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第118話 夜との対話と、女神のアドニス


 夜の女神との謁見方法は極めて簡単だった。

 それは時間の連鎖。

 夜に繋ぐ黄昏の女神に願い、夜の始まりと共にヴェールを纏う彼女を呼ぶだけ。


 孤児院教会の礼拝堂。

 深淵と形容できるほどの濃い夜の中。

 私は天井に広がる闇夜と相対していた。


 舞台に降りた夜そのものが喋るように。

 朗々たる重厚な声が響く。


『ほう、久しいな――幸福なる魔王アドニスよ。ちんを呼びつけるとは随分と面の皮が厚くなったものよのう。さすがは三女神の使徒、その性根は図太いと見える』

「お久しぶりです、夜の女神よ。そして呼びつけてしまい大変失礼いたしました。しかし」


 私は言葉を区切り、下げていた頭を上げ。

 夜空のように、暗闇に揺蕩たゆたう女神ペルセポネーに、微笑にて訴えかける。


「貴女の事です、此度の流れも見ていたのでしょう?」

『然り』

「ならば、むしろこちらは見学料を頂いても問題ないと考えますが、どうでしょうか」

『ふむ、朕を前にこの不遜。やはり幸福なるアドニスは他の魔王とは一線を画しておるな、まるで……そう、まるで――』


 夜はしばし考え込み。

 そして思い至ったのか。

 幻影でも分霊でもなく、彼女本人が礼拝堂の天井から降臨していた。


 夜の女神の実物が、顕現していたのだ。

 神の気配が、大陸に広がっていく。

 おそらくはこの大陸の大陸神もこの気配に気付き、戦々恐々としているだろう。


 半身が死者であり、半身が生者。

 そんな、不安定な体を繋げる役割も持っているのか、夜の女神は夜空のドレスで身を包み。

 顔をオーロラ色のヴェールで覆っていた。

 唇だけを妖艶に輝かせ、語りだす。


『お前からは懐かしい香りを感じる。かつて在った、どこか果ての神々しい光。嗚呼、アドニスよ――汝の鼓動、汝の唄は朕を喜ばせおる。どうじゃ、今一度問おう。朕のアドニスにならぬか?』

「女神ダゴンから釘を刺されました。有象無象と戯れても問題はないが、他の女神だけは駄目だ――と。あなたが戯れに、遊び心で私を勧誘しているのでしたらダゴンも目を瞑っているでしょうが、本気の勧誘ならば女神戦争の始まり。それは勘弁していただきたい」

『そうか――ならばやめておこう』


 本気の勧誘だったからこそ、慎重なのだろう。

 夜の女神はその死者たる半身の、木の枝のような指を引いていた。


『朕とて、我が身は可愛い。異文化に貶められ、外なる神とその逸話を混濁させられた恐るべき神、名状しがたき女神ダゴンを敵とすれば、ただではすまぬ』

「これは意外ですね。女神は女神に対して、互いに同等の存在だと認識しているものだとばかり」

『基本的にはその通り。じゃが、三女神。明け方の女神ダゴン、昼の女神アシュトレト、黄昏の女神バアルゼブブ。あやつらは例外。単純な話じゃ、朕とて今、朕の顕現にて怯えておる大陸神と同じ――三女神どもの強さが怖いのじゃ』


 私の鼻梁は訝しむように皴を寄せていた。


「怖い? 百年前には力は均衡。一柱ならば同等、しかし三柱同時ならば勝てないという素振りだった筈では……」

『幸福なるアドニスよ、それはそなたのせいであろう』

「私の?」

『汝は三女神と修業を果たしておる。日々の訓練は大事であろう、しかしそれはあやつらにとっても同じ。汝が成長により、女神単騎であればまともに戦えるようになっているように――あやつらとて、百年前と比べ成長している。良き弟子こそ、師にとっても良き成長となろう』


 夜の女神は随分と私を評価しているようだ。

 彼女がすぅっと腕を伸ばす。


『嗚呼、口惜しい。そなたをあやつらよりも先に見つけておれば、そなたは朕のアドニスであったのやもしれぬというのに。嗚呼、運命とは実に過酷。なれど、それもまた定め、朕は運命を受け入れよう――』


 伸びる指が止まる。

 私の目の前にあるのは、諦めを知る女神の指。

 朽ちた樹のような死者の部分が冬の象徴であり、生者の部分が春の象徴なのだと考えられる。


 生と死を司る一面もあることから、それは破壊と再生を司る破壊神との共通点もある。

 おそらく夜の女神は多才。

 攻撃能力にも長けていると考えるべきだろう。


 本題に入るべく。

 私は言う。


「さて――流れを盗聴していたのでしたら、話も早い。ルイン王子殿下の魂をこの世界の輪廻の輪から解き放つことは可能でしょうか?」

『容易き事』

「対価は如何いかほどに」

『対価の基準などあって無きようなもの、転生を繰り返す哀れなあの者が真に帰還を望むのならば――無償で構わぬと言いたい所であるが……それはそれで他の女神に何やら言われるやもしれぬ。そうじゃな、今度また朕にそなたの戯曲を聞かせてたもれ。演奏を対価とし、汝の願いを叶えると約束しよう』


 私は頷き。

 魔導契約書を互いに認め。

 夜の女神が輝くサインを記しながら、ふと呟いていた。


『なれど――本当にアレは地球に帰りたいのかどうか。果たして、朕には分からぬ』


 たしかに、何歳まであちらにいたのかは知らないが――。

 地球で暮らしていた時間など、長生きして百年程度。

 それに比べてこちらでは何回も転生しているのだ。


 地球ほど安全ではないこの世界の平均寿命を考えたとしても、既にこちらの方で長くを暮らしている。


「本人もきっと、迷っているでしょうね」

『で、あろうな――朕は夜の如き広き心を持ちし女神。もし、あれが何らかの理由で迷い込んだ別世界の魂ならば、帰してやることには賛同しようぞ』


 しかしこの女神。

 やけに協力的である。

 そんな疑問が私の顔色に出ていたのか、夜の女神はヴェールの下の唇をやはり妖しげに動かし。


『そなたは”あの方”に似ておる』


 それは三女神も恩人と慕う、楽園に在った存在。

 女神たちを拾い。

 楽園に招待し、その心を癒した強き存在。


 三女神と同様、夜の女神も私の奥に”あの方”の面影を見出し。

 ゆったりと語りだしていた。


『その魂も、在り方も。多少、あの方より暗く、ユーモアを解さぬ部分もあるが、それでも――嗚呼、幸福なるアドニスよ。そなたはこれからも多くの女神を狂わせるじゃろうて。朕とて、汝が三女神の駒でさえなければ、ふふ、今のは忘れよ。考えても栓無き事、全ては時の歯車の巡り合わせ――』

「貴女はとても詩的ですね、夜の女神」

『夜の調べ、生者の戯れ。全てが朕にとっては心地よき音色――』


 女神は厄介な性格の神が多い。

 彼女もまた、なかなかに独特な感性の持ち主なのだろう。

 実際、私と接触を図りにくるきっかけとなったのも、私が演奏を披露した事だった。


 ふと私は思い出していた。

 夜の女神への用件はこれだけではない。


「ああ、そういえば貴女の駒の事ですが」

『朕のアドニスがなんじゃ?』


 ティアナ姫に入れ知恵をしていた吟遊詩人。

 夜の女神に仕える魔王の事である。


「彼がどうやら魔術国家インティアルにも入り込んでいたようで、まあ、その時の私はまだあの国とは関わっていなかったので問題ないですが……今は違います。あそこはもう、私が買い取った国。過度に干渉されるとこちらも対応しなくてはいけなくなります、伝えておいてくださいますか?」


 夜の女神は微笑み。


『それはできぬ相談じゃ。朕はアドニスを自由にさせておる……用があるのならあやつに直接、訴えよ』

「――では言い方を変えましょう。仮に敵対したとしたら――倒してしまっても構わないのでしょうか?」

『できるものならばな――』


 夜の女神は余裕である。

 自分の駒たる魔王が負けるとは思っていないのか。

 それとも私には滅ぼすことができないと思っているのか。

 その真意は読めない。


 だが、私は告げていた。


「本当に宜しいのですか?」

『何が言いたい――幸福の魔王よ』

「彼の正体はわかりません。けれど、その性質としたいことはなんとなくですが、見えてきてはいるのですよ」


 私は吟遊詩人の目撃例を思い浮かべ。

 夜空にその伝承と、彼を見た人物の証言を浮かべ。

 一つの仮説を立てていた。


「彼が目撃されたのは滅びる運命にあったクリームヘイト王国。吟遊詩人は港町エイセンを利用し、マルキシコス大陸に訪れた。おそらく彼が向かった先は、大帝国カルバニア。本来ならば魔女たる支配の魔王アナスターシャ王妃に滅ぼされるはずだった国」

『続けよ――』

「どちらの国家も私が介入しなければ、滅びる運命にあった国です。ですが、私が関わったことで滅びなくなった。そして次に彼が目撃されたのは我がフレークシルバー王国。こちらも私が介入していなければ、国王に扮していた大災厄によって滅びの運命を迎えていたでしょう。そして今回の魔術国家インティアル。この国も私が介入しなければ――おそらくはティアナ姫によって潰されていた」


 目撃された場所は、全て国家の終わりを間近に控えた地。


「つまり、彼は私を先回りしていたのではない。ただ国の終わりを察し、それを歌にしたいがために揺蕩う吟遊詩人。終わりを眺めたいだけなのでしょう。故に、幸福を導く性質を持つ私とは相性が悪い。私は幸か不幸か、狙っているわけではないですが結果的に多くの国を救っている。今回のこの国もそうでしょう。彼は終わりを回避してしまう私を嫌悪していると推察できます」


 どこまで正解かは分からない。

 けれど夜の女神の空気に否定はない。

 唇も妖艶に微笑んでいる。


「終わりを望み眺める者……言うならば彼は”終焉の魔王”、といったところでしょうか」


 満足したように、夜の女神の声が響く。


『そこまで推察しているのならば話は早い。あやつは滅びを回避するそなたを恨んでおる。一度、腹を割って話し合って欲しいと、朕はそう願おうぞ』


 さらばだ、アドニスよ。

 と――、一方的に女神は嗤い。

 謁見の空間、夜の世界は閉ざされた。


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