第122話 終焉魔王の正体
そもそもこの王宮には、遠見の魔術を遮断する設備が整っている。
ダブルス=ダグラスが作り上げた守りに特化した王宮だ。
更に私がその上に結界を張っていたのだが――。
そこに侵入者。
気配を察した私が言う。
「この鉄壁の砦に入り込んできた。その時点で勇者以上の存在だとは確定。どうやら、簡単に釣れてしまったようですね――」
「マジで釣れちまったのかい?」
驚くダブルス=ダグラスに苦笑し。
「どうやらそのようで。けれど、私の結界に侵入できるほどの存在です。甘く見ていい存在ではない。そうですね……ニャースケとあなたたちはこの部屋の守りに。侵入者は私が直接迎え撃ちます」
「待ってくれよ魔王陛下さんよ!」
「ダブルス=ダグラスさん? どうしたのです」
「魔術王陛下は寝室で休んでるんだろう? あっちを狙われたら――」
私の口は予見していたとばかりに動き出す。
「魔術王の寝室には立ち入り禁止の結界を既に張ってあります。それもとても強力な結界です、誰であっても突破できない、たとえ女神であったとしても無理だと自負していますので」
「そ、そうか……ん? なあ、魔術王がこの数日、姿を見せなかったのって疲れてたからじゃなくて、あんたの張った結界を突破できずに孤立してるんじゃねえだろうな……?」
言われて私は考える。
……。
女神ですら盗撮できないような空間を作ったわけで……。
……。
「魔術王は優秀な王。彼の御仁ならば、自らが保有する亜空間に……食料や生活に必要なアイテムを確保している筈ですので、大丈夫だと思いますよ」
最初から計算通りと言う顔で押し通したのだが。
「おいこら、あんた! 閉じ込めたままになってるって今気付きやがったな!」
「まあ、実際に完全に安全な状態を確保できているという事が、ほぼ証明されたわけですし。そもそも善意で張った結界なので、私の責任はせいぜい一割程度では?」
「んなわけねえだろ! あんた、全て計算ずくみたいな顔して意外に雑で、適当だな!」
吠えるダブルス=ダグラスから逃げる意図もあり、私は緊急転移。
部下たちが掴んだ歪みの座標に到着。
場所は廊下。
結界のつなぎ目に当たる場所だった。
◇◆『インティアル王宮・廊下』◆◇
陰に潜む部下たちが、私の顕現に合わせ転移。
ダブルス=ダグラスの護衛に戻る。
彼等はクリムゾン殿下の護衛の傍らで日夜、昼の女神アシュトレトのもとで女神が下す無理難題をこなしている――空気を読む力はフレークシルバー王国一。
阿吽の呼吸にて、私の邪魔をしないことを優先したのだ。
誰もいなくなった空間。
目立つのは――宮殿を支える太い無数の柱と、通路にまで用意された絨毯。この絨毯もダブルス=ダグラスの設計であり、おそらくはこれも魔力を強力にする仕掛け。
魔力の流れを誘導し、魔術王の力を高める……”龍脈”ともいえる魔力流を作っているのだろう。
並ぶ女神像も、おそらくは建物全体の魔法防御を高める彫像。
これほどの腕の魔術師を、攻撃魔術が使えないからと蔑んでいたのだから、なかなかどうしてこの国も考えものなのだが……ともあれ。
誰もいない廊下。
私の知らない声が響く。
『おやおや! 主たるあなたを残し逃げるとは、彼等は部下失格。教育不足でありますかな!?』
これは私にではなく、距離を取った私の部下たちへの挑発。
ただし私の部下も女神の眷属ともいえる上位存在。
相手を引き留めるための、話術スキルとしての【挑発】を無効化し、引き返す気配は皆無。
不発に終わったことに不服なのか。
何か、ストンピングにも似た、壁を叩く音が響き。
それはヌゥっと、夜の如き静けさと共に顕現していた。
そこに出現したのは――ゆったりとした服と目深なストローハットのような帽子を装備した、吟遊詩人。
フレークシルバー王国でも顔を出していた男と同一人物である。
男は私に気が付くと、赤い瞳を輝かせ。
すぅっと頭を下げていた。
慇懃だが、小馬鹿にしたような声で朗々と語る。
『これはこれは――エルフ王ではありませんか! いやあ、お初にお目にかかります! レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバー陛下。吾輩のためにっ、わざわざお出迎えでありますか?』
無駄にテンションが高い男である。
一見するとただの吟遊詩人だが……その実力は……。
私の赤い瞳に鑑定の魔術式が走るも、その奥底は測れない。
『おんやぁ、無視ですか!? 無視でありますか!?』
鑑定結果に表示される力は確かに勇者よりも強いが、並の魔王と同じ。
当時、まだ魔王になりたてだった頃のプアンテ姫よりも弱い。
夜の女神は私ではこの吟遊詩人を倒せないと、自信を持っていたようだが……鑑定阻害、あるいは特殊能力に特化したタイプか。
楽器による特殊効果をメインにして戦うタイプである可能性も、考慮すべきだろう。
吟遊詩人は私の顔色を覗き込み。
じいぃぃぃぃぃぃ。
ふむ、とわざとらしく自らの顎に指をあて。
『幸福の魔王殿はずいぶんとマイペースな方のようで、いやはや吾輩、少々面を食らってしまいます。このような雑魚一人に、なにやら多くを計算なさっている御様子! 無駄ですよ、無駄無駄。吾輩はあなたと比べれば雑魚。まあ、吾輩よりも雑魚な存在は多く存在しますが、これでも自分の実力を正確に把握しておりまして、あなたさまと敵対するつもりは、これっぽっちも! ございません! はい! そろそろ無視はやめていただけませんか!?』
相手のペースをつかむ駆け引き、だろうか。
私は計り知れない吟遊詩人を前にし、やはり慇懃無礼を承知で頭を下げ。
「こちらの自己紹介は……どうやら不要のようですね。あなたは夜の女神の駒とお見受けいたしますが――」
『如何にも! 吾輩こそが! 永遠を駆ける稀代の吟遊詩人! 人呼んで、終わりを望む流れ星! 終焉の魔王グーデン=ダークであります!』
「こちらの言葉を遮らないで欲しいのですが……」
グーデン=ダーク。
聞いた事の無い名である。
どことなく、地球における西洋での言葉、挨拶という意味でのグーテンタークに響きが似ているが。
プアンテ姫のような、手駒の魔王を失った女神が後から任命した魔王は例外だろうが、そうでないのならば基本的には他世界から来たものが多い。
私が地球で殺され魂を拉致されたように、このグーデン=ダークも異世界人である可能性は高い。
『また思考ですかな? 幸福の魔王殿は随分と心の中での独り言がお好き。くだらないことを、延々とお考えになられているようで……いやはや、吾輩は悲しく思います。ええ、悲しいのであります! せっかく、こうしてようやく邂逅を迎えたというのに!』
私の思考の詳細は読めていないらしいが、可能性を巡らせていることは読めているのだろう。
私は露骨に吐いた息に言葉を乗せていた。
「――あなた、少し煩いですね」
『おっと、これは失礼! 吾輩、他人を気に掛けるという細かく無駄な能力は持ち合わせていないもので、いやはや! 参りましたな! ガハハハハハ!』
冷静沈着な男を想像していたのだが、真逆である。
これはルイン王子のように道化の演技の可能性もあるか。
正直、この手の存在は一番怖い。
『実は、こちらにあなたが集中している内に、あなたの赤毛の実兄様を拉致しようとフレークシルバー王国に訪問したのですが、どうしたことでしょう、白雪姫のような謎の魔王に邪魔をされてしまいまして……あの魔王の少女も、やはりあなたの手駒ということでしょうか? ん? どうなのでしょうか?』
遠見の魔術を遮断する結界が仇となったのか、プアンテ姫との連絡が取れていない。
ダブルス=ダグラスの作りだした王宮の結界を、彼女では突破できなかったのだろう。
両方とも無事のようだが――。
……。
しかし、この男は問題だ。
クリムゾン殿下と私の表向きの間柄は、従兄弟ということになっている。
兄がスノウ=フレークシルバーの遺伝子を使った魔導実験で生まれた子供だと、知らないものが多い。
何故、実の兄弟である事が秘匿されているか。
それは兄の安全を守るため。
そして兄が私と同じ、白銀女王の息子であることに起因する。
兄がただの従兄弟ならば、私は女王の息子にあたるので王位継承権の上位になる。
それほどにスノウ=フレークシルバーの名は絶大だった。
しかし、実際にはクリムゾン殿下は私の兄。王位継承権は私ではなく兄であるクリムゾン殿下が一位だったのだ。
それ故の問題――私が王位を簒奪したのではないかと、面倒な難癖をつけられるかもしれないという懸念があった。
なので国内のエルフは知っているが他国は別。
他の大陸では、クリムゾン殿下はエルフ王の従兄弟なのだと、この百年で伝わっているのだが……。
この吟遊詩人は実の兄だと言い切った。
事情に精通しているのだ。
つまりは、ある程度の事情を知っていて、私の兄を狙い行動していた。
既に兄を使い何かしようと動いていた。
あるいは、そういったことをするぞ――と、私を揺さぶるつもりだったか。
ともあれ、私の家族に忍び寄っていたわけであり。
私には家族を守る義務がある。
成長した魔王たるプアンテ姫がいたからなんとかなったが、クリムゾン殿下が誘拐されていたら色々と大変なことになっていただろう。
空気が――。
切り替わる。
『ん? あれ? お、お待ちなさい! な、なにか物凄い殺気が』
「大丈夫です、殺しはしませんよ――ですが、あなたは少しお喋りがすぎたようですね」
魔術防御に優れている筈の廊下の設備が、凍てついていた。
それは私か発していた、冷たい魔力のせい。
私の瞳は煌々と黄昏色に照り。
白銀の髪から、猛吹雪のような白い魔力の結晶が弾け膨れ上がっていたのだ。
凍える魔力の渦の中――魔王たる私の唇が蠢く。
「――夜の女神は私にはあなたを倒せないと言っていましたが、それを試してみるのも悪くないでしょう。さて、そこまで私を挑発なさったのです、覚悟はできていると考えて宜しいですね?」
私は至って冷静に、邪杖ビィルゼブブを召喚。
髑髏の杖の先端から呼び出した魔導図書館ともいうべき、魔導書の束を展開。
私を中心に浮かぶのは、惑星を彷彿とさせる軌道で自転する魔導書。
破壊の魔術式を放出する魔導書が――キィィィィィン!
周囲で青く輝き始める。
私は邪杖を傾けた。
「魔王ならば――戦う事もまた運命」
『は、話し合いましょう! わ、吾輩はただちょっと戯れに』
「言い訳は後で聞きましょう――ご覚悟を」
さすがに会話をキャンセルし、問答無用に真っ向から私が襲ってくるとは思っていなかったのか。
グーデン=ダークは大慌てで竪琴を召喚し、構え。
防御結界を構築。
よほど強力な結界なのだろう。
だが既に私はその強固な結界の中に顕現していた。
『この防御結界の中ならば、たとえ多少の攻撃であろうと……な、な! なぜ、結界の中に……っ』
「強力な結界を張ると分かっているのなら、先に内部に入っていればいいだけの話。ここは既にあなた自身で作った檻の中、敵が内部にいる場合は結界を発動しないように設定しなかった――あなたのミスですよ」
『っく、に、逃げられない!?』
相手の結界そのものが、今度は逃走防止の網となっていた。
結界を解除し逃走しようとする相手の魔術に干渉し、結界を私が乗っ取り。
指を鳴らす代わりに、魔力を鳴らし。
淡々と、私の口からは呪いの言葉が漏れていた。
「チェックメイトです、お喋りな終焉の魔王――」
『って! お兄様を狙われてっ、ガチギレじゃないですか! ちょ、ま! まってください、魔術師のくせに接近戦など、卑怯者の――ぐへ!』
逃げられても厄介だと――。
私はそのまま問答無用にバアルゼブブ直伝の徒手空拳。
みぞおちに、体術による手加減パンチがめり込んでいた。
グーデン=ダークの身体が風船のように膨らんだかと思うと、それは夜の霧となって四散。
何かが、床にベヘェっと倒れ込む。
吟遊詩人『魔王』の装備の下。
床でグルグルと目を回しているのは、もふもふモコモコな獣。
それは眠りを司る属性の生き物。
黒い肌と顔の羊が、メメメメメっと痙攣していたのだった。
そう、終焉の魔王の正体は羊だったのである。
『メメメメメェ……よ、夜の女神様、か、仇を、吾輩のか、仇を……メフ!』
「仇と言いますが、これはおそらく彼女の計画通りですよ? ……っと、気絶していますか、はぁ……人騒がせな羊ですね」
呟くと同時に私は理解した。
何故、夜の女神が単騎相手ならば女神と並びうる私の実力を知っていながら、あれほど余裕ぶっていたのか。
私は――動物を殺すことをあまり好かない。
特に、モフモフな存在は。
……。
「これは――彼女にしてやられましたね」
魔王たる私は絶対にコレを殺さないだろうと。
夜の女神は私の性質を読み切っていたのだ。