第121話 歴史書の人物
動き出した計画に魔術国家インティアルは大忙し。
目指すは国家の買い直し。
姫と王子の派閥に分かれていた武官、文官たちも今度ばかりは協力せざるを得ない。
共通の敵……とまではいわないが。
共通意識、魔王から国を買い直すという目標ができた効果は絶大。休眠期を迎えていた王に憂い、衰退していた国家は纏まり始めている。
全ての指揮を執っているのは、ティアナ姫とルイン王子。
二人の姉弟が協力する姿勢は、家臣たちにも大きな影響を与えている。
二分されていた宮廷魔術師や騎士団にも様々な思いがあったようだが、積年のわだかまりよりも母国の危機を案じ、協力体制を作っているようだ。
彼等はエリクシールの素材集めにダンジョン探索中。
統一したインティアル大陸には多くのダンジョンが存在しており、未攻略の地にも素材を求めて開拓が進んでいると聞く。
この世界は女神が持ち寄った様々な知識から産まれた世界、私がまだ知らない素材も発掘されるかもしれない。
それもまた私の計画の一つであり、現在、新素材の買い取り募集中。
ルイン王子ももはや実力を隠さず、部下を引き連れダンジョン巡りの毎日。
ティアナ姫ももはや反省し、実力通りの結果を見せてダンジョン巡りの毎日。
このインティアル大陸にて、大規模なダンジョン発掘市場が完成しつつある。
大陸全土での素材買い取りを任されているのは、豪商貴婦人ヴィルヘルム。
彼女はすでに多くの大陸の経済を支配していることもあり、この大陸でもその手腕を発揮している。
だが一番大変なのはその下で動く、大男。
この地の商業ギルドの代表、インティアルの大柄乙女だろう。
自己保身が得意と自分でも認めていた通り、彼は自分の立場を守るために必死に動いている。
なにしろ彼の監督不行き届きで、一度、魔王たる私に詐欺を働かせてしまった組織の責任者だったのだ。世が世なら、不敬罪の連帯責任で斬首とてあり得ただろう。
まあ、私はそういう趣味がないのでそんな話は出ていないが……。
それでも自己保身に長ける男は、その可能性を考えてはいるのだろう。
魔王たる私が他者を犠牲にしたり、騙して金を稼ぐ小悪党を嫌っていると商売人の本能が察しているようで――不正がないかを厳重にチェック。
毎日書類を睨み、魔術探査による水晶玉を輝かせ多忙な模様。
保身のために、逆に一切の不正を許さず――。
不正なき流通を目指し、全て完璧に取り仕切っていたのだ。
豪商貴婦人ヴィルヘルムと大柄乙女な代表。
彼ら二人で、大陸全土の商人と連携を取ることに成功しているようでなにより。
問題なのは攻撃魔術に特化しすぎていたこの国に職人が足りない事だろう。まともにエリクシールを作れるのはダブルス=ダグラスただ一人。
彼女が倒れたり、暗殺でもされたら全てが終わる。
だから護衛も厳重となっていて。
ここは王宮の一室。
作業をしながらダブルス=ダグラスは護衛たる私と、その配下の暗殺者たちと猫に目をやり。
「……なあ、魔王陛下さんよぉ」
「なんでしょうか、ダブルス=ダグラスさん」
「あんたエルフの王様なんだろう? なんで部下に人間の、それもマルキシコス大陸の人間を使ってやがるんだよ……そいつら、暗殺者だろう?」
ダブルス=ダグラスの護衛についているのは、私がクリームヘイト王国の騒動で拾ったあの暗殺者たち。
わかりやすく言うとニャースケの主人の女性と、その仲間たちである。
ダブルス=ダグラスは鑑定能力の持ち主、自分より上位の相手であっても鑑定が可能なのだろう。
出身地まで言い当てるのはさすがといったところか。
彼等は普段、クリムゾン殿下の護衛についているのだが、従兄殿はもはや護衛も要らぬほどには強い――事情を説明し、護衛を一時的に借りている状態にある。
まあ、さすがに国家を買い取ったと言ったら、しばし沈黙。
真面目な美形エルフ顔を歪め、キリキリとした胃痛を抑えるように――腹を押さえていたが。
ともあれ。
なんでと問われたら答えるべきか。
「――百年前のクリームヘイト王国で起こった騒乱、マルキシコス大陸事変はご存じですか?」
「ああ、海竜の群れが進軍してきたっていう昔話だろ? こっちの大陸でも歴史で習うらしいからな、学がそんなにねえあたいでも知ってるぐらいの大きな事件じゃねえか」
「実はあの事件の時に私も少し関係していて、その時に彼等を勧誘しただけですよ」
だからクリームヘイト王国の人間を部下にしているのです、と私は説明完了。
飼い主の暗殺者の女性が頷き。
その腕の中にいるニャースケが、ニヒィっとドヤ顔をしてみせている。
ダブルス=ダグラスはまともに顔色を変え、作業テーブルから身を乗り出し。
「は!? あんた! あの大事件にも関係してんのかよ!?」
「関係……といいますか、魔王陛下は当事者のお一人ですよ?」
女暗殺者は静かに語り、歴史書を召喚。
見た目年齢で言えば少年と青年の境にある、髑髏の杖を装備した賢者の絵を指さし。
「これが陛下ですね」
ニャースケも主人のまねをして、肉球で指差し。
髭を膨らませドヤ顔。
ダブルス=ダグラスは歴史書の賢者と、私の顔を見比べ。
「もしかして、冗談とか魔王ジョークってわけじゃなくて、マジなんか……?」
「嘘をついても仕方ないですからね、本当の話ですよ」
ここにはあの時に勧誘した暗殺者の面々が、全員揃っているのだが。
何故か皆、自分の事のようにドヤ顔である。
まあ彼等も女神アシュトレトの眷属と言っていい存在、既に純粋な人間からはズレているのだが。
ダブルス=ダグラスは呆れと感心の混じった声で。
「――そりゃそうか……あんたは魔王でハーフエルフ、百年前でも普通に活動してたんだろうが。マジかぁ……歴史の教科書の人間、いや人間じゃねえけど、歴史上の人物がここにいるって。なんかすげえな」
「今回の騒動も歴史の教科書に載るのなら、あなたや私の名が掲載される可能性もあるでしょうね」
「うへぇ……そりゃ、なんかやだな」
「まあエルフは長寿の種族ですからね――他種族でも長くを生きれば、このような歴史書に載っていても現役で動いている存在もいます、そう珍しい話でもないでしょう。私だけではなく、そうですね――あの時の騒乱の登場人物ですと、この民を避難させている冒険者ギルドのマスターは、彼ですよ」
「彼って、もしかして――あの似合わねえ無精ひげのパリス=シュヴァインヘルトか」
ダブルス=ダグラスは複雑そうな顔をし。
「しかし、マジであんた世界征服は企んじゃいねえんだよな?」
「前にもご説明しましたが――破綻することが目に見えていますから、メリットが皆無なのです。たとえば物語の魔王のように全てを破壊することを目的とするのなら、破壊自体がメリットなので問題ないのでしょうが――支配を維持するとなるとそこには必ず破綻が起こります」
言って私は、今まで出会って来た勇者の幻影を浮かべ。
「それに――魔王の誕生をこの世界はあまり望んではいない。女神によって魔王が作られ、何か歪みが発生するとその綻びを修繕しようと、世界は人類の中から勇者を選定――強制的に勇者へと作り替えます。もし私が私欲で世界を征服したら、私を倒せるほどの勇者が誕生する可能性もありますからね」
「勇者ねえ……」
「あまりピンと来ていないようですが、百年前には本当にそれなりの数の勇者が存在したのですよ。今でも数年に一度は勇者の制限解除を行っていますし」
勇者ならばいずれは耳にすることになる。
フレークシルバー王国のエルフ王。つまり魔王ならば、様々に科せられている勇者の制限を解除できる――と。
ただし、制限を解除するには条件があると伝わるのだ。
条件はある意味で単純だ。
人道に反することをしていた勇者の制限解除はしない。
そしてそれは私による面接と、冒険者ギルド本部の許可、二つの審査を通過する必要がある。
それが勇者に関して、冒険者ギルド本部と私が交わした契約でもあった。
鎖の外れた勇者が人類を虐げたら本末転倒だということで、審査はそれなりに厳しいものとなっているのだが。
もし、それでも勇者が制限を解除された後に大暴れをしたら、私が制限を解除した責任を取り、該当勇者を討伐することになっている。
実際、この百年にそういった事例がなかったわけではない。
その辺りを彼女に説明してもあまり意味はないか。
苦笑し、私は職人に対してちくりと釘を刺していた。
「さて――手が止まっているようですが、エリクシールの量産プロジェクトは重要ですからね。休むのもいいですが、あまりに遅いと他国にプランそのものを売ってしまいますよ」
「分かってるよ!」
ダブルス=ダグラス。
彼女が図面に描く魔術式による放物線はとても美しい。
彼女はおそらく本物の天才だろう。
もしルイン王子が元の世界に帰るのなら、彼女が王となる道も……。
「魔王陛下さんよ」
「なんでしょう」
「あんた、あたいになにか隠していないかい?」
勘は鋭いようだ。
「隠してはいますが、私個人の事情ではないので――なんとも」
「……まあいいけどよ。こんなことをしてて本当にその終焉の魔王とやらは、この国にまた顔を出すのかい? その辺がいまいち分からねえんだが。滅びを見物したい、それを唄にしたいっていうならもう他の大陸に向かってるだろうに」
「人間とは……難儀なもので。一度手に入ると思っていたモノが手に入らないと分かった瞬間が、一番悔しいモノですからね。滅びるはずだった魔術国家インティアルが存続した、その時点でかなり腹を立てているでしょうから――もし、簡単に再び破壊できる手段が見つかったとしたら、おそらく彼は簡単に表舞台に顔を出すでしょうね」
ダブルス=ダグラスが言う。
「簡単に破壊できる手段ってのは……」
「今回の魔術国家インティアルの買い直し計画が潰れれば、魔術国家としてのインティアルはそのまま滅びを迎えるでしょう。完全な滅びではないにしろ、それは終焉の魔王の溜飲を下げるイベントとなります」
「いや、無視するなって。その簡単に破壊できる手段ってのは――」
この様子だと答えに気付いているようだ。
「ええ、現時点では唯一エリクシールを製造できるあなたを暗殺する事ですよ」
「おいこら、魔王陛下様。てめえやっぱり、あたいを餌にする気だってのか!?」
彼女の凄味も、厚顔無恥を自覚する私には暖簾に腕押し。
眉一つ動かさず私は言う。
「だからちゃんとフレークシルバー王国の最高戦力である私が、あなたの護衛をしているじゃないですか。何かあってはならないと、女性で人間の部下も呼びました。プライベートな時は彼女とニャースケをお使いください。これでも優秀な部下ですので、ご安心を」
女暗殺者とニャースケは、すぅっと忠臣の仕草であるが。
ダブルス=ダグラスは、ムスっとしたまま。
「そっちのネコと暗殺者の姉ちゃんには感謝してるがね。魔王陛下……あんたの場合は護衛が目的じゃなくてっ、釣った終焉の魔王を捕縛するために近くにいるってだけだろう!」
しばし私は考え。
開き直りの作り笑顔を見せていた。
「――そうともいいますね」
そうとしか言わねえだろう……と。
ダブルス=ダグラスはやはり、大きな呆れの息を漏らしていた。
だが、ここの護衛についている暗殺者たちは真剣そのもの。
彼等は私に言明されていた。
絶対に、彼女を死なせないで欲しい――と。
いざとなったら蘇生はできるが、できるならばそれは避けたいとお願いしてあるのだ。
だから、一見するとこちらの空気は軽いが――。
影で蠢く部下たちは神経を研ぎ澄ませる。
その内の何人かが、僅かな歪みを発見したようだ。
反応するように――ニャースケは獣毛をぶわりと膨らませていた。