第125話 羊と言う名の異邦羊(イレギュラー)
終焉の魔王グーデン=ダークが見せた、見透かしたような顔。
その表情に戯れはない。
彼はシリアスな顔を継続したまま、クイクイっと私に向かい合図をしていた。
文章が刻まれる。
女神さえも盗聴できない結界を作れと訴えているのだ。
コミカルな魔王がみせる、ふとしたシリアス。
ただ事ではないと判断し、従った私はルイン王子とティアナ姫に断りを入れ緊急転移。
やってきたのは異次元とでもいうべき場所。
次元や亜空間操作も得意とする明け方の女神、淑やかなるダゴンから伝授された特殊空間である。
つまりは、女神ダゴンならこの空間に侵入することも可能。
密談できる時間は短い。
私は言う。
「――それで、あなたは外の世界について何を知っているのですか」
『ふむ――知っていると言いますか、なんと言いましょうか。ぶっちゃけてしまうと、吾輩は外の世界からこちらに干渉するためにやってきた……あなたが懸念されているところの異物。イレギュラーと言えば、ご理解いただけるでしょう?』
それは、私が考えていた可能性の一つ。
女神達が追い求める”あの方”を探すため、外の世界を観測したことにより発生しかねない懸念。
この世界の法則に当てはまらない存在。
この世には多くの世界が存在している。
私がいた地球と、女神が作り出したこの世界。
そして楽園と呼ばれた場所があったことは確定しているのだ、ならば他の世界があったとしても不思議ではない。
異世界からやってきたイレギュラーは、この羊。
相手の懐に入り込んだり、心理を利用し殺されないように立ち回れる魔王。
それは――強さだけが全てではないと証明できる存在でもあるのだが。
享楽主義な様子はあるものの、このモフモフには敵意を感じられない。
状況を読みながら私の口が蠢く。
「――宣戦布告……というわけでもなさそうですね」
『当然です、吾輩は争いごとを望まぬ可愛い羊。吾輩は主人の命に従い、この世界にやって参りました』
「主人? あなたの主は夜の女神ではないのですか?」
『おっと、ここからは有料となっております故。商談と洒落込もうではありませんか、幸福の魔王殿』
終焉の魔王グーデン=ダークは器用に、一本の指を立てるように蹄を立て。
『吾輩が望んでいるのは契約であります』
「契約を望むとは、実に悪魔らしいですね。それで、情報の対価に何を要求するのですか。言っておきますが、私は無辜なる存在の犠牲を嫌います。あなたがそういった、人道に欠く代価を要求するのでしたら――」
『吾輩がそういった、どうせ破談に終わる話を持ち掛けるとでも?』
実にその通りだった。
「失礼しました、お続けください」
『そもそもの前提として――これは夜の女神様も承諾している話でありますが、吾輩は吾輩でこの世界に干渉している理由が様々に御座います。なんといいましょうか、吾輩は悪魔族ではありますが戦いを得意としていない存在であります故……第一の目的には、あなたの力が必要なのですよ』
「――私の助力を求め、あなたは何を願うのですか終焉の魔王グーデン=ダーク」
羊はこの世界の魔術法則とは異なる魔導書を顕現させ。
主に仕える執事の顔で、ニヒリ。
『吾輩が求めるのは――神獣にございます』
「神獣とは……ケルベロスや鵺、麒麟や四神などのあの神獣ということでしょうか」
たしかに、この世界は女神の知識によって生み出された世界。
女神が在ると信じて創造したのなら、神獣も多く存在するだろう。
そんな私の思考を読んだように、終焉の魔王グーデン=ダークはクルクルクルとモフモフを揺らし回転。
びしりと、一匹だけ違う空気感を纏ったままに言う。
『ええ、その通り! この世界はあの楽園の関係者の中でも特異な存在だった、まつろわぬ神々――かつて人々から追放された女神達が作りし”可能性の坩堝”! ありとあらゆるIFが紡ぎ合わされ生み出された【混沌世界】! ここには無限の可能性が存在します。吾輩も知る可能性が無限大の世界”夢の中の国ドリームランド”とは別ベクトルにて、全ての可能性を内包せし世界――ここはまさに女神が生み出した、可能性の塊のような楽園なのでありますよ!』
つまり!
と、拳を握る動作を真似てテンション高く羊は吠え。
『ここには伝説上でしか存在しなかった神獣が、実在している可能性も非常に高い! 有名どころならばフェンリルや月を追い続ける魔狼ハティや、マーナガルム! 神獣の蒐集こそが我が主の希望!』
「つまりはあなたも、神獣……いえ、神獣の分霊といったところですか」
一瞬、もふもふウールが揺れて。
わざとらしく目線を逸らし、終焉の魔王グーデン=ダークは”すっとぼけ”の構え。
半目になった羊が、口をモソモソと蠢かす。
『はて? 吾輩が神獣の分霊? はてはて、何を分からぬことをおっしゃいます。わたくしはしがない、ただの夢魔。マスコット的な存在にしか過ぎない、雑魚魔王なのでございますが』
「自らを雑魚と理解する者こそもっとも警戒すべき。やはり、あなたはこの世界では異質だ。あなたはとても浮いた存在ですし……まあ胡麻化すのは構いませんが、見ようと思えば見えるものですよ」
鑑定能力を最大深度まで高めた私は、赤い瞳を輝かせ。
「あなたの本体は饕餮。他者の財産と食料を貪りつくす、中国に伝わる四凶の一柱。実在したのかどうかは不明ですが、あなたの本体は羊系の獣がなれる、最高位の進化を遂げているとみて間違いない。饕餮が女神と契約――その貪欲なる魂を特殊な【悪魔の駒】に分霊化……ようするに自らの精神性と能力を、その器に移し、この世界にやってきた……と」
終焉の魔王グーデン=ダークはコミカルではない、まともな顔で。
本当に絶句した様子で。
けれどやはり、どこか小馬鹿にしたようなしぐさでパチパチパチ。
『あなたは本当に素晴らしい。もしケモノであったのなら、勧誘させていただいた所ですよ。いや惜しい、実に惜しい。しかし! それで結構! あまりに優秀な駒ならば、吾輩の影が薄くなります故! それでよーし!』
拍手の雨あられである。
どうやら。
このテンションと人を食った性格は演技ではなく、素のようだ。
私もモフモフ相手に手を出すつもりはなく。
「――夜の女神も外の世界の事を把握しているのですね」
『そもそも吾輩の上司に話を持ち掛けてきたのは、あちら。本来ならば本体の我が主、ナウナ……いえ、四星獣が一柱、時の流れの現代を司るあの方が、この世界に来る予定でしたが……』
グーデン=ダークは珍しく、露骨に困った顔をして。
肩をグデーンと落とし。
『あの方は、その……性格に問題がありまして。こちらも中間管理職の辛い立場と言いましょうか、力がなくとも器用に立ち回れる吾輩が選ばれたわけであります。いやはや、分かっていただきたいですなあ、この哀れな羊の心を』
「つまり、あなたの主人は逸話魔導書にも刻まれている異界の獣神。四星獣が一柱、ナウナウということですか」
瞬間。
空気が変わっていた。
話術のみで器用に生きる道化の羊が、本気の動揺を見せていたのだ。
『どうやら――本当にあなたは素晴らしい洞察力と知識をお持ちのようで。そうですか、ナウナウ様をご存じで』
「まあ偶然知ったようなものですよ」
『あなたを甘く見ていたようですが、はて、情報源をお聞かせいただいても?』
聞かせて欲しいという顔をするので、私は亜空間に手を入れ。
「実は私はこの百年、蘇生や回復の研究をしておりまして――この世界の技術ではない、外の世界の技術を取り入れることにしました。そして蘇生魔術の研究の過程で辿り着いたのが異神の存在。この世界の魔術が女神や大陸神の力を借り受けた魔術ならば、外の世界の神の力を借りることができるのではないか――実に単純なアプローチですね」
『ふむ、なるほどなるほど。その中で候補に挙がった回復の力を司る神、その逸話の中の友に、我が主ナウナウ様の名があったということですか――確かに、あの方とあの方は親友。仲が非常によろしいようですからね』
私は蘇生実験の時に入手した逸話魔導書を召喚。
手のひらの上でバササササとページを輝かせ。
該当の神獣が載るページを開き。
「ご明察です――回復の神の名はイエスタデイ=ワンス=モア。盤上遊戯と呼ばれる特殊な世界を支配する猫の置物。その猫の置物は”過去への回帰”……つまり”傷や死傷を無かった事にする方法での、再生や蘇生”を得意とする神だそうですね。その逸話を読み解いた私は、その神の力を回復魔術に組み込んだのですが、その猫の置物の友に、神獣を蒐集し戯れる神獣の逸話があった事を思い出しまして」
『いかにも――タコにも、カニにも! それが過去現在未来の中、”現代を司る四星獣”にして我が主、巨大熊猫のナウナウ様であります!』
夜の女神はそれを承知の上で、異神の眷属を自らの魔王の駒とした。
つまり彼女は三女神よりも、外の世界について詳しい可能性が高い。
女神が一枚岩ではないことを考えると、夜の女神は……あるいは、あの方についての詳細も既に知っているという可能性も。
考える私の顔色を覗き込み。
羊は、メヘェェェ!
『既に外世界の神を把握していらっしゃるようで、ここは素直に感服致しましょう。さて、話を戻しますが――吾輩はこの世界でしか採集できない神獣の回収を命じられております。ご協力していただけるのでしたら、吾輩が持つ外世界の知識を披露することもやぶさかではない、ということです』
悪い取引ではないでしょう?
と、羊が取引を持ち掛けている中。
私は考え。
「返事の前に確認したいことが二つあります」
『――大事な契約です、構いませんよ』
「一つ、夜の女神とあなたの関係はどのようになっているのです? たとえば夜の女神があなたに情報を漏らすなと告げた瞬間に、あなたの行動に制限が掛かってしまうようでしたら――私はとても不利となります」
『対等な関係を築かせていただいております、とはお答えしておきましょう』
悪魔は契約に関しての嘘をつかない習性がある。
ただこの羊の本体は饕餮。
その例に当てはまるかどうかは疑問だが――。
「二つ目は、神獣を回収する目的です。例えばですが、回収した神獣で良からぬことを企んでいるのでしたら――それを手伝った私も同罪となりましょう。それはさすがにとばっちりですからね」
『我が主が神獣を集める理由は単純でありますよ。神獣たちの動物園を作りたい、正確に言うのでしたら今あるコレクションを拡張したいのでしょうね、はい……』
「動物園? 神獣たちの動物園を作り、一体なにを……」
目的が見えない。
どれだけ思考を加速させても、動物園と言う言葉のインパクトが邪魔をするのだ。
どう計算しても、巨大なパンダが獣神たちとのんびりと遊ぶ姿しか想像できないのである。
数度のアプローチ、別手法での演算。魔術式や未来視すら使うも、導き出される結論は常に同じ――。
それはすなわち。
ただの趣味。
である。
だから私は頭を悩ませる。
あぁ……そうなりますよねぇ……と。
終焉の魔王グーデン=ダークは同情するように、うんうんと頷き。
『かつては理由も色々とあったようですが、今の丸くなったあの方が動物園を続行している理由は単純ですよ。本当に、”ただの趣味”だそうで。あの能天気でマイペースなわがままパンダ……ナウナウ様に、野望など不向き。やろうと思えばできるのでしょうが……世界をどうこうしようなどという、悪意をもつことすらないでしょうからねぇ』
ああ、勿体ないとグーデン=ダークは邪悪な惜しみ方をしているが。
私は反応に困るのみ。
「趣味などという話を信じろと?」
『それでは逆にお聞きしますが、あなたが吾輩のウールを刈ろうとしたあの魔導バリカン。おそらくアレはあなたがただの趣味で回収している、どこで使うかもわからない露店グッズコレクションとお見受けしましたが、それと同じ。もしあなたが、あれで世界征服を企んでいるのだろう!? と詰問されたら、どう思いますかねえ?』
確かに。
露店漁りは完全に私の趣味の領域である。
「なるほど、納得しました。趣味ならば仕方ありませんね」
『えぇ……それで信じてしまうのでありますか? いやはや、正直、あなたも大概に変な方ですね……まあ、こちらもその方が助かるのですが。それでは、契約成立という事で宜しいのですかな?』
「ええ、まあこちらにデメリットもなさそうですからね。あ、ですが……二つと言いましたが、せっかくですので三つ目もお聞きしてもいいでしょうか?」
グーデン=ダークは魔導契約書を用意しながら、はいはいと生返事。
それを正式な返事と受け取り。
私は自らが作り出した密談空間を見渡し。
「――何故女神たちに内緒にする必要があるのですか?」
『単純な話でありますよ。吾輩はおそらく、女神たちが”あの方”と呼んでいる、名を封印されている存在と、彼が今どうしているかを一方的に知っておりますから。下手したら、全ての女神から吾輩が狙われますからね。この肉体は低級悪魔としての分霊とはいえ、それはさすがに困ります』
……。
今、さりげなくこの羊は言い切ったが。
「あの方についてご存じなのですか!?」
『おや、幸福の魔導殿。あなたでも声を張り上げることがあるのですね、これは愉快愉快! 吾輩、その顔が見たかったのであります!』
やーいやーい!
焦っているとコミカルに羊は嗤うが。
こちらとしては、いきなり核心的な情報を掴みかけている状態であり。
「契約したら、お聞かせいただけると考えて宜しいのですね?」
『ええ、あなたが協力をしてくれるのなら構いませんよ。まずは一匹、捕まえていただけると助かります、交換条件ですね。ただこちらが情報をもっていると証明する必要もあるでしょう』
言って、グーデン=ダークは契約書と同時に写真を数枚召喚。
私に見せつけ、ドヤ顔をしてみせる。
『その証拠と言っては何ですが、これをご覧ください』
それは――巨木の根元にあるボード。
猫の置物が見守る、魔導具。
「これは……遊戯盤……でしょうか」
『ええ、これこそが吾輩たちの世界、盤上遊戯。そしてその外に広がる世界こそが――楽園と呼ばれるかつて神々が存在した地。女神が求め続けた、あの方のいた世界。そもそも、あなた方や女神が楽園と呼んでいた滅んだエリア、その広大な死んだ地に聳え立つ世界樹とも言うべき巨木の根元に設置されているのが、盤上遊戯なのですよ。あなた達にとっては異世界の一つ。言うならば、吾輩たちも楽園の関係者――と言えなくもないのです。故にこそ、吾輩たちは楽園を知っている。どうです? 少しは信じていただけるようになったのでは?』
あるいは女神たちの誰かも、盤上遊戯と呼ばれる世界の支配者。
願いを叶える魔道具たる猫の置物を利用したことがあるのかもしれませんね、と。
羊は有益な情報を小出しにし、私との取引を優位に運び始めていた。
夜の女神がこの羊と契約した理由は、これか。
狡猾なる羊は――確実に情報を握っている。
契約は完了した。
取引のために、羊が求める神獣を探す必要があるのだが――。
その前に……三女神にはやはり、この情報を伝える必要があるだろう。