフの仲が悪いと認識していた場合――確率論として”エルフとドワーフの仲が悪い”という種族感情も反映されやすいということです」
『それで、実際どうするつもりなのじゃ?』
「分かりやすい交渉手段としては、やはりお金でしょうかね――」
この世界は冒険者ギルドと商業ギルドを通じて、共通金貨が流通している。
あの二つのギルド、どちらか片方でも存在している場合は共通金貨が機能しているのだ。
当然、ムーンファニチャー帝国でも共通金貨が通用する。
『現実的な話であるな。はてしかし、シュヴァインヘルトやヴィルヘルムのコネは使えんのか? あやつら、双方のギルドのナンバーツーとやらなのであろう』
「どちらもエルフですからね。パリス=シュヴァインヘルトの方はエルフであることを隠していますが、それでも相手側に冒険者ギルドの上層部がいればバレてしまう。エルフだと隠して接近し、後でバレたら一番面倒でしょうから」
ふむ――とアシュトレトは考えグラスを傾け。
『シュヴァインヘルトが人間のふりをすれば交渉に入りやすいが、バレた時は大問題。何故隠していた!? 騙された!? 何を企む、邪悪なエルフ! と、なることは容易に想像ができる。ならば、初めからエルフとして交渉した時よりも拗れそうではあるか』
「後はまあ……今回の目的は神獣の回収にありますからね。ドワーフ達に気付かれず全て隠密行動で済ませるという手も、ないわけでもないのですが」
魔王たる私は様々な能力を有している。
当然、盗賊や暗殺者や諜報員などが持つ、隠密行動も習得している。
この辺りはバアルゼブブからの直伝、姿を隠す虫よりも更に自分自身の存在を消すことが可能とはなっている。
『何が問題なのじゃ』
「実は終焉の魔王グーデン=ダークが所望している神獣というのが、厄介でありまして」
『言うてみよ』
「彼等ドワーフの元となったとされるのは、北欧神話に伝わる妖精の一種ドウェルグ族。地下に生きて、光に弱い種族というイメージはそこから来ているとされているのですが……今回の目的となっている神獣は、地底に帝国を作っている彼等が、神と崇めている存在の可能性が非常に高いのです」
昼の女神は、眉を顰め。
『分からぬな、それのどこが問題なのだ』
「あなた……ご自分が昼の女神であるという自覚をお持ちですか?」
『当然であろう――この太陽の如き美貌。輝かしい陽光さえも霞んでしまう、この優雅さ。妾こそが光であり、妾こそが原初の太陽。美の神の源流となりし神性、全ての美を司る神の原初なり』
神の威光を全開にしているので、豪華客船に乗っている他の客たちは女神様のご降臨だ……と平伏し、貢物まで用意し始めているのだが。
それはこの場所だから通用する神の威光。
私は我儘女神ではなく、豪華客船を照らす実際の太陽を指さし。
「――その一発芸が効かないという事ですよ」
『具体的に申してみよ』
「……ようするにドワーフとは太陽を嫌い、日の当たらない場所にいる存在。対するあなたは、日の当たる場所にいる存在に対する神。アシュトレト、あなたの神の威光はあまり効かないと思われます――そして、私はエルフでありドワーフとは相性も最悪。一番相性がいい筈の”夜の女神”の力を借りるのが手っ取り早いのですが、見学だけに留まり干渉しにくる様子はない。こちらでは黄昏の女神バアルゼブブならば、相性がいい筈なのですが……」
アシュトレトは珍しく言葉を濁し。
『……まあ、あやつに交渉と言う言葉はその……のう?』
「彼女もあなたには言われたくないでしょうが、まあその通りです」
交渉人がいないのだ。
風の勇者ギルギルスに情報操作をして貰う手もあるが、それでは情報が拡散しすぎる。
彼の力は強大だがそれゆえに、多くの者の耳に届いてしまう。
他の女神に幸福の魔王が何やら動いていると、目をつけられても面倒。
考えながら私が言う。
「最終手段……というか、確実にパイプをつなぐ手段もないこともないのです。バアルゼブブに疫病をばらまいて貰い、それを私が治療に入るという形で介入する事なのですが」
『そのようなマッチポンプは妾は好かぬ』
「ええ、私もです。なのでまず、”交渉を開始するための交渉”から始めないといけないので――話の取っ掛かりを作るのに苦労しそうだな、と」
女神は考え。
あっけらかんと手を振り。
『心配は要らぬ。妾達が初めての土地に足を踏みいれた時を思い出してみよ』
「――……なんといいましょうか……悲しくなるぐらい、良い思い出がありませんね。大抵は、私の魔王の部分に反応した英雄気質の存在が本能を刺激され、過剰防衛、ケンカを売ってきて一騒動になるパターンばかりで……」
『そう、それじゃ――!』
女神は太陽を背にし、ドヤ顔でニヒり!
『どうせ初手でケンカを売ってくるのであろう? ならばそれを利用し交渉を有利に運べばいいだけの話。こちらはあくまでも被害者と言う部分を強調し、襲われたことを利用するのじゃ!』
「するのじゃ――と、軽く言いますが。これでも私はエルフ王。国際問題になっても困るのですが」
前向きな女神はやはりニコニコ笑顔でサムズアップ。
『何を言う。どうせ仲が悪いのならば、今以上に悪くなったところで同じであろうて』
「それはまあ、そうですが」
『難しく考えんでも、なるようになるだけであろう。良いではないか、失敗したとしても情報を手に入れるのが少し遅くなるだけの話。再会を急ぐ必要もない。故に、今はこの船旅を楽しむことも大事であるな?』
なるようになる。
失敗しても問題ない。
確かに言われてみればその通りだが――。
「あなたは本当に前向きですね、アシュトレト」
『そなたが後ろ向きなだけであろう。じゃがそれもまた良い。妾はそなたの全てを肯定しよう。失敗も過ちもまた美しい……それは人生を彩るスパイスとなるのであろうからな。そうは思わぬか?』
失敗すらも前向きに捉える。
その姿勢だけは見習うべきだろう。
だが、やはり――。
「もし私ではなく”あの方”だったとしたら。そのような失敗の心配をしていたのでしょうか」
『――そなたはそなただ。比べても仕方あるまい』
「自らを卑下するつもりはありませんが、現状では、あなたたちの恩人よりも優先されてしまっているのです。あなたたちが私を選んで良かったと、そう思えるぐらいの自信を持てるようになりたい。私にもプライドがありますからね、ただそれだけの話ですよ」
女神アシュトレトは、ははーんと悪い顔をし。
『なんじゃおぬし、妬いておるのか?』
「妬いているとは違いますね。なんでしょうか、焦燥に近い感情かもしれません」
『ふむ……そなたもそなたで、あの方が気になっているようじゃな。ならばそうであるな、妾が知るあの方について少し語ろうではないか。なに、まだ船旅は長いのじゃろうて。千夜一夜物語とまではいわぬが、妾がそなたのために閨の合間に語ってやろうぞ』
前向きモンスター。
そんな言葉が浮かんだが私はその言葉を飲み込み。
「閨はともかく、そうですね――どうか私にも聞かせてください。あなたの恩人のお話を」
『さて、ではまずは何を語るべきか――』
女神アシュトレトは、空を見上げて記憶を辿っているのだろう。
クリームヘイト王国で習得した天候操作魔術の影響で、この空が曇ることはない。
船は確実に辿り着く。
私は女神が語る物語に耳を傾け。
そして――あぁ……と納得をした。
けれど、思い浮かんだ仮説を口にすることはなく――私はただ静かに、瞳を閉じた。
《船旅の幕間・終》