第112話 揺れる王都とバアルゼブブ
王都の空気は二分されていた。
良いニュースと悪いニュースに挟まれているのだ。
良きニュースは姿を見せていなかった魔術王の目覚め。
そして。
天狗になっていたティアナ姫の敗北。
魔術王の休眠期、民は暴走していたティアナ姫に苦労させられていたのだろう。
しかし。
それが許されていたのは、彼女が魔術王に次ぐ強さを持っていたからというシンプルな理由。
ただ人徳ではなく攻撃魔術の強さのみを求心力としていたため――魔王に敗北した今となっては、評判は非常に悪いものとなっていた。
これで姫が少しは反省し大人しくなるならばと、迷惑をかけられた経験のある民は溜飲を下している。
反面、悪いニュースは百年前に王位に就いたとされる魔王――。
レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバーに、国を買収されたことにある。
そしてその原因となったのは例の王女。
ティアナ姫が魔王にケンカを売った結果が、この窮地。
姫が他国の王を不当に拘束していたことも、既に王都では噂されていて、魔術国家インティアルは四面楚歌――エルフの性格矯正が成功しているフレークシルバー王国は良き魔王の国とされているおかげで、我が国を支持する他国や組織は多い。
だからこそ国民に広がっているのは不安だった。
何より大きな不安は、魔王の後ろにいる存在だろう。
それは冒険者ギルド本部も認めている女神。
冒険者ギルドでも商業ギルドでも既に、魔王とは創造神が用いる使徒、女神の使いだと認定されているのだ。
そんな魔王に復讐されるのではないか?
いや、それは杞憂だろう。
しかし、魔王に難癖をつけたのはどうやら事実らしい。
と。
戦々恐々な空気が流れているのである。
皆が大丈夫、大丈夫。
何も問題ない筈だと、自分に言い聞かせているようだが。
実際、私はそこまで心の狭い魔王ではない。
この国を貶めるつもりも、悪い方向へと扇動するつもりもないので問題ないのだが。
王族が魔王にケンカを売ったのだ、不安がある方が普通である。
ともあれだ。
相手が仕掛けてきた結果こうなったとしても、私は力ある魔王。
既に魔術国家を相手に、ある程度の敵対行動をしているのは事実。
当然、冒険者ギルドとしては面談をしておきたかったのだろう。
冒険者ギルド本部に事態と事情を説明するため私が訪れたのは、山を削り作ったとされる施設。
魔術国家インティアルの冒険者ギルド支部だった。
◇◆『冒険者ギルド・インティアル支部』◇◆
様々な鉱石が掘れる山そのものを、一種の防御結界として活用。
山を切り開いた形で作った特殊構造。
イメージするなら鉱山だろうか。
埋まったままの原石を利用し、観測魔術や遠見の魔術を防ぐ障壁にするという――なかなかユニークな発想のギルドなのだが。
残念ながら一般的な魔術師相手ならともかく、魔王である私の魔術を防げるレベルではないようだ。
見た目のセンスは正直なところ、山賊のアジトと言われても納得してしまう外観ではある。
この基礎技術を考案したのも設計図を制作したのも、私も知るあの女性。
まだ魔術王の弟子だったころのダブルス=ダグラスである。
ギルド内に入った私たちは案内所に向かうが。
同行するバアルゼブブは、ひしっと私の腕に抱き着き。
じぃぃぃぃぃぃい。
見上げるのは防御結界の要である、山を切り開いた特殊な作りの壁と天井。
『か、壁も、て、天井も。ジャムみたいで、ピ、ピカピカ……だね?』
「食べてはいけませんよ?」
『……ご、ごめん。ちょっと齧っちゃったかも?』
甘いジャムを齧る虫のように、バアルゼブブはいつのまにか手にした原石をガジガジしている真っ最中。
原石を飲み込んだ彼女は、ごっくんと喉を鳴らし。
私も知らないスズメバチの巣に似た、得体のしれない小さな蜜蝋を取り出し。
『か……代わりに、ぼ、僕の虫の眷属でも、埋めとく?』
語彙が貧弱になってしまうが、明らかにヤバイ。
どう見てもやばい。
危険すぎるやばい虫召喚アイテムである。
これはバアルゼブブの悪癖でもある。
彼女は三女神の中で一番、常識を知らないのだ。
「――まあ……後で報告して補修費用を出しておきますので、お気になさらず」
『で、でも、僕の虫なら守りも完璧なんだよ』
「ではお聞きしますが、その虫を維持するのに何が必要なのですか?」
バアルゼブブは考え。
目線を移す先にあるのは、何も知らない冒険者達。
ようするに、肉が必要なのだろう……。
私も既に彼女の性質をよく理解している。
バアルゼブブがうっかりでやらかす前に、話を変えることにした。
「ところでバアルゼブブ、子供たちとの遊びは宜しいのですか? 今朝はたしか、皆でプディングケーキを作るという話でしたが」
問いかけにバアルゼブブはジジジジジィっと羽音を鳴らし。
『だ、大丈夫だよ』
『あ、あっちにも、ヘヘヘ、エヘヘ、あ、あたしはいるから』
『あ、あとで、レ、レイドにも、皆で焼いたケーキをも、持ってくるから。あ、安心してね?』
輪唱するような声で優しく微笑んでいた。
やはり彼女も元は良き神。
自分を慕う子供と戯れることを喜びと感じているのだろう。
「そうですか、楽しみにしておきますよ。ただギルドでの用も済まさねばなりません、少々お待ちいただけますか?」
『うん!』
私の手は自然に伸び。
彼女の頭を撫でていた。
彼女の機嫌を取りながら周囲に目線を移し、索敵を開始。
マップ表示には多くの赤い点滅。
魔王になった当時に人間にあまり良い感情もなかったからか、いまだにマップ表示では人類を敵として判定しているのだ。
ただ人類の中でも例外は存在する。
ギルド内にもちらほらと、青い反応が表示されているのである。
それはフレークシルバー王国の外で暮らすエルフ。
私の民はきちんと、味方として表示されているようだった。
ギルドを訪れた私に気付いたのだろう。
少数存在するエルフの男性冒険者が私に平伏し。
「――このような所で陛下とお会いできるとは、光栄の極みにございます」
「私も外で励む民と直接会えてとても嬉しいよ。この国で何があったかは、まあ――把握しているのでしょう?」
「傲慢で不遜な姫殿下が愚かにも陛下に決闘を挑み、あっさりと敗北したことまでは伝わっております。奥であの方がお待ちです、どうぞこちらへ」
既に連絡がいっていたのだろう――。
執事職を習得しているだろうエルフが、私を奥へと促していた。
「人払いは済ませてあります――」
「ありがとう、助かるよ」
周囲が私に気付き始めたが、構わず。
案内に従い私は奥へ、バアルゼブブは私の影へと消えていく。
鉱山のような道を進み、密談が可能な部屋へと通されていた。
扉を開けるとそこには一人の男がいた。
種族は人間となっているが、偽装である。
男はよく苦労をしているのか。
少し草臥れた顔をしているが、それでも精悍と言える長身痩躯の男。
落ち着いた佇まいと隠せぬ気品のせいか、女性からの評判も良いそうだが――欠点と言えばその無精ひげか。
美麗な顔立ちに多少の野暮ったい印象を与えてしまうようだ。
まあ、ようするに彼は私の部下であり義父。
シュヴァインヘルト領の領主。
無精髭エルフのパリス=シュヴァインヘルトである。
「お待ちしておりました、陛下――」
既に私がやらかした後だけあり、その顔には疲れが浮かんでいる。
フレークシルバー王国とギルドの間で、だいぶ板挟みとなっているようだが……。
それでも彼は、私に頭を下げていた。
王へと向けるその敬意や畏怖、そして忠誠は百年前よりも濃いものとなっていた。
百年前もそうだったが、スノウ=フレークシルバー女王を慕っていた彼は、なかなかどうして重い感情の持ち主のようだ。