第123話 魔王制限
エリクシール量産プロジェクトが動く魔術国家インティアル。
魔王から国を買い直し、終焉を回避するこの計画を止めようと動いたのは――、一匹の魔王。
終焉の魔王グーデン=ダーク。
羊毛はモコモコの白。
顔に広がるのはグラデーションの黒。
気絶する羊魔王はフカフカなソファーの上で、すぴーすぴー。
鼻提灯すら膨らませてぐっすりと睡眠中。
夜の女神の眷属であるはずなのに――。
太陽を十分に吸った布団の香りが広がっている。
『むにゃむにゃ……メヘヘヘヘ! もう、食べられませんってば夜の女神様……』
攻め込んできて負けたというのに、この余裕。
ある意味で大物なのだろうが――正直、私はコレの対処に困っていた。
気絶した魔王を運び込んだ場所は、立ち入り禁止の結界の中。
つまりは魔術王の寝室である。
休んでいた魔術王と、急いで駆けてきたダブルス=ダグラスの顔にあるのは困惑。
「えーと……なんだい、こりゃあ……」
「――夜の女神ペルセポネーの眷属にして、彼女の手駒。終焉の魔王グーデン=ダークさんだそうですよ。これがあなたを狙い、暗殺しに来ていた魔王だそうで、はい。果たして、どうしたものか……」
目覚めた途端に暴れだしても困るので、私が傍にいるのだが。
光景としては、スヤスヤと眠る羊を見守るハーフエルフの図。
当然それは、異様な光景であり……魔術王とその弟子は反応に困って互いの顔を眺めている。
「いや、待て待て待て。これが終焉の魔王って」
ダブルス=ダグラスは羊の鼻をじっと見て。
「やっぱり羊じゃねえか……!」
「羊ですね」
「なにを普通に、ごく当たり前みたいな顔してやがるんだよ! おかしいだろうが、色々と! まるで騒いでるこっちがおかしいみたいな顔をするんじゃないよ!」
眼帯にかかる前髪を掻きながらの抗議だが。
事実は事実なのだから仕方がない。
真剣な顔をしている私は羊の喉元をモフモフ、耳の感触を確かめながら。
「私もハーフエルフですが魔王ですし、なんでしたら支配の魔王アナスターシャは死した状態……つまり亡霊でも魔王でしたし。そもそも”魔王という職業”には種族制限があるわけではないですからね。それに、どちらかといえば魔王は種族名、”魔王と言う種族”に分類されると言いますか――ハーフエルフである私ですが、精密な鑑定をすればおそらく、種族はハーフエルフではなく魔王と表示され……」
「だぁぁぁぁあ! 理論なんてどうでもいいだろうが!」
ダブルス=ダグラスは魔王である私相手にも強気に噛みつき、今日も元気いっぱいである。
彼女もなかなかどうして、根性が据わっている。
私に怯えていないのだ。
魔術王の方は、そんなダブルス=ダグラスに感心しているが。
その関心は終焉の魔王グーデン=ダークに向かっているようだ。
さしもの魔術王も敗北したのに暢気に眠る、喋る羊を見るのは初めてなのか。
貫禄ある顔を苦く染め……。
「このような愉快な羊が……魔王、でありますか」
「羊ですが、元の種族は悪魔に分類される可能性が高いですね――。まあそもそもな話……魔王とは創造神たる女神が選んだ駒。この世界の外から持ち込んできた異物ですからね、極端な話、女神が異世界からアリを運んできたとして、それを魔王に任命すれば魔王は魔王なのですよ。そしてこの世界には喋る羊も実在が可能。勇者にも昆虫の勇者や、人魚の肉を食らい不老不死となった元人間の勇者も存在します。この女神が作った適当な世界には、あまり制限がないのでしょうね」
懐が広いと言えば聞こえはいいが。
基本的に女神は大雑把。一番雑なのはアシュトレトだが、他の女神も気分次第で全てを良しとしてしまうのだ。なんでも許容してしまう困った神々が創造神の世界。
唯一、強い制限と言えば勇者にかけられている制限なのだが……。
思考する私の目の前。
魔術王は終焉の魔王グーデン=ダークのお腹の上に、毛布を掛けてやりながら。
はっと自らの行動に驚き。
「余はいったい……今、なにを」
「この羊は相手を懐柔することに長けた魔王なのでしょうね。見た目のファンシーさに騙されると、悪魔に魅入られたように魂を吸い取られる可能性があります、魔術防御を上げておいてください。おそらくは夢を介し他者を操る悪魔、夢魔と類似する能力も有しているのでしょうから……」
古典的な対策であるが、私は王の枕元に牛乳瓶を召喚し設置。
夢魔は枕元に置いてある牛乳に気を引かれ、魅了に失敗する――そんな伝承を利用した、オーソドックスな対夢魔用の防御結界である。
だが。
牛乳の香りに気付いたのか。
終焉の魔王グーデン=ダークは、パチっと瞳を開き自然な動作で起き上がり。
スタスタスタ。
王の枕元に設置したばかりの牛乳瓶を手に取り、グビグビグビと一気飲み。
再びソファーに戻り、何事もなかったかのように就寝。
数秒のタイムラグの後、ダブルス=ダグラスが慌てて叫びだす。
「は!? いま、こいつ! なにしやがった!?」
「どうやら、相手に違和感を感じさせずに行動をすることにも長けているのでしょうね。牛乳を盗み飲みしたようです」
「は? じゃあ起きてるのか?」
「さて、こう見えても夜の女神の眷属ですからね。眠りながらでも行動できるという特殊体質の可能性もあります。眠りを維持している間は他の状態異常にかかりませんからね、戦闘面においても意外に理にかなった行動ですよ」
もちろん、眠りと重複する強力な状態異常には無意味だろうが。
それでも一般的な状態異常ならば、睡眠が優先され他の状態異常を無効化できる。
この羊――道化のふりをして、なかなかどうして考えられているのだ。
「――この羊、ここでやっといた方が良いんじゃねえか?」
「手段の一つではありますが――それをすると夜の女神と全面戦争になりますが、よろしいですか? ちなみにですが、夜の女神は女神の中でも上位の存在。万全の状態で彼女と戦ったとしても、確実に勝つなどという確信は私にもありませんよ」
「いや、宜しいわけねえだろ。そういうことは先に言っておくれ」
魔術王が言う。
「しかし、この羊は我が弟子の命を狙っておるのだろう? このまま放置というわけにもいくまい」
「この手の悪魔の対処は簡単ですよ。契約をすることです」
「契約……でありますか」
「魔術王と呼ばれるほどの存在ならば、悪魔は契約に縛られる生き物だとはご存じの筈。終焉の魔王が望む対価を用意し、今後この国には干渉しないようにお願いするのが……まあ妥当かと」
その対価が問題になるわけだが。
話を夢の中から聞いていたのか。
パチリと獣の瞳を開き、終焉の魔王グーデン=ダークはキョロキョロと周囲を見渡し。
『ふむ――吾輩は敗北したのですね……長く、苦しい戦いでした』
「一瞬でしたでしょう」
『おやおや、感覚は種族差によって違う。吾輩が長く苦しい戦いだと思ったのですから! 長く苦しい戦いだったのでありますよ! ったく、これだから暴虐の三女神に仕える駒は……って、なんですか幸福の魔王、その魂を刈るような形の武器は』
私が装備していたのは、フレークシルバー王国の露店で買った魔導バリカン。
あそこは私の趣味で、使うか使わないかも分からないアイテムが大量に販売されていて、大抵は私が購入しコレクションしているのだが、これもその中の一つ。
用途は様々だが、今回は羊のウールを刈ることにある。
「私が手を出せないのはモフモフな獣。どうやら魂にそういう制限……魔王制限ともいうべき行動制御が刻まれているようなので、そのモコモコもふもふを刈ってみれば退治できるのではないか、実験をしようかと」
『わ、吾輩の素敵な羊毛を!? お、愚かなり幸福の魔王! マスコットのもふもふを奪うなど自殺行為であります、なぜそのような簡単なことが理解できないのか、吾輩、逆に理解に苦しみますな。逆にです、逆に!』
なにがどう逆なのか。
ともあれ私は魔導バリカンをしまい。
「高級な羊皮紙になりたくないのでしたら、まともに受け答えをしてください。あなたが私の庇護下にある彼女を狙ったのは事実なのです。私自身があなたを退治せずとも、支配の魔王に命令し、あなたを呪い殺すことも可能なのですから」
『ひ、ひぇぇぇぇぇ! あ、あの幼女の女神もくらった!? ありえないほどにうざいという、あの呪い!?』
「おや、そこまでご存じなのですね……」
口元に悪魔スマイルを浮かべたグーデン=ダークは、ドヤ顔で。
『これでも吾輩は情報通。そもそも戦いなどという野蛮な行為が苦手な、純粋無垢な優しき魔王なのでありますよ。どうです? 優しい魔王の吾輩を許したくなったでしょう!? さあ許しなさい! いま、すぐに! 今なら存分にモフらせて差し上げますよ!』
どうです? どうです?
と、メエメエメエメエ。
かなり調子を狂わされるが、これも吟遊詩人としての話術なのだろう。
実際、今の私はこれを殺すことが馬鹿らしく思えてしまっていて……。
それは私の精神耐性を貫通。確実に精神を汚染されているのだ。
搦め手を得意とするタイプは、やはり一番恐ろしいと感じてしまうが。
同時に、おそらくこの羊がダブルス=ダグラスをもう狙う事はないとも確信できていた。
この羊は賢い。
おそらく、本当に彼女を殺そうとこのグーデン=ダークが動こうとしたら、魂の制限を無理やり解除した私が、その首を容赦なく刈ると理解しているのだ。
終焉の魔王グーデン=ダークはそんな私の心を読んだように、しぃぃぃぃっと器用に、蹄を口の前で当て”黙っていてください”の構え。
既にこの国に干渉する気はないが、この国から契約でなにかを毟り取りたい。
そう考えているのだろう。
まあ、私もそれを邪魔する気はなかった。
夜の女神を怒らせたくはない。
彼女は彼女で何を考えているのか。
おそらくはここで、私とコレの顔合わせをさせたかったようだが……。
この悪魔羊を使い、何かをしようとしているのだろうか。
意図は読めないが、やはり討伐することはできない。
「――まあ夜の女神とは旧知の仲。関係は拗らせたくありません……。あなたが私の邪魔をしないのであれば、私もあなたの邪魔をしません。そこは不可侵にしておきますよ」
グーデン=ダークは安全だと確信したようで、ソファーに寝そべり――。
ポリポリポリ。
腰を掻きながら語りだす。
『どうやら話をようやくご理解いただけたようで、助かります。さてさて! 既にご存じだとは思いますが、吾輩は夜の女神様に仕える駒。終焉を眺めることを至上の喜びとする美しき羊、グーデン=ダークにございます! あ、とりあえずご飯貰えますか? 吾輩、寝ていたせいでお腹がペコペコでありまして』
懐に入り込むことで、殺せなくなる魔王。
強さとは違う方向性で生き残る手段を選択する、それも一つの魔王の形か。
ダブルス=ダグラスが言う。
「おい……魔王陛下さんよぉ、本当にこれ、安全なのか?」
「ええ、安全だけは保障しておきますよ。彼は自分の実力を弁えている。今もこうして余裕ぶっていますが、実際は私に殺されるのではないかと、少しは肝を冷やしていたようですからね。彼は既に私の精神を読んでいる――狡猾だからこそ、絶対に、私を心から不快にはさせないラインを守るでしょう」
その一つが、身内の死。
関係者の死。
終焉の魔王グーデン=ダークは狡猾ゆえに、私に逆らえない。
グーデン=ダークが言う。
『しかし、レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバー魔王陛下。あなた、いったい何者なのです?』
「何者もなにも、その名にほぼ全ての情報が詰まっていると思いますが」
騎士の家系アントロワイズ卿であり。
人間との共存を目指すエルフの領主の養子であり。
白銀女王の落胤であり。
そして魔王。
しかし、グーデン=ダークはなにやら考え込む顔で。
『あなたはお気づきではないようですが、吾輩には魔王制限などありません。おそらくは、他の魔王も同じでありましょう。なのにあなたにだけ、モフモフを殺せないという行動制限が発生している。故に、吾輩は気になるのです。そして我が主、夜の女神様に気に入られているあなたはいったい――何者なのですか、と』
その問いかけに。
私は答えを持ち合わせてはいなかった。