第117話 魔王が与えしルート選択
暴走していた姉ティアナに振り回されていた道化。
黒髪褐色肌な王族ルイン王子。
女神アシュトレトが口にした、この世界の者が知らぬスラングを訂正したことから判明したのは、彼が地球からの転生者だということ。
あるいは、地球からの転生者と情報を交換していたという可能性もあるが。
少なくとも彼は女神の駒に選ばれた魔王ではない。
様々な感情に、身も心も揺れ動かされているのだろう。
ルイン王子のターバンの先、魔法防御を高める【退魔の鈴】が静かな音を奏でている。
「え……あ、ど、どうして……」
「――おや? 私の勘違いだったのでしょうか、確かにあなたからは地球の文化の名残を感じたのですが」
「いや、その……あの」
男の指先は揺れていた。
王子の瞳には、今の私はどんな顔に映っているのだろうか。
ただ私は逆光の中、淡々と語り赤い瞳を細めているだけ。
私の瞳に走るのは、プアンテ姫からラーニングした魔力同調。
共感させた瞳から伝わってくる情報、その感情は緊張だった。
王子の心臓はバクリバクリと脈動していたのだ。
小刻みに揺れる瞳孔が、王子の動揺を物語っている。
転生者が転生者であることを暴かれる。それも、魔王に暴かれる。それはどれほどの恐怖だったのだろう。
子供たちの声が、遠くに聞こえている。
昼食会を楽しむ、穏やかな声だ。
会場が草原だから、虫の音もする。
私は少し、失敗したと感じていた。私は人の心の機微がどんどんと分からなくなっているような気がした。
光を背に負いながらも。
それでも私の口は相手を安堵させるべく、詫びるように動いていた。
「失礼、大事な用件でしたのに――唐突すぎましたね。あなたがその事を隠している、知られたくないかもしれないというごく当たり前の感情が、私には分からなかったのです」
「その……転生者だということは、あ、あっていますが。その……」
「――安心してください、あなたが転生者だとしてもそれは些末な事。違うとは分かっていますが、仮にあなたが魔王だとしても敵対関係にないのなら、私にとっては大きな問題ではないのです。実際、既に私は魔王の一人を身近に囲っていますからね」
魔王だからといって私と敵対するわけではない。
それを聞いてようやく安堵したのだろう。
他の誰にも聞こえぬ声でルイン王子が語ろうとするので、私は周囲に防音結界を張り始めていた。
落ち着いたのだろう。
汗を引かせたルイン王子が言う。
「確かに、僕は地球で生きていた時の記憶があります。しかし、いったい、どうして僕が転生者だと……」
「あなたが女神が女神だと気付いていた事もそうですが、決定的なのはスラングですよ」
「なるほど……」
頭の回転は速いようで、すぐに理解したようだ。
「――さて、別にあなたをどうこうするつもりはないのですが、事情を説明して頂いても?」
ルイン王子はしばし考え――魔術王を目覚めさせ、ダブルス=ダグラスを救い。
そして姉ティアナの傲慢さを挫いた私を信用したのか、淡々と語り始めた。
◇◆
「なるほど――そういう流れだったのですか」
語り終えたルイン王子の話を脳内でまとめると――。
初めはこの世界に迷い込んだだけの地球人だったが、それも数百年前の話。
既にこの世界で何度も死に、何度も転生。
その都度、記憶は維持しながらも別人としての生涯を経験しているらしい。
死んでも元の世界には戻れず、この世界の輪廻の輪に取り込まれているようなのだ。
そして何故女神が女神だと把握できたのか。
それは既に何度も転生していることの副産物。
前世のどこかで英雄であったり、大魔術師であったりとしたこともあったらしい。
今のルイン王子が女神を女神と認識できたり、力を隠しているように見えるのはそれが原因のようだ。
私が言う。
「――魔力と魂、そして心は魔力容量に直結していますからね。魂の記憶が多くなればなるほど、心は強くなる。心が強くなれば魔力も、その魔力を溜めておける器も大きくなる。だから魔王でも勇者でもないのにある程度の力を持っていた……と」
ふむ……と、私は考える人のポーズで目線を上げ。
「道化を演じていたのは、その前世を隠す意図もあった。そういうことですか?」
「はい――何度も転生したのですが、前世の記憶があると言っても気味悪がられたり、逆に神の子だと教祖やご神体にと祀られたり、生贄にされて死んでしまった事もありました。いつしか……誰にも、何も語らなくなり……力をつける事よりも、道化である事を選ぶようになりました」
指を握ったルイン王子は、体に宿る潜在的な魔力を手のひらで揺らし。
勇者と並ぶ程度の魔力を見せていた。
それは――ティアナ姫を超える力。
王子は姉より強いことを隠したまま、道化であり続けたのだろう。
「――過去の僕の記憶があるおかげでしょう。実は僕も、それなりには戦えます。けれどもう、嫌なのです。今生の私は魔術国家インティアルの王子として生を受けましたが、攻撃魔術こそが至上とする国であっても……どうしても、攻撃魔術には手をつけたくなかった。責任から逃げていただけなのかもしれませんが……もう、人を傷つけ出世するのは嫌だったのです。けれど、力を見せずにいたら……僕は流されたまま。結果的には、あなたに救われこうなった……というわけです」
長い経験をした微笑は重く、そして仄かな苦みが乗っていた。
私が言う。
「――しかし、こちらで何百年と経っているとなると、問題ですね。世界と世界とでは時間の流れが違うとはいえ、それほどの長時間となると……地球に帰ったとしても時間のずれが僅かに生じている可能性があります」
「時の流れが違う……?」
「ええ、時間の流れとは特殊な現象ですからね。そもそも時間という概念を定義するのならば……いえ、これは長くなるから止めておきましょう。ともあれ、世界と世界とを繋ぐ転生と言う現象が発生しているのならば、時間軸はある程度同期している筈。検証していませんので正確ではありませんし、誤差の幅がかなりあるとは思いますが――四百年程度をこちらで過ごしているのだとしたら、あちらでは四十年前後は経っていると考えていいかと」
魔術モニターで図説する私は計算式を提示して見せる。
液晶のような輝きの反射を受け、その顔を僅かに青く光らせるが――。
王子は苦笑し。
昔失くした、大切なものを思う声で告げていた。
「もう、二度と帰れないのですから。たとえ十年過ぎていようが、二十年過ぎていようが……関係ないですよ」
とても心のこもった。
悲しい声だった。
しかし――。
私は訝しんでいた。
なぜそのような事をいうのか、理解できなかったのだ。
今のルイン王子は諦めを肯定していた。
たとえるのならば、取り壊されるかつての実家を眺めるような、諦めを知った大人の表情だったのだ。
しばし考え、ああ……と答えを見つけて私は言う。
「元の世界に帰りたいというのでしたら、可能ですよ?」
その諦めの意図を私は読み解いていた。
彼は元の世界に帰る方法がないと、勘違いしているのだろう。
「――え……?」
「私は地球で女神に殺され、直接的にその魂を運ばれ転生してきました。つまり、逆説的に言うのならば――女神ならば徒歩で地球へと向かう事も可能だということです。理論を組み立てる必要があるので即座にとは言いませんが、私の転移魔術でもおそらくは可能だと考えます。まあ世界を渡り歩ける女神たちに頼んだ方が早いですし、確実でしょうが」
ただ……と、私は現実的な計算を続け。
「主神ともいえる女神達であっても、地球には地球の主神がいます。それなりに準備をしてから送る必要がありますので、無償で送迎というわけにはいかないでしょう――ですが、彼女達も鬼ではない。おそらくは現実的な範囲で対価を支払えば、依頼を引き受けてくれるとは思いますよ」
言って私がダゴンに目をやると。
やはり彼女は聞いていたのだろう、こくりと頷き、私だけにではなくルイン王子にも微笑を返していた。
私の防音結界を貫通して盗み聞きしているのはさすがなのだが、ともあれ。
迷いがあるのか、動揺しているのか。
ルイン王子の鈴が再び鳴っていた。
姿勢を前に倒し、顔の前で指を組んで考え込んでしまったのだ。
私の唇はその心に触れながら上下に動いていた。
「おや? 帰りたくないのですか?」
「い、いえ! そんなことは、でも、帰れるなんて考えたこともなかったので」
はは……と、漏れる笑いは乾いていた。
本当に、諦め切っていたのだろう。
無理もない。彼は何度も転生し、何度もこの世界に生まれ直したのだ。
こう思わずには、いられなかったのではないだろうか。
なぜ、地球に転生し直せないのか。
と。
それはおそらく、冥府の影響。輪廻転生を司る冥界と呼ばれる分野の冥界神が、彼の魂をこの世界の所有物として認定、この世界の輪廻の輪に乗せているからだと考えられる。
そしてこの世界の冥界、死を司っている女神には覚えがあった。
それは夜と共に、朝を待つ者。
それは死と再生を意味する存在。
つまりは夜の女神ペルセポネー。
明け方の女神が再生の力を扱えるのなら、夜の女神は死の力を扱える。
彼女を説得すれば、こちらの輪廻の輪から解放され地球に転生し直せる可能性もある。
彼女の駒である吟遊詩人の件もある。
一度、夜の女神と会うべきだろう。
「同郷のよしみです、本当に帰りたいのならあなたの願いを叶えましょう。ですが、よくお考えになることです」
「――対価が重い、ということでしょうか」
「いざとなったら私が立て替えますよ。それくらいの心は持っております。しかし私が気にしているのは、こちらでの人間関係です。あなたは――ダブルス=ダグラスさんのことを好いているのではないのですか?」
そう。
地球に帰るという事は、この世界を捨てることでもある。
そうなると――彼女との関係も終わる。
「それは――」
「好いた者を……連れて帰るにしても、置いていくにしても。真実を語るにしても、語らないにしてもよくお考え下さい。私はあなたの選択を尊重しますが、アドバイスは致しません。正直、そのような感情をあまり理解できていませんから」
悩むものに告げる言葉としては冷たいと、他人はそう言うかもしれない。
しかし、これは私の精一杯の誠意だった。
人生の大事な選択を他人に委ねた結果――、一生の後悔を生むこともある。
私は再び三女神とは違う神。
夜の女神と会う事を決め。
ティアナ姫に吟遊詩人の情報を提供して貰うことにした。
ティアナ姫は事情を聞かずとも、私に情報を提供してくれた。