第111話 往生際
勝敗は一瞬で決していた。
勝利方法は単純。
決闘開始の合図の瞬間に、私は杖を用いた棒術――つまり身体能力のみの白兵戦にて一瞬で勝利した。
ただそれだけである。
隠していた剣を破壊され。
反動により結界の壁に叩きつけられることになったティアナ姫は、瀕死。
相手の剣を破壊した私の破壊力を受けきれず、吹き飛ばされ、全身を強く打っていたのだ。
強く打ったと表現したが、実際には既に姫の体は致命傷。
あまり子供には見せたくない、悲惨な姿となっている。
現役を退き衰退した魔術王以上の存在が、敗北した。
それは――国家の危機。
武力でもどうにもできないという証明。
本来なら魔術師であるはずの私……三十秒間、魔術やスキルを禁止されるハンデを背負う魔術詠唱者を相手にし――。
何も禁止されていない絶対的優位に立っていた最強戦力が、負けた瞬間でもあった。
だから謁見の間は沈黙している。
声を出せぬ異様な空気に包まれているのだ。
観戦していたほぼ全ての者にとって、今のは未知の領域にある戦い。
何があったのか、分からなかったのではないだろうか。
刹那の間に、ティアナ姫殿下は結界に叩きつけられ瀕死の重傷。
結界に張り付いていた姫の体は、床に落ちていた。
……。
誰の目から見ても、もはや手遅れな状態で――。
最強の姫の惨めな敗退。
それは、ここに集う者達へ事の深刻さを教える、強すぎるインパクトとなっていたようだ。
だが息はある。
「……っぐ、……ぐあぁ……っうぅ、っく」
肺を損傷したのだろう。
黒い血を口から漏らす姫が、わずかに顔を上げる。
他の内臓も損傷しているのだろう。
目視はできないが、おそらくは背骨も折れている。
五分もすれば、死んでしまうと思われる――。
決闘空間は私の勝利を示していた。
魔術王が思わず立ち上がるが、手を伸ばすことはせず再び腰を落としていた。
親としてではなく王として自身を諫めたようだ。
これが、決闘開始からわずか五秒の出来事だ。
見守っていた者達――特に武術に対して造詣が深い者ならば、魔術を用いない状態での私の技量、その一端を感じ取ることができたのではないだろうか。
使い物になりそうな人材は、私に対して畏怖の念を抱き始めている。
ティアナ姫に付き従う誰かが言った。
「そんな……嘘です。姫様が……、なにもできずに?」
「いったいなにが……」
「おい、俺たちはこれからどうしたら……」
誰かが恐怖を口にすれば、それは耳にした誰かに伝染する。
不安が一気に広がっていた。
だからだろう。
もはや息も絶え絶えなティアナ姫は不安を耳にし、動いていた。
家臣の声に応えたのだ。
もはや勝負がついているのにティアナ姫は気丈にも、魔術詠唱を開始していた。
「……ぅ………っぐ……」
折れた背骨が皮膚を裂いているが、その傷に手を伸ばし。
自らの血液を媒介とし、魔力に返還。
指先で魔法陣を描き。
唱える魔術は【核熱爆散】。
人間が扱える中では最強の攻撃魔術。
人の身でこの魔術を扱う苦労も、習得にどれほどの研鑽が必要なのかも私には分からない。
けれど、多くの時間を犠牲とし習得したのだとは理解できた。
純粋な人の身の頂点の魔術だ。
だから私は素直に称賛していた。
「おや、アルティミックが使えるのですね。しかも負傷で不安定となった詠唱を、自らの血肉……王家の姫という希少素材を代価とし補うとは見事な発想です。けれど……、それ以上は無駄です。止めておいた方がいいでしょう。これを御覧なさい」
私は――”勝者、魔王レイド=アントロワイズ=シュヴァインヘルト=フレークシルバー”と表示されている決闘空間に目をやり。
「あなたは戦闘不能判定。もう勝負はついていますし……そもそもアルティミックでは私を倒せませんよ。それはおそらく、百年前の大災厄との戦いに参加していたあなたのお父上もご存じの筈」
「その通りだティアナ。レイド陛下は百年前の戦いにて、アルティミックを無効化なさっていた。余にもできぬ技術と叡智の頂点だ、敗北を認めよ――」
それでもティアナ姫は詠唱を止めない。
もはや指を動かすだけでも想像を絶する痛みだろうに――自らの裂けた血肉を用い、完璧で美しい魔術式を構築している。
性格は正直破綻しているが、彼女は天才を名乗っていいレベルの魔術師だ。
だからこそ、驕り昂ったのだろうが……。
だが、これ以上の無理は生死にかかわる。
姫が負けを認め、決闘を終えなければ、私も彼女の治療をできない。
駄々をこねる子供を見る顔で私は魔術王を一瞥し。
「どうか彼女を止めてあげてください。死にますよ。まだ三十秒経っていませんので、私は魔術を禁止されています。手を出せません」
「ティアナ。もう良い、自らの未熟さが身に染みたであろう? レイド陛下の温情に縋れ。お前の今までの行動の是非はともかく、この決闘の結果においては誰もそなたを責めたりはせぬ」
それでもティアナ姫はアルティミックを完成させるべく、最後の詠唱を終え。
侵略者を睨む顔で――。
「――この国は、父上の……、父上の……大切な……わたく、しが、わた……くしが、守るっ」
「姉上……」
命を削りながら魔術を紡ぐ姉に、思わず声を漏らすルイン王子。
その表情は複雑だ。
攻撃魔術こそが至上だとした彼女が、ダブルス=ダグラスを追放したのは事実なのだ。
だが。
ティアナ姫もこの国のため、父のためだと信じ動いているのは確かなのだろう。
やり方は偏っていた。
思想は破綻していた。けれど反面、父への敬愛は本当だと感じ取れる。
弱る父のために自分が頑張らなくてはならない。
それがこの暴走の一番の原因なのかもしれない。
決闘開始から三十秒が経過。
私は彼女の詠唱完了を待ち。
そして、ティアナ姫は私に向かい人類最強の攻撃魔術を解き放つ。
キィィィィイィッィン。
と、分裂し続ける濃い魔力を破裂させる光の柱が、魔王たる私の体を包む。
アルティミックは直撃。
私は攻撃魔術に包まれているのだが……。
無意味。
攻撃魔術の中で銀髪を靡かせる私は、光の柱の中で赤い瞳を光らせ。
「非常に申し訳ないが――あなた程度の練度の魔術では、攻撃魔術に対する私の自動防御能力すら発動される事はありませんよ。たとえ自動的に防御が発動されたとしても、それをあなたに突破できるとは思えませんが」
私の瞳は魔王として人々を見渡し。
私の口も魔王として淡々と蠢く。
「私は冒険者ギルドにも警戒されている実在する魔王。そして発見されている勇者のほとんども、既に私の傘下。それでも私を倒そうと思うのならば、集団スキルしかない。人間は群れとなって初めて魔王の敵たりうる存在だと、あなたは理解しておくべきでした。単体の人類が私に挑むこの決闘は、一対一である以上、時間の無駄。万が一にでもあなたの勝ちはなかった。だから、決闘はお勧めしなかったのですが」
「そ、んな……父上……ワタ、クシは……」
光の柱による破壊のエネルギーは収束し、爆発。
かつて私の家族ごと離宮を焦土にした光の中。
私はやはり無傷で、敗者を見下ろし告げていた。
「既に最初の一秒で私の勝ちと判定は出ています。あなたが父を敬愛しているのならば、ここで負けを認めてください。私も、実の父親の前で娘を殺したくはないのです。家族の前で家族が死ぬ光景など、もう、二度と見たくはないのですよ」
私の唇からは、存外に寂しさを知る……心を持っている人間のような言葉が漏れていた。
自分でも驚きがあった。
もはや百年よりも前の、家族を失ったあの日を思い出したような言葉を紡いでいたのだ。
致命傷を負った身での最強魔術の行使。
それは自殺行為に等しい。
既に呼吸すら満足にできぬティアナ姫が、最後に私を見上げ。
「はは、なんだ……魔王といっても……そんな顔ができるの、だ、な……」
最後の吐息に言葉を乗せた形である。
私の口は答える必要はないと思いながらも、自然と動き出す。
「これでも昔は、本当に――何も知らない人間の子供だった時代もあったのですよ」
「――人間……? エルフの王が……?」
「魔王になるまでにもなった後にも、色々とありましてね――まあ、だから、なんといいましょうか。子供を軽視する王族の傲慢さは、あまり好きになれないのですよ」
姉ポーラとの暮らし。
庭の木々の香り、絨毯の感触。
様々な思い出とその感慨が、私の瞳の奥を僅かに揺らす。
そんな私の顔を見て。
姫は敗北を宣言した。
「そうか――弱者を道具とした、ワタクシは……貴殿がいままで……であってきた、外道な王族の類と同じ……か」
姫は父に目線をやり。
「申し訳、ありませんでした……」
そう言い残し、かくりとその身を投げ出し意識を失っていた。
魔力で押しとどめていた傷から、濃い色の血が流れ始める。
もはや死の直前だ。
平伏しながら、頭を下げ続けるままのルイン王子が言う。
「……レイド陛下。大変図々しい願いではあるのですが――」
「彼女の治療ですね。構いませんよ。しかし――」
跪きながらも――ルイン王子が掲げているアイテムに目をやり。
「それはいったい」
「献上品にございます――姉上を治療していただくための、せめてもの誠意と受け取っていただければ」
それは社交界のための一冊。
貴婦人を包むカクテルドレスのカタログだった。
カタログから選択し身体データを転送すると、職人が一流のドレスを仕立て始める仕組みとなっているようだが。
まるで、女神アシュトレトのご機嫌取りだ――。
案の定、ドレスを所望する興奮の声が天から降ってきているところを見ると、これも計算の内なのか。
この王子……どうやら女神の存在も把握しているようだ。
まあ彼についてはおいおいに対処するとして。
妾のためのドレスじゃ! 早く、うんと言わぬか! と、名前は敢えて出さないがしつこい女神の声をまともな文に翻訳。
「――いいでしょう。私の大切な方も、治療せよと仰せです」
「ありがとう存じます、陛下」
私は少しは身の丈を知っただろう姫の、意外に安らかな顔に目線を移し。
「死んでしまったら子供たちとその家族への謝罪ができなくなりますからね――必要な処置です」
言って私は蘇生に近い回復魔術を展開。
謁見の間が淡い光に包まれる。
今の私ならば、死からの蘇生も現実的に可能。
一定時間内ならば確率による判定ではなく、確実な蘇生も可能。
今回の姫は死んですらもいないのだ、傷跡すら残らず治療できるだろう。
話し合いは後日となり、今回の謁見の間での集まりは解散。
それと同時に、街は不安と不穏で満ち始める。
最強戦力たるティアナ姫敗北の噂が、瞬く間に広がり始めていたのだ。
ある程度、私の意志も通りやすい環境が整い始めている。
後は女神の気分次第なのだが――。
ともあれ私は、報告の必要がある人物と接触するべく行動を開始した。